Essay

日本は再び世界第二位の経済大国を目指せ

藤 誠志

中国経済が迎える「大きな曲がり角」

 七月十三日付の産経新聞のコラム「緯度経度」の見出しは「“中国バブル”曲がり角」だった。「中国経済が大きな曲がり角を迎えている。輸出と公共事業、不動産投資を軸とした高度成長が行き詰まる一方、過剰投資による政府債務の急増や、『影の銀行(シャドーバンキング)』の猖獗によって国家の金融リスクが急上昇し始めたからだ。日本のバブル崩壊を体験した身には、あの頃の苦い記憶がいまの中国と重なってみえる」「日本でも一九八〇年代半ばからの不動産バブルで都市の住宅価格が急騰し、地方ではリゾート・マンションブームも起きた。『山手線内側の地価総額で米国全土が買える』との試算が出たほどで、国じゅうが不動産フィーバーに理性を失っていたものだ」「一方、中国は九○年代初めから本格化した改革・開放政策で日本や香港・台湾の資金やノウハウを導入。道路、鉄道などの産業基盤整備や安価な労働力を生かした輸出をバネに、世界第二位の経済大国となった。しかしここへきて労働人口が減り始め、労賃や人民元高が重なり輸出競争力が弱ってきた。先月の輸出は前年同月比三%減り、多国籍企業の東南アジア諸国などへの工場移転も活発化している。二○年間の二桁成長を背景に、北京や上海など大都市の不動産はニューヨークや東京なみに高騰したが、最近は取引面積が減り始めるなど陰りがみられる」「欧米ヘッジファンドが香港の株式市場などを通じて中国株の空売りを仕掛ける動きも活発化しつつある。仮に中国からの資金流出が本格化して、膨れあがった不動産バブルが崩壊する事態が起きれば、日本のバブル崩壊を上回る衝撃と混乱を内外にもたらす恐れもある。国際社会は中国発の世界金融危機への備えを検討すべき時かもしれない」という内容だ。私はこの主張は正鵠を射ていると思う。
 日本は戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦と「戦争特需」で経済成長を遂げてきたが、冷戦終結と共にその流れは大きく変わった。血と汗と金を使って冷戦に勝利し、ソ連を撃ち負かしたアメリカが、戦争特需の漁夫の利で経済的繁栄を謳歌してきた日本に敗れることがないように、次の戦争は経済戦争だとばかりに日本を仮想敵国と見做して、様々な手を使って日本経済を潰しにかかってきたのだ。
 その一つが所謂「グローバリゼーション」の波だ。日本の強みは、無限大とも言える間接金融(銀行融資)にあるとして、自己資本比率を高め、八%以上とすることを要求するBIS規制によって銀行融資に枠をはめたのだ。その結果、好調だった日本経済は押しつぶされ、バブル経済は崩壊した。他の東アジア諸国もアメリカのヘッジファンドによる通貨の空売りによってアジアの通貨危機となり、冷戦漁夫の利で貯めこんだ富を吐き出さされる羽目となった。
 その後アメリカは、信用が低い人向けの高利の住宅ローンであるサブプライムローンをどんどん増やすことによって住宅価格の高騰を煽り、好景気を演出していった。そのサブプライムローンの債権は数多くの優良債券に組み込まれ、世界中の金融機関に売り込まれていった。住宅価格が値上がりし、担保価値が増えたところでプライムローンに借り換えを行うのがサブプライムローンの使い方であり、この仕組みが成り立つには住宅価格の右肩上がりの上昇が必須条件だった。だから不動産価格の伸びが鈍化したとたん、サブプライムローンの焦げ付きが続発するようになり、これを組み込んだ債券が不良債権化したのだ。世界中の金融機関がパニックに陥る中、投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻、世界的な金融危機が勃発することになった。

バブルの崩壊は 予測することができた

 バブル崩壊から約二十年、日本の名目GDPはほとんど伸びてはいないが、その間に世界の名目GDPは約二倍に、中国のそれは約八倍になった。その間の二〇〇二年頃より、不動産証券化による資金調達スキームを使った開発が盛んになり、俗に「ファンドバブル」と呼ばれる東京都心を中心とした一時的な不動産価格の上昇を招いた。しかし二〇〇八年のリーマン・ショックにより日本の不動産価格は急落、新興のマンションデベロッパーは軒並みその影響で経営破綻という憂き目を見た。一方、中国は低賃金を武器に、世界から集めた資金と技術によって加工貿易を行って富を蓄えてきたが、それも北京オリンピックが開催された二〇〇八年が頂点だった。次第に衰える経済を二〇一〇年の上海万博や二〇一一年の深?ユニバーシアード、高速鉄道網建設等の官による公共需要の創出によって持ち堪えさせ、さらにシャドーバンクの資金の流入もあって、中国における不動産バブルは更に継続したが、ここにきてさすがに息が続かなくなり、とうとうこの産経新聞のコラムが言うように「曲がり角」を迎えることになったのだ。
 日本のバブルの崩壊も予測することができた。バブル絶頂だった一九八七年に起こった株の暴落、ブラックマンデーを見た私は、日本の地価が収益還元法で計算した本来の価格の四?五倍に達していることからも、今後大幅な地価の下落が起こると考えた。ブラックマンデーのタイミングで私は新規物件の取得を一切止め、不要な資産や賃貸物件のアパートやマンションを一気に売却したのだ。これが功を奏し、アパグループはバブル崩壊の影響を一切受けることがなく莫大な利益を得て、レバレッジドリースによる航空機投資の償却赤字と損益通算を図り、利益を未来に先送りした。特別利益が発生する六年後から、今度は戻ってきた特別利益を使ってホテルの大展開を図って、再びホテル備品などの一括償却赤字と損益通算し節税した。そして地価が底を打った二〇〇二年に東京・赤坂に本社ビルを購入し、再び攻勢に転じ、不動産証券化による資金調達によって、高層ホテルや高層マンションなど大型開発事業を、東京や大阪でどんどん手掛けていったのだ。
 その後のファンドバブルによって不動産価格が高騰した二〇〇七年、アパグループを巡る耐震強度不足問題が発生した。設計を依頼した設計会社が発注した構造計算事務所の構造計算に問題があるとして、京都のアパホテルにいきなり使用中止命令が出たのだ。「予約をしていたのに宿泊できないお客様に御迷惑をおかけしては申し訳ない」と思い、ホテル社長が記者会見を行ったのに、メディアの多くは「耐震強度不足問題を起こして申し訳ないと詫びた」と事実を曲げて「アパの耐震偽装事件」として報道した。私はすぐにNHKなどに抗議をしたのだが、アパが意図的に耐震偽装を行ったとは思っていないが、有名企業の事件は注目が集まるので、社名を見出しに使用せざるを得なかったと彼らは釈明した。しかしマスメディアの報道の影響は思いの外大きく、資金を融資してもらっていた銀行から、建築中の物件の運転資金も含め、全ての借入金の返済を迫られ、三五〇億円もの融資の返済をさせられた。やむを得ず、仕込んでいた建設予定地などの数多くの資産を売却し、求められた借入金返済を全て行った。私にとって幸運だったのは、このタイミングがファンドバブルの頂点だったことだ。ここで手仕舞いを行ったために莫大な利益を手にするとともにリーマン・ショック後の不動産価格の下落の影響を最小限で済ますことができた。

中国経済衰退の影響を 日本は見定める必要がある

 マンション事業の借入金の全てを返済してしまったので、その後は完成したマンションが売れれば売れるだけキャッシュ・フローが潤沢となっていった。そこで二〇一〇年四月に中期五カ年計画「サミット五」を開始、頂上戦略として東京都心で五十ホテル、三十マンションを建設して、東京都心でナンバーワンとなることを目標に事業を展開してきた。全ての物件は、購入時キャッシュで決済したために、安く良い物件を仕込むことができ、五カ年計画の半分を過ぎても、計画は順調に達成してきていた。しかし安倍政権が誕生し、アベノミクスによるデフレ退治、二%のインフレ・ターゲットという政策が打ち出された途端、資産インフレが始まった。一年前には買い手が付かなかった高額物件に、七?八社からオファーが出ているという話もある。このように東京都心駅近では地価の上昇が既に始まっているが、この先東京オリンピック開催前々年二〇一八年までの五カ年間は値上がりが止まらない日本の黄金時代となるであろう。バブル崩壊後、総じて転落してきた日本経済だが、アベノミクスによる円安、株高、土地高と我が国本来の強さを取り戻しつつある。勤勉な労働者とキメの細かいサービスや技術など、日本が諸外国よりも秀でているポイントは多く、東京オリンピックを機に日本はアジアで最も魅力的な都市として観光立国を目指すとともに、先端科学技術立国を目指せば、必ず再び世界第二位の経済大国に返り咲けるはずだ。
 過去二十年間に亘って一〇%前後の経済成長を達成してきた中国は、その成長力を国内での求心力としてきた。この勢いが止まりつつある今、多発するであろう内乱のとばっちりを日本は受けないようにする必要がある。それには力が求められる。なぜなら歴史上中国は、内部の求心力を高めるために外に敵を求める性質があるからだ。東トルキスタンやチベットの占領、ダマンスキー島を巡る中ソ国境紛争、中印国境紛争や中越戦争など、枚挙に暇がない。近年中国は海洋権益を得ることに力を入れ、アメリカの基地がフィリピンから撤廃されるやいなや、フィリピンが領有を主張していた南沙諸島のミスチーフ環礁を占領し、建築物を建てた。フィリピンやベトナムが懸命に中国と対決している中、日本が海上保安庁の巡視船に体当たりをしてきた中国漁船の船長を釈放するなど弱腰な対応を繰り返した結果、中国が尖閣諸島は核心的利益と言い出す事態となっている。

アメリカの壁によって 衆参同時選挙は阻まれた

 自民党の支持率の高さを受け、この夏衆参同時選挙を行い、一気に改憲賛成議員数を両院とも三分の二に持っていこうと考えていた安倍首相だが、アメリカの壁に阻まれた。一地方都市の首長であり、一野党の共同代表に過ぎない橋下氏の慰安婦発言を世界中のメディアに大々的に報道させることで維新の会の支持率を四分の一に低下させ、再度衆院選となれば維新の会の議席数の激減は必至となるように仕向けることで、アメリカは衆参同時選挙を阻止したのだ。参院選での自民党の勝利は確実だが、改憲が可能な三分の二の議席数には至らない。その後、メディアが煽って、野党を中心に反原発・護憲・親中勢力が結集し、自民党の一部も呼応、第二の保守党が結成され、再び二大政党制を志向する流れになるのではないかと私は危惧している。先の大戦の戦勝国・敗戦国という枠組みをアメリカは壊したくないから、歴史の見直しを認めない。東京裁判史観、日本国憲法などの軛から脱しないと、日本はいつまで経ってもアメリカの半植民地だ。改憲勢力三分の二が難しければ、改憲賛成の国民世論を現在の50%強から三分の二にまで高めたうえで、その国民世論を背景に現行憲法を議員の過半数の賛成で破棄し、独自憲法の制定を行うべきではないだろうか。
 先日、勝兵塾とアパコーポレートクラブ、アパグループの合同研修旅行でフィリピンのマニラを訪れ、友人であるホセ・デベネシア氏と再会した。十一年前の二〇〇二年十一月号のApple Townで、当時フィリピン下院議長兼与党総裁だったデベネシア氏と私は特別対談を行っている。彼はアキノ家とも親密で、正にキングメーカーという名に相応しい人物だ。対談の内容を読み返してみると、アジア全体で安全保障体制を構築するべきだなど、今でも十分に通じるものだ。同じ号の本稿は「米国軍事一極支配への道」と題して、次のような文で結ばれている。「国家戦略を構築し、現行憲法を廃止して新しい自主憲法を制定し、台湾や韓国と手を携えて、集団安全保障体制をつくり、スーパーパワーの米国と連携を強め、共産党独裁国家中国を民主的国家にソフトランディングさせていくことでアジアの平和と繁栄を図っていくことが肝要である」。
 振り返れば自らの主張を貫いて、このApple Townに二十一年に亘ってエッセイを掲載し、五年間に亘って真の近現代史観懸賞論文を募集し、二年前に東京から始めた勝兵塾も金沢・大阪へと広がり続けてきている。これが今日の安倍政権を産み出した原動力となっていると自負している。
 先日、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授の西鋭夫氏から氏の著書である『國破れてマッカーサー』を贈呈されて一読したところ、一次資料に基づく素晴らしい本だった。「マッカーサーの占領政策が未だ今日の日本を縛っている」というこの著書の要約を最後に掲載したい。
 「日本の伝統文化は、歴史の長さ故に可能な、深い洗練を受け、世界に誇るべき燻し銀の華として開花している。
 アメリカ政府は、日本が朝鮮半島やアジア大陸へ侵略をしたから日米戦争になったとアメリカ国民と世界中に言い触らしているが、世界地図を見れば、どの国がアジアへ進出したか、歴然としている。日本は、アメリカ大陸へも、ヨーロッパ大陸へも進出していない。アメリカは、アジアで日本が邪魔になったので、無理難題を投げつけ、日本を窮地へ追い込んだ。日本は、自衛のために闘うより他に生きる道はなかったのだ。アメリカは、勝つことの解っていた戦争に日本を引き摺り込み、日本を徹底的に破壊し、力尽き果てた日本兵と一般市民を殺しまくり、勝敗のついた後でも、原子爆弾を二発も使い、さらなる大量殺戮を実行した。占領下、GHQは狂気の軍国主義日本を民主平和国家にすると、独善的な言葉を使っているが、すばらしい文化と長い歴史を持っている日本に武力でアメリカ様式を押しつけた。
 敗れた日本をアメリカの支配下に押さえ込むのは、難しいことではない。しかし、日本国民が敗戦の悲劇から立ち直り、占領の屈辱を克服し、国土の復興に成功した時、日本はより一層強い国になっているのではないかとアメリカは恐れていた。日本国民が誇り高い民族であることは、この戦争で恐ろしいほど解った。再び強力になった日本は、アメリカに復讐を仕掛けてくるのではないかと、占領で最も重要な成果『新憲法』を天皇の命と交換に押しつけ、敗戦直後の虚脱状態にあった日本国民に、平和という甘い言葉を使い、『愛国心』と『誇り』を誘い出し、マッカーサーは素手で扼殺した。その死体が第九条だ」とかなり過激だ。
 私は今後も誇れる国日本の再興を目指す戦いに全力で頑張る所存だ。
7月19日(金)午前11時50分校了