元谷 今日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。ブルキナファソという国のお名前自体を知らない日本人がかなりいるのではないでしょうか。今日は存分にお国をアピールしていただきたいと思い、お声をお掛けしました。
ウビダ
ありがとうございます。元谷代表にお会いするのはこれで三度目だと思いますが、このような対談にお招きいただき、非常に光栄です。私個人だけではなく、ブルキナファソにとっても大変うれしいことだと考えています。
元谷
まずブルキナファソの概要をご紹介いただけますでしょうか。内陸にある国だとは、なんとなく知っているのですが。
ウビダ
その通りです。マリ、ニジェール、ベナン、トーゴ、ガーナ、コートジボワールの六カ国に囲まれた内陸国です。面積は二七万四二〇〇平方キロメートルで、日本の約七割の大きさになります。十一世紀に成立した多種ある民族のうちの一つである民族、モシ族の王国が長くこの地を治めていたのですが、二十世紀になって仏領西アフリカ連邦として、フランスの植民地になりました。一九六〇年に独立を果たしています。植民地時代、一九三二年九月に今のブルキナファソの土地は三つに分けられて統治されていたのですが、独立に際しては一つにまとまることを条件としてフランスと交渉、一九四七年九月四日に、今の国土の形を築くことができました。この時の人口は六百万人だったのですが、現在は千五百万人にまで増えています。しかし独立したのはいいのですが、どうも統治が上手く機能せず、一九八七年まで何度も軍事クーデターが発生することになりました。
元谷
独立後にもそのような苦難の歴史があったのですね。
ウビダ
はい。一九八三年に外国に頼るのは止めようという気運が高まり、翌年、八月四日に国名をオートボルタからブルキナファソに変更するなど、様々な改革が行われました。オートボルタは川の上流という意味しかありません。ブルキナファソのブルキナとは英語のdignityの意味。ファソは共和国を表します。高潔な人々が住む共和国という意味なのです。
元谷
いい国名ですね。
ウビダ
私も誇りに思っています。この国名変更によって、若い人々に自分達の力で国を作っていこうという気運が一気に高まっていきました。
元谷
日本は島国であるが故に結束しやすいという特徴があります。しかしブルキナファソは内陸の国ですから、国民が一致団結するのには多少の困難が伴うはずです。しかし先ほどお聞きしたところ、人口が独立時の二・五倍にも達しているということでした。人口の増減は良い国かどうかのバロメーターで、これはブルキナファソが辿ってきた道が正しかったことを示していると思います。ここまで人口が増えてきた理由は、何なのでしょう。
ウビダ
明確な答えは難しいですね。私見ですが、ブルキナファソでは家族の結束が強いと思います。都市部でも農村でも子供の数が多く、全国の平均では約三人です。私も四人の子供がいます。さらに言えるのは、ブルキナファソには天然の資源が少なかったので、人的な資源を活かすことに注力してきたということです。同じように人的資源の豊かさを追求することで国を発展させてきたシンガポールをお手本にして、教育制度などを充実させてきました。最近は天然資源が見つかったので、少し状況は変化していますが(笑)。
元谷
教育に力を入れてきたのは日本も同様です。
ウビダ
人口増加のもう一つの要因としては、移民を受け入れていることがあります。トーゴやナイジェリアなどからやってきた人々を受け入れ、国籍も与えているのです。
元谷
政情の安定から子供が多いことと、移民の受け入れを行なっていることから、人口が増加しているのですね。産業は何が中心なのですか?
ウビダ
綿花やとうもろこしなどの農業が中心です。コートジボワールやガーナの農場へ多くの人が出稼ぎに行き、農業技術を学んで戻ってくることを繰り返して、農業立国を行うことに成功しました。またブルキナファソは、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の一員で、周辺の加盟国と協力しながら経済発展を目指しています。港がないなど内陸国はいろいろ不便なところもあるのですが、電気に関しては大きな川がないので、当初はディーゼル機関による火力発電に頼らざるを得なかったのですが、今はガーナやコートジボワールなど陸続きの周辺国から電気の供給を受け、電気の国内での普及率が一〇〇%になりました。ブルキナファソでは、ほとんどの村でテレビを見ることができますよ。
元谷
それは素晴らしい! ケニアでも普及率は三〇%ですからね。
ウビダ
またスペインの企業が入ってきて、ソーラーパネルの普及も進めています。将来のエネルギー源として期待が高まっています。
元谷 日照時間が長いアフリカの国には、太陽光発電は向いているかもしれませんね。
ウビダ 近年開発が進んでいる天然資源で一番多いのが金です。綿花、牧畜に続いて三番目の輸出品となっています。その他マンガンや亜鉛などの鉱山資源もあります。しかしながら、最も重要なプロジェクトの一つにソーラーエネルギー開発があります。
元谷 一つお聞きしたいことがあります。ブルキナファソの歴史を見ていますと、一九九〇年のソ連崩壊までは社会主義路線を推進していたかと思います。冷戦終結の前後で何がどのように変わったのでしょうか。
ウビダ 確かに一九八三年のクーデターの後の政権は、国名変更と同時に社会主義国家を目指していました。しかし一九八七年のクーデターによって、より民主的な志向を持つ政権が誕生して、社会主義でありながらも民主化を推し進めていたのです。その後一九九〇年にはマルクス・レーニン主義を完全に放棄し、一九九一年に大統領選挙を行い、続いて一九九二年に議会選挙を行い、民主主義国家へとスムーズに移行することができました。
元谷 私は冷戦終結直後の一九九二年に、キューバのカストロ議長と対談を行いました。その時に彼は、ソ連はキューバの砂糖を高額で買取、代わりに原油を供給してくれていたのだが、崩壊後はそれがなくなって国として大変なことになっていると言っていました。実際、街を見てもガソリンがない、肉・魚が配給でタンパク源に不足しているという状況でしたから。カストロは、本当はもっとアメリカとも親密になりたいのだが、相手がなかなか「うん」と言わないとボヤいていましたね。
ウビダ 実は私は一九八四~九一年に一等書記官として駐キューバ大使館で勤務していたのです! 奇遇ですね。当時ブルキナファソとキューバは非常に親密な関係にありました。両国とも愛国心を高めることによって国をまとめるという手法で、国家建設を行なっているところに共通点があったのです。
元谷 同じ頃にキューバにいらっしゃったのですね。
ウビダ そうです! ブルキナファソはキューバほど、冷戦崩壊の影響は受けませんでした。キューバとソ連の砂糖と原油の貿易は相当な量でしたから。私達にはそれほど多くのソ連との取引はなかったのです。基本的な方針として、国境を接する六カ国を中心とする周辺国との多面的な関係づくりを重視してきたことが、功を奏したのでしょう。
元谷 お聞きしていますと、近隣諸国との繋がりが非常に強いですね。
ウビダ そうですね。二国間、または多国間において、近隣諸国との繋がりは非常に強いです。特にフランス語を話す国とは。経済分野においても、周辺八カ国と通貨も共通です。
元谷 それはいつからですか?
ウビダ 独立した時からです。CFAフランというのですが、フランスの助力もあって、旧フランス植民地で使用されています。セネガルにある西アフリカ諸国中央銀行が発行しています。今後の計画として、西アフリカ経済通貨同盟(UEMOA)に所属していて、現在はCFAフランを使用していないガーナなどの七カ国にまで、二〇一五年までにこのCFAフランを拡大すべく調整を進めています。西アフリカ諸国経済共同体十五カ国の通貨統合が達成されれば、今後のこの地域の発展に大きな期待ができると考えています。
元谷 西アフリカ諸国経済共同体での交渉で使われる言語は、やはりフランス語なのでしょうか?
ウビダ はい、言語の一つです。公用語はフランス語、英語、ポルトガル語です。ブルキナファソの公用語は今でもフランス語で、学校でも第一言語としてフランス語を、第二言語として英語を教えます。もちろん昔から人々が話している現地の言葉も残っています。私の祖父は学校には行っていないので、フランス語は話せません。
元谷 ブルキナファソの国民は、どのような宗教を信じているのですか?
ウビダ 三割の人々が伝統的な地元の宗教を信じています。その他はイスラム教とキリスト教が半分ずつです。
元谷 政権をとっている党がなんらかの宗教色を帯びている国が多数あります。ブルキナファソの場合はどうですか。
ウビダ 政教分離が徹底されているので、政権党や政府は宗教とは全く無関係です。一方国民の信教の自由もしっかりと保護されています。
元谷 経済・政治以外のお話も。ブルキナファソ人の特徴を教えていただきたいのですが。
ウビダ ホスピタリティに富んでいて、誠実で礼儀正しく勤勉というのが、よく言われるブルキナベ(ブルキナファソ人)の特徴です。また一般的に民謡や踊り、文学や芸術にも関心が高いですね。
元谷 文化的にも豊かな国だとお聞きしています。
ウビダ 国または民間で、いくつかの国際的な文化イベントを開催しています。一九六九年から二年に一度、二~三月に二週間、行われている映画とテレビのフェスティバル(FESPACO)が非常に有名です。アフリカ中の映画製作者はもちろん、世界中の映画関係者が集まり、多くの作品が上映されたり、映画作品やテレビ作品の売買が行われる場所です。もう一つ有名なイベントは、同じく二年に一回開催されるSIAOと呼ばれるワガドゥグ国際工芸市です。アフリカを中心に多くの国の工芸品が集まる展示会なのですが、今年の公式招待国は日本。日本の多くの工芸品が展示される予定です。期間は十月二十六日から十一月四日までとなります。他にも毎年ダンスや芸術のイベントが行われるなど、文化イベントが非常の多いのが、ブルキナファソの特徴です。
元谷 もし訪れるのなら、そういったイベントに合わせて行くと、楽しさが倍増しそうですね。
ウビダ その通りだと思います。特に今年の工芸市は、日本とブルキナファソの活発な交流の場となると思いますので、ぜひ多くの日本の方にも来て欲しいですね。
元谷 他に見るべきスポットはありますか。
ウビダ 首都のワガドゥグ周辺では、民俗学の宝庫でブルキナファソの工芸品の特徴をつぶさに見ることができるマネガ美術館や、三十五の異なった民族から提供された百五十種類以上の楽器を見ることができるワガドゥグ音楽館などが見ものです。自然関連のスポットや遺跡も見逃せないものがあります。世界遺産に指定されているロロペニの遺跡は、十一世紀以前に作られた巨大な石でできている要塞です。
元谷 観光に適したシーズンはあるのですか。
ウビダ もし、ハンティングや象やワニなどをご覧になられたいのでしたら、乾期が最適でしょう。特にこの時季が良いということはありません。熱帯に属していますから、一年中気温は高いですね。十一月から六月までが乾季、七月から十一月が雨季となっています。夏は気温は上がりますが、湿度は日本より低いようです。先日ブルキナファソから帰ったばかりの日本の方とお話しましたが、向こうの方が過ごしやすかったとおっしゃってましたよ(笑)。海外青年協力隊など多くの日本人の方がブルキナファソに来られるのですが、非常に人気で皆さん、帰りたくなくなるのです。一週間の予定で来られた方が、三週間に延長するというのはざらですよ。特に田舎に行かれた人が、なかなか帰ろうとしないようです(笑)。
元谷 それは気候の良さなのでしょうか。それともブルキナファソの方々のホスピタリティからなのでしょうか。
ウビダ どちらもだと思います。日本人とブルキナファソ人は、祖先が一緒じゃないかと思うほど、何かかしら共通点があることも理由の一つでしょう。電話に出る時に日本人は「もしもし」と言いますが、モシ族はブルキナファソ最大の民族です。日本の機織りとほとんど変わらない方法で、私達も古くから布を作っていましたし。なぜかお互い非常に親近感を覚えるのです。
元谷 いろいろお話をお聞きしていると、一度訪問したくなってきました(笑)。特に映画フェスティバルには興味があります。
ウビダ 次回のFESPACOは、来年二〇一三年の二月二十三日~三月二日に開催されます。今年の秋の民芸市にもぜひいらっしゃって下さい。ブルキナファソの最高責任者にも、お引き合わせができると思います。
元谷 日本から行く場合には、どのようなコースで行けばいいでしょうか。
ウビダ 日本からの直行便はありませんから、一旦フランスやベルギーを経由されるといいでしょう。パリからはエール・フランスやエール・ブルキナを使って約六時間で首都のワガドゥグに到着します。
元谷 エール・ブルキナというフラッグ・キャリアがちゃんとあるのですね。わかりました。検討してみます。いつも最後に「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
ウビダ では日本の若い人に。これまでブルキナファソはODAやJICAのボランティア活動などで、日本から多くの恩恵を受けています。私達はその恩返しがしたいのです。今ブルキナファソでは、様々な地下資源の開発が進みつつあります。いろいろな国からこの資源をビジネスにしたい人々が来ていますが、日本からはまだ。恩返しのために、これらの資源を日本人のためにとっておきたいと考えています。日本とブルキナファソの間で今後大切なのは民間交流でしょう。若い人達が行き来する中でコミュニケーションが進み、自然発生的に民間プロジェクトが作られていくのが理想です。ブルキナファソは今は非常に安全で平和な国ですから、日本の若い人達に一緒に国造りに参加してもらい、同時に我が国の資源を持っていってもらって、それを活用して欲しいのです。
元谷 それは日本人にとっても、とてもうれしい申し出です。多くの野心ある日本の若者が、ブルキナファソに向かうといいですね。
ウビダ 元谷代表にもお願いがあります。代表は一代でここまでの事業を築きあげて、非常にお忙しい方です。しかし私達駐日大使との対話にもしっかりと時間を割いてくださっています。そういう余裕のある成功者からブルキナファソの人々に、自身の生き方や事業を繁栄させる方法を伝えていただきたいのです。また、日本の若い人達が他の国の人々の意見をオープンに聞き入れ、平和と国際協力に貢献できるよう願っています。
元谷 ありがとうございます。そう言っていただくと、何が何でもブルキナファソに行かないと(笑)。ブルキナファソの人々は自分の国に誇りをお持ちだと思うのですが、日本に今ないのは日本という祖国への誇りです。私も「真の近現代史観」懸賞論文を募集したり、「誇れる祖国『日本』」という本を書いたり、「勝兵塾」という私塾を始め、いずれ当塾から総理大臣を出そうと活動をしています。今度「日本に誇りを持とう」というTVCMも作ったので、テレビ局の考査が通れば放映したいと思っています。
ウビダ それは素晴らしい! どの国も過去にはいろいろな歴史を持っているものです。それらに拘泥することなく、未来に向かってまっすぐ進むべきなのです。日本は世界有数の経済力を持ち、私達ブルキナファソを含め多くの国を助け、世界中から尊敬されているのですから。誇りをもつべきです。
元谷 日本人がそのことを世界で一番知らないのが問題なのです。
ウビダ 私はアパグループや日本を誇りに思っています。日本人全員がそう思えるのであれば、日本は今後もっと発展していくのではないでしょうか。
元谷 私も全く同感です。今日は本当にありがとうございました。
フランソワ・ウビダ氏 Francois Oubida
1957年4月29日 コートジボワール共和国 ボンドウク生まれ 1984年~1991年 キューバ、ハバナのブルキナファソ大使館一等書記官。2007年~2008年 地域協力外務省大臣官房特命全権公使。2008年~2011年 地域協力外務省二国間協力局長。2011年12月 駐日ブルキナファソ大使に着任。現在に至る。
対談日:2012年8月2日