日本を語るワインの会171

ワイン171二〇一七年九月八日、代表邸で恒例「日本を語るワインの会」が行われました。自民党の外交部会長も務め国際関係にも明るい衆議院議員の秋葉賢也氏、通産省からコンサルティング会社、エルメスを経て国政に進出した衆議院議員の山田美樹氏、実質的な駐日チベット大使となるダライ・ラマ法王日本代表部事務所日本・東アジア代表のルン・トック氏、IoTを使った新しいサービスを国際的に展開するPeek Me Up Presidentのクロード・パトリック・エミール・ゴルジュ氏、ハリウッドで映画の特殊メイクも担当したメイクアップアーティストの山本智美氏をお迎えし、日本を取り巻く国際情勢から松下政経塾のことまで、多彩な話題で盛り上がりました。
モンゴルとの良い関係は
中国包囲網強化に繋がる
 新大陸発見後、南米での白人によるインディオの迫害は凄まじかった。ロバート・デ・ニーロが主演した映画「ミッション」の中でも、主人公の宣教師達が現地民に賛美歌を歌わせていると、枢機卿が来て九官鳥でも歌うと馬鹿にするシーンがあった。スペインなどカトリック勢力は南米で先住民を虐殺し、アメリカなどプロテスタント勢力は、北米で先住民を虐殺した。そもそもヨーロッパでは、十六世紀からカトリックとプロテスタントとの宗教戦争が続いた。ヨーロッパから逃れたプロテスタントであるピューリタンが移住して建国したのがアメリカだ。そのアメリカは、十九世紀末には米戦艦メイン号を自爆させて、「リメンバーメイン」と世論を煽ってスペインと戦争を行い(米西戦争)、フィリピンを奪い取った。原爆投下にも宗教が絡む。アメリカ軍が長崎で原爆を投下したのは、日本におけるカトリックの総本山、浦上天主堂の真近だ。一神教同士の対立も怖いが、一神教内の宗派対立もキリスト教のカトリックとプロテスタント、イスラム教のスンニ派とシーア派のように熾烈なものとなる。日本のような八百万の神が一番平和だ。その次に平和なのが仏教だろう。
 モンゴルでは七月にバトトルガ大統領が新しく就任し、九月に安倍首相とウラジオストクで会談を行った。モンゴルと日本がいい関係を保つことは、中国包囲網を形成する意味においても非常に重要だ。モンゴルの人々はかつてチンギス・ハンがヨーロッパにまで及ぶ大帝国を築いたことを誇りに思っている。帝国作りに寄与したのは、ずば抜けた持久力を持っているモンゴルの馬と、のろしを活用した通信手段だ。占領した国に駐屯する兵は少なく、元のままの政体や法律を尊重し維持させたが、その国が反抗した場合には徹底的に武力で制裁を加えた。この治め方は同じく広大な帝国となったローマと変わらない。またモンゴルもローマも、道路というインフラ整備に一役買ったことも共通している。モンゴル帝国誕生のおかげで東西交通路が開けた。モンゴルは北朝鮮と国交があり、拉致問題解決にも取り組んでいて、二〇一四年に横田夫妻が拉致被害者のめぐみさんの娘と会ったのも、モンゴルのウランバートルだった。昨年発効したモンゴルと日本のEPAの有効な活用も求められている。今後十年に亘って両国間の貿易による関税はゼロになっていくが、発効から一年経過しても目立った実績が出ていない。これを何とか変えていかなければならない。かつてはモンゴルのエリートはソ連に留学したが、今では最も優秀な子弟はイギリスのオックスフォードかケンブリッジに、二番手がアメリカ、三番手が日本に行くという。ただ今はモンゴルと韓国との交流が活発で、航空便も韓国との行き来の方が日本とよりも便数が多い。

国際機関に日本人の
管理職をもっと増やすべき
 公式文書では、メキシコとキューバを初めて訪れた日本人は支倉常長ということになる。十七世紀初め、伊達政宗の命を受けてスペインを目指した常長一行は、メキシコのアカプルコ、キューバを経てスペインに渡り、国王フィリペ三世に謁見、その後ローマで教皇パウルス五世にも謁見している。今から四百年も前にそれだけの大旅行を行ったのは、特筆すべきことだ。この時の使節団の中で日本に帰らずスペインに留まった人々の子孫が「ハポン」(スペイン語で日本の意味)の名字で、今も多く暮らしている町がある。アカプルコとキューバのハバナには、支倉常長の像が設置されている。
 国際連合が世界平和の目指す素晴らしい組織だと考えている人は多いが、英語で言えばこの組織はUnited Nationsであって、直訳すれば「連合国」だ。日本の外務省には人員がまだ足らず、もっと増員して在外公館を増やす必要があるが、更に必要なのは国連など国際機関のシニアクラスの管理職の日本人を増やすことだ。国連安保理の常任理事国は国連に資金を出す場合、同時にポストも要求してどんどん獲得していっている。
 トランプ大統領は「公開限定空爆」を行うべき。金正恩の斬首作戦は行わず、現状政権のままでよいが、核兵器とミサイルに関する全ての施設を時間を指定して、巡航ミサイルと爆撃機で攻撃すると宣言するのだ。同時に、三八度線沿いのロケット砲や長距離砲を一発でもソウルに向けて発射すれば、三八度線沿いの軍事施設を全て破壊することも伝えておく。宣言から攻撃実行まで一週間ぐらいの猶予をおき、その間にアメリカ人などの旅行者のソウルからの避難も完了させるのだ。代表は同じ事業家として、トランプ大統領ならこれぐらいやると考えている。

不平等協定の
日中記者交換協定を廃止せよ
 トランプ大統領は安倍首相をとても気に入っている。今年二月の訪米時に安倍首相はトランプ大統領とゴルフをしたが、予定の十八ホールに加えて、トランプ大統領が言い出して全く予定になかった九ホールをプレイした。この後、在京の外国大使館から日本の外務省へトランプ大統領に関する問い合わせが殺到した。歴代のアメリカ大統領に対して、就任前に会って就任直後にも会ったのは、安倍首相しかいない。しかも就任後はイギリスのメイ首相の次という厚遇だ。十一月にトランプ大統領の来日が予定されているが、その際、安倍首相は一緒に靖国神社に参拝しようと誘うべきだ。かつてブッシュ大統領が来日時、自ら靖国神社を参拝したい意向を示したが、当時の小泉首相と外務省はそれを拒否するという弱腰ぶりだった。しかし今の安倍・トランプ関係なら実現できるのではないか。世界は民主党のオバマ政権時代に無茶苦茶になったとも言えるが、オバマ大統領がいなければ、トランプ大統領は誕生していなかっただろう。まともに考えれば、今回は共和党のマルコ・ルビオ上院議員辺りが大統領になるはずだった。中国の尖閣諸島周辺への防空識別圏設定に対して、議会に非難決議案を出すなど日本への理解も深いルビオ議員だが、まだ若いからかディベート能力に劣り、大統領選挙の共和党予備選から早々に脱落した。アメリカの選挙は口喧嘩と胆力がモノを言う。言っていることの筋が通っているだけでは、アメリカ大統領は務まらない。
 僧侶の焼身自殺というと、かつての南ベトナムのティック・クアン・ドックの焼身自殺があまりにも有名だが、チベットでは中国の占領に抗議して多数の僧侶が焼身自殺をしている。これが報道されないのは、多くのメディアが中国に慮っているからだろう。日中記者交換協定によって、中国に特派員を置くために、日本のメディアは中国に不都合な報道ができない。だから多くの日本の事業家が中国で大きな損を出して工場設備などは置いたまま撤退、その後も中国から退職金などの請求書が届き困窮していることなどが報じられない。不平等の日中記者交換協定はメディアレベルでは対応できない。外務省が中国に、即時の撤廃を要求するべきだ。今中国は、チベット、ウイグル、内蒙古、朝鮮自治区の四つのエリアを、住民の意志に反して占領している。この事は中国がかつて日本が行ったと非難している「侵略」そのものであり、侵略は即刻止めるべきだ。過去を考えても日本は中国を侵略していない。すべて時の中国政府との協定に基づいて行ったことだ。教科書もおかしい。日本の行為だけ「侵略」と書き、欧米列強の行為はアフリカ「進出」、アジア「進出」だ。こんなことをいつまでも許しているのは、日本からまだ敗戦国感覚が無くならないからだ。

多くの人を啓蒙することで
人材を残すことが大事
 一九八九(平成元)年に亡くなった松下幸之助は八千億円の遺産を残した。幸之助の凄さは、永田町では評判が悪いが松下政経塾を作り、金を掛けずに人を育てたということだ。偉大な人間は人を残す。代表もそのために「真の現代史観」懸賞論文制度を始め、勝兵塾を作った。その懸賞論文の第一回で田母神俊雄氏が最優秀賞を獲得したために更迭となり、大騒動になる一方、多くの人々が保守に目覚め、その流れが第二次安倍政権の誕生に繋がっていった。幸之助の代表的な考えは、水道のように低価格で良質のものを大量供給することで、物価を安くして人々を幸せにしようという水道哲学だ。これだけ税金を払っているのに政治家の質が悪く効率が悪く、国も地方自治体もコスパが悪い。自分が為政者になれば、今の二倍のパフォーマンスを出すことができると幸之助は言っていた。政治家養成塾と思われている松下政経塾だが、一期生として入塾した人々にはそんな気はさらさらなく、当初政治家になったのは逢沢一郎氏だけだった。その後も特に政治家志望者を集める塾ではなかったが、細川護煕氏が日本新党立ち上げの際に塾に協力を要請、前原誠司氏や野田佳彦氏がこれに応じて出馬、当選したために、政治家養成塾のように看做されるようになった。幸之助は哲学を語り、政治の効率の悪さは批判したが、政治家になれとは言わなかった。逆に幸之助に選挙に出たいので資金を出してもらえないかと要請した塾生に対して、「一銭も出さない」と明言。その上で、日蓮上人が千葉の小さな漁村の出身でありながら、辻説法だけであれだけ大きな宗派を作ったことを引いて、金不足は地道な努力でカバーせよと説いた。これを実践したのが野田佳彦氏だ。資金のない中、自らビラを印刷、朝夕の駅前の演説で千葉県の県会議員に当選、結局首相にまで昇り詰めた。
 二〇一八年用の日本郵便の広告付年賀はがきにアパホテルのはがきも登場した。広告付きのため通常より五円安い四十七円で購入でき、下部にアパホテルの五百円割引券も付いている。切手スペース下には、ホテルの看板でおなじみのホテル社長の顔写真が印刷されていて、インターネットで大きな話題になっている。