偏向してしまう民主主義
一月に行ったアパグループの新年会の挨拶において、私は、「今年は経済的には好景気の良い年になるが、政治的には波乱の予感がする」と述べた。アメリカでは民主的な手続きに従ってトランプ大統領が誕生したが、国内の分裂は深まり、反対派と賛成派のデモが繰り返されている。民主的な手続きで就任したフィリピンのドゥテルテ大統領は、麻薬業者は法律の適用外とばかりに就任三カ月で三千人の麻薬業者を裁判抜きで射殺した。韓国では朴槿恵大統領が議会から弾劾訴追され、憲法裁判所によって彼女の罷免が認められた。三月十一日の日本経済新聞の一面には、「民心、司法動かす」という見出しでこのことが報じられている。しかし司法は法律に基づき裁きを行うところであって、民心が司法を動かして良いはずがない。多数決に基づく民意を政治に反映させるという民主主義は、民主主義的中央集権制(民主集中制)という独裁制の共産主義に比べれば良いものだと言えるが、絶対的に良いものとは言い難い。それは民主主義を成り立たせる根本原理である多数決が、メディアの煽りによって偏向してしまう、民意によって成り立っているからだ。
韓国の大統領の末路は悲惨なものが多い。初代の李承晩は学生デモによって国を追われ、アメリカに亡命した。次の尹潽善大統領はクーデターによって辞任、そのクーデターを主導した朴正煕大統領は側近に暗殺された。それによって誕生した崔圭夏大統領は短期のつなぎに過ぎず、次の全斗煥大統領によるクーデターで失脚、その全大統領も、退任後は光州事件などを理由に死刑判決を受けた(その後恩赦)。全斗煥大統領の後は、任期五年の一期だけで在任中に不逮捕特権などがあり、その事も腐敗の原因となった。直接選挙によって初めて選ばれた盧泰愚大統領は、任期全う後に不正蓄財の罪で有罪となった。直後に文民大統領として登場した金泳三大統領とは私は何度か訪韓時に自宅に招かれ、会食を共にしたことがある。非常に高い支持率によって誕生した金泳三政権だったが、アジア通貨危機で韓国経済が破綻したことによって支持率は急降下した。任期は全うしたが、二男が斡旋収賄と脱税で逮捕された。本人は、退任後も罪に問われることはなく、早稲田大学の特命教授も務めた。大統領の時には反日的な言動が目立った金泳三だが、実際に会ってみると流暢な日本語を話す親日家で、「韓国で大統領になるには反日を打ち出すしかない」と言っていた。次の金大中大統領は、対北宥和の太陽政策でノーベル平和賞を受賞する一方、北を懐柔するために、現代グループを通じて五億ドルを金正日に渡していたという。退任後本人は逮捕されなかったが、三人の息子を含む五人の親族が不正蓄財で有罪となった。盧武鉉大統領は弾劾訴追されたが憲法裁判所の裁定で罷免は免れた。しかし、収賄の容疑がかけられる中、投身自殺で最後を遂げた。大阪生まれの在日韓国人の李明博大統領は当初は親日的であったが、任期末期、兄が不正資金の受け取りで逮捕されたことから、任期満了での逮捕を免れる為に反日に転じ、現職大統領として初めて竹島に上陸したり、日本の天皇に対して、訪韓したければ跪いて謝罪せよと発言したりしたことで、反日の愛国者と思われ、逮捕を免れた。
民主党政権の黒歴史
この李明博政権の末期を見ていた朴槿恵大統領は、大統領就任後、いきなり反日姿勢を明確に打ち出す一方、中国に擦り寄る姿勢も明確にしていた。しかしこの外交政策にも限界が生じ、日韓合意を行うなど、日本との関係を修復している最中に、朴大統領が友人の崔順実を国政に介入させて、巨額の資金を財閥から得させていたという疑惑が持ち上がり、今回の罷免に至った。これまでの悲惨な大統領の末路を見れば、「またか」の印象もあるが、民主的に選んだはずの大統領なのに、メディアが煽る民衆のデモで国会や裁判所が動き、罷免されてしまうところに、韓国という国の特殊性が現れている。半島国家の悲哀として、韓国は絶えず周囲の大国に擦り寄って生存するしかなかった。かつては清に擦り寄って日清戦争の引き金となり、その後、ロシアに擦り寄って日露戦争の引き金となった。日本が強国となってくると、日韓両国から併合の話が持ち上がったが、賛否は喧々諤々、併合反対派の伊藤博文が、その事によって後に英雄となる安重根に暗殺され、韓国の民間団体である一進会から「韓日合邦を要求する声明書」が出されたことなどによって、結局日韓併合が行われた。日本は韓国を北海道のように開発しようと考え、道路などインフラを整備し、数多くの学校を造り、経済繁栄の礎を築いた。しかし日本が先の大戦で敗れると、次はアメリカに擦り寄り、北と分断された国家として生き残ったが、その政情は上述の通り、次々と大統領経験者が失脚する不安定なものだ。
しかし韓国のことを笑ってばかりもいられない。三月十一日付の産経新聞朝刊のコラム「阿比留瑠比の極言御免」では、「韓国を笑えぬ日本『黒歴史』」という見出しで以下のような記事が掲載されている。「朴槿恵大統領が罷免され失職したことで、韓国社会は混乱の極みに達し、司令塔を失った外交も機能不全状態にある。米国による北朝鮮への先制攻撃の可能性が現実味を帯び、朝鮮半島の緊張がこれまで以上に高まっているときに、国内の政争や鬱憤晴らしで盛り上がっている韓国の姿は滑稽だが、日本もよその国のことを言えた義理ではない」「わずか四年ちょっと前までは民主党(現民進党)政権だったことを思い返したい。当時、日本外交がいかに世界で軽視され、笑いものとされていたかを。『日本は米国の同盟国だというが、本当にそうか』野田佳彦政権時代の平成二四年二月、外務省高官は米紙ワシントン・ポストの著名コラムニスト、アル・カーメン氏にこんな屈辱的な疑問をぶつけられた。カーメン氏は、鳩山由紀夫元首相に『ルーピー(愚か者)』というあだ名を付けた人物である。鳩山氏は首相当時、意味不明の東アジア共同体構想を唱え、インド洋での海上自衛隊による補給活動を完全にやめてテロとの戦いから離脱してしまった。また、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題でオバマ米大統領(当時)に『トラスト・ミー(私を信頼してくれ)』と大見えを切った揚げ句に迷走して問題をこじらせた。このころ、民主党の小沢一郎幹事長は日米関係と日中関係を同列に扱う『日米中正三角形論』を唱え、天皇陛下と習近平中国国家副主席(当時)の会見を強引にセットし、六〇〇人規模の大訪問団を率いて訪中して米国をあきれさせた」「『基地問題はもうどうにもならない。タッチしたくない。もう沖縄は独立したほうがいい』次の首相の菅直人氏は副総理時代にこんな無責任な発言(喜納昌吉元参院議員著『沖縄の自己決定権』)をしていた人物である」「二七年三月に、ドイツのメルケル首相が来日した際、安倍晋三首相が『あなたは中国には何度も行っているのに、日本にずっと来なかったのはどうしてか』と問うと、メルケル氏はこうあっさりと答えた。『日本の首相は毎年代わるから、会っても仕方がないと思っていた』日本も油断すると、また世界に相手にされない存在感のない国に戻りかねないのである」と阿比留氏は結んでいる。正鵠を射ていると言えるだろう。後戻りしないためにも、安倍首相の三期九年の残り五年足らず、トランプ大統領の二期八年の任期の間に、日本は真っ当な国となるべく憲法を改正すべきだ。そして力の均衡による平和を実現するべく、真に抑止力となる攻撃力を持つ軍事力を整備していく必要がある。
民主党政権の原発事故対応
今年の三月十一日で東日本大震災から丸六年となった。震災の二日後に、アパホテル主催の「真心笑顔美人No・1決定戦」が行われることになっていた。「こんなタイミングですから中止しましょう」という社員の声が出る中、私は決めたことはやるべきだと、決定戦を敢行した。皆が自粛ムードになれば、震災の被害に遭ってない人まで被害を受ける。出席者は減少するかもしれないが、できることはやろうというのが私の考えだった。このイベントの挨拶の中で、私は震災の人命被害について触れ、古くから何度も津波の被害を受けている東北の太平洋岸なのに、時間が経つと記憶が薄れ、「オオカミ少年」となって避難を怠って命を失う人が出てくる。これを無くすためには、巨大な堤防や鉄骨の避難所ではなく、普段から使用収益を得られるもので避難できる施設を造るべきだと提唱した。具体案はApple Town二〇一一年五月号のエッセイに記述してある。「私が提唱したいのは、着手して十カ月もあれば建設できる、鉄筋コンクリート六階建てで、一、二階を駐車場とする防災マンションを、二〇〇メートル間隔で海岸線に対して直角に建設することだ。直下型の地震だった阪神淡路大震災でも、新しい建築基準法に則って造られた鉄筋コンクリートの建築物の被害はほとんどなかった。また津波に対しても強いことは、今回の地震でも証明されている。これまでも十八メートルを超える津波がほとんどなかったことを勘案し、これらの防災マンションは六階以上の高さとする。住民は津波警報が出れば、警戒しながら目で見て、音で感じてからでも避難できる、近くの防災マンションの屋上を目指す。緑あふれる都市計画で、二〇〇メートル間隔に防災マンションを建設するのは、誰もが何処からでも百メートル以内にあり、一分程度でマンションの非常階段で屋上に避難できる様にするためである。各防災マンションの屋上には水や非常食なども備蓄し、今回のような事態になった場合でも、多くの人があわてずに救助を待つことができる。大災害が起こった今、被災地の土地を区画整理して、今まで所有していた土地とこの防災マンションを交換で無償で供与すれば、造ってもしばらくしたら壊さなければいけない仮設住宅よりも多くの人から喜ばれるだろう。莫大な費用と長い時間をかけて海が見えなくなるような巨大な防潮堤を建設したり、海から離れた高台を造成して漁師等が使えないような場所に新築移転するよりも、防災マンションの方がはるかに少ない予算で早く出来る」。しかし六年が経過して、まだ仮設住宅に暮らす人がたくさんいるにも拘らず、防災マンションができたという話は聞かない。
同じ六年前のエッセイでは次のようなことも書いた。「とある新聞に元防衛大学教授が『残念ながら、この福島原発事故では日本政府は真実を語っていない。危険性を低めに述べている。この乖離の最も顕著なのは危険地域の設定である。日本政府は発電所から二〇キロ内からの立ち退きを勧告している。他方、米国は自国民に対して八〇キロ内からの立ち退きを勧告している。十七日付米国の星条旗新聞は一マイル(約一・六キロ)内は一、二週間で死亡、三マイル(約四・八キロ)内は口、喉から吐血、三〇マイル(約四十八キロ)内は体内化学変化と報じた。五〇マイル、つまり八〇キロ内は明らかに体に障害を与える。主要国が自国民の立ち退きを勧告したのは現状に不安があるだけではない。原子炉の温度が高くなると爆発し、放射線が大量に漏れる可能性がある。温度を下げるため、放水が必要だ。この任務を自衛隊が実施している。すでに見たようにここでの任務には危険が存在する。死も覚悟である。しかしこの任務がなければ爆破する可能性がある。文字通り命がけでこの任務に従事する自衛隊員に感謝します』と、あたかも福島で巨大原爆が爆発したような」記述で不安を煽る、このような報道が頻発した。これはアメリカやフランス・中国など核保有国が、不安を煽って日本に核を持たせまいと画策したからだと思われる。
東日本大震災の時は民主党政権であり、彼らの震災対応は杜撰だった。初期段階で菅首相が現地視察を行ったためにベントが遅れ、高温下、燃料皮膜のジルコニウムが水と酸化還元反応を起こして発生した水素が建屋に溜まり、水素爆発を起こし放射能を四散させてしまった。早期にベントを行うか、それが電源喪失で無理であれば、建屋の一番高いところの一部を破壊して水素を外に逃がすべきだった。避難地域の指定を、風向きを考慮せずに同心円状に行ったために、結果的に被曝線量の高い地域に避難した人々が出た。また年間の被曝線量が二〇ミリシーベルトになりそうなエリアを計画的避難区域として急速避難を強制、重篤な病人や高齢者も無理に移動させたために、多くの災害関連死を発生させてしまった。年間二〇ミリシーベルトであれば、一週間や二週間遅れても僅かの被爆量の増加に過ぎない。世界平均の自然放射線量が二・四ミリシーベルトであり、日本の自然放射能被爆線量は、一・四ミリシーベルト程度(大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構一九八八年推定)であるにも関わらず、除染の基準を一ミリシーベルトとしたために、莫大な費用と膨大な人手が必要となり、建設業を中心に人手不足が深刻となった。これらの民主党政権の対応を見ていると、確かにとても韓国を笑えるものではない。
日本もその流れに呼応すべき
メディアの煽りに弱いというのが民主主義の大きな欠点だ。煽りによって一つの考えに人々がまとまり、動き出すと、それを止めることは難しい。民主主義の先進国であるアメリカでの混乱を見ていると、健全な民主主義を育てることの難しさを強く感じる。今の時代には果たしてどのような政治体制が良いのだろうか。このままでは世界は力の論理が支配する、かつての帝国主義の時代へと戻ってしまう。日本もこの流れに呼応しないと、中国の日本自治区になるかアメリカの一州になるしか生き残る道がなくなってしまうだろう。そうならないためにも、一日も早く憲法を改正して、日米安保条約を双務的なものに改正し、抑止力となる攻撃力を持つ軍事力を保有し、バランス・オブ・パワーの担い手となるべきだ。その上でTPP体制崩壊後のアジアにおいて、台湾やマレーシア、インドネシアなどと協力して、アジア独自の経済圏を創り出し、日本がリーダーとして牽引していく。中国が民主化を達成した暁には、そこに入ってもらってもいいだろう。最後に一つ報告がある。昨今炎上騒ぎで話題となった私の著書『理論 近現代史学Ⅱ』に南京大虐殺を否定した箇所があると、いわゆる書籍問題でアパホテル公式サイトがサイバー攻撃され、中国政府から批判されたのだが、先日、ある医師から「南京」大虐殺がなかったことを証明すると言っても良い東宝映画「戦線後方記録『南京』1938年」のDVDとその解説書がアパホテル約100カ所に送られてきた。四月十三日に扶桑社から発売される『理論近現代史学』と、四月十八日発売の『新潮45』に詳細を掲載するとともに、勝兵塾のyoutubeでアップしているので、ぜひ多くの人に動画を視聴して、本当の日本の歴史を知り、私の考えに共感して欲しいと思います。
2017年3月20日(月)10時00分校了