Big Talk

相互利益に向けた、歴史と長い友好に基づく協力体制の促進Vol.400[2024年11月号]

駐日ミャンマー連邦共和国大使館 特命全権大使 ソー・ハン
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アパグループ会長 元谷外志雄

百年に亘るイギリスの植民地支配から再度の独立を果たし、日本との国交樹立から今年で七十周年を迎える国・ミャンマー。駐日ミャンマー連邦共和国特命全権大使のソー・ハン氏に、ミャンマーと日本の歴史的なつながりや協力関係、人気の国内観光スポット等をお聞きしました。

ソー・ハン氏
1964年ヤンゴン生まれ。ヤンゴン大学で物理学の修士号を取得、また日本の国際大学(IUJ)でMBA(経営学修士号)を取得。1993年に外務省に入省、タイや日本、中国の大使館にて書記官や参事官、公使を歴任。2014年外務省政治部長、2019年外務省外務次官等を経て、2020年10月より現職。

日本軍の訓練を受けた
ビルマ独立義勇軍

元谷 今日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。六月の私の誕生パーティーにもお越しいただいて。日本人はミャンマーについてあまり良く知らない人が多いと思うので、いろいろ教えていただければと思い、お招きしました。

ハン ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

元谷 私は十年程前に、毎年行っているアパグループの海外研修旅行でミャンマーを訪問したことがあります。最大都市・ヤンゴンにある旧日本軍の戦没者を慰霊する「ビルマ平和記念碑」も訪れてきました。

ハン いらっしゃったことがあるのですね。国内各地にある日本人墓地は非常に良く管理・維持されており、日本人戦没者のご家族が慰霊のために良く訪問されています。

元谷 先の大戦において、日本軍がイギリス軍とミャンマーにおける最後の戦いを行ったシッタン川にも行きました。ただもう十年前のことですから、ミャンマーもいろいろと変わっていると思います。その辺りを伝えてもらえれば。まずミャンマーという国の概要を教えてもらえますか。

ハン はい。ミャンマーはタイ、ラオス、中国、インド、バングラデシュと国境を接する国で、面積は日本の一・八倍、人口は約五千五百万人です。

元谷 日本の倍近い土地に、日本の半分の人々が住んでいることになりますね。

ハン そうです。二〇〇五年から首都はネーピードーになっていますが、国内最大の都市はその前に首都だったヤンゴンです。国民の七割をビルマ族が占めますが、百以上の部族が集まる多民族国家です。ほとんどの人が仏教を信仰していますが、キリスト教徒やイスラム教徒、その他の宗教を信仰する人々もいます。十一世紀にビルマ族による最初の統一王朝・パガン朝が成立しました。その後、タウングー王朝、コンバウン王朝等が興りますが、コンバウン王朝はイギリスとの三次に亘る英緬戦争に敗れ、一八八六年にイギリス領インドに編入されその後百年、イギリスの植民地時代が続きます。一九四八年に独立するのですが、イギリスの植民地主義者の分割統治政策により、ミャンマーの歴史を通じて、一部の民族グループは武器を手に取り、中央政府と戦って自らの自治を達成しようとしてきました。ミャンマーは現在、日本と深い関係にあります。

元谷 歴史的な関係としてはビルマ独立義勇軍(BIA)が思い起こされます。

ハン はい、そうですね。一九三〇年代からミャンマーではイギリスの支配から逃れて再びの独立を目指す民族主義運動が高まっていたのですが、日本はこの独立運動を支援することにし、志士として有名な三十人のミャンマー人を日本陸軍に委ね、当時日本占領下にあった海南島で軍事訓練を受けさせました。この三十人の志士を中心に一九四一年十二月二十八日、ビルマ独立義勇軍(BIA)が結成されました。ミャンマーは一九四八年に再度なる独立を実現し、一九五四年には日本と国交を樹立しています。こうした戦時中における日本とミャンマーの関わりは、その後の日本とミャンマーのユニークな協力関係の始まりでした。こうして、二〇二四年の今年、外交樹立七十周年を迎えました。

元谷 そんなに長い間、外交関係を結んでいるのですね。

ハン はい。また一九五四年以来、日本はミャンマーに有償、無償を合わせて累計約一千七百億円の資金協力を行っています。それらの資金は、エネルギー源やインフラ整備、人材育成、教育等、様々な分野で活かされてきました。また、貿易や投資、経済交流も盛んで、ミャンマーにとって日本は四番目の輸出相手先になります。輸出しているのは、衣類、魚介類、農作物です。

大きなポテンシャルを持つ
「最後のフロンティア」

元谷 ミャンマーのメインの産業は何になるのでしょうか。

ハン 最も主要な産業は農業です。耕作可能な土地が非常に豊富ですし、ミャンマーの労働者の七割が農民なのです。ただ工業国へと転換すべく、ティラワ経済特区等の特区を作り、海外からの企業の進出を後押ししています。もちろん進出企業には、関税特権や投資家・株主に対する非課税特権等の優遇措置も設定しています。今ミャンマーの経済成長は海外からの投資に掛かっているのですが、一番多く進出してきているのは日本の企業です。日本は、その他の東南アジア諸国に対して多額の投資を行ってきました。しかし、これらの国の市場はもう成熟していますし、賃金も上昇傾向にあります。広い国土を持つミャンマーは、労働力は熟練しているにもかかわらずまだ賃金が安く、市場としても高いポテンシャルがあります。ミャンマーを「東南アジア最後のフロンティア」と呼ぶ日本のビジネスマンの方もいらっしゃいます。

元谷 土地の価格も安いのでしょうか。

ハン この地域の他の国に比べると、ミャンマーの土地は安いです。

美しい仏教寺院や仏教遺跡
日本人好みの
料理も多数

元谷 観光地としてのミャンマーの魅力は何でしょうか。

ハン 観光に関しても、ミャンマーはまだまだポテンシャルのある国です。人の手が加えられていないビーチ等美しい自然に加え、史跡や文化遺産も豊富です。一番有名な観光地は、アンコール・ワットやボロブドゥールと共に世界三大仏教遺跡の一つに数えられるバガンでしょう。ミャンマー最初の統一王朝だったパガン朝の都があった場所です。十一世紀から十三世紀に建立された三千もの仏塔が緑の中に林立する姿は、他に例えようがない景観です。バガンで最も美しい仏塔と言われるのがアーナンダ寺院です。高さ五十mの塔を中心とした一辺六十三mの正方形の本堂の中央には、金色に輝く高さ九・五mの仏像が鎮座しています。外観も内観も目を見張る美しさです。アーナンダ寺院のある「オールドバガン」エリアから五kmほど離れた場所にある黄金色に輝く仏塔「ジュエジゴン パゴダ」や、同じく少し離れたところにある未完成の巨大寺院・ダマヤンヂー寺院等、バガンでは数多くの仏教建築を見ることができます。ミャンマーを訪れる観光客の九〇%はこのバガンを訪れていて、二〇一九年に世界文化遺産にも登録されています。最大都市・ヤンゴンにも巨大仏教テーマパークとも言うべき「シュエダゴン パゴダ」、市街中心部にある「スーレー パゴダ」、全長七十mの寝仏が祀られている「チャウタッジー パゴダ」等、仏教寺院の見どころが豊富です。

元谷 他におすすめスポットはありますか。

ハン もう一つ人気があるのは、シャン州南部にあるインレー湖です。ここは首都のネーピードーやヤンゴンより北の緯度も標高も高い場所で、かなり快適な気候です。インダー族が住んでいて、彼らが片足で小舟の舳先に立ち、もう片足で操船を行って漁を行う姿で知られています。湖畔の水上には仏塔や葉巻工場、織物工房があり、見学をすることができます。

元谷 ミャンマーの食事はどうなのでしょうか。

ハン 農業の特産品は米です。ミャンマーの食事ではその米を炊いたものが主食に据えられ、ヒンと呼ばれるカレーのような煮込み料理をおかずにして食べることが多いですね。モヒンガーと呼ばれる米麺料理も、様々な味付けで食べられています。

元谷 米と麺ですか。日本人も全く抵抗なく味わえそうですね。ミャンマーを訪れる場合、観光に適した時期はいつになるのでしょうか。

ハン ミャンマーは年間を通じて最高気温が二五~三七℃、最低気温が一八~二〇℃と温暖な気候の国です。十一月~二月は気温が低く、雨季が六~十月、三~五月は気温が上がります。旅行には涼しい季節が一番適していると思います。

元谷 今日本とミャンマーの間には、直行の航空便は飛んでいないのでしょうか。

ハン 以前は成田とヤンゴン間をANAの直行便が飛んでいましたが、二〇二一年に無くなりました。今ミャンマーに行く場合には、バンコク経由かクアラルンプール経由になります。また直行便を再開してもらえるように、ANAにはお願いをしているところです。

元谷 日本からの観光客が多くなれば、航空会社も定期便を検討すると思います。今日本からミャンマーに行く人は、年間どれくらいなのでしょうか。

ハン 二~三万人です。ミャンマー政府は二〇一八年より日本人に対するビザを免除していましたが、新型コロナウイルスの蔓延以降、この措置は一時的に停止されています。近い将来にはまた免除されることになるはずですので、もっと多くの方にミャンマーを訪れて欲しいですね。また、観光をもっと盛んにするためのホテル等のインフラ整備も必要です。アパグループにも、ぜひ近々のミャンマー進出をご検討いただきたいです。

元谷 直行便が復活して日本からの観光客がどんどん増加するようであれば、真剣に検討したいところです。

カラフルで繊細な装飾
魅力的なミャンマー漆器

元谷 ハンさんはいつから駐日大使をされているのでしょうか。

ハン 二〇二〇年からです。最初に日本に来たのは、二〇〇二年です。日本政府から奨学金をもらい、新潟にある国際大学(IUJ)でMBA(経営学修士)を取得するため、二年間日本に留学しました。次は二〇〇五年~二〇〇八年で、駐日大使館で一等書記官として勤務しました。その後、在中国ミャンマー大使館での勤務を経てミャンマーに戻り、二〇一九年から外務次官を務めていました。そして二〇二〇年十月に駐日大使として、十二年ぶりに日本にやってきたのです。

元谷 それだけ日本にいらっしゃるということで、日本各地もいろいろと訪問されていると思います。どこが一番印象に残ってらっしゃるでしょうか。

ハン 普段東京という大都会に住み慣れていますから、地方に強く惹かれます。一月に石川県を訪れたのですが、自然の美しさには感動させられました。

元谷 私は石川県小松市の生まれです。今でも金沢の武家屋敷の中に家を持っています。

ハン 本当ですか。私が石川県を訪れたのは、一月に能登半島地震で被災した、現地在住のミャンマー人に支援を提供するためでした。ミャンマーと石川県は、どちらも特産としている漆器を通して、いろいろな協力を結んでいます。漆器の町・輪島には本当に素晴らしい技術があります。またミャンマーも、バガンをはじめとして、漆器作りが古来盛んな町が国中に点在しています。ミャンマーの漆器は、竹ひごで作った素体の上に漆を重ね塗りし、そこに小刀で細かな模様を彫って、色とりどりの漆を流し込んで仕上げます。非常にカラフルで繊細な外観が、ミャンマーの漆器の特徴なのです。石川県からミャンマーに漆器職人が派遣され、現地の人が漆器製品の質を向上できるよう、研修が行われたこともあります。

元谷 ミャンマーの漆器も一度しっかりと拝見したいですね。私の父は漆器職人ではありませんでしたが、木工所を経営していて戦前は九谷焼を入れる桐箱を作っていました。桐は火に強く、火事に遭遇しても中のものまで焼けることはありません。

ハン 日本には、古来の職人らの知恵が詰まった建造物や伝統工芸品が非常に多いですね。私が頻繁に訪れていた街は、奈良市です。東大寺等寺院が多く、大仏をはじめ様々な仏像を鑑賞することができます。

元谷 歴史的な街がお好きなのですね。

ハン そうですね。先ほどお話ししたように、ミャンマーは仏教寺院や仏教関連の史跡が多い国です。日本の仏教関連の施設もぜひ訪れたいと考えていたのです。二〇〇五年に初めて奈良を訪れたのですが、東大寺の大仏のアジア特有の大きさには、感銘を受けました。また、様々な神社仏閣にミャンマーの人々が寄進をしているのを知って驚きました。あと、日本の好きなエリアは、北海道や新潟です。ミャンマーは暑い国ですから、雪深い寒い地域が好きです。

二国間の関係を深めた
故・安倍晋三氏と昭恵夫人

元谷 ハンさんは、日本についてどのような国だと考えていますか。

ハン 日本は世界の中でも重要な国だと見られているのはもちろんのこと、東南アジア地域との協力関係も進められています。ASEANのどの国も日本と素晴らしい関係を維持していますし、日本もASEANとの関係を重視しています。そんなアジア諸国の中でもミャンマーと日本の関係は特別です。例えば、第二次世界大戦中の一九四三年に東京で開催された大東亜会議に参加するなど、日本が主導するものにミャンマーはいつも率先して参加してきました。また、第二次世界大戦中にミャンマーに進駐した日本軍の兵士が戦後帰国した際、ミャンマーの人々が日本人に非常に協力的で、困っている人を助けてくれたと周囲に語ったことで、その後日本を訪れたミャンマー人を温かく迎えてくれたという話もあります。日本の退役軍人の中には、自らミャンマー人のための奨学金制度を創設してくださった方もいらっしゃいます。

元谷 先の大戦中はいろいろありましたが、戦後に結びつきが深まったのですね。

ハン 二〇二〇年に大使として赴任して以来、ミャンマーと日本との協力関係をより良いものにしていきたいというお話を、日本の多くの政治家にしてきました。最初にお会いしたのは、首相を辞めたばかりの故安倍晋三氏と昭恵夫人でした。安倍氏には首相在任中、いろいろとミャンマーの経済及び投資関係の向上に向けて取り組んでいただいたので、二年前に暗殺された時には、大きなショックを受けました。本当に残念です。思い起こせば、二〇〇六年に最初の安倍政権が誕生した時に、私は駐日大使館で勤務していました。二〇一三年に二度目に首相になられてからは、ミャンマーに対する多額のODAを決めていただきました。昭恵夫人も何度も実際にミャンマーにお越しになり、若い人々の教育のために寄付をしていただきました。

元谷 私はかつて安倍晋三を首相にする会の副会長をやっていて、安倍氏とは大変親しかったのです。あんなことで亡くなるなんて、本当に悔しいことです。安倍氏はいなくなりましたが他の日本の政治家としっかり連携していただいて、ハンさんにはこれからも日本とミャンマーとの関係強化のために活躍していただければと思います。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。

ハン 会長が仰った通り、日本の若い方はあまりミャンマーのことを知らないと思います。若い人にはぜひ、アジアの歴史を知った上で、ミャンマーのことを見て欲しいですね。日本とミャンマーにはこれまで築いてきた緊密な協力関係がありますから、相互の利益になることをこれからももっと推進できると思います。最後のフロンティアであるミャンマーを知った日本の若い人によって、経済協力がさらに深まれば大変嬉しいですね。

元谷 今日は改めてミャンマーのことをいろいろと知ることができました。ありがとうございました。

ハン ありがとうございました。