妻や両親を思いやった
先日、久しぶりに会った友人から一冊の本をいただいた。『実録神風特別攻撃隊完全版』(竹書房)という本だ。すぐに読んでいたのだが、今月号のエッセイを書く段になってその存在を思い出した。この本は先の大戦における特別攻撃隊の誕生を綴るプロローグと隊員の遺書についてのエピローグ、そして海軍と陸軍の特攻隊の六人の隊員の物語を描く計八編の漫画からなる。その冒頭には以下のような文章が掲げられている。「一九四四年、第二次世界大戦において、大西中将の発案により特攻が採用され、『特攻隊』が編成された。最初の作戦で素晴らしい成果を上げた特攻は、以来正規の艦船攻撃法として固定されることになる」「それは悲劇の始まりであった!」「航空機に爆弾を搭載し、搭乗員もろとも敵艦に突入するという人間爆弾のごときその戦法は、数多くの若者の命を奪う。『お国のため』という号令のもとに、たったひとつの命を捧げた特攻隊員たちの胸中…本当の思いは如何なるものだったのだろうか?」「その想いをうかがい知ることができるのが『遺書』や『手紙』である。その言葉のひとつひとつに込められた決意、覚悟、そして残して行く者への愛。それは死を目前にした人間が最後に託した言葉。平和な現代を生きる我々にとって、想像も出来ない時代。その中で『特攻』という悲劇があったことを私たちは忘れてはいけない。彼らの尊い犠牲の上に、今の平和があるのだから」「日本の平和を願い亡くなられた、特攻勇士たちの御冥福を祈るとともに、その崇高な想いを後世に伝えることこそ彼らの尊い犠牲に報いることと信じ、本書を刊行致します。最後にご協力いただいた遺族の皆様に心より感謝を申し上げます」。
八編の特攻隊員の物語の中で、私が一番心を打たれたのは、最初の特攻を行った関行男大尉の最期を描く「特攻第一号」だ。関大尉は、艦上爆撃機による対艦攻撃のエキスパートだったが、戦況悪化の中、本土防衛のために立案された捷一号作戦成功のために編成された最初の特攻隊の隊長に任命され、一九四四年十月二十五日に出撃、護衛空母セント・ローを撃沈するなど大きな戦果を上げた。享年二十三歳。彼の父母に宛てた遺書はこうだ。「今回帝国勝敗の岐路に立ち 身を以て君恩に報ずる覚悟です 狼武人の本懐此れにすぐるものはありません」「鎌倉のご両親に於かれましては 本当に心から可愛がっていただき 其の恩恵に報ずる事も出来ず征く事を御許し下さいませ」「本日帝国の為 身を以て母艦に体当を行ひ 君恩に報ずる覚悟です 皆様御体大切に」。また妻に対しては次のように残している。「何もしてやることも出来ず散り行く事はお前に対して誠にすまぬと思って居る 何も言はずとも 武人の妻の覚悟は十分出来ている事と思ふ 御両親様に孝養を専一と心掛け生活して行く様」「色々と思出をたどりながら出発前に記す恵美ちゃん坊主も元気でやれ」。一流の技量を持つパイロットとして、作戦に対する思いはいろいろとあったと推察されるが、それらはぐっと押し込め、両親と妻を最後まで思いやる姿勢には、尊敬の念しかない。
大戦果を上げた特攻隊
しかし戦後、特攻隊は批判の対象となった。昨年、第六回アパ日本再興大賞を受賞した井上和彦氏の著書『歪められた真実 昭和の大戦 大東亜戦争』(ワック)の特攻隊の章には次のような記述がある。「大東亜戦争後の日本では、特攻隊は、大きな戦果を挙げられず数多の若者の命を奪った無謀な作戦、悲劇の象徴として憐れまれ、その死は無駄死だったとされ、酷評にさらされ続けている」「戦後の日本社会では、特攻隊は悲劇の象徴でしかなく、軍部を批判する格好の材料となってきた。したがって、その作戦の意義や戦果を再評価したり、特攻隊の検証を口にしようものなら、たちまち『戦争を美化しているのか!』などまったくお門違いの批判を浴びるはめになる。戦後の日本では特攻隊への評価は完全な言論統制下にあるといってよい」。これについての批判は特攻作戦の戦果や特攻隊員の自己犠牲精神にまで及ぶ。戦果についての批判に対して、『歪められた真実』ではこう反論する。「一九四四年十月二十五日の最初の神風特別攻撃隊では合計十八機が出撃、護衛空母一隻を撃沈した他、三隻を大破させ四隻に損害を与えた。アメリカはこれにより百二十八機の艦載機を失い、戦死・行方不明者は千五百人、戦傷者は千二百人に上ったという。その後終戦までの十カ月間に陸海軍合わせて三千九百十人の特攻隊員が亡くなったのに対し、アメリカ軍の特攻による戦死者は一万二千三百人、撃沈または撃破された連合軍艦艇は二百七十八隻に上る。特攻は大きな戦果を上げていたのだ」
特攻隊員の物語
特攻隊員らの自己犠牲精神は、現代を生きる人々にも大きな影響を与えている。二〇〇六年に出版された百田尚樹氏の小説『永遠の0』は、特攻で亡くなった主人公の祖父・宮部久蔵の生き様が多くの現代人の心を掴み、累計五百万部を超える大ベストセラーとなり、二〇一三年に公開された映画は累計興行収入八十六億円の大ヒットを記録した。二〇二三年に公開された映画「ゴジラ-1・0(マイナスワン)」は、特攻の生き残りである主人公が戦争直後のゴジラとの戦いによって「再生」する物語だが、この作品も国内興行収入七十六億円、世界興行収入百四十億円超の大ヒットとなった。同じく二〇二三年に公開された映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」は、現代の女子高生が終戦間際の日本に行ってしまい、出撃間近の特攻隊員達との時間を過ごすという物語が十代の女性を中心に響き、興行収入四十五・二億円のヒットとなった。映画「あの花…」は、主人公が特攻隊員の生き様に触れることで、自らの生き方を変えることになる。そんな物語を、今若い世代が感動と共に受け入れているのだ。
八月には、パリオリンピックで活躍した卓球の早田ひな選手の会見での「特攻資料館に行きたい」発言が、大きな話題となった。FNNプライムオンラインが八月十四日に配信した記事「『特攻の史実を知っていただければ』卓球・早田ひな選手が『行きたい』特攻隊施設が発言を歓迎『命の尊さ、平和のありがたさを感じていただければ』」では以下のように報じた。「パリオリンピック卓球女子団体で銀メダル、シングルスで銅メダルを獲得した早田ひな選手(二四)が、大会を終えて行きたい場所として『鹿児島の特攻資料館に行きたい』と発言した事が、SNSなどで大きな反響を呼んでいる」「『あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています』と続けた」「第二次大戦末期に、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりする“特攻”をした特攻隊員の遺品などを展示する施設に行きたいという、トップアスリートの意外とも言える発言。SNSでは、『グッときた』『泣けた』『私も行ってみたい』『あれから七九年、日本にはまだまだ素晴らしい若者がいます』など大きな反響があった」「鹿児島県には、南九州市知覧町の『知覧特攻平和会館』や、南さつま市の『万世特攻平和祈念館』、鹿屋市の『鹿屋航空基地史料館』など特攻隊関連施設があるが、今回は『知覧特攻平和会館』に、早田選手の発言について受け止めなどを聞いてみた」「『早田選手の発言でより多くの皆様に当会館のことを知っていただく機会をいただき大変ありがたく感じております。また、若い世代の「特攻」を知らない皆さんにもこれを機会にご来館いただき、特攻の史実を知っていただければ幸いと存じます』」「『隊員の多くは早田選手と年齢も近しい年代です。それらを見学いただくことで,会見でも話されておられるよう、生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさを感じていただければ幸いと考えます』」という。映画「あの花…」のヒットをみると、早田選手のような感覚を持つ若い人々が数多くいることが感じられ、非常に心強く思った。
現代人を導く「道標」に
特攻隊員の自己犠牲精神は、教育の場でも積極的に伝えられているという。社会学者の井上義和氏が著した『未来の戦死に向き合うためのノート』(創元社)には、数多くの教育的な事例が紹介されている。「特攻隊員の遺書のもつ教育効果を積極的に活用するのが、政治家の山田宏(一九五八年生)です。山田は一九九九年から二〇一〇年まで東京都の杉並区長を務めましたが、その間、杉並区は『荒れる成人式』とは無縁だったといいます。その秘密は、山田が区長として出席した一一回の成人式で毎回おこなった、特攻隊員の遺書の紹介にありました」「『そして「英霊の言の葉」から選んだ二十歳の青年の遺書を読み始めると、その切々たる内容に場内はしんと静まります。なかには涙を流している女性もいます。「彼らは自分たちが犠牲になることで、日本を守り、新しい日本がつくられるのだと信じて、命を捧げたのです。今日、君たちがきれいな着物を着て、乾杯ができるのは彼らのおかげでもあるのです。その人たちの分まで立派に生きていくことが君たちの責務なのだ」と伝えます』」「式のあと、『こんな話、初めて知りました』『あの人たちの分まで頑張ります』という手紙やメールがたくさん届きます」という。また松井秀喜氏や西岡剛氏のようなプロ野球選手やラグビー・U20日本代表のようなスポーツ選手が合宿の合間に、自動車販売会社等の企業が研修として知覧特攻平和会館等の特攻資料館を訪れるそうだ。
井上氏は特攻資料館を訪れる際、多くの人の心に刺さるポイントとして、「戦争の時代を思えば、平和な時代に生きる私たちは幸せ。●●に打ち込める平和に感謝」「特攻隊員のことを思えば、今の自分の苦労など何でもない」「特攻隊員の勇敢さや家族愛に心を打たれ、自分も見習おうと思う」「特攻隊員は大切な人の幸せを願って出撃した。その究極の利他性に心を打たれる」「特攻隊員は祖国の未来を想って出撃した。私たちが今あるのも彼らのおかげ。彼らに恥じない生き方をする」を挙げている。遺書や手紙から伝わってくる、確実な死を目前とした特攻隊員達の驚くほどの精神性の高さは、戦いのない平和な時代に馴れきった私達には大きな驚きであり、それが年長者の教えや教科書には反応しない若い世代でも素直に受け入れてしまう所以なのだろう。また安倍晋三氏が指摘した「今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている」という想いは、多くの人にとって理解しやすい明日への活力源となっている。特攻隊員らの自己犠牲精神は、このように今を生きる人々をも導いてくれているものであり、決して戦争を美化したり反戦の考えと矛盾したりするものではないのだ。
早田ひな選手の「特攻資料館発言」に関して、共同通信は八月十四日付けで「中国選手が早田選手フォロー外し『特攻資料館に行きたい』発言」という見出しの記事を配信、早田選手の「特攻資料館に行きたい」発言に反応してパリオリンピックの中国人メダリスト二名が、SNS「微博(ウェイボー)」での早田選手のフォローを外したと報道した。これは暗に早田選手の発言を批判するものであり、特攻資料館訪問=先の戦争賛美というお定まりの特攻批判と同様の意図を持つ。こんなメディアの古臭い批判に負けることなく、今若い世代を中心に高まりつつある特攻隊員について学ぶ風潮が、今後も継続していくことを私は強く望んでいる。
2024年9月17日(火)15時00分校了