積極的専守防衛であるべき
三月三日の産経新聞の正論に、東京国際大学特命教授の村井友秀氏が「積極的専守防衛が日本を守る」というタイトルの寄稿をしていた。
「ウクライナ戦争が教える事実は、『人間は戦争を無くすほど賢くはないが、核戦争を起こすほど愚かではない』というものだろう。また、戦争は自分とは無関係と考えていた多くの日本人にとって、戦争は『何時でも何処でも起きるものだ』ということを認識させた。現実の日本は、台湾有事、朝鮮半島有事、そして尖閣諸島に対する現在進行形の侵略という脅威に包囲されている」「日本では戦争を起こさないことが何よりも大事だという考え方が浸透しており、戦争が始まった後のことを考えようとしない。軍事作戦と聞くと思考が停止する日本人は多い」「ウクライナ戦争でゼレンスキー大統領が尽力しているのは、市民の犠牲を少なくするために、マンションとインフラ施設を破壊するミサイルを撃墜することである。ゼレンスキー大統領は、ミサイルの脅威を最小化するために、ミサイルの発射基地と爆撃機の出撃基地を攻撃することを望んでいる。敵の攻撃が少なくなれば味方の損害は小さくなる」「但し、ゼレンスキー大統領がロシア国内の基地を攻撃すれば戦争は拡大する。西側は戦争の拡大を恐れている。ロシアも『特別軍事作戦』の拡大を望んでいない。そもそも戦争の長期化を予想していれば、プーチン大統領は戦争を始めなかっただろう。ベトナム戦争では、戦争の泥沼化による米国の予備役動員拡大と増税によってジョンソン政権は倒れた。中国も大戦争を望んでいない。現代中国の軍事戦略の基本は『局地戦争』である」「故に戦争が大戦争になることが保証されていれば大国も戦争を躊躇する。第三次世界大戦を望む国はない。現代の世界において戦争を抑止する効果的な戦略の一つは、戦争が始まれば確実に大戦争になることを保証する能力と覚悟を持つことである。冷戦時代、フランスの抑止戦略は、ソ連の攻撃によってフランスが壊滅しても、生き残った潜水艦の反撃によってソ連の『片腕を切り落とす』ことを保証するものだった」「敵が一方的に攻撃する専守防衛は、戦争が始まった後、味方の損害は急拡大するが敵の損害はあまり増えない。敵は損害が限定された小戦争を実行することができる。専守防衛は、敵には安全地帯があり味方にはない戦いである」「中国の軍事戦略は毛沢東以来『積極防御』である。毛沢東は日中戦争が始まると、強力な日本軍との戦争の中で共産党が生き残る戦略として『積極防御』を主張した。小規模な奇襲攻撃を繰り返しながら広い国土の中を逃げ回る人民戦争である。『積極防御』には『戦略的防御』だけではなく『積極的攻勢』が含まれていた。中国共産党(中共)の主張によれば、『積極防御』は戦争指導原則であり国家戦略である。他方、国家戦略より下位の作戦レベルでは、戦場の状況によって『積極的攻勢』が必要になる場面もあると中共は主張した」「中共は対外的に『積極防御』を宣伝することによって、中国の平和イメージを広げようとしている。しかし、中共の対外行動を見ると、南シナ海における支配地域の拡大、尖閣諸島の日本領海侵入など『積極的攻勢』が目立つ。中共は、最近の軍事行動は戦略レベルの『積極防御』ではなく作戦レベルであり、作戦レベルでは『積極的攻勢』が正しい行動であると主張している」「日本の防衛戦略は『専守防衛』である。中共によれば、防衛の基本方針とは国家戦略の問題であり、作戦レベルの話ではない。日本の『専守防衛』も『憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢』という国家戦略を述べたものであり、中共の理論によれば、作戦レベルの攻撃的な行動と矛盾するものではない。敵の攻撃発起点を攻撃できずに苦戦するウクライナの現状を見れば、日本も中共を見習い作戦レベルの『積極的攻勢』を含む国家戦略『積極的専守防衛』を実行するべきだろう」「さらに、尖閣諸島は僅か六平方キロの無人島ではなく、日本人の名誉と信用がかかった固有の領土である。領土が侵略されれば絶対に小戦争では済まさない覚悟を日本人が持っていることを侵略者に認識させることが日本の安全保障の要である」という。私も全く同感だ。
侵略者の意図を挫く
専守防衛では、基本的に常に戦いの場は日本の領海・領空・領土となり、村井氏が指摘するように「敵には安全地帯があり味方にはない戦い」になる。これは正に今のウクライナと同じだ。ウクライナでは兵士だけではなく、数多くの民間人が戦争の犠牲になっているが、ロシアの民間人には犠牲はない。そしてこの戦争がいつ終わるのか、一年が経過した今も見通しが立たない。このロシア・ウクライナ戦争は、「特別軍事作戦」で簡単にキーウを陥落させてウクライナを併合できると、ロシアのプーチン大統領が考えたために始まったものだ。キーウ攻略にはロシア軍の多大な犠牲が必要だと知っていれば(実際はそうだった)、こんな作戦の発動はなかっただろう。また、ウクライナに攻め入れば間違いなくロシア本土に激しい攻撃が加えられると確信していれば、同じくウクライナ侵攻に着手することはなかった。
日本も単なる専守防衛で本土決戦を前提とするのではなく、積極的専守防衛によって、まず他国が日本を攻撃しようとする意図を挫かなければならない。十分に攻撃的な力を保持して、ある国が日本への攻撃・侵略を行おうとした場合、自軍への損害が大きすぎて見合わないと認識させることが第一。さらに日本への攻撃・侵略が、自国領土への反撃とそれによる自国領と自国民への多大な損害を招くと知らしめることだ。このような「拒否的抑止」「懲罰的抑止」という考え方が世界の常識であり、日本もそれに倣うべきだ。
従来の左派や多くのメディアの論調は、日本は憲法九条があるために戦争を起こすことができない。日本が戦争を起こさなければ、戦争は起きないというものだった。これは日本が平和を願っていれば世界も平和になると言っているのと同様で、現実とは異なる荒唐無稽な考えだ。備えあれば憂い無しの言葉通り、しっかりとした軍備があってこそ、戦争を抑止することができる。
両国の軍事衝突を阻止する
村井友秀氏は一月三十日の正論にも「覚悟なき日本人の安全保障戦略」というタイトルの寄稿を行っている。私が特に感銘を受けたのは、次の部分だ。「鉄砲から生まれた中国共産党(中共)は戦争を躊躇しない。中共は合理的な政権であり、簡単に勝てると思えば戦争する。日本が軍縮すれば中国は日本に簡単に勝てると思うだろう。ギブアンドテイクが基本であり、日本から何かを得ようとすれば何かを日本に与えなければならない外交に対して、戦争では敗者に何も与えず、勝者が全てを取ることができる。軍事的優位に立てば、現状変更国にとって戦争は外交よりも魅力的である。日本の軍縮は中国に戦争するように挑発しているのと同じである」「軍拡を続ける中国に、日本には簡単に勝てないと思わせるためには、日本が軍拡して日中間の軍事バランスが圧倒的に中国に有利になる状況を阻止しなくてはならない。ただし、日本が軍拡すれば、中国との間で軍拡競争が発生するだろう。日中双方にとって好ましい事態ではない。しかし、日本が軍縮すると中国が今よりも軍事的優位になり、最悪の場合、中国が戦争を外交よりも効果的な対日政策だと判断する可能性がある」「他方、中国の経済と社会の矛盾が拡大する中で軍拡競争になれば、軍事バランスが今よりも極端に中国優位になることはないだろう。また、近代戦史を見れば、両国政府が大戦争を望まない限り、偶発的事件が大戦争に拡大する可能性も低い。したがって、日本が軍拡した場合の最悪のケースは日中の軍拡競争になる。軍縮と軍拡の最悪の場合を比較すれば、戦争よりも軍拡競争の方がマシである。日中間の軍拡競争は軍事衝突を抑止するだろう」という。
どんな時代もどんな国家間でも、平和をもたらすのは力のバランス、バランス・オブ・パワーだ。この力のバランスが大きく崩れた場合に戦争が起こる。相手より圧倒的に強い軍事力を持った国は、弱い国を攻撃する誘惑に勝てないからだ。平和の理念だけで戦争は止められない。集団的自衛権を行使する軍事同盟を含め、互角の力を保つことによって平和が維持でき、これが崩れると戦争になることは、今回のロシア・ウクライナ戦争でも改めて確認できたことだ。だから村井氏が主張するように、戦争を抑止する軍拡競争の方が、戦争自体が勃発するよりましな選択になると言えるのだ。
集団的自衛権を認めている
そう考えていくと、日本も核兵器の保有に関する議論を避けて通れない。日本の周辺にはロシアや北朝鮮、中国という核保有国があり、韓国や台湾が将来核保有する可能性も否定できない。日本への核攻撃の可能性もあるが、力のバランスが崩れた周辺国同士の武力紛争に、日本が巻き込まれるケースも想定できるだろう。日本はもはや「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を守っていれば平和でいられるという状況にはいない。周辺国を含め、力のバランスを維持するためには何をすべきかを考えるべきだろう。
もちろん力のバランスを保つためには、アメリカとの同盟関係は非常に重要だ。しかし日本は二〇一五年の平和安全法制定まで、憲法上集団的自衛権は認められないとして、アメリカとの同盟関係に自ら手枷足枷を掛け続けてきたし、その一部は今も残る。この憲法解釈に対しては、近年異論もある。東京外国語大学教授の篠田英朗氏は二〇二二年に上梓した著書『集団的自衛権で日本は守られる なぜ「合憲」なのか』で以下のように述べている。「私はまた、二〇一五年平和安全法制の成立期の喧騒以降に、日本の憲法問題について集中的に調べ、その成果を公表し続けてきている。集団的自衛権を悪だと決めつけ、違憲だと断定する憲法学者をはじめとする左派系の人々の政治イデオロギー的な言説および行動に、大きな疑問を感じたからだ。そもそも日本国憲法は、戦前の日本が国際法を蹂躙して破綻したという認識から、日本が国際法を遵守する国に生まれ変わるために作られた憲法だ。国際法を混乱させる規定など挿入されていない。憲法九条こそが、国際法を遵守する、という宣言をした条項である。その第一項は、不戦条約と国連憲章に倣って『戦争(war)』の違法を確認している。九条第二項の『戦力(war potential)』不保持は、一項で放棄した『戦争』を遂行する能力の不保持を定めた規定であり、国際法に合致した自衛権を行使する手段の保持を禁止していない。九条二項の『交戦権』の否認は、戦中の日本に存在した、真珠湾攻撃を正当化する『交戦権』なる国際法を否定する概念を二度と認めない、とする規定である。したがって憲法九条は、国連憲章第五一条に定められた集団的自衛権を含めた国際法の諸規定に沿った形で運用されるべきものである」と国際法の専門家としての観点から、従来の憲法解釈が誤っていると論じており、かなり説得力がある。
集団的自衛権の行使をしっかりと認めるのであればなおさら、日本を守るためにアメリカだけが戦うのではなく、まずは日本の自衛隊が戦うのだという意志を、日本国民全員が持っておく必要がある。これは冒頭の村井氏の主張「領土が侵略されれば絶対に小戦争では済まさない覚悟を日本人が持っていることを侵略者に認識させることが日本の安全保障の要である」にも呼応する。今こそメディアも含め日本全体が、戦争抑止の手段をリアルに見つめ直す必要があるように思える。
2023年3月13日(月) 18時00分校了