徹底的な現実主義を貫いた
八月二日付の産経新聞朝刊一面から、安倍氏に親しかった関係者が、当時を振り返ると同時に、これからの日本の課題を考える「喪失 課題 安倍元首相と日本」という連載が始まっている。第一回に登場したのは前統合幕僚長の河野克俊氏だ。「二月に安倍晋三元首相とゴルフをご一緒する機会があった。ラウンドを終えて二人で湯舟に入っているときに、『今でも警備の関係でゴルフをするのもままならないんじゃないですか』と話しかけたら『首相をやめた後はそれほどでもないんだ。割と自由に出てこれるんだよ』と。何気ない会話のはずだったのに…」「海上幕僚長時代の平成二五年四月、首相に返り咲いて間もない安倍さんを硫黄島で迎えたときの印象は鮮烈だった。視察を終えて飛行機に乗り込む際、いきなり滑走路に膝まずいて、手を合わせて、頭を垂れた。恥ずかしながら、全く予期しない行動だった。そこに多くの遺骨が埋まっていることをよくご存じだった」「心底、戦没者に対する哀悼の意が深い方だった。自衛官として、そんな最高指揮官の姿に感銘を受けないはずがない」「統合幕僚長になってからは、週に一度は自衛隊の動きを直接報告をするようになった。それまで制服組が官邸に頻繁に出入りする光景などあり得なかった。日本でシビリアンコントロール(文民統制)とは、自衛隊を政治に近づけないことだと考えられていた」「ある新聞社からは『政治と自衛隊の距離が近くなった』と批判を浴びた。でも安倍さんは逆で、真のシビリアンコントロールには政治の正しい関与が絶対に必要だと考えていた」「大きな理想を抱きながら、そこに近づくためには徹底した現実主義を貫く。安倍さんはそんなまれな政治家だった」「例えば憲法九条への自衛隊明記を掲げたが、本心は軍隊としての確たる地位を確立させたかったはずだ。集団的自衛権の〝限定的〟行使しかり、慰安婦問題をめぐる日韓合意しかり。ある意味で妥協だが、状況を一歩でも理想に近づけるにはどうすればよいか考え、決断していた」「功績は大きい。安全保障関連法の制定で平時から自衛隊が米艦、米機を防護できる態勢が整い、米軍幹部から『日本は変わったな』とよく言われるようになった。逆説的にとらえれば、それまでの日米同盟は脆弱性を含んでいたともいえる。安倍さんにはそうした隙間がよく見えていて、内閣支持率が落ちることもいとわず埋める努力をしてくれた」「足元の安全保障環境は、安倍さんの現役時代より悪化している。ロシアが核戦力でウクライナを脅し上げている姿を見て、北朝鮮は核保有への決意をますます強固にしただろう。中国、ロシア、北朝鮮という、核を持つ専制主義国家に日本は囲まれていることを前提にしなければならない」「それだけに、防衛力強化も従来の延長線上の議論では追いつかない。防衛費は安倍さんが提言した通り、政治の意思として国内総生産(GDP)比二%の実現を掲げてほしい。従来の経費の積み上げでは、大きな変革にはつながらない。機関銃の弾からミサイルに至るまで、自衛隊の継戦能力は十分とはいえない」「安倍さんは『核共有』の議論さえ否定しなかった。日本の国民、国土を守るためには、もはやタブーはないとの覚悟の表れだったと思う。安倍さんのようなリーダーを失ったことは痛手だ。岸田文雄首相には、ぜひ現実を見据えた冷静な議論と果断な意思決定をお願いしたい(聞き手 石鍋圭)」。日本の自衛隊は戦争を抑止するための戦力だ。河野氏が指摘するように、日本の周辺国であるロシア、中国、北朝鮮は核兵器を保有した権威主義的国家であり、さらに韓国も含めて周り全てが仮想敵国であるという認識の下、対応力を保持しなければならない。この点で安倍氏が進めようとしていたことは間違っていなかったし、これをより発展させていく必要がある。
大規模軍事演習を行う中国
八月二日にアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が台湾を訪問、翌三日には蔡英文総統と会談を行った。これに関して中国は猛反発、対抗措置として大規模軍事演習を行った。八月四日配信の産経新聞の「中国『台湾封鎖』の大規模演習開始 ペロシ氏訪台」では「中国人民解放軍が台湾周辺で実施すると公表していた大規模軍事演習が、四日正午(日本時間同日午後一時)に開始時刻を迎えた。ペロシ米下院議長の台湾訪問を受けた対抗措置。演習予定地域は台湾を取り囲む形で設定されており、中国メディアは『台湾封鎖』などと強調している」「中国軍は七日正午までの日程で、台湾を取り囲む六つの空・海域で実弾射撃を伴う『重要軍事演習』を行うとしている。期間中は演習を行う空・海域に船舶と航空機が進入しないよう警告した。台湾の民間輸送も大きな影響を受けるとみられる」と伝える。アメリカでは三権分立が確立しているが故に、バイデン政権は中国を刺激し態度を硬化させる可能性が高いペロシ下院議長の訪台を止めることはできなかった。とはいえ、中国のこの軍事演習の規模と台湾島を取り囲むような演習海域・空域の設定は異様であり、中国の台湾に対する絶対的な執着が露わになっている。またこの演習区域には、日本のEEZ(排他的経済水域)や与那国島のすぐ北と南が含まれている。台湾有事は明らかに日本にとっても他人事ではなく、これを含む東アジアの今後の動静に対応できる軍事力を日本は持たなければならない。
着用の指示はなかった
安倍氏銃撃時の警護体制が明らかになってきた。安倍氏には防弾・防刃ベスト着用の指示はなかった。八月四日付朝日新聞朝刊社会面に「三六〇度開放、県警内『大丈夫か』警護員四人、容疑者気づかず 安倍氏銃撃、当時の警備状況」という記事が掲載されている。「組織をあげて守るべき要人を、たった一人の銃撃からなぜ守ることができなかったのか。安倍晋三元首相が銃撃された事件で、当時の警護警備の状況が警察関係者らへの取材から明らかになってきた」「安倍氏が参院選の遊説で奈良県に入る――。自民党側から奈良県警にそう連絡があったのは、事件前日の七月七日昼ごろ。これを受け県警は警護警備の検討を開始した。同日夕方には、『奈良市の近鉄大和西大寺駅北側で』、『ガードレールで囲われた地点で』と、複数回にわたり具体的な場所の連絡が来たという」「この同じ場所では、六月二五日に自民党の茂木敏充幹事長が演説を行っていた。このため県警は茂木氏の時に策定した『警護警備実施計画』を基に計画を作成。茂木氏の時より聴衆が多く集まると見込み、配置する警察官をわずかに増やしたという」「警備部の担当者は七月七日夜に実施計画書を作り上げ、翌八日の執務時間が始まった直後に警備部長、鬼塚友章本部長の順に報告し、承認を得た。本部長らから修正の指示はなかったという」「県警内では『安倍氏の周り三六〇度すべてが開いている形は大丈夫か』と指摘する声もあった。しかし、既に計画が固まり準備が動き出していたため修正は図られなかったという」「警護警備に携わったのは、県警本部や奈良西署で指揮する幹部らを含め計二十数人で、そのうち現場にいたのは十数人だった。当日は実施計画書を基にしつつ、聴衆の集まり具合などをふまえ配置を計画から一部修正。現場では本部の課長らが指揮をとっていた」「安倍氏の警護を任務とする警察官は、演説場所となったガードレールの内側のスペースに四人が配置された。安倍氏の左斜め後方に警視庁のSPと県警の警護員の計二人、右側に県警の警護員二人という態勢だ」「このうち、後方を警戒する役割を担ったのは右側にいたうちの一人。ただこの警護員は、安倍氏の後方のエリアの向かって左(東)の方向に多数の聴衆が集まったため、主にそのあたりに目を向けていた。このため、山上徹也容疑者(四一)が歩道から安倍氏の後方まで移動するのに気づかなかった。ほかの警護員三人は主に前方を警戒しており、やはり容疑者の動きは目に入っていなかったという」「一発目の発砲音が響いたあと、警視庁のSPは山上容疑者と安倍氏の間に体を入れるとともに、持っていたカバン型の防弾の防護板をかざした。SPは『自分の体を盾にしようと思った』と説明しているという。だが、二発目の弾丸は防護板をかすめるようにして安倍氏にあたった」「一発目から二発目までは約二・七秒。当時、SPは安倍氏から約二メートルの地点で警戒しており、安倍氏に覆いかぶさるといった対応をとるのは難しかったとみられる。また、SPを含む警護員らは一発目の音について『花火やタイヤがバーストした音などと思い、瞬時に銃声とは思わなかった』と話しているという」「安倍氏の演説が始まったころに山上容疑者が立っていた歩道の角付近にも警察官が一人いた。また、安倍氏の後方にある駅のバスターミナル付近にほかに配置されていた警察官は一人だけだったという。安倍氏の後方の車道は規制されておらず、演説の最中も車や自転車が通っていた。そうしたなかで移動する山上容疑者に気づいて声をかけたり制止したりする警察官はいなかった」「警察幹部は『現場に配置されていた警察官はそれぞれやるべきことをやっていたと思う。問題は、後方の警戒態勢を含め全体の警護警備計画が不十分だった点ではないか』と指摘する」「警察庁は七月一二日に検証チームを設置し、奈良県警からの聞き取りやSNS上の映像などの確認作業を通じ、警護警備について調査を進めてきた。八月中に、検証の結果とそれをふまえた警護警備のあり方の見直し案をまとめる。現在は元首相らの警護は都道府県警が担っているが、これを情勢に応じて警察庁が主体的に扱う仕組みに改めるなど、抜本的な見直しにふみこむ可能性がある」。
杜撰な警備計画の遠因か
銃規制が厳しい日本だが、今回の犯人は銃器を購入したのではなく、自分で作った銃を発砲した。日本の警護は銃規制を過信していて、銃撃を想定していなかったのではないか。そのため、防弾チョッキや防弾シールドなどの準備が疎かになっていたようにも感じる。また、特に今回の後方の警護の甘さは酷い。演説者自身の警戒も難しい後方は、壁等にして攻撃されないようにするのが一般的だ。岡山市民会館での演説会では襲撃を断念した犯人だが、奈良市の西大寺駅前で凶行に及んだのは、その警護の甘さを見抜いたからだろう。
今回の銃撃現場を管轄している奈良西署には別の不祥事があり、それに関する報道発表を銃撃のあった八日に行う予定だった。読売新聞オンライン七月十五日配信の記事「【独自】奈良西署、銃撃前日から不祥事発表を準備…急きょ演説決まり『対応に追われた』」によると「県警は今年一月、同署内で管理していた拳銃の実弾五発が所在不明となったと発表。県警本部が窃盗容疑も視野に調べた結果、所在不明発覚前の二〇二〇年一一月の実弾交換作業中に予定より五弾少なく配分されていたことがわかり、今月上旬、実際には実弾の紛失はなかったと特定した」「捜査関係者によると、県警本部は、こうした不祥事事案を八日に発表する予定で、同署では七日、幹部らが報道発表に向けて県警本部との調整などに追われていた」という。そんな中で八日に安倍氏の演説が決まった。不祥事対応の中で立てた警護計画であるが故の、今回の杜撰さではなかったのか。またこの実弾紛失騒動で容疑者とされ、約十日間に亘って取り調べを受けた男性署員はうつ病を発症、八月五日に奈良県を相手取って、国家賠償請求訴訟を起こしている。そもそも奈良県警には、実弾の配分記録を間違えたり、無実の署員を責め立てたりするような、組織として根深い欠陥があるのではないだろうか。奈良県警の問題は、今行われている警察庁による安倍氏銃撃に関する警護体制の検証でも明らかにすべきだ。今回の選挙期間中の政治家の暗殺によって、日本の安全神話の一つがまた崩れた。これを機に、日本の要人警護は銃撃を想定したより万全なものに、改める必要があるだろう。
2022年8月5日(金) 10時00分校了