佐藤 正久氏
1960年福島県生まれ。1983年防衛大学校(応用物理)を卒業、帯広の第4普通科連隊を皮切りに、国連PKOゴラン高原派遣輸送隊隊長やイラク復興業務支援隊長等、自衛隊で活躍。2007年参議院議員に初当選、以来3期連続当選。防衛大臣政務官や外務副大臣を歴任。
イラク人からも高い評価
元谷 本日はビッグトークへの登場、ありがとうございます。佐藤さんは、二〇〇四年のイラクへの派遣で「ヒゲの隊長」として有名になりました。自衛隊が海外に派遣されたのは、その前にもあったのでしょうか。
佐藤 今日はお招きいただきありがとうございます。自衛隊はイラクの前にも何度も海外に派遣されています。最初は一九九一年の海上自衛隊のペルシャ湾派遣でした。これは湾岸戦争後の機雷掃海が任務でした。
元谷 日本の機雷掃海技術は非常に優れていると言われています。
佐藤 はい、そうです。掃海するのに非常に難しい機雷が残っていたので、日本の自衛隊に依頼がありました。掃海艇は、今はFRPのものがあるのですが、当時は木造船でした。
元谷 磁気で機雷が反応する鉄の船では掃海はできないということですね。朝鮮戦争の時も、国連軍の要請を受けて日本は掃海作業を行っています。
佐藤 伝統的に日本は掃海に高い技術を持っています。湾岸戦争で日本はお金は出すが、血も汗も流さないと非難されました。だから掃海を行ったのです。次に自衛隊が派遣されたのは、一九九二年のカンボジアです。この時は道路整備のために施設大隊と、停戦監視要員が派遣されました。私はその時外務省に出向していたのですが、外務省からカンボジアに派遣されて、武器も持たずGパンにポロシャツで、カンボジア中部や西北部のコンポントムやバタンバン等の少し危険な地域の情報収集活動を行っていました。
元谷 その時はもう内戦は終わっていたのでしょうか。
佐藤 一九九二年に国連のカンボジア暫定統治機構による統治が始まり、翌年に新しい国の憲法を定める制憲議会のための選挙を行おうとしていました。しかし内戦は続いていて、ポル・ポト派が政府軍と戦っていました。
元谷 ということは、戦闘に巻き込まれる可能性があったのですね。
佐藤 カンボジア中部を訪れた際、日本の文民警察官の宿舎に泊まろうとしたら、行き違いがあり泊まることができませんでした。国連の無線で安全な場所を確認したら、そこから二十km以上先の村だというのです。車でその村に向かっていると、途中、ポル・ポト派と政府軍が橋を巡って銃撃戦の真っ最中。すぐに車を降り、通訳も降ろして、地面に伏せて戦闘が終わるのを待ちました。結局政府軍が制圧して、彼らの護衛の下、目的の村に行くことができました。自衛隊はカンボジア南部のタケオという比較的安全な場所で活動していたのですが、情報収集任務の場合はいろいろなところに行く必要があったのです。
元谷 それで戦闘にも出くわしたということですね。
佐藤 当時、カンボジアの橋は昼間、子供が自動小銃を持って守っていて、通行するのにお金を取るのです。子供はちょっと機嫌を損ねると撃ちますから、かなり怖かったですよ。夜になるとポル・ポト派が山から出てきて橋を攻撃したりするのに、政府軍が対抗していました。政府軍に力がありましたから、ポル・ポト派はゲリラ戦をするしかなかったのです。
元谷 佐藤さんは、その後も海外に派遣されるのですね。
佐藤 このカンボジアの経験が大きく、海外要員と見做されるようになったからでしょう。次は一九九六年、シリアのゴラン高原に国連のPKO部隊の隊長として、そして二〇〇四年にはイラク派遣部隊の隊長として行きました。
元谷 自衛隊には、これまで戦死者はいません。海外派遣部隊として、その点非常に緊張感が高い任務だったと思うのですが。
佐藤 はい、訓練中の事故の殉職者はいますが、海外派遣の任務中に亡くなった者はいません。死亡者を出さないように、細心の注意を払ってきました。他の国の軍隊と自衛隊が違うのは団結力と規律で、私は、自衛隊はこの二点で抜きん出ていると思います。イラクの人々からも、自衛隊は非常に高く評価されていました。
韓国はどちらに付くのか
元谷 イラク派遣の時には、自衛隊がオランダ軍に守ってもらっているという報道がありましたね。
佐藤 あれは誤った報道です。日本のメディアがいたのは先遣隊が行って一カ月ぐらいだったのですが、この時自衛隊は自分達の宿営地ができていなかったので、オランダ軍のキャンプに間借りして、道案内等も依頼していました。
元谷 そのことを日本のメディアは「守ってもらっている」と報道したのですか。
佐藤 そうです。冷静に考えればわかるのですが、オランダ軍と自衛隊では、防衛装備も兵器も予算も国力も全然違うのです。オランダ人の方が体は大きいですが、軍隊としては自衛隊の方が強いと、イラクの人々も言っていました。
元谷 武器が貧弱という報道もあったような…。
佐藤 そんなことはなく、イラク派遣の時には装甲車も持っていきましたし、その数はオランダ軍よりもずっと多かったです。自衛隊は、例えば道路修復の現場に行く時も、車両を一列にきれいに並べるのです。作業に使うスコップもきれいに並べる。これら全てを直線直角三cm以内という合言葉で、きちんと実行したのです。イラク人への対応もぞんざいではなく、規律もきちんとしています。他国の軍隊と比べたら、自衛隊の立ち居振る舞いの素晴らしさは一目瞭然なのです。
元谷 そもそも佐藤さんは、どういう思いで防衛大学に進んだのでしょうか。
佐藤 国防とか愛国心に燃えて防衛大学に入ったのではありません。模擬試験代わりに防衛大学と防衛医大を受験したら、合格したので…。ただ私は物理学が好きでしたので、防大の応用物理に入学したのです。現在の自衛隊制服組トップの山崎幸二統合幕僚長が同期になります。もう同期は自衛隊には彼しか残っていないのですが、防大時代に国防とか愛国と強く主張していた人間は、あまりその後伸びなかったですね。性格が明るく、柔軟性を持って、なんでも吸収する人間の方が、自衛隊に入ってから伸びるようです。
元谷 そういう人の方が出世するのですね。
佐藤 狭量な人は向かないのでしょう。精神面も大切なのですが、自衛隊員は基本リアリストでないと。理想の実現ではなく、現実の世界の中でどうやってミッションを達成し、成果を出すか。理論も大切ですが、実践しないと意味がない。いくら想いがあっても、現実をそれに近づけないと…という仕事なのです。
元谷 私は以前ベトナムを訪れて、ベトナム戦争時に韓国軍が虐殺等蛮行を行い、それを地元の人々が壁画にして記録に残しているのを見ました。
佐藤 イラクに派遣された時、韓国軍もいました。私の隊員と韓国軍の隊員とで記念撮影をした際、自衛隊員が前、韓国軍兵士が後ろになって撮影をしたのですが、韓国軍兵士は、自衛隊員が知らない内に「独島は韓国の領土」という垂れ幕を掲げていたのです。後で写真が出回った時に、私は韓国軍に抗議しました。韓国軍の隊長の命令ではないと思いますが、ああいうことは、他国の人道支援の場で行うことではありません。
元谷 日本に対してそういう態度をとってしまうのは、韓国の国民性ではないでしょうか。
佐藤 台湾も朝鮮半島もかつては日本領であり、私達の先人がその発展に力を尽くした場所です。しかし片方は親日で、もう片方は反日になってしまいました。日本としては同じことをやったのに、不思議なことだと思います。
元谷 日清戦争で日本領となった台湾の方が、その期間が長かったこともあると思うのですが。
佐藤 旧制の帝国大学を設立順に見た場合、東京、京都、東北、九州、北海道に続き六番目にできたのが京城(今のソウル)、七番目が台北です。その後の八番目に大阪、九番目に名古屋が続きます。これを見ても、朝鮮半島や台湾と日本本土を公平に扱っていたことがわかるでしょう。
元谷 日本は朝鮮半島に多数の小学校も作って、教育に力を入れました。
佐藤 今回ウクライナに対してロシアが軍事侵略を行いました。今後、同様に中国が台湾を武力で侵略したら、台湾の現状を維持するために、日本は日米同盟を生かして行動すると思います。しかし韓国はどうするのか。もちろん米韓の軍事的な同盟関係はあるのですが、それは朝鮮半島の安定のためだと韓国は言いかねない。中国と韓国との経済的な関係が強いために、日米台が中国と対峙した時に、韓国がどちらに付くかはわからないのです。米韓同盟の崩壊の可能性もあります。これについては、韓国内でも意見は二分しています。
変化する可能性がある
元谷 そもそも、日本がインフラ整備を行い、教育制度を整えることで、韓国の近代化に大きく貢献したのです。それをなかったことにして、日本に搾取されたとばかりいうのは、公平ではありません。韓国人には感謝の気持ちというものがないのかと思います。
佐藤 日本統治下で行われたことで、韓国政府が国民に伝えていないことが沢山あります。徴用工問題についても、一九六五年の日韓基本条約の交渉の中で、韓国側は「被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済を請求する」と主張、これに対し、日本側が個人に対して支払うということかと尋ねたところ、韓国側は国として請求して個人への支払いは国内措置として行うと回答していることが、日本の外務省の交渉記録に明記されています。日本はそれに従って、五億ドルの資金供与を行ったわけですが、その中には既に徴用工への支払いは入っていた。それを勝手に韓国政府が国の復興に使ってしまったということです。そのことを韓国国民には言っていない。つまり韓国人が訴えるべきなのは、日本政府や日本企業ではなく、韓国政府なのです。
元谷 その通りです。
佐藤 またかつては大陸に近い北部で産業が発達し、南部は農村地帯でした。韓国は日本からの資金を使って、鉄鋼業や造船業を発達させていったのです。
元谷 そうです。日本の資金によって韓国は、「漢江の奇跡」と呼ばれる飛躍的な経済成長を遂げることができました。
佐藤 また韓国は半島国家であるが故に、大陸と海洋で揺れ動きます。革新系政権は大陸(中国)寄り、保守系政権は海洋(日米)寄りになる傾向が強く、これまでのムン・ジェイン政権は中国寄りでした。では次期大統領のユン・ソギョル氏は保守だから日米寄りかと言うと、あれだけの僅差での勝利ですから、そう簡単ではないと私は見ています。保守革新関係なく、日本は真っ当な主張をそのまま韓国にぶつけ、日韓関係改善のボールは韓国にあることを伝えるのです。日本の方から落とし所を提示したり、すり寄ったりする悪弊はもう止めた方がいい。後世の人に非難されないように、今の私達が考え方を変えるべきなのです。
元谷 これまでは条件を提示すればするほど、要求が高まったり、落とし所を決めても、結局ゴールポストをずらされたりしましたからね。
佐藤 今回の韓国大統領選で惜しくも敗れた「共に民主党」のイ・ジェミョン氏は、「なぜ侵略国家の日本が分断されずに、侵略された朝鮮半島が分断されたのか」などと言っていた人です。普通の政治家であればこんなことを言わないのに、そんな人が大統領候補なのです。これだけでも韓国という国が普通ではないことがわかります。一方台湾ですが、日本の統治時代を知っている人がどんどん亡くなっています。事実上徴兵制もなくなり、中国との商売で稼いでいる人も増えています。世代交代に伴って人々の考え方も変わっていき、中国に接近する可能性もあるのです。中国もこのタイミングを狙っていて、次の二〇二四年の台湾総統選挙での親中派総統の誕生を画策しています。二〇二〇年の選挙では民進党の蔡英文総統が再選されましたが、最初は非常に苦しい戦いでした。しかし香港の一国二制度を廃する方向に中国が動いたことが台湾人の危機感を煽り、それが結局蔡英文氏の圧勝に繋がりました。
元谷 香港での騒動がなければ、危なかったですね。
佐藤 ロシアのウクライナ侵略でもフェイクニュースが氾濫していますが、これに中国も着目しています。既に台湾でもフェイクニュースが流れるようになっています。有事となれば、日本でも多くのフェイクニュースが流れ、人々が右往左往させられてしまう可能性があります。ネットで簡単に流せますから。
元谷 ネット時代の戦争は、本当に恐ろしいものだと思っています。
佐藤 ロシアのプーチン大統領はシリア内戦でもかなり酷いことをやっています。四年を超える最大都市・アレッポの包囲戦では飢餓作戦や虐殺等、多くの残虐なことが行われていましたが、世界に伝わることはありませんでした。今回のウクライナ侵略では、残虐行為が即座にネットで世界に伝えられ、戦争犯罪ではないかという声が上がっています。しかしこんなことは、チェチェンでもシリアでも行われてきたのです。
元谷 単に世界に伝えられておらず、世界も関心を持っていなかったということですね。
昔からのロシアの体質だ
佐藤 プーチン氏が首相になったばかりの一九九九年に始まった第二次チェチェン紛争では、ロシア軍は絨毯爆撃で街を全部破壊し、街を再建した後には傀儡の人物をトップに据えています。またシリアでは、ロシア軍とアサド政権軍は化学兵器を使用した疑いがあり、二〇一八年にアメリカのトランプ大統領は、これを理由にアサド政権軍の基地をミサイルで攻撃しています。オバマ大統領は化学兵器を使ったら介入すると警告しながら、実際使用されても何もしませんでした。しかしトランプ大統領は実行しました。非道な行為には代償が伴うことを見せつけないと、独裁者には伝わらないのです。今回バイデン大統領が、ウクライナはNATOではないから集団的自衛権によるアメリカの介入は行わないと、最初に明言してしまったのが間違いでした。これでプーチン大統領は安心して、ロシア軍をウクライナに進めることができたのです。
元谷 こういうことは、最初に明言してはいけないのです。反応をわからないようにしなければ、相手は怖がりません。
佐藤 そのとおりで、軍事的な介入がなければ、経済制裁か情報戦しかありません。でもこの二つでは、始まった戦争は止まらないのです。
元谷 ロシアは二〇一四年にウクライナ領だったクリミア半島を併合しますが、ここから今まで、プーチン大統領はいろいろと酷いことをやってきました。
佐藤 そしてそのことを絶対に認めません。二〇一四年に今回焦点となっている東部のドンバス地方にロシア軍が入っているのですが、それも認めない。T‐80というロシア軍にしかない戦車がいるのに、「道に迷っただけ」と言うのです。この年の七月にオランダのアムステルダムからクアラルンプールに向かっていたマレーシア航空の旅客機が、ドンバス地方上空で、ロシア軍のミサイルで撃墜されています。約三百人の人々が亡くなった大惨事ですが、ロシアは一切認めていません。ウクライナ侵略でも、キーウ近郊の街に残された多数の住民の遺体について、ロシア軍の仕業ではないと言い張っています。そもそもソ連は第二次世界大戦後、日本人五十七万人をシベリアに抑留して、内約六万人を死に追いやった国です。こういう残虐な体質は、ロシアになった今も変わっていません。そして、私が問題として感じているのは、日本の学校では近代史をまともに教えていないので、日本の若い人々は日本の朝鮮や台湾の統治の詳細やシベリア抑留のことを知りません。だから中国や韓国の若者と討論しても負けてしまう。
元谷 韓国は漢字の使用を止めてハングルのみにしたので、今の韓国の若者は過去の論文や本が読めないのです。日本の善政を知らず、政府の都合のいいことだけを吹き込まれています。一方、先の大戦で日本が戦わなければ、世界は今でも白人キリスト教徒の世界で、多くの国が独立できなかったことを日本の若者には伝えないと。また日本が欧米の植民地にならなかったのは、武士という戦士階級が日本を統治していたからでしょう。軍事力は国や平和を守るためには必要なのです。
佐藤 刀を抜かないのが最上ですが、常に研いで使えるようにしておく必要はあります。武士の「武」は戈(ほこ)を止めると書きます。使えるけど使わないために環境を整えるという意味です。命も人を一回叩くと書きます。鍛えて備えておかなければ、守れる命も守れません。
元谷 日本の漢字にはそういった意味も込められています。他の国にはない、素晴らしい文化だと思いますね。
佐藤 全く同感です。その先人からのDNAが自衛隊員の立ち居振る舞いにも現れ、派遣先に住む人々にも、日本の素晴らしさが伝わっていたと思います。
元谷 これからの佐藤さんの国会でのご活躍にも期待しています。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
佐藤 日本という国、生まれ育った故郷、今住んでいるところ、所属している会社や家族等、関わるもの全てに誇りを持って欲しいですね。特に社会の基本単位である家族を愛せなければ、会社も地域も愛せなくて、他の人に貢献することができません。まず、家族を大事にして欲しい。
元谷 日本は家族国家ですからね。今日はいろいろと素晴らしいお話をありがとうございました。
佐藤 ありがとうございました。