日本を語るワインの会224

ワイン224恒例「日本を語るワインの会」が代表邸で行われました。戦艦「榛名」の艦長だった石井和之少将を祖父に持つ参議院議員の石井苗子氏、高校を卒業してから警察学校に入学、叩き上げで警視庁警察学校長にまで上り詰めた龍一文氏、仕事の一方、慶應義塾大学大学院での学びも続けるキャスター・戦後問題ジャーナリストの佐波優子氏をお迎えし、日本の数々の問題の解決策について、激論を交わしました。
女性を救済する法律制定の
国会議員の議論が始まった
 聖路加国際病院の院長を長く勤め、二〇一七年に百五歳で亡くなった日野原重明氏は素晴しい人だった。難病の妹の介護のため、石井苗子氏は四十三歳で聖路加看護大学看護学部に入学し、看護師としての業務も行っていた。二〇一一年三月の東日本大震災の半年前に妹は死去。震災の後に聖路加看護大学のOGは被災地支援に総動員されたが、妹の死もあって気落ちしている石井氏に対して日野原氏は、「いいことをしようと思って行くな。行って膝を突き合わせて、話をするのが大事なのだ」と諭したという。百五歳の誕生日の時には「東京オリンピック・パラリンピックでは聖火ランナーとして、車椅子で走る」と語ったり、ボランティア精神が徹底していたり、多くの人々に希望を与えた人だった。石井氏も「国のために働けば」という日野原氏の言葉に背中を押され、二〇一六年に参議院議員選挙に出馬して当選した。今年もまた参議院議員選挙があるが、石井氏は日野原氏の弔い合戦として頑張るという。
 奄美大島出身の龍一文氏は、高校卒業の叩き上げながら、各地の警察署長や警視庁の捜査一課長を歴任、最後は警視庁警察学校の校長になった。刑事警察で経験してきた様々なことを学生に教えることができ、警察官としての役割は最後まで全うできたという。
 大東亜戦争の遺骨収容活動を行ってきた佐波優子氏は、まだ海外で眠っているご遺骨が多いことを伝えるために二〇一〇年の第三回「真の近現代史観」懸賞論文に応募、見事に最優秀藤誠志賞を獲得した。今は日本人の死生観を突き詰めるために、大学院で引き取り手のない遺骨の研究を行っている。東京都内でも、ご遺族に遺骨を返していない変死体が年間約二十体ある。毎年十一月に警視庁の身元不明死体月間があり、高幡不動で慰霊祭が行われている。
 一九五六年に制定された売春防止法は、売春を行う恐れのある女性の補導処分と保護更生の措置を講じることで、売春を防止することを目的としているが、現代の困窮する女性を守る概念に欠けるという指摘が出ており、女性支援の新法制定の動きが活発化している。一月からは、この新法に向けた国会議員が参加しての超党派の勉強会が始められている。児童福祉、高齢者福祉、障害者福祉という言葉はあるが、女性福祉という言葉はない。コロナ禍で食事が取れないシングルマザーの親子も増えている。困った女性に手を差し伸べ、売春や犯罪に走らないようにする枠組みが必要だ。これは一般的な犯罪でも同様だ。龍一文氏も関わった二〇一二年に発生した六本木のクラブ「フラワー」にて、男性が関東連合のメンバーによって金属バットで、しかも人違いで殴り殺された事件では、十数名が逮捕された。孤立感を深めた若者が、関東連合のような「半グレ集団」を形成する。若者の孤立を解消するための枠組みも必要なのではないだろうか。
まん防や緊急事態条項で
人流・物流を妨げるな
 アメリカでは大富豪がチャリティ活動に巨額の費用を投じるが、日本では気持ちはあってもそのような活動は行われない。その最も大きな理由は、一定額以上の寄付金の損金算入が認められないことだ。まず税制を改める必要がある。またアメリカでは大富豪のこういった善行を、メディアも含めて称賛する風潮がある。しかし日本のメディアでは、やっかみ僻みの記事は売れるが、称賛の記事は売れない。日本維新の会の議員は給料の二割をカット、その分を集め、二カ月で一千万円を東日本大震災の被災地に送っているが、そのことをメディアは報じない。昨年の衆議院議員選挙後に問題になった、国会議員に毎月百万円支給され、その使途が自由な文書通信交通滞在費についても、日本維新の会は以前から全国会議員がその使途をネットで公開している。これもメディアは報じない。
 新型コロナ、オミクロン株の影響もあって東京をはじめとする日本全国の感染者が一気に増えた。しかし南アフリカも早いスピードで感染者が増えた後、急速に減少した。重症化しにくく、あるタイミング以降は一気に感染者が少なくなる。オミクロン株でも発症するとインフルエンザの何倍も辛いという人がいる一方、無症状が多いという話もある。症状には個人差があり、風邪が早く治る人は新型コロナも早く治る。一月九日から沖縄県、山口県、広島県にまん延防止等重点措置が適用されたが、これは重傷者が少ない中、科学的というよりは政治的判断であり、全国に波及すると大変なことになる。経済活動を妨げる人流・物流の抑制をこれ以上進めるのは避けるべきだ。安全保障上にも問題がある。
オリンピックの種目は
夏季と冬季で見直すべき
 中国はオミクロン株が流行していないように見せかけている可能性がある。冬季オリンピックを控えて非常にナーバスになっていて、子供にまでPCR検査を強化している。ただ、ワクチン接種やPCR検査の陰性を条件に、自国民はオリンピック観戦を可能にするのではないだろうか。二〇〇八年の北京オリンピックの開会式に代表一家は参加したが、スタジアム上空の天気は曇りで、花火もはっきりとは見えなかった。しかし後で録画を見返すと、晴れていて花火もはっきり見えている。これは明らかにCGで映像を加工したものだ。この時も、今回の冬季大会でも開会式が行われる国家体育場(通称「鳥の巣」)は欠陥スタジアムで、観客席がサウナのように暑くなる。今回は二月なので、前回の八月よりはましだと思われるが。結局日本は外交的ボイコットを行い、オリンピック関係者は行くが、政府要人をオリンピックには派遣しないことになった。
 昨年の東京オリンピックは、一年伸びて観客有りで開催できるかと思えば、感染者数の増加で結局無観客となった。室内の競技でも空気の入れ替えをしっかりと行うことで、有観客にできたのではないか。しかし、中止の圧力の中開催したオリンピックで日本は多くのメダルを獲得し、日本中に元気を与えた。あえて宣伝する必要もないかもしれないが、新型コロナ禍の下、感染拡大を抑えての最後までの開催は、日本でなければできなかったことだ。
 東京オリンピックでは八月の暑さ対策が問題となり、マラソンや競歩を札幌で開催した。かつては十月だった開催が、アメリカのテレビ局の都合で八月になっているのが最大の原因だ。そうであれば競技を組み替えて、マラソン等現在夏季オリンピックで行っている一部競技を、冬季オリンピックで行えばいいのではないか。本当に融通が利かない国際オリンピック委員会(IOC)の名誉や信頼は、すっかり地に堕ちている。今、札幌が二〇三〇年の冬季オリンピックの誘致を行っているが、本命候補と言われている。
人生百年時代には
年を経ると魅力的になる
 北朝鮮による日本人拉致問題だが、いつになったら解決するのか。日本は周辺国からも揶揄されている。家族が高齢化する中、これはもう落とし所を変えていくしかないのではないか。二度とこのような悲劇を起こさないためにも、スパイ防止法の制定や安全保障の充実、北方領土問題の解決等、やるべきことは沢山ある。正しく考え主張していく必要があるのではないか。
 果たして地球温暖化は本当に進んでいるのか。気温の上下もまだ激しく、一概に上昇が続いているとは思えない。しかし気象等、様々なことが変化している。海の水位や海流も変化して、従来獲れていた魚が獲れなくなってきた。台風は奄美大島には来なくなったが、代わりに北海道にくるようになった。石川県も昔は大雪が降った。「三八豪雪」として知られる一九六二(昭和三七)年十二月末から翌年二月までに日本を襲った豪雪では、二階建ての家がすっぽり雪に覆われ、家に入るのに穴を掘って、雪に階段をつけて下りて入ったという。屋根伝いに雪上を歩いて学校に行ったという話もある。
 Netflixの映画「浅草キッド」でも取り上げられたビートたけし氏だが、その人生は壮絶だ。一九八六年のフライデー襲撃事件では傷害罪で有罪になり、一九九四年には酒気帯びで原付バイクを運転して事故を起こし、大怪我を負って半年間テレビに出演できなかった。これだけの事件を起こしながら今も芸能界で活躍できるのは、たけし氏だからなのだろう。世界的な映画監督として知られ、「浅草キッド」等自ら作曲・作詞した曲を歌うたけし氏だが、絵も上手い。某一流鮨店にたけし氏の絵が掛かっている。また「浅草キッド」にも登場する鯨屋「捕鯨船」に、たけし氏は毎月十五万円を振り込み、店主にこの金で売れない芸人が飲んだり食べたりできるようにしてくれと頼んでいる。
 ホテル社長は学生時代から勉強が大好き。家庭の事情で大学進学はせずに信用金庫に就職したが、一念発起して受験勉強をして五十三歳で大学に合格、その後大学院に進学して修士号を取得し、博士課程を修了した。その間、主婦として家事もこなし、アパホテルの社長はもちろん、営業マンとしてもトップの成績を維持し続けた。早稲田大学大学院修了後は東京国際大学で客員教授として経営学と環境の授業を行い、一番多い時には二百三十七名もの学生が受講するほどの人気を博した。近年、リカレント教育として年配者の学びなおしが注目されている。これまでの日本の学びはまず記憶力だったが、本来は集中力、理解力を鍛えた上で、最後に記憶力が必要になる。この観点から考えれば、年を取ってからの学びも十分にものになる。