高田 ロバート氏
1977年ドミニカ共和国生まれ。日本にルーツを持つ父とドミニカ人の母を持つ日系2世。ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ・カトリック大学法学部を主席で卒業、マドレイマエストロ・ポンティフィカ大学でシニアパブリックマネージメント(上級公的管理)、フランス国立行政学院(ENA)の修士号を取得。外務省でのキャリアは2006年から。外務大臣室での外交政治の分析官、ドミニカ共和国の中米統合機構(SICA)への正式加盟チームの交渉・調整役等を歴任。2021年より現職。
スペイン人最古の植民地
元谷 今日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。日本人は、ドミニカ共和国という国の名前は知ってはいても、どこにあってどんな国なのかということを知らない人が大半です。今日はいろいろとお国のことを教えていただきたいと思い、お声をお掛けいたしました。
高田 本日はお招きいただきありがとうございます。この月刊Apple Townは毎月読ませていただいていて、代表の主張にいつも共感を覚えております。今日このApple Townで私の国のことをお話できるのは、大変光栄です。ドミニカ共和国はカリブ海の中心にあるイスパニョーラ島の東側にあり、西側のハイチと島を二分しています。面積は約四万八千平方キロメートルで、九州に高知県を合わせたぐらいの大きさです。そこに約一千百万人の国民が暮らしています。首都はサントドミンゴです。
元谷 民族的にはどうなるのでしょうか。
高田 イスパニョーラ島はコロンブスが一四九二年に「発見」した新大陸の中で、初めてスペイン植民地となった場所です。その結果、国民の八五%がヨーロッパ系白人とアフリカ系(特に)黒人との混血となっています。歴史的に隣国のハイチと様々な関係があったのですが、スペイン領が長いということで、公用語はスペイン語、宗教はカトリックを信じている国民が多いです。
元谷 ヨーロッパ人が来てからの歴史が、最も古い国ということですね。
高田 はい。発見四年後の一四九六年に、首都のサントドミンゴが建設されました。一五〇三年には、ここに植民地との貿易を統括する通商院が作られ、ヨーロッパからのビジネスは全てサントドミンゴからスタートするようになりました。コロニアル地区と呼ばれる初期に建設されたエリアには、アルカサル、オサマ要塞、サンタ・マリア・ラ・メノル大聖堂、王宮博物館等、一六世紀前半に建てられた建築物が数多く残っていて、このエリアは「サントドミンゴの植民都市」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。他にドミニカ共和国が世界に誇るものとしては、アフリカとヨーロッパの特徴が融合した「メレンゲ」という音楽や、しっとりとした曲に合わせて男女が踊る「バチャータ」というダンスが知られています。これらもユネスコの無形文化遺産へ二〇一九年に登録されています。また特に日本等、野球が盛んな国では、ドミニカ共和国は野球が強く、多くの大リーガーを輩出していることでも有名です。
元谷 今年の東京オリンピックの野球競技でも、ドミニカ共和国代表チームは最後に韓国に勝って、銅メダルを獲得しました。開幕戦でドミニカ共和国は金メダルを獲得した日本と対戦したのですが、最終回で日本がなんとか逆転して勝利するという緊迫の好ゲームでしたね。こういったことで、野球からドミニカ共和国の存在を知る人は多いと思うのです。ただ私もそうだったのですが、中央アメリカ辺りの国だと思っている日本人が多いかもしれません。
高田 カリブ海という存在が、日本人には馴染みが薄いのでしょう。カリブ海は、メキシコ湾の南の大西洋に隣接した水域です。アメリカから見れば、マイアミ半島の南の海と言えばいいのでしょうか。この周辺で最も大きい島はキューバです。次に大きいのが、ドミニカ共和国のあるイスパニョーラ島になります。その他カリブ海には、ジャマイカやプエルトリコ、バハマ等の島国が点在しています。またドミニカ国というドミニカ共和国とは全く別の、カリブ海の島国もあります。奄美大島ぐらいの島に約七万人が住む国なのですが、こちらは元々イギリスの植民地だったので、英語が公用語になっています。
元谷 同じ名前の別の国があるのですね。だから高田さんの国の方は、ドミニカ共和国と「共和国」を付けているのでしょうか。
高田 はい、そうです。カリブ海は米州では重要な水域で、例えばアメリカの西海岸からならパナマ運河経由になりますが、ヨーロッパに行く時には必ず通過する海です。
元谷 確かにそうですね。
日本からの移住も実施
元谷 ドミニカ共和国は、産業では何が盛んなのでしょうか。
高田 伝統的にはカカオ等の一次産品の輸出国でしたが、今はかなり様変わりしています。観光は主力産業の一つで、今後是非多くの日本人に訪れて欲しいと思っています。それ以外には鉱業が盛んで、金、銀、フェルニッケル等を採掘して、日本等に輸出しています。またカリブ海の青さを写したようなラリマールや、太陽の光を浴びると青に輝くブルーアンバーのような、ドミニカ共和国でしか産出されない宝石も世界中で注目を集めています。さらに近年は、精密機器や医療機器等の製造・輸出も盛んになっています。
元谷 お隣のハイチは、日本同様環太平洋火山帯に属していて、二〇一〇年に発生したマグニチュード七・〇の大地震では、三十万人以上の方が亡くなりました。また今年八月にもまたマグニチュード七・二の地震に見舞われ、約二千人の方が亡くなっています。同じ島であるドミニカ共和国には影響はなかったのでしょうか。日本は地震が多いことから、建築物の耐震・免震技術が非常に発達し、ホテルもマンションもあらゆる建築物が、一定の対地震性能を持っています。
高田 どちらの地震においても、ドミニカ共和国でも揺れは感じたのですが、建物が倒壊するような強いものではありませんでした。ここ何十年も市民に犠牲者が出るような地震被害はありません。日本に比べれば、ドミニカ共和国の建築物の耐震・免震性はまだまだですが、日本等を見習って、耐震技術を導入していくことになると思います。
元谷 同じ島でも広いですから、それだけの違いがあるのですね。高田さんが大使として日本に赴任されたのはいつでしょうか。日本語もおわかりになるようなのですが…。
高田 昨年の十二月に来日、三月に信任状を捧呈いたしました。ただそれ以前に、日本に住んでいたことがあります。
元谷 お名前から察するに、高田さんは日系ドミニカ人ということでよろしいのでしょうか。
高田 はい、そうです。父方の祖父は鹿児島県南九州市の出身で、第二次世界大戦で日本軍のパイロットでした。日本全体が戦後の厳しい状況の中、祖父は家族のために、一九五六年に日本政府が開始したドミニカ共和国への移民政策へ応募したのです。他にブラジルやペルー等への移民もあったのですが、祖父はドミニカ共和国を選び、一九五七年にやってきました。その時、父はまだ九歳でした。その父がドミニカ人の母と結婚して生まれたのが私です。父は私に、常に一度日本に行ってこいと言っていました。そこで大学に入学する前の休みを利用して、日本を訪れたのです。ところがあまりにも日本が気に入って、結局十七歳から二十七歳までの十年間、日本に住んでいました。価値観だったりヴィジョンだったり、自分の人生の中の大事な部分を形成する多感な時期を日本で過ごすことができたのは、私にとって非常にプラスになったと信じています。日本人の血が流れていることもありますが、私は日本には強い愛情を持っていて、第二の故郷だと思っています。実際に住んでいましたから、日本の良い所は十分に理解しています。
元谷 特に鹿児島から多くの方が、ドミニカ共和国に移民したと聞いています。
高田 丁度今年は、ドミニカ共和国への日本人移住六十五周年になります。四月に私は宇都外務副大臣を表敬訪問して、これを機会に日本とドミニカ共和国の関係をさらに深めていきたいという意向を、お互いに確認してきました。
それに学ぶことはできる
元谷 高田さんの様に、外から見ていると日本は良い国だという人が多いのですが、日本人自身はあまり日本のことを高く評価しません。そして東京裁判によって植え付けられ、その後も学校で教えられメディアが報道し続けた自虐史観を、多くの日本人が信じ続けているのです。
高田 私はラテンアメリカの人間で、日本を本当に愛していますが、同時にヨーロッパ等他の様々な国のことも知っています。いろいろな国を実際に訪問しましたが、欧米に比べても、日本は本当に世界の宝のような国です。今後、ドミニカ共和国以外の国に住むことがあるとしたら、私は迷わず日本に住むことを選びます。日本人はもっと自分達の国が特別であると再認識して、日本を誇りに思うべきでしょう。
元谷 高田さんにそうおっしゃっていただいて、大変嬉しいです。ヨーロッパの国々は長く続いた戦争の時代に勝ったり負けたりしていますから、一度負けたぐらいで誇りを失うことはありません。しかしアジアの島国である日本は、明治維新で近代国家になった後、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と負け知らずでした。そのために、先の大戦のたった一度の敗戦ですっかり自信を失って、自虐史観に捕らわれてしまったのかもしれません。私はこのApple Townを発行したり本を執筆したり、勝兵塾を主宰したり賞を設けたりすることで、日本人をこの自虐史観の呪縛から解き放ち、誇れる国・日本の再興を目指すという運動を行っています。
高田 戦争を含めて歴史というものは、引き継がれ語り継がれていくべきでしょう。その戦争の持つ様々な側面を多くの人が語って、人々がその詳細を知るようになれば、自然と自分の祖先を尊敬して誇りに思えるようになります。日本はかつて世界最強と言われたロシア軍に勝ち、第二次世界大戦では多くの都市が灰燼に帰し、被爆国になったにも拘わらず、奇跡的な復興を遂げて今のように科学技術が発達し、文化が満ちた素晴らしい国になりました。これを誇りに思えない人はいないはずです。
元谷 ありがとうございます。また、先の大戦で日本が戦ったお陰で、それまで植民地だった国が独立を果たし、世界中が人種平等となることができたのです。物事には常に良い面と悪い面があります。正しく物事を捉えるためには、両面を見なければなりません。今の日本のように、戦争をした悪い国とだけ教える教育では駄目なのです。
高田 過去を変えることはできませんが、それを詳細に学ぶことはできます。かつては異なることもありましたが、今の日本政府は明らかに平和を希求しています。過去も含めた日本の経験を発信することで、日本が世界のお手本になることができると思うのです。それこそ、唯一日本にしかできないことでしょう。
元谷 日本政府への素晴らしいアドバイスだと思います。私自身も海外への発信を続けていきたいと考えています。
高田 私も代表の誇れる国・日本を再興する運動は、大変意義のある活動だと思います。
元谷 私はまだドミニカ共和国に行ったことがないのですが、訪れるとしたらどのようなルートが良いでしょうか。
高田 残念ながら、日本人観光客がまだ少ないので、直行便はありません。一番便利で私がいつも使っているのは、ニューヨーク経由のルートです。成田からニューヨークまでが十四時間、ニューヨークからサントドミンゴまでが三時間半のフライトです。北米ですとアトランタやロサンゼルス経由、メキシコ経由やスペイン経由で行くルートもあります。
世界に誇る美しいビーチ
元谷 訪れるべき観光スポットを教えてもらえますでしょうか。
高田 まず先程世界文化遺産としてご紹介した首都・サントドミンゴの植民都市エリアです。特に人気のサンタ・マリア・ラ・メノル大聖堂は「アメリカ首座大司教座聖堂」とも呼ばれ、一五二一年に着工して十九年掛かりで完成しました。途中設計者が何度か変わっているために、建築様式が異なっている部分がありますが、壮麗なゴシック様式やバロック様式の装飾は見応えがあります。またコロンブスの遺体が安置されていたことでも有名です。自然のスポットで人気があるのは、北部のプエルトプラタにある「ダマハグアの二十七の滝」です。ヘルメットや救命胴衣を着けてツアーに参加するのですが、七つの滝を巡る最短のツアーで四十分、全ての滝を巡るツアーは三時間掛かります。また、ドミニカ共和国を訪れる人の最大のお目当ては、やはりビーチでしょう。東の海岸にあるババロビーチの美しさは欧米にも知られていて、数多くのリゾートホテルが立ち並んでいます。
元谷 訪れるとしたら、何月に行くのがベストでしょうか。また、どんな気候なのでしょうか。
高田 ドミニカ共和国は小さな国ですが、いろいろな気候が詰まっています。暖かいビーチのある海岸エリアや湿った熱帯雨林エリア、そして乾燥した砂漠等様々です。ベストシーズンは気温が心地よい三~四月、九~十月になるでしょうか。夏であっても、大体の場所が二二~二六度という気温ですから、どこでも過ごしやすいと思います。冬でも泳げる場所がある一方、コンスタンサという町では、冬には氷点下まで気温が下がることがあります。もし代表がドミニカ共和国にいらっしゃるのであれば、私がご案内しますよ。もちろんアビナデル大統領とも面会できるよう、アレンジいたします。
元谷 中米やカリブ海の国としては、コスタリカやパナマ、キューバには行ったことがあります。コロナが終息次第、ドミニカ共和国にも是非訪れてみたいですね。
高田 ドミニカ共和国の観光業界は、ここ数年の日本のホテル等観光業界の拡大に驚き、注目をしています。アパホテルの急成長はその最たるものでしょう。どうすればそんなことができるのか、代表から学びたいと思っています。
元谷 日本の周辺のアジア諸国の所得水準が上昇しているのが、訪日外国人旅行者増加の一番の要因でしょう。近い国に旅行に行くことを考えた場合、治安がよく安心して訪れることができ、公共交通機関が発達していて便利で、景観スポットやグルメといった観光要素が整っている日本は、最初に訪れたい国になっていると思います。二〇一九年には年間三千万人に達し、二〇二〇年には年間四千万人に達すると思われていた訪日外国人旅行者も、コロナの影響で結局二〇二〇年はその十分の一に終わりました。しかし近々、必ず四千万人を達成するはずです。今の日本の最大の成長産業は観光です。そんな状況の中、アパホテルはビジネスホテルでもリゾートホテルでもない、あらゆるお客様に利用していただける使い勝手の良いホテルを目指して、進化を続けています。
高田 是非一度、ホテルの見学をさせていただきたいと思います。ドミニカ共和国の観光業界もコロナの影響で売上が六〇%ダウンしています。来年以降の回復を目指して、今あらゆる復興策を模索しているところです。ご協力をお願いできればと思います。
元谷 私にできることであれば、ご協力いたします。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。
高田 私自身もそうだったのですが、若い時には人の意見を聞いたり、歴史の話をしたりすることが多いと思います。そんな風にいろいろなことを吸収して、誇りを持って自分の仕事に邁進して欲しいと思います。人生の中にはいろいろと大変なことがあると思いますが、平和な国に感謝し家族を大切にしながら地道に働いて、建設的に社会に貢献していって欲しいと思います。
元谷 私も全く同感です。今日は本当にありがとうございました。
高田 ありがとうございました。