恒例「日本を語るワインの会」が代表邸で行われました。一九五八年の独立以来、日本とは密接な外交関係を維持しているギニア共和国特命全権大使のサンクン・シラ氏、日本の一・六倍の面積のある島国・マダガスカル共和国大使館臨時代理大使のランジャザフィ・ツィラヴ・マエリゾ氏、外科医からスタート、現在総合診療医としても活躍する医療法人洪庵会理事長の吉原一成氏、第一回アパ日本再興大賞特別賞を受賞した文芸評論家の小川榮太郎氏をお迎えし、コロナから外交まで、幅広い分野で議論を交わしました。
日本の感染者の少なさは
公衆衛生学的には大成功
公衆衛生学的には大成功
小川榮太郎氏は元々文学、クラシック音楽を研究していたが、現在は日本、社会政策についての評論活動をしており、政治的には安倍前総理と近い考えをしている。
アメリカとブラジルを比べた場合、医療費は桁違いでアメリカの方が多いのだが、この二つの国の平均寿命は同じ。寿命は医療の進み度合いではなく、公衆衛生と相関関係を持つからだ。下水と上水が管理され、栄養状態が保たれていれば、医療とは関係なく寿命は長くなる。どれくらい長くなるかは、それ以外の要因によって左右される。
コロナウイルスはそのほとんどが無害だが、SARSやMERS、今回パンデミックとなっているCOVID‐一九等有害なものもある。COVID‐一九の場合、アジアと欧米では罹患率と死亡率が異なり、アジアではいずれもが非常に低い。インフルエンザに日本では毎年約一千万人が罹患し、超過死亡として亡くなる人の数は毎年約一万人だ。現時点で考えると、日本ではコロナよりもインフルエンザの方が怖い病気ではないだろうか。感染症で重症化と相関関係が明らかなのは、肥満だ。肥満になると脂肪細胞から分泌されるホルモン「アディポネクチン」が不足するようになり、それによって促進されるはずの白血球の増殖が抑えられ、その結果重症化しやすくなる。今日本を含む世界中でデルタ株が猛威を奮っているように、今後も変異株は出現してくるだろう。しかし日本は昨年から今年にかけて、新型インフルエンザに対する以上に厳しい対策を継続してきた。世界的に見れば、今の日本の感染者と死者の少なさは、公衆衛生学的に成功と言えるだろう。
しかしアジアやギニア等アフリカで感染者や死亡者が少ない一方、欧米ではなぜそれらの多さに苦しんでいるのか。感染症への罹患率や死亡率は、人種によって差が出る。日本人をはじめとした東アジア人やアフリカ人ら、今回新型コロナに耐性のある人種は、四万年前に絶滅したネアンデルタール人の「コロナに対抗する遺伝子」を持っているから、被害が少なかったという説がある。ということは、今後は逆に、日本人やアジア人に大流行する感染症が出現する可能性もある。シベリアの永久凍土が地球温暖化によって解けようとしているが、ここに一億年前冷凍された今の人類とっては新種のウイルスが現れて、パンデミックを起こすかもしれない。実際、今新しいウイルスはどんどん発見されていて、名前をつけるのが追いつかないぐらいだ。世界中のウイルス学者が、このことを懸命に研究している。
アメリカとブラジルを比べた場合、医療費は桁違いでアメリカの方が多いのだが、この二つの国の平均寿命は同じ。寿命は医療の進み度合いではなく、公衆衛生と相関関係を持つからだ。下水と上水が管理され、栄養状態が保たれていれば、医療とは関係なく寿命は長くなる。どれくらい長くなるかは、それ以外の要因によって左右される。
コロナウイルスはそのほとんどが無害だが、SARSやMERS、今回パンデミックとなっているCOVID‐一九等有害なものもある。COVID‐一九の場合、アジアと欧米では罹患率と死亡率が異なり、アジアではいずれもが非常に低い。インフルエンザに日本では毎年約一千万人が罹患し、超過死亡として亡くなる人の数は毎年約一万人だ。現時点で考えると、日本ではコロナよりもインフルエンザの方が怖い病気ではないだろうか。感染症で重症化と相関関係が明らかなのは、肥満だ。肥満になると脂肪細胞から分泌されるホルモン「アディポネクチン」が不足するようになり、それによって促進されるはずの白血球の増殖が抑えられ、その結果重症化しやすくなる。今日本を含む世界中でデルタ株が猛威を奮っているように、今後も変異株は出現してくるだろう。しかし日本は昨年から今年にかけて、新型インフルエンザに対する以上に厳しい対策を継続してきた。世界的に見れば、今の日本の感染者と死者の少なさは、公衆衛生学的に成功と言えるだろう。
しかしアジアやギニア等アフリカで感染者や死亡者が少ない一方、欧米ではなぜそれらの多さに苦しんでいるのか。感染症への罹患率や死亡率は、人種によって差が出る。日本人をはじめとした東アジア人やアフリカ人ら、今回新型コロナに耐性のある人種は、四万年前に絶滅したネアンデルタール人の「コロナに対抗する遺伝子」を持っているから、被害が少なかったという説がある。ということは、今後は逆に、日本人やアジア人に大流行する感染症が出現する可能性もある。シベリアの永久凍土が地球温暖化によって解けようとしているが、ここに一億年前冷凍された今の人類とっては新種のウイルスが現れて、パンデミックを起こすかもしれない。実際、今新しいウイルスはどんどん発見されていて、名前をつけるのが追いつかないぐらいだ。世界中のウイルス学者が、このことを懸命に研究している。
ウイルスに対抗するには
免疫力を上げるしかない
免疫力を上げるしかない
約五億五千万年前に目に見える生物が生まれてから、地球は凄まじい数の生物が息絶える「大量絶滅」を五回経験している。大量絶滅の後、生き残った種は爆発的な繁栄を迎える。哺乳類もそうして種類と数を増やしてきたのだ。人類が今後絶滅する要因として、感染症は確実に三本の指に入る。多くの種類を持ち、様々に変異するウイルスに対して人類はどう対抗すればいいのか。敵が不特定多数の場合は、逆に対策はシンプルになる。自分自身の免疫力を上げるしかないのだ。免疫力に相関関係を持つファクターはいろいろあるが、重要なのは心の在り方だ。一般的に将来にネガティブな患者は、どんな病気でも重症化しやすく、回復が遅れる。新型コロナの場合も不安になれば、免疫力が落ちてしまう。今大切なのはメンタルを強くすることであり、国策としてポジティブな情報を重視して、ネガティブな情報を抑える必要がある。ワクチンで不妊になる等というデマも、国が積極的に否定するべきだ。
免疫が十分にあれば、ウイルスは怖くない。このことを無視してウイルスの脅威を煽るのはメディアの暴走であり、この恐怖の洗脳から日本社会はまだ覚めていない。ウイルスや細菌がないと人類は生存できない。風邪の原因となるライノウイルスは、人間の遺伝子にエラーを生じさせるが、これによって人間の体はより強くなる。エラーのない体は危険で、長い人生で病に苦しんだことがない人が、いざ病院にやってくると身体中にガンが転移していたということもある。一病息災がいいのだ。また、抗生物質はウイルスには効かない。抗生物質は細胞壁を壊すことで効果があるのだが、ウイルスは細胞壁を持たないからだ。人間の免疫システムを凌駕する薬はなかなか作ることはできない。
免疫が十分にあれば、ウイルスは怖くない。このことを無視してウイルスの脅威を煽るのはメディアの暴走であり、この恐怖の洗脳から日本社会はまだ覚めていない。ウイルスや細菌がないと人類は生存できない。風邪の原因となるライノウイルスは、人間の遺伝子にエラーを生じさせるが、これによって人間の体はより強くなる。エラーのない体は危険で、長い人生で病に苦しんだことがない人が、いざ病院にやってくると身体中にガンが転移していたということもある。一病息災がいいのだ。また、抗生物質はウイルスには効かない。抗生物質は細胞壁を壊すことで効果があるのだが、ウイルスは細胞壁を持たないからだ。人間の免疫システムを凌駕する薬はなかなか作ることはできない。
貧困覚悟で独立を選んだ
ギニアの初代大統領
ギニアの初代大統領
西アフリカの国・ギニアは、大西洋に面し六カ国と国境を接する人口が約一千二百万人の国だ。国土の面積は日本の本州と同じぐらいで首都はコナクリ。国民はプル族等多くの民族から成っていて、それぞれが異なる言語を持っているが、公用語は旧宗主国の関係からフランス語だ。イスラム教が広く信仰されているが、キリスト教や伝統的宗教の信者もいる。
第二次世界大戦後、世界的に植民地の権利が認められていく中、一九四六年からの第一次インドシナ戦争でラオスやベトナム等のアジアの植民地を失ったフランスのド・ゴール大統領は、アフリカの植民地保持のため「フランス共同体」構想を打ち出した。これは植民地各地の一定の自治は認めるものの、外交権限や通貨はフランスに属したままというものだった。一九五八年、このフランス共同体に留まるか完全に独立するか、植民地各地では国民投票が行われ、ド・ゴール大統領が各地を回って説得したこともあって、十三の地域が共同体構想に賛同したが、唯一独立を選んだのがギニアだった。初代大統領となったセク・トゥーレは「隷属の下での豊かさよりも、自由のもとでの貧困を選ぶ」と人々に訴え、国民投票では九割の反対票を得た。西アフリカで最初の独立国家となったギニアだが、フランスからの報復は凄まじく、それまでの経済的援助は即座に打ち切られた。ギニアに在住していたフランス人は、そのまま住み続けるのであればフランス国籍を失うと通告され、さらに家等を破壊された。しかし残ると決めた少数のフランス人は、ギニア独立を様々な形で助けた。ギニアの独立に触発されて、フランス共同体に不満を持つ他の十三の地域も、結局独立の道を選び、フランスの植民地体制は崩壊した。ギニアの人々は、独立を主張したセク・トゥーレ大統領の選択を、誇りに思っている。日本は一九五八年の独立後すぐにギニアを承認、一九七二年に東京にギニア大使館が、一九七六年コナクリに日本大使館が開設された。二〇一七年にはコナクリにJICAのオフィスも開設されていて、ギニアは法律や人権等も、日本から学んでいる。コンデ大統領は運輸大臣時代を含めて四回訪日していて、内二回はTICAD(アフリカ開発会議)出席のためだった。
ギニアではイスラム教の教えから、四人まで妻を持つことができる。サンクン・シラ大使の祖父の時代には、四人の妻は皆同じ家に住んでいた。今は考え方が変わってきていて、例え二人の妻がいても、それぞれ別の家に住んでいる。ギニアでも女性の社会進出が顕著になり、これまでの男性中心の社会が変化していて、四人の妻などは持てない。時代によって、家族の考え方が変わってきているし、そもそもお金がないと複数の妻を持つことはできない。
第二次世界大戦後、世界的に植民地の権利が認められていく中、一九四六年からの第一次インドシナ戦争でラオスやベトナム等のアジアの植民地を失ったフランスのド・ゴール大統領は、アフリカの植民地保持のため「フランス共同体」構想を打ち出した。これは植民地各地の一定の自治は認めるものの、外交権限や通貨はフランスに属したままというものだった。一九五八年、このフランス共同体に留まるか完全に独立するか、植民地各地では国民投票が行われ、ド・ゴール大統領が各地を回って説得したこともあって、十三の地域が共同体構想に賛同したが、唯一独立を選んだのがギニアだった。初代大統領となったセク・トゥーレは「隷属の下での豊かさよりも、自由のもとでの貧困を選ぶ」と人々に訴え、国民投票では九割の反対票を得た。西アフリカで最初の独立国家となったギニアだが、フランスからの報復は凄まじく、それまでの経済的援助は即座に打ち切られた。ギニアに在住していたフランス人は、そのまま住み続けるのであればフランス国籍を失うと通告され、さらに家等を破壊された。しかし残ると決めた少数のフランス人は、ギニア独立を様々な形で助けた。ギニアの独立に触発されて、フランス共同体に不満を持つ他の十三の地域も、結局独立の道を選び、フランスの植民地体制は崩壊した。ギニアの人々は、独立を主張したセク・トゥーレ大統領の選択を、誇りに思っている。日本は一九五八年の独立後すぐにギニアを承認、一九七二年に東京にギニア大使館が、一九七六年コナクリに日本大使館が開設された。二〇一七年にはコナクリにJICAのオフィスも開設されていて、ギニアは法律や人権等も、日本から学んでいる。コンデ大統領は運輸大臣時代を含めて四回訪日していて、内二回はTICAD(アフリカ開発会議)出席のためだった。
ギニアではイスラム教の教えから、四人まで妻を持つことができる。サンクン・シラ大使の祖父の時代には、四人の妻は皆同じ家に住んでいた。今は考え方が変わってきていて、例え二人の妻がいても、それぞれ別の家に住んでいる。ギニアでも女性の社会進出が顕著になり、これまでの男性中心の社会が変化していて、四人の妻などは持てない。時代によって、家族の考え方が変わってきているし、そもそもお金がないと複数の妻を持つことはできない。
輸入するバニラの九割が
マダガスカル産
マダガスカル産
アフリカ大陸の南東の海岸から約四百㎞離れたインド洋に浮かぶ、日本の約一・六倍の面積を持つ巨大な島・マダガスカル島と周辺の島々から成るのが、マダガスカル共和国だ。人口は約二千四百万人で首都はアンタナナリボ、公用語はマダガスカル語とフランス語と、この国もかつてはフランスの植民地だった。アフリカ大陸やインド亜大陸から離れて数千万年の月日が流れているので、他の大陸とは異なるユニークな生態系を維持している。気温が高いように思われるが、暑くても気温は三十五度程度までしか上昇しない。十一~三月は雨季で気温も湿度も高く、四?五月は乾季となって気温が低く、乾燥する。一九五八年に共和国宣言を行って、一九六〇年にフランスから独立したが、日本はそれをすぐに承認、一九六八年にアンタナナリボに日本大使館を開設した。東京にマダガスカル大使館ができたのは、一九六九年のことだ。
マダガスカルの重要な輸出産品はバニラだ。バニラは、アイスクリームや洋菓子はもちろん、香水や高級料理に広く使われている香料だが、十九世紀前半にマダガスカルに近いレユニオン島で人工受粉法が開発され、それがマダガスカルに伝わって、一大産地となった。現在では世界の市場に出回るバニラの八〇%がマダガスカル産で、日本が輸入するバニラの九割がこれだ。七年前からのバニラブームで需要が増加、二〇一七年のサイクロンによる被害でマダガスカルの生産量が減ったこともあって、バニラの価格は世界的に高騰している。日本のバニラの輸入価格は十年前一㎏三千九百円だったが、二〇二〇年は一㎏三万八千円と約十倍になっている。他の産地のバニラを使うケースも増えているが、収穫後の発酵・乾燥という工程に技術を要するバニラの場合、品質の高いマダガスカル産を味の変化を恐れて高値でも使用する日本のメーカーや洋菓子店は多く、当面この高値は続くと見られている。一方マダガスカル国内では、バニラ景気で生産地域が潤っているが、それに伴う社会問題も発生してきている。
二〇二二年にはTICAD8がチュニジアで開催される予定だ。チュニジアは二〇一〇年から始まった「アラブの春」の発端となった国だが、その直前に代表とホテル社長はこの国を訪れている。アラブの春による政変も今はすっかり落ち着いていて、首都チュニスを中心に歴史があり経済発展も続く国として、賑わいを取り戻しつつある。
マダガスカルの重要な輸出産品はバニラだ。バニラは、アイスクリームや洋菓子はもちろん、香水や高級料理に広く使われている香料だが、十九世紀前半にマダガスカルに近いレユニオン島で人工受粉法が開発され、それがマダガスカルに伝わって、一大産地となった。現在では世界の市場に出回るバニラの八〇%がマダガスカル産で、日本が輸入するバニラの九割がこれだ。七年前からのバニラブームで需要が増加、二〇一七年のサイクロンによる被害でマダガスカルの生産量が減ったこともあって、バニラの価格は世界的に高騰している。日本のバニラの輸入価格は十年前一㎏三千九百円だったが、二〇二〇年は一㎏三万八千円と約十倍になっている。他の産地のバニラを使うケースも増えているが、収穫後の発酵・乾燥という工程に技術を要するバニラの場合、品質の高いマダガスカル産を味の変化を恐れて高値でも使用する日本のメーカーや洋菓子店は多く、当面この高値は続くと見られている。一方マダガスカル国内では、バニラ景気で生産地域が潤っているが、それに伴う社会問題も発生してきている。
二〇二二年にはTICAD8がチュニジアで開催される予定だ。チュニジアは二〇一〇年から始まった「アラブの春」の発端となった国だが、その直前に代表とホテル社長はこの国を訪れている。アラブの春による政変も今はすっかり落ち着いていて、首都チュニスを中心に歴史があり経済発展も続く国として、賑わいを取り戻しつつある。