モハメッド・アルブサイディ氏
1968年生まれ。1992年スルタン・カブース大学(SQU)で物理学学士号取得、1995年アメリカ・ペンシルベニア州立大学で物理学修士号取得、2001年イギリス・ラフバラ-大学で物理学博士号取得。1992年よりスルタン・カブース大学物理学部で教鞭を取る。2009年に外務省に入省、平和的核技術室大使や北米局長を歴任、2018年12月より現職。また2021年2月より駐オーストラリア大使も兼任(非居住)、2021年5月に次期駐ニュージーランド大使に任命(非居住)される。
君主制の国・オマーン
元谷 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。以前一度、大使館を訪問して、奥様の手料理をご馳走になったことがあります。非常に料理がお上手で美味しく、楽しいひと時を過ごさせていただきました。
アルブサイディ 今日はお招きいただき、ありがとうございます。私はそういう料理上手な素晴らしい女性の夫で、大変幸せです(笑)。
元谷 以前からアルブサイディさんをビッグトークにお誘いしたいと考えていたのですが、このタイミングになりました。私達日本人は「中東」と聞くと騒乱が多いイメージがあるのですが、オマーンは戦争も内戦もなく、平和だと聞いています。今のコロナ騒ぎが終息すれば、一度は行ってみたいと思っています。またこの月刊Apple Townの読者も、オマーンという国についてよく知らない人が大半です。今日は私や読者に、オマーンがどんな国か、いろいろと教えていただければと考えています。
アルブサイディ オマーンは非常に平和な国です。近隣諸国とは国境争いもなく良好な関係を築いています。カブース前国王が特に賢明な方で、早い段階から全世界および近隣諸国と友好関係を結ぶことに注力され、同時にあらゆる紛争から距離を置かれました。その成果として、今私達は長く続く平和を享受しています。そのカブース前国王が二〇二〇年一月に崩御され、ハイサム国王が即位されましたが、全く同じ平和路線の維持に注力されています。日本の安倍前首相も、在任時の二〇一四年一月と二〇二〇年一月の二度に亘ってオマーンを訪問されています。最初の時はカブース前国王と会談、二度目の時にはハイサム現国王と会談されて、カブース前国王への弔意を示されました。
元谷 私は安倍氏が首相になる前、彼を首相にする会の副会長でした。二度目の首相在任時には、日本のために様々な施策を行い、長期政権を築いたのですが、病気の再発で辞任せざるを得なかったのは大変残念でした。まずは、オマーンの基本的な情報から教えていただけますか。
アルブサイディ はい。オマーンはアラビア半島の東端にあり、オマーン海、アラビア海に面した長い海岸線を持っています。面積は日本に比べて約八五%ですが、人口は約四百五十万人と少ないです。首都のマスカットは、港湾都市として長い歴史を持っています。公用語はアラビア語で、宗教はイスラム教です。スルタンと呼ばれる国王が政治を行う絶対君主制をとっています。カブース前国王が一九七〇年に即位、それまでの鎖国政策を転換して、国連加盟、経済成長の推進、議会の設置等で国を近代国家へと成長させてきました。カブース前国王が毎年の地方巡幸に出られたことが、国民が求めるものを理解した極めて優れた為政を可能にしました。
元谷 アルブサイディさんの雰囲気からも、安定して豊かなオマーンの様子が伝わってきます。石油と天然ガスを産出する国ということもあるのでしょうが。
アルブサイディ オマーンの原油確認埋蔵量は四十五億バーレル、天然ガス確認埋蔵量は二十四兆立方メートルで、両方とも今の生産率でも長年持つ埋蔵量です。アラビア半島は産油国の多いエリアですが、湾岸六カ国(バーレーン王国、クウェート国、オマーン・スルタン国、カタール国、サウジアラビア王国、アラブ首長国連邦(UAE))だけで、世界の原油埋蔵量の三〇%を保有していると言われています。ただ、今オマーンは、石油と天然ガスのみに依存するのではなく、経済を多様化しようと努めているところです。その一つは観光になるでしょう。オマーンは世界で一番古い国家の一つで、実際、アラブ世界では一番古い独立国家なのです。世界文化遺産に登録されている「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」は、紀元前二千~三千年前にこの地にあった国が、銅を採掘してメソポタミアと交易を行っていたことを示しています。また国内に五百以上ある歴史的な城塞の一つがバハラ城塞で、国内に数ある世界遺産の一つです。これは十二~十五世紀に建造されたオアシス都市で、全体が約十三キロメートルの城壁に囲まれている姿が壮観です。
「乳香」等の交易で栄える
元谷 以前、オマーンは広いエリアを治めた海洋帝国だったとお聞きしました。
アルブサイディ その通りです。オマーンの数々の港は交易の要所であり、二千年以上の歴史を持っています。一部の地域は一時期ポルトガルの支配下に入りますが、その後十七世紀半ばから十九世紀にかけて、周辺一帯で大帝国を築いていました。オマーンからアジアへも、二世紀頃から中国へと続く「海のシルクロード」を通じて交易が行われていて、その痕跡が至るところに残されています。シンガポールにあるマリタイム・エクスペリエンシャル・ミュージアムはこの「海のシルクロード」の歴史を伝える博物館で、オマーンで建造されてシンガポールまで航海していた当時の交易用木造帆船・ダウ船が展示されています。
元谷 中世まではアラブ世界の方が技術や文化が進んでいて、交易を通じて様々なものがヨーロッパに流入したのでしょう。一般的にはヨーロッパから中東へ文化が流れたと考えられがちですが、時代によっては違うかと。
アルブサイディ その通りだと思います。
元谷 近代になって地下資源の開発が進み、産油国として歩んできた…ということでしょうか。
アルブサイディ それは多面的なオマーンという国の一面でしかありません。本を一ページ読んだだけでは内容はわかりません。全ページを読まないと。歴史や今の取り組みも含め、もっとオマーンの別の面も見て欲しいと思っています。
元谷 日本との関係は古いのでしょうか。
アルブサイディ 一九七〇年の鎖国政策転換後の一九七一年に日本はオマーンを国家として承認し、一九七二年に外交関係を結んでいます。来年の二〇二二年はそれから五十周年にあたり、日本とオマーンにとって特別な年になるでしょう。また日本との不思議な縁もあります。カブース前国王とハイサム現国王の両方の祖父であるタイムール・ビン・ファイサル元国王は、一九三二年、四十代で息子に王位を譲られて退位、一九三五年に日本を訪れ、そこで後に日本人女性と幸せに結婚し、一女をもうけられました。このタイムール元国王の王女は今でもオマーンで健在です。
元谷 また日本と同じように、長い王朝を持っているというイメージもあります。
アルブサイディ はい。今のブサイディ朝は一七四四年に設立されました。日本と同じように歴史から多くの教訓を学んできた、成熟した国家です。オマーンの国策は日本と非常によく似ています。他国と良好な関係と平和を維持することを重視し、戦争は持続可能な解決策ではなく困難をもたらすと考えます。ゆえに、私達は常に対話と外交を通じて争いごとを解決する努力をしています。
元谷 その通りだと思います。
アルブサイディ 地図を見ればわかりますが、オマーンは世界の中でも、ヨーロッパ、アフリカ、アジアの結節点にある要衝なのです。地球上で最も戦略的に重要な場所に国があることは、私達にとって非常に幸運なことだと思っています。海に対して開かれていますから、自由に世界と繋がることができるのです。このこともあって、オマーンは歴史的にも今日でも、地球上の全ての人々と良い関係を築いており、どの国とも交易等経済関係の深化を推進し続けています。また、戦略的に重要な位置にあることを生かして、オマーンだけではなく多くの友好国のためになる行動をとっているのです。
元谷 そのスタンスには非常に感銘を受けます。それも豊かな国だから発想できることで、貧しい国では難しいでしょう。
アルブサイディ そうかもしれません。ただオマーンの富は石油や天然ガスだけではありません。私は、本当の富は国民だと思っています。教育水準が非常に高く、高等教育を受ける人の割合も高いのです。このことは、私の強い誇りでもあります。
元谷 カブース前国王の方針が教育重視だったからなのでしょうね。
アルブサイディ はい、その通りです。現国王もそうなのですが、穏やかで優しい国王を頂けることは、オマーンという国にとって非常に恵まれたことだと思っています。
元谷 アラビア半島等湾岸諸国は、第二次世界大戦前後の石油や天然ガスの発見から開発が進み、それによる収入で潤ってきました。石油が発見される前のオマーンのメインの産業は、何だったのでしょうか。
アルブサイディ 先程お話したようにオマーンは海洋国家でアジア、アフリカ、ヨーロッパの結束点でしたから、やはり交易が盛んだったのです。オマーンからの輸出品で最も有名なのは「乳香」でしょう。これは乳香樹と呼ばれる樹木から分泌される乳白色の樹脂のことで、古くから高価な香料・薬剤として珍重されてきました。同じ重さの金よりも高価だった時代もあります。特にドファール地方のものは品質が高いとされ、数千年に亘り重要な交易品としてヨーロッパやアジアに輸出されてきました。このドファールの乳香交易にまつわる遺跡も「乳香の土地」として、世界文化遺産に登録されています。農産物ではレモンやナツメヤシも収穫されます。また、オマーンは三千キロメートルを超える海岸線を持つ国ですから、マグロからロブスター、タコまで、あらゆる種類の海産物を捕ることができるのです。魚を干したものも、古くからオマーンから輸出されていました。さらにオマーンは、最古のナツメヤシの産地としても知られています。
緑が広がるエリアも
元谷 オマーンの気候はどうなのでしょうか。
アルブサイディ 中東の国というと砂漠ばかりのイメージがあると思いますが、例えば標高が三千メートル近くある「緑の山」という意味のジャバルアフダル山等、一部の場所では雪が降ります。夏は気温が二十℃程度のそれら山岳地帯へは首都から車だと一時間半で行くことができます。標高三千メートルにも及ぶ断崖絶壁の上には、高級リゾートホテルも複数あるのです。また南に飛行機で一時間飛べば、夏でも気温が十八℃位の場所もあります。オマーンの南部はモンスーン気候で、緑が非常に豊かで川も滝も湖もあります。そこには活気がある人気の港町サラーラや自由貿易区もあります。首都から南へ車で五時間行けば、ドゥクムの町もあります。そこは白い砂浜、ターコイズブルーの海、驚くべき奇岩群、そして夏でも気温が三十三℃を超えることがない過ごしやすい温度が人気で、観光地として開発されています。特筆すべきは、ドゥクムにはメガプロジェクトとして戦略的に開発された経済特区が設立されている点で、そこには巨大な港湾施設や最新式のドライドック、環境に優しく超近代的な産業開発区、そして驚くべき投資機会が存在します。オマーン観光のベストシーズンは、マスカット等北部は十一~三月の冬期、ドファール地方は緑が満ち溢れる夏期ですね。六月~八月の気温は十八~二十℃ぐらいです。
元谷 山岳地帯であればかなり涼しく、オマーンの全てが年中暑いわけではないのですね。
アルブサイディ もちろん、特に砂漠の一部の場所等、多くの場所は暑いですが、緑が多く冷涼な場所も多いのです。マスカットの一部の場所や他の多くの地域が自然保護区になっていて、豊かな自然と様々な種類の野生動物が守られています。
元谷 ヨーロッパから観光客が来るような有名なリゾート地はありますか。
アルブサイディ マスカットにある海に面した白亜のホテルから、ワヒバ砂漠の真ん中にあるベドウィンスタイルのリゾート、切り立つ岩山と海に囲まれた秘境リゾート等、様々なロケーションのリゾートがあります。リストをお送りしますよ。しかし、豪華なリゾートホテルはたくさんあるのですが、アパホテルのようなビジネスホテルは少ないのです。今回このApple Townに掲載していただき、多くの日本人にオマーンの存在を知ってもらい、観光としてはもちろん、ビジネスの投資先としてオマーンに来て欲しいと願っています。私がオマーンを日本人に強く勧めるには理由があるのです。オマーン人は日本人と驚くほどよく似ているのです。非常に慎み深く、他人に対して気を遣って親切なのですが、いざという時には一致団結して事に当たります。
元谷 それは素晴らしいです。一度オマーンを訪れて、いろいろな方とお話をしてみたいですね。
アルブサイディ 是非お越しください。また代表には、オマーンでのアパホテル建設の可能性もぜひ検討していただきたいです。日本人旅行者を誘致できるアパリゾート建設の可能性について調査してみてください。
絶対不可侵の原則だ
元谷 オマーンはUAEとサウジアラビア、そしてイエメンと国境を接しています。日本も韓国や中国と近接しているのですが、国が異なれば考え方も違い、いろいろと軋轢が生まれてきています。私は隣り合わせの国々はそういうものだという意識があるのですが、オマーンではどうなのでしょうか。
アルブサイディ その点、オマーンはとてもユニークです。周辺国を全て兄弟だと考えていて、どの国とも良い関係を築いています。
元谷 近隣の国々との協力関係も密接だということは、様々な国家の連合体に所属しているのでしょうか。
アルブサイディ 近隣諸国間では常に良好な関係が維持されており、それが一九八一年の湾岸協力会議(GCC)の設立に至りました。UAE、バーレーン、クウェート、カタール、サウジアラビア、オマーンの六カ国で構成されています。さらに一九四五年からの歴史がある二十一カ国と一機構から成るアラブ連盟には、一九七一年に加盟しました。オマーンとしては、アラブの同胞諸国は全て親密な兄弟国だと考えていますから、仲良く共存共栄できることを常に考えています。
元谷 ただそのアラブ諸国の中でも、例えば石油の産出量で貧富の差等社会情勢の違いが、かなりあるのではないでしょうか。
アルブサイディ どの国もそれぞれ固有の問題を抱えているかもしれませんが、遡れば素晴らしい歴史を持っているのです。世界中のどの国も、必ず困難な時代を迎えているのですが、そこから力強く再興しています。ですから私達は今の状況に囚われず、国家間は常に尊敬の念を持ち合って、友情を深めながら関係を構築していくべきだと考えています。物質的なものではなく、精神的な繋がりが本当の価値なのです。
元谷 素晴らしい考え方だと思います。しかし日本と韓国、中国との関係は、それだけではなかなか難しく…。
アルブサイディ 私は国家の関係は手と指のようなものだと思っています。それぞれ形は違っても、手全体としてはどの指も大切なのです。国同士は、必ずしも合意に達する必要はありません。ただ相互尊重は、絶対に破られてはいけない原則ではないでしょうか。
元谷 その通りですね。アラブ諸国の場合、豊かな国は貧しい国の支援をしているのでしょうか。
アルブサイディ 様々な支援を行っていますが、あまりメディアに積極的に公表をしていません。また、そのような支援を行う場合には、常に国連のプログラムに沿って行っています。
元谷 喧伝することなく、着実に援助を行っているということですね。
アルブサイディ それらの援助を受けて試練を乗り越え、再興していく国々を私達は素晴らしいと考えています。様々な試練を克服して、これだけの繁栄を手にしている日本は、奇跡を起こした存在であり、オマーンからは尊敬の対象でしかないのです。
元谷 日本は資源がないのに、人間が生み出すアイデアや技術でものづくり大国となり、資産を蓄えて豊かな国となりました。
アルブサイディ 本当に日本人の存在は素晴らしいことです。日本人が成し遂げた奇跡は、今でも世界にインスピレーションと希望を与えています。
元谷 私は日本の強みは教育だと考えています。江戸時代からの藩校、寺子屋で行われた基礎教育が、明治維新以降の教育水準の高さを下支えしました。その教育重視の姿勢は、今でも変わりません。日本人が誰でも暗算が早くて、お釣りをすぐに計算することができるのも、この成果でしょう。
アルブサイディ 全く同感です。オマーンでも中東諸国でも、教育を非常に重視しています。一九七〇年にカブース前国王は最初の演説で「木陰においてでも教育が行われるべき」と、私達の教育に対する強いモチベーションを止めるものは何もないと主張されました。その当時、オマーンには基礎教育の学校は二つしかなく、高等教育機関である大学は存在していませんでした。しかし今は、何千もの学校、何十もの大学があります。このことをオマーン人は、皆誇りに思っているのです。
元谷 国に誇りを持つことは大切ですね。最後にいつも、「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
アルブサイディ 人は金持ちであることと、豊かであることを混同しがちです。しかし貧しいけれども豊かという人も存在します。豊かさの源泉となる本当の富は、持続的な学びから生み出される知識でしょう。お金を奪うことはできますが、これらの知識を奪い取ることはできません。教育による知識によって、科学を信じる合理的な精神が養われてきたために、日本はこれだけの成功を収めた国となったのだと思います。また、代表やホテル社長とお会いしていると、精神的な豊かさを感じます。代表だけではなく、代表のために働いているスタッフの皆さんからも、豊かさを感じるのです。これが本当の富だと私は感じています。
元谷 今日は本当に素晴らしいお話を、ありがとうございました。
アルブサイディ ありがとうございました。