プロホロフ よろしくお願いします。実は、張作霖の件は『GRU帝国』には書いていないのです。2002年頃、軍の新聞に初めて張作霖爆殺事件に関する記事を書き、その後2004年に出版した『KGB ソビエト諜報部の特殊作戦』という本の中で、張作霖を殺したのは誰かという一節を書いたのです。
元谷 これがその『KGB ソビエト諜報部の特殊作戦』という本なのですね。ロシアでは何部売れましたか?
プロホロフ 合計で55,000部売れました。
元谷 ロシア以外でも出版されたのですか?
プロホロフ 私や共著者のアレクサンドル・コルパキヂも知らなかったのですが、ドイツで出版されたと聞いたことがあります。それ以外はわかりません。
元谷 本の内容としては、どのようなことが書かれているのでしょう?
プロホロフ ロシア以外で行われた、KGBが関与した事件について書いています。張作霖の事件はその一つです。張作霖のプロフィールに加え、なぜソ連が彼を暗殺しようと考えたか、1928年6月の爆殺とその2年前にあった暗殺未遂事件について記述しています。
元谷 未遂事件があったのは知りませんでした。2回にわたってソ連が張作霖を殺そうと思った理由は、何なのでしょうか?
プロホロフ 当時の中国の権力者は、共産党を支持するものと、張作霖のように反対するものに分かれていました。張はロシアの反革命軍である白軍の支援をしていました。さらに東清鉄道を巡って、張とソ連は決定的に対立していたのです。
元谷 そういう背景があったのですね。当時の特務機関の活動を、プロホロフさんはどうやって知ることができたのですか?
プロホロフ 歴史の本や当時の新聞などの記事、その他資料を読み込んだり、他のジャーナリストと情報を交換したりして、調べていきました。 歴史家のヴォルコゴノフ氏の本の中で、ナウム・エイチンゴンという諜報員が張作霖事件に関係があったという記述を見つけたのが、私の研究の出発点です。
元谷 先にソ連の関与を指摘した人がいたのですね。
プロホロフ そうです。1926年9月の張作霖暗殺未遂事件は、クリストフォル・サルヌインというラトビア人のソ連の工作員が、ブラコロフという実行者を使って、奉天の張作霖の宮殿で彼を爆殺する計画でした。これは中国当局に発見されて失敗します。1928年の爆殺も実行の指揮をしたのは、サルヌインだと考えられます。 どうも彼と繋がっている人間が、日本軍の中にいたようです。
元谷 関東軍の中にソ連の特務機関の手先がいたということですか?
プロホロフ サルヌインだけではなく、他のソ連の工作員のエージェントも関東軍に入り込んでいました。これは事実です。
元谷 サルヌインは最初から日本軍の仕業にみせかけるために、日本人の実行者を使ったということでしょうか?
プロホロフ そうです。日本軍に属していたエージェントが、サルヌインの指令を受けて、爆弾を仕掛けたと考えられます。
元谷 先ほど名前がでたナウム・エイチンゴンという諜報員は、トロツキー暗殺を指揮したことで知られています。彼とサルヌインは、共同して爆殺に関与したのですか?
プロホロフ モスクワの命令で、別々に関与したと思われます。所属していた組織も異なりました。サルヌインは軍の特務機関であるGRUの所属だったのですが、エイチンゴンは政治的な特務機関であるKGBに属していました。1924~29年のみ、この2つの機関が一緒に活動したことはありましたが、この2人に関係があったかどうかはわかりません。
元谷 1927年に、張作霖は満州への共産主義の侵入を防ぐために、自分の軍隊を使って、ソ連の大使館員らを拘束しています。暗殺はこれに対する報復だったのではないでしょうか?
プロホロフ それも理由の一つでしょう。
元谷 イヴァン・ヴィナロフという人をご存知ですか?
プロホロフ はい、知っています。彼もサルヌインの部下の一人です。
元谷 ヴィナロフは、張作霖爆殺時に隣の車両に乗っていたという話があるのですが。
プロホロフ それは初耳です。ヴィナロフの調査もかなり行ったのですが、彼が張作霖の事件に関与しているという資料はありませんでした。ヴィナロフはもともとブルガリア人で、事件当時中国にいたのは、確かなのですが。
元谷 彼は後に『秘密戦の戦士』という自伝をブルガリアで出版しているのですが、その中には張作霖の隣の車両に乗っていて、事件直後に撮影したという写真が掲載されています。1920年に上海でゾルゲに会ったとも書いています。
プロホロフ 本のことも、ゾルゲのことも、初めて聞きます。ヴィナロフはサルヌインの一番大切な部下でしたから、爆殺しようとする人間の隣の車両に乗せるかどうか・・・。
元谷 爆弾がどこに仕掛けられていたかに関しても、いろいろな説がありますね。貨車の天蓋が破れた写真が残っていますが、それから考えると、爆発は明らかに車内で起こったはずです。しかし定説では、立体交差の上側の線路の橋脚に爆弾が仕掛けられたとされています。プロホロフさんは、どこに爆弾があったと思いますか?車内か、橋脚か、それとも線路の上だったのか?
プロホロフ 私は爆弾の専門家ではないので・・・。しかしヴィナロフが隣の車両にいたという話が本当であれば、彼の安全を考えると、爆弾は車内にあったと考えるべきでしょう。
元谷 動いている列車の一両だけを外から狙って爆破するのは、大変難しい。全部の車両を吹っ飛ばすのなら、例えば金正日を狙って北朝鮮の龍川駅で起こった爆発のように、800 トンものTNT(高性能爆薬)を使ってなら実行可能でしょう。しかし張作霖爆殺のように、わずか300キロの黄色火薬ではそこまでの爆発は期待できません。橋脚に仕掛けたとすると、確実性が非常に低い手段をとったことになります。また線路の下で爆発したのであれば、車両は脱線しているはず。これらを考えると、私も車内に爆弾があったというのが、一番理に適っていると思います。
プロホロフ そうですね。
元谷 事件の直後ですが、イギリスの陸軍情報部極東課が本国に、「ソ連の工作だ」という報告をしたともいわれています。日本政府が「関東軍の仕業」と発表したので、改めて再調査をしたそうですが、それでも結論は「ソ連の工作」で変わらなかったというのですが・・・。
プロホロフ 英語の資料は手に入らないので、その話の詳細は知りません。
元谷 ソ連では日本の犯行と考えられていたのですか?
プロホロフ そうです。そして東京裁判でも、日本人の実行者や命令者の証言があり、関東軍犯行説が定説化していったのです。しかし東京裁判でも、ニュールンベルグ裁判でも、ソ連は自国の国益のために、日本人を含む多くの証人に偽証をさせているのです。これらの裁判の証言を信用してはいけません。
元谷 東京裁判において張作霖爆殺は、河本大佐の指示によって行われたとされました。しかし裁判当時中国の太原収容所に収監されていた河本本人を、中国は出廷させていません。彼が本当に指示を出しているのなら、裁判で証言させた方が中国側に有利なはずです。この対応からも、私は謀略戦の匂いを感じます。
元谷 ところでいろいろな調査の結果、この張作霖の事件はソ連特務機関の犯行という結論に達したということだと思うのですが、何か決定的な物証はあったのでしょうか?特務機関は工作にあたって、文書を残さないという話を聞いたことがあるのですが・・・。
プロホロフ 張作霖の事件への特務機関の関与を直接示すような書類などは、発見されていません。未遂事件を含め、さまざまな状況から、私はそれを確信したのです。もちろん資料が存在するケースもあります。例えば1925年にブルガリアで行われた工作の書類は、コミンテルンの古文書保管所で発見されました。工作員も何かを報告しなければ、お金を得ることができません。ですから、紙の形で工作の証拠が残っているケースは多いと思います。
元谷 では、張作霖爆殺関連の証拠も、どこかに残っている可能性があるのでしょうか?
プロホロフ そうですね。あるとしたら、ロシア大統領の古文書保管所でしょうか。私に研究のきっかけを与えたヴォルコゴノフ氏であれば、何か知っていたでしょうが、もう亡くなってしまいました。
元谷 プロホロフさんが出した結論については、私もまったく同意見なのですが、日本でソ連特務機関犯行説を主張する場合には、例えば書類が残っているとか、誰かが証言をしたとか、そういった証拠があれば、納得させやすいのですが・・・。
プロホロフ ただいえることは、私が新聞や本で主張したこの説に対して、「間違っている」と反論をした人は一人もいないのです。
元谷 なるほど。反論ではなく、脅かされるなど、危険を感じたことはありませんか?
プロホロフ ないですね。もっと激しいことを書いたことがあります。プーチンの友人が、工場から国家財産を盗んでいるというストーリーです。
元谷 大丈夫だったのですか?
プロホロフ 雑誌に記事を出すことができなくなりました。5年間、ペンネームを使って、今のロシアに関する記事をいろいろと書いていたのです。しかし編集者に「もう限界」といわれまして・・・。
元谷 本や雑誌に書いたことは、100%正しいと思っていますか?
プロホロフ 100%正しいかどうかはわかりませんが、自分の中で疑問あれば、そんなことは絶対に書きません。
元谷 なるほど。ところで、『マオ―誰も知らなかった毛沢東』の作者であるユン・チアン氏からは、何か連絡があったのですか?
プロホロフ 何もありませんでした。
元谷 『マオ・・・』に引用されたことで、多くの人がプロホロフさんとその著書を知ることになりました。日本をはじめ、世界中から取材がたくさんあったかと思うのですが、産経新聞の内藤モスクワ支局長の取材は、どんな感じだったのでしょうか?
プロホロフ 張作霖の部分についての取材は、内藤さんからだけでした。あとブルガリアとオーストリアから、私の本のそれぞれの国に関する部分について、取材を受けました。この3つがすべてですね。内藤さんとのお話は、今日のように張作霖事件に関する私の見解についてがほとんどでした。
元谷 プロホロフさんが非常に大事な指摘をされているのに、日本からの取材がそれ一つというのは、私にはとても不思議なことに思えます。張作霖の爆殺後、息子の張学良は1936年の西安事件で蒋介石を監禁、この事件がその後の第二次国共合作による抗日戦へと繋がっていきます。張学良のバックにソ連がいたという説があるのですが。
プロホロフ 私の知っている限り、張作霖の息子とソ連は関係がありません。
元谷 では、中国共産党の毛沢東の画策によって、日本は中国との戦線を拡大させていったということですね。ソ連も特務機関を使って、日本を中国からアメリカ、イギリスとの戦いに向かうようにし、シベリア方面の安全確保を図ったのではないでしょうか。日米開戦時にチャーチルが「これで戦争に勝った」と喜んだ話は有名ですが、ソ連も同じようにうれしかったでしょう。
プロホロフ そうかもしれません。ただ、東から西への大規模な軍の移動というのは、ありませんでした。強兵で知られていた極東のソ連軍は、配備されたままでした。
元谷 東側の脅威が少なくなって、対ドイツ戦に専念、勝利を掴んだということは推測できます。
プロホロフ そうですね。
元谷 私の知っているプロホロフさんの著作は、『GRU帝国』、『KGB ソビエト諜報部の特殊作戦』、『ロシアの対外諜報』です。しかしプロホロフさんの本は、まったく日本では出版されていません。これまでに何冊本を書いたのですか?
プロホロフ 12冊です。
元谷 共著者であるアレクサンドル・コルパキヂさんとは、どういう役割分担なのでしょうか?
プロホロフ 私の役割は書くこと。アレクサンドルは出版社との関係を築いたり、大切な金銭関係のやり取りを担当していました。
元谷 そういう関係なのですね。私は今、「真の近現代史観」を広める活動を行っています。今日本で教えられたり、報道されたりしている歴史は、真実ではありません。その結果、国民は自国に誇りと自信が持てず、中国などに謝罪外交を繰り返しているのです。昨年、「真の近現代史観」の懸賞論文を募集したところ、航空幕僚長の田母神さんが『日本は侵略国家であったのか』という論文で応募し最優秀賞を獲得、大変話題になりました。田母神さんの論文にも、『マオ・・・』からプロホロフさんの張作霖の爆殺は日本軍の仕業ではないという説が引用されています。このことは日本人にとって、非常に重要な指摘なのです。それなのに、日本からの取材が一件というのを聞いて、がっかりしました。プロホロフさんは、この無関心さをどう思いますか?
プロホロフ 日本でもロシアでも同じですが、どの国も認められた歴史を修正することに興味が薄いですね。国の安定を損なう感覚があるからでしょう。私も東京裁判の結果を見直すことに、何か意味があるとは思えません。
元谷 日本は東京裁判史観に苦しんでいるのです。「日本が侵略戦争を始めた」という嘘の歴史を 基に、中国や韓国、アメリカが日本をいまだに貶めているのです。
プロホロフ 第二次世界大戦を日本が始めたということではないでしょう?あの大戦は、ヨーロッパで始まったものです。
元谷 もちろんそうですが、アジアでの第二次世界大戦の端緒となったのは日中戦争であり、その発端が張作霖の爆殺だとみなされてきたのです。これが日本軍ではなくソ連の特務機関の仕業だとなれば、日本が中国大陸を侵略しようとしたというこれまでの定説がその根拠を欠き、大きく揺らぐことになるのです。
プロホロフ そういう意義があるのですね。よくわかります。
元谷 プロホロフさんは本当によく調べられていて、その努力に敬意を表します。できれば、調査を続けられて、日本向けに日本に関する事件だけをまとめた本を書いてもらえないでしょうか?出版権を買って、翻訳して日本で本として出したいと思うのです。また、その本の中に、張作霖爆殺がソ連特務機関の犯行であることを示す具体的な証拠が入っていると、なお良いのですが・・・。
プロホロフ わかりました。さらにいろいろと調べてみます。ただ執筆のみに集中しても、半年ぐらい時間がかかると思います。
元谷 よろしくお願いします。また日本にもぜひ一度来てください。日本の歴史家とディベートする機会があれば、また何か得るものがあるのではないでしょうか?
プロホロフ いろいろ情報交換ができそうですね。
元谷 プロホロフさんの今後の執筆活動に期待しています。今日はありがとうございました。
プロホロフ ありがとうございました。
ドミトリー・プロホロフ氏
11961年レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)生まれ。ソ連国立ゲルツェン記念名称教育大学歴史学部卒業。旧ソ連、ロシアの特務機関に関する著作を多数執筆。著書に『GRU帝国』『KGB ソビエト諜報部の特殊作戦』『ロシアの対外諜報』などがある。