日本を語るワインの会209

ワイン209二〇二○年十月十四日、代表邸で恒例「日本を語るワインの会」が行われました。二〇〇八年の独立から十二年が過ぎたコソボ共和国臨時代理大使のエニス・ジェマイリ氏、大手企業のサイバーセキュリテイを担当する日本サイバーディフェンス株式会社代表取締役社長のカータン・ジョセフ・マクラクリン氏、大学生が制作し全国の大学に配布するビジネス紙を企画するTOP CONNECT株式会社代表取締役の内田雅章氏、国内外の顧客のネット上のブランドイメージを守る株式会社ブランドコントロール代表取締役の井原正隆氏をお迎えし、ビジネスからアメリカ大統領選挙まで様々な話題で盛り上がりました。
コソボと日本の共通点は
トイレの専用スリッパ
 いよいよ十一月三日のアメリカ大統領選挙が迫ってきた。投票日三週間前の世論調査では、民主党のバイデン候補が支持率で一〇ポイント程度リードしているが、トランプ大統領が再選されないと日本も困る。トランプ支持者は人前ではなかなか正直には言わないので、世論調査の正確性には疑問がある。投票日直前に新型コロナウイルスへの感染が発覚したトランプ大統領だが、すぐに復帰して選挙活動を再開できたのは良かった。超一流の医療チームが彼の治療にあたったことは想像に難くない。今後の挽回が望まれる。
 コソボ共和国は二〇〇八年にセルビアから独立した若い国で、国民の平均年齢も約三十歳とこれまた若い。日本駐在の臨時代理大使のジェマイリ氏も三十四歳で大変若い。国土の面積は日本の岐阜県ぐらいで人口は約百八十万人、首都はプリシュティナだ。国民の九割以上がアルバニア人で、彼らはイスラム教を信じている。公用語としてアルバニア語とセルビア語が使われる。コソボを歴史的に有名にしたのは、一三八九年にセルビア王国とオスマン帝国が戦った「コソボの戦い」だ。歴史のある国であり、日本は独立後いち早くこの国を承認、二〇二〇年一月に日本国大使館を開館した。コソボは日本をアジアにおける最重要パートナーと考えていて、サチ大統領は既に二回、日本を訪れている。
 日本ではユーゴスラビア紛争のイメージがまだ残るコソボだが、その歴史から世界では観光地として人気が高い。またイスラム国では一番ワインを生産している。しかし突出した産業がまだ育っていないため企業も少なく、失業率が三〇%と非常に高い。日本を含む諸外国からの投資や企業の進出を期待しているところだ。面白いことに、海外最大のしいたけ栽培をコソボで日本人が行っている。日本とコソボには似たところが多い。古い遺跡からは日本と同じような埴輪が出土する。時代も日本とほぼ同じだ。コソボでも家に入る時には靴を脱ぐし、トイレには専用のスリッパがある。コソボで初めてオリンピックで金メダルを獲得したのは、二〇一六年のリオデジャネイロオリンピック女子柔道五二㎏級で優勝したマイリンダ・ケルメンディだ。彼女のこともあり、コソボ国民は来年の東京オリンピックの開催を熱望している。
AIを使ったSEOで
悪い評判を見えなくする
 株式会社ブランドコントロールは、日本の上場企業や海外の政治家、王族から国家までを顧客に、ネット上の悪評を消す事業を行っている。「悪評を消す」というが正確には、これまで一万人が見ていた情報を五百人ぐらいしか見ないようにするということだ。例えば検索エンジンで情報を検索する場合、九四%の人は一ページ目しか見ない。何か情報を目立たなくしたい場合、その情報が出てくる検索ワードの検索結果で上位に出てくる情報を増やしていけば、隠したい情報を二ページ以降に持っていって目立たなくすることができる。検索エンジンの上位に特定の情報を持ってくる技術はSEOと呼ばれるが、これをAIで行うのがブランドコントロールの強みだ。AIによって同様の事業を行っている企業は世界に三社、日本ではブランドコントロールだけだ。日本では成功者の足を引っ張る悪い社会風習がある。坂本龍馬のような尖った人がもっと活躍出来るよう、AI技術で日本を変えていくのが、ブランドコントロールの目標だ。
 金沢カレーの「ゴーゴーカレー」は創業者の宮森宏和氏が、同じ石川県出身で同世代の松井秀喜選手に影響を受けて始めた店だ。宮森氏はニューヨークの本拠地で満塁ホームランを打った松井選手を見て、ニューヨークで勝負できる店を自分で作ろうと決意、二〇〇四年に新宿に一号店をオープンした。着々と店舗を増やして二〇〇七年にはニューヨークにも出店。日本でもアメリカでも店舗数を増やしている。「ゴーゴー」は松井選手の背番号から、キャラクターのゴリラは、権利関係が難しかった松井選手の愛称である「ゴジラ」の代わりに使ったものだ。
事業を興す場合には
まず勝つ確信を持つこと
 日本では何号線と数字が振り分けてあるだけで、名前のない道が多いが、欧米では道路には必ず名前が付いている。カーナビがない時には地図を見ながら、道路の名前と標識、河の流れ等を頼りにドライブをするしかなかった。代表もホテル社長と共に、海外の多くの国をレンタカーで走破してきた。アパグループはかつてハーツレンタカーの北陸地区の代理業をやっていて、世界中のハーツレンタカーにおいてオーナー割引の四〇%オフで車を借りることができた。この割引を使ってベルリンで一番いい車をオーダーしたところ、国内でしか販売していないベンツの最新鋭高級車を借りることができた。ベルリンからスイス、アルプスを越えてイタリア、南フランスを経由して四千キロを走ってパリに入り、ヴァンドーム広場のホテル「パリ・リッツ」に着いた。ここでは、バレットパーキングなので、キーを渡したのだが、いつまで経ってもホテルの玄関に私が乗ってきたベンツが置かれたまま。フランスではまだ発売されていない「新型ベンツ」ということで、ホテル側が置きっぱなしにして、「展示」していたようだ。
 アパホテル成功の秘訣は先見力にある。日本がこの先どうなるかを考えた場合、やはり最大の成長産業は観光産業であり、その中の基幹事業はホテルである。だからここに参入すれば、無限の可能性があると見たのだ。市場規模が限定されていると、いくら頑張っても市場規模以上のビジネスはできない。客単価や市場規模を考慮して、将来性のある分野に参入することが重要だ。そうでなければ、長期間やりがいを持って事業に臨むことなどできないだろう。もう一つ商売で大事なことは、自分で値段を決められる商売をすること。大手企業の下請けをやっていては、自分で値段は決められない。アパグループでは代表がマンションもホテルも、自分で値段を決められるからやりがいがある。さらに大事なことは、必ず勝つ確信を持って事業を興すことだ。アパグループの最初の事業は注文住宅の建築だったが、大蔵省との交渉で長期住宅ローン制度を作った上で、事業を始めた。「十万円で家が建つ」をキャッチフレーズにしたら、多くのお客様が殺到した。「勝兵は先ず勝ちて、而る後に戦いを求む」だ。
長期の視野に立って
ホテル開業ペースを維持
 新型コロナウイルス禍の中でも、アパホテルは国内のみならず、北米のカナダ・アメリカに展開する三十九棟のホテルも休まず営業を続けた。これは代表の「一人でもお客様がいれば営業するべき」というポリシーに基づくものだ。しかしコロナの影響でインバウンドは昨年の三千万人から八千人に激減、宿泊は日本人だけで、ホテルの稼働率は大幅に低下している。しかしアパホテルでは新規ホテルの開業を予定通りに進めている。むしろ今は、安く土地を取得し、ホテル建築するチャンスだ。いつまでもこの状況が続くはずもなく、長くて二年。まもなく一年が経過しようとしており、再来年の春には以前のような活気が戻ってくるはずだ。問題はそこまで持ちこたえられるか。通常のホテルが利益率五%にも拘らず、三〇%の利益率を誇るアパホテルは、この三年間で毎年三百五十億円、合計一千五十億円の利益を上げてきた。十分に持ちこたえる体力があるのだ。
 今でもアパの新規ホテルの建設にあたっては金融機関から融資の申し込みが相次ぎ、入札で最も条件のよい金融機関を選んでいるほどだ。例えば大阪では御堂筋線沿いにタワーホテルをオープン&建築・設計中。昨年十二月にアパホテル&リゾート〈御堂筋本町駅タワー〉がオープン、二〇二三年一月にはアパホテル&リゾート〈大阪梅田駅タワー〉が、二〇二三年秋にはアパホテル&リゾート〈大阪難波駅タワー〉が開業予定となっている。これらを含め、現在建築・設計中のホテルは四十棟となる。