株式会社ユミカツラインターナショナル 代表取締役 桂由美
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APAグループ代表 元谷外志雄
東京生まれ。共立女子大学被服科卒業後、フランスに1年留学。1964年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動を開始、日本初のブライダル専門店を赤坂にオープン。世界30カ国以上の都市でショーを行い、2003年より毎年パリオートクチュールコレクションへ参加するなど、グローバルに活動を展開。少子化問題対策にも積極的で、「恋人の聖地」認定運動、「ふるさとウェディング」運動などの推進にも尽力している。
わずか三%からの出発
元谷 今日はビッグトークへのご登場、ありがとうございます。パーティーにはいつも来ていただいているのですが、Apple Townに登場するのはワインの会以来でしょうか。桂さんと言えば、日本で初めてブライダル専門のファッションデザイナーになって、その後世界的な活躍をしています。子供の頃からファッションデザイナーになるつもりだったのでしょうか。
桂 私は共立女子大学被服科で学んだのですが、その時でも将来何になりたいかは、はっきりしていませんでした。母親は江戸川区小岩で洋裁学校を経営していて、学生が二千人もいました。しかし私は幼い頃から不器用で、運針がまっすぐにならないのです。二人姉妹の姉でしたから、母も含め周囲からは跡継ぎと見做されていましたが、弟子が沢山いるので、別に私が継がなくてもいいのではないかと考えていました。
元谷 それでは、学生時代には何に力を入れていたのですか。
桂 当時の共立女子学園の学園長は鳩山薫氏で、鳩山一郎氏の奥様でした。鳩山一郎氏はフランス革命の思想は「自由」「平等」「友愛」なのに、今の日本は学園闘争やストライキ等、自由と平等ばかり主張していて、友愛精神に欠けていると考えていました。そこで大学に声をかけて「友愛青年同志会」を結成、後世に友愛精神を伝えようとしたのです。早稲田大学や日本大学等各大学から男子学生は多く集まったけれども、女子学生が来ないので婦人部長のなり手がいない。そこで奥様に相談して、共立女子大学から一人出すことになり、私に白羽の矢が立ったのです。学校が終わった後の鳩山邸での友愛青年同志会の活動は、三年ぐらい参加しました。途中鳩山一郎氏が衆議院議員選挙に出て政界に復帰するというので、選挙活動のウグイス嬢もやりました。鳩山薫学園長は私を共立女子学園の先生に…と考えていたようですが、結局母の洋裁学校を手伝うことにしたのです。
元谷 その後一九六四年にブライダル専門のファッションデザイナーとしてお店を出すのですが、その前にフランスに留学したり、世界のウェディングマーケットのリサーチをしたりといろいろあったとお聞きしています。どうしてウェディングに着目したのでしょうか。
桂 一九五〇年代は、結婚適齢期の男性よりも女性の方が多く、女性が余っていました。母の洋裁学校に二千人もの学生がいたのも、プロになるためではなく、花嫁になるための「資格」として洋裁を学ぶ人が多かったからです。通常のカリキュラムは二年だったのですが、もう一年残りたいという人が増えたので、三年制のコースを新たに作りました。三年目に何をするのか。大抵のことは二年間で終わりますので、三年目はウェディングドレスを作るという課題を出したのです。ウェディングドレスを作るには生地が普通の洋服よりも多く必要になり、教材費が高くなります。父兄から苦情が来ると困るので、私も神田界隈の生地店に行って、少しくらいの傷があっても上手く裁断するので、学生に安く生地を分けて欲しいと社長さん達にお願いをして歩いたのです。その内に気づいたのですが、ウェディングドレスを作っても、アクセサリーも靴も手袋も買うお店が全く存在しないのです。
元谷 ウェディングドレスを着るという文化がまだ日本にはなかったのですね。
桂 そうです。一九五四年に森英恵氏が銀座にお店を開店していて、洋装のファッションは随分普及していたのですが、結婚式に関してはほとんどの人が神前式で和装でした。洋装で式をするのは外国人と結婚する人か本当のクリスチャンしかおらず、割合で言えば三%だったのです。彼女達は本当に気の毒で、専門店がないのでウェディングドレスやそれに付随して必要なものを手に入れるには、高い費用を出してオーダーするしかなかったのです。
元谷 しかし結婚式の時には、女性は自分を一番美しく見せたいはずです。当時でも着物よりファッション性の高いドレスを着たいというニーズは、絶対にありましたよね。
桂 そうなのです。私が店を開く前、一度女子大に行って調査をしたら、四〇%の学生が結婚式にはウェディングドレスが着たいと答えたのです。しかし実際には三%です。
元谷 それはやはり、伝統に捕われる親がいるからでしょう。
桂 その通りで、まず親を説得しなければなりません。先程お話したように、お婿さんの数がお嫁さんよりも少ないですから、お姑さんが一番の発言権を持っていたのです。そして彼女が「着物」と言えば、やっぱり着物となるのです。
元谷 それはよくわかります。
一九七〇年代の約半分に
桂 今のようにお色直しがあれば良かったのでしょうが、当時はそういう習慣はありませんでした。しかし潜在的なニーズもあるし、実際に購入するのに困っている人もいる。そこで私はブライダル専門の洋装の店をオープンして、ブライダルファッションデザイナーとしての活動を開始したのです。しかし一年目は、年間で三十着しか売れませんでした。もちろんその後はどんどん状況が良くなっていきましたが。共立女子大学の先生方皆が「桂さんは良い職業を選んだ」と仰るのです。カジュアルやスポーツファッションを選んでいたら全然駄目だったはず。ブライダルに向いていたと言うのです。
元谷 一芸に秀でるものは万芸に通じるとも言います。まずブライダルで一流だと評価されれば、他のジャンルのデザインでも認められる。桂さんはそれを正に実践された方だと思っています。
桂 ありがとうございます。世界でファッションと言えば、パリ、ロンドン、ニューヨーク、そしてミラノです。それらの国々を東京が抜き去ることは難しいかもしれないけれど、少なくとも私の専門のブライダルファッションの分野では東京がそれらと肩を並べるくらいにしたいと考え、一心に活動してきました。ようやくそれが達成できたと思った時にやってきたのが、日本の結婚人口の減少です。一九七〇年代の日本の婚姻件数は年間百十万組だったのですが、今は五十八万組と半分になっています。
元谷 少子高齢化ですからね。小学校でも一年生の数が、昔の三分の二から半分になっています。一クラスの人数も昔は五十人を超えていましたが今は四十人で、クラス数も少なくなっています。三人以上の子供がいる家庭が少なく、大抵二人か一人でしょう。三人の子供が持てる社会を作っていくことが、今の日本の課題ではないでしょうか。
桂 その通りだと思います。
元谷 人口減少に歯止めを掛けないと、結局移民に頼ることになります。ドイツはトルコから、フランスはアルジェリア等旧植民地から多くの移民を受け入れていますが、問題も多い。国民の数が減ると市場が縮小し、国力も弱体化します。急激な人口減少をいかに避けるかが、日本の喫緊の課題なのです。私は少子化を招いたのは、先の大戦後のアメリカの占領政策だと考えています。元々日本は大家族制度の国でした。三代が同居することによる相互扶助関係があったのです。引退した祖父祖母が孫の面倒を見て、その知恵を伝承する。父母は子供を任せて、安心して現役世代として共働きをし、世帯全体の家計を守るのです。だから子供も多く作ることができました。しかしアメリカ占領軍が日本に植え付けた個人主義が、社会が豊かになるにつれて蔓延り、分断社会を生み出してきました。今や世帯数の三分の一が単身世帯となり、日本社会での最大の悲劇は孤独死になっています。統計やニュースには出てきませんが、いつの間にか亡くなっていて、白骨死体で発見されるということが、東京でも毎日のように起こっているはずです。中には家族と一緒であれば死なずに済んだ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
桂 そうかもしれません。家族の大切さがわかりますね。
元谷 そうです。だから税による誘導で、日本にもう一度大家族制度を復活させるべきなのです。例えば固定資産税は二世帯同居なら二分の一、三世帯同居なら三分の一にするのです。大家族が増えれば、三人子供を作ろうという人も増えるだろうし、孤独死が無くなります。今の日本にはお父さんは単身赴任、息子は東京の大学、娘は京都の大学で、家にはお母さんのみが住んでいる家庭があるのです。四人家族が四カ所に分かれて暮らしていては非効率で、どれだけ収入があっても貧しい暮らしになります。大家族は単純に賑やかで楽しいですよ。
また子供を生むごとに、お祝い金を税金から出しても良いでしょう。子供は成長すれば納税者になるのですから、先に少々お金をあげても問題ありません。また結婚しようという人の減少も大きな問題です。特に東京のような大都市で顕著ですが、四十代や五十代で独身という人が、男女問わず大勢います。昔は知り合いの世話焼きのおばさんがお見合いを設定、それで結婚することも多かったですが、今はそんな人もいません。桂さんのようなファッションから結婚への夢を育てるという仕事は、今でこそ非常に重要です。
結婚への憧れを醸成
桂 代表が仰ったような子育て支援は国が考えるべきだと思うのですが、結婚に対する憧れを醸成するのは民間の役割だと私は考えています。この考えで始められた「恋人の聖地プロジェクト」は、もう十一年に。私も選定委員の一人なのですが、「プロボーズにふさわしいスポット」として、全国に約百四十カ所の「恋人の聖地」と、約八十カ所の「恋人の聖地サテライト」を選定してきました。
元谷 アパリゾート上越妙高の展望台も、恋人の聖地サテライトに選定していただいています。
桂 アパグループとのご縁は、その上越妙高が初めでしたね。またもう一つ、私が会長を務めている全日本ブライダル協会では「ふるさとウェディングコンクール」を八年続けています。昔の花嫁は自宅で花嫁衣装に着替え、近所の方に見送られて結婚式に向かったものです。子供の時にそんな花嫁の姿を見て、結婚に憧れを持った人も多いでしょう。今はホテルや式場で花嫁衣装に着替えますから、子供達が街中で幸せな新郎新婦の姿を見ることが少なくなっているのです。この「ふるさとウェディングコンクール」では、実家で花嫁支度をする地域の特性を生かした結婚式の実例を募集し、優れたものを観光庁長官賞や総務大臣賞等として表彰しています。
元谷 私が結婚式を挙げた時は、花嫁が五百メートルほど手前で車を降り、花嫁衣装で歩いて花婿の家に向かいました。私の地元である石川県小松市ではそんな風習はなかったのですが、妻のホテル社長の実家である福井県ではこれが習わしだったそうです。近所の人々が喜んで花嫁を迎えることで、子供達もまた結婚への憧れを持つようになるという、良い仕組みだったのですね。桂さんが携わっている結婚に憧れる人を増やす活動ももちろん重要なのですが、安定した生活によって、不安なく結婚して子供を持つことができる政策も重要です。これが今の日本では不十分なのです。
桂 その通りですね。
元谷 戦後アメリカに植え付けられた個人主義のせいで、日本社会の人間関係が徐々に希薄化しているのです。殺人事件の件数は減少していますが、その中で親や子殺しを含む親族間の殺人はむしろ増加、今や半数を超えています。昨年にはひきこもりの四十代の息子を、元農水省事務次官の父親が刺し殺すという事件もありました。こんな仕事も結婚もせずに実家にずっと住んでいる中高年のひきこもりが、全国に約六十万人いると言われています。彼らをどうやって外に出していくかは、非常に難しい問題です。現代の日本社会がこのようにおかしくなっているのは、教育がおかしいからです。昔の学校教育には「修身」という科目があり、道徳をしっかりと教えていました。また地域コミュニティの崩壊も原因でしょう。かつては村の祭り等が神社を中心に行われ、密接な地域の繋がりの源泉となっていました。今はお神輿の担ぎ手がおらず、祭り自体を取りやめる地域も出てきています。
桂 悲しいことですね。
元谷 八百万の神に代表される日本の伝統は素晴らしいものです。世界での悲劇の多くはキリスト教やイスラム教等、一神教を信じる人々の間の戦争やテロでした。また、かつて世界は白人のキリスト教徒のものでした。一九一八年の国際連盟発足時に、日本が人種差別撤廃を国際連盟の規約に明記すべきだと提案しました。これは白人キリスト教徒中心主義のアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領の差配で否決されましたが、その後世界はどんどん人種平等へと向かっていきます。八百万の神を信じる日本の哲学が、人種平等の世界実現に貢献したと言えるのではないでしょうか。
日本でももっと祝うべき
桂 非婚化による人口の減少を防ぐためにいろいろな活動をしてきましたが、最近力を入れているのは結婚記念日です。日本は結婚式だけ大騒ぎですが、その後の記念日には何もない。もっとお祝いをしてもいいのではないでしょうか。お手本になるのが上皇陛下ご夫妻です。結婚四十周年のルビー婚式にはコンサートを開催、五十周年の金婚式、昨年には六十周年のダイヤモンド婚式もきちんとお祝いされています。
元谷 確かにそうですね。
桂 上皇陛下に倣って、私は今「アニバーサリー・ウェディング」と銘打って、結婚記念日のイベントをいろいろとプロデュースしています。去年の秋には神戸の生田神社で、周年の異なる四組のご夫婦の記念日をお祝いしました。また富山県高岡市に株式会社能作という錫や真鍮、青銅の製品を作る会社があるのですが、今この会社では結婚十周年である錫婚式の提案をしています。貸衣装に着替えて、改めて愛を伝え合う挙式、お食事、鋳物製作体験までがプログラムになっていて、お子様がいても楽しめる内容になっています。当初の想定を大幅に上回る六十組の申し込みがあったそうです。NHKの朝の番組「あさイチ」もこの錫婚式の取材に来ていました。今後アニバーサリー・ウェディングが定着していき、富山県のようなスタイルが他でも展開できるのではないでしょうか。例えば水晶が特産の山梨県では結婚十五周年の水晶婚式を、真珠が特産の三重県では真珠婚式を行うことを提案していくのです。
元谷 それは面白いですね。
桂 二月十八日には創作活動五十五周年記念として、「ブリリアントホワイトデビュー」をテーマにしたファッションショーを行います。ウェディングドレスが白なのは、これが第二の人生の始まりだから。また赤ちゃんが生まれた時には白の産着を着せます。このように「白」には全ての出発点といった意味があります。このショーでは、七五三でも成人式でも、何か事業を興す時にも、まず「白」を着ることを提案していきます。またここでもアニバーサリー・ウェディングを行います。結婚十五周年は高嶋政宏氏ご夫婦、結婚五十五周年は岡田茉莉子氏ご夫婦に出演していただきます。結婚三十周年の方はいろいろ探した結果、片山さつき氏ご夫婦にお願いすることにしました。ご主人も素晴らしい経営者ですね。
元谷 私も片山さつき氏とは仲良くさせていただいています。
桂 結婚式を挙げずに子供ができて何年も経ってしまったが、やっぱり式を…という方もいらっしゃいます。アニバーサリー・ウェディングは今後もっと広まっていくと思いますよ。
元谷 桂さんは日本会議の女性組織である日本女性の会の役員もしていますね。
桂 かつてラジオ番組「うたのおばさん」で一世を風靡した安西愛子氏は、共立女子学園の音楽の先生で、私はずっと彼女から音楽を学んでいました。その安西氏が日本女性の会の会長になられて、私も役員に誘われたのです。次期会長という話もありましたが、私はただ少子化対策のために結婚を、家族を…ということしかわからないので、辞退いたしました。
元谷 やはり桂さんは思想的にもしっかりしたものをお持ちです。私も日本会議の方で知っている人が多いですね。その他各国の駐日大使、国会議員や大学教授等が集まって、毎月全国三カ所で勝兵塾という私塾を開いています。これまでに延べ三万人の方に参加していただきました。私が目指しているのは、八百万の神を信じて皆仲良く生きることを良しとする素晴らしい国・日本を、多くの人が誇りに思えるようにすることです。そのために「真の近現代史観」懸賞論文を創設、その第一回の最優秀賞を現役の航空幕僚長だった田母神俊雄氏が獲得したところ更迭され、メディアと国民を巻き込んだ大騒動に発展しました。しかしその結果国民が保守化、安倍政権の再登場に繋がったと自負しています。桂さんには、今後の日本女性の会でのご活躍も期待しています。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。
桂 これは私のスローガンでもあるのですが、若い人にはぜひ日本の美を世界に広める役割を果たして欲しいと思っています。
元谷 私も世界八十二カ国を巡ってきましたが、日本ほど素晴らしい国はないと思っています。まず表意文字である漢字と表音文字であるかなを交えて使うことで表現力が豊かな日本語が素晴らしい。四季がはっきりしていて、食べ物も美味しい。日本にだけ居住していると、日本的な国が世界の至る所にあるように錯覚してしまいますが、世界の中で日本は非常に特殊な国なのです。
桂 その通りです。
元谷 今日はいろいろと興味深いお話をありがとうございました。
桂 ありがとうございました。
対談日 2020年2月7日