私はこれまで多くの駐日大使とビッグトークの対談を行い、互いの考えを磨き合ってきた。最近ではAppleTown九月号で対談した、中南米・コスタリカ共和国のマリオ・フェルナンデス・シルバ大使が非常に印象的だった。中南米諸国の中でも民主主義が確立され、経済発展も順調なコスタリカは、一九四八年に軍隊を廃止したことで知られている。これを知る多くの日本人が軍事力を一切否定した国だと思っているようだが、それは事実とは違う。大使との対談で一番記憶に残ったのは、古代ローマの言葉を少しもじった「平和が欲しいなら戦争の準備をしろ」という言葉だった。
大学で教鞭をとっていたこともあるシルバ大使は歴史の知識が豊富で、こんな発言もしていた。『私は写真が好きでよく写真雑誌を見るのですが、印象に残っている一枚に宇垣一成大将の写真があります。近衛内閣で外務大臣も務めた人物ですが、その前は朝鮮総督でした。対中国の最前線にいた彼は、アメリカに対して中国がいかに危険な国かということを訴えています。田母神氏の論文を読んで、この宇垣大将の話を思い出しました』。そんなシルバ大使に私は質問をした。韓国の哨戒艦を撃沈するなど暴走を続ける北朝鮮や膨張政策をとる中国と対峙する日本が、果たして軍隊を持たないでいることが可能かと。その答えはこうだった。『北朝鮮は、日本だけではなく世界にとって危険な国です。金正日が権力を維持するために、国民を犠牲にして兵器にお金を費やしているのです。以前であれば中国が北朝鮮をコントロールしていたのですが、今は手がつけられない状況です』『日本に軍隊が必要かどうか。もちろんなくて済むならそれに越したことはありません。しかし今の日本の状況下であれば、国民を守るために軍隊は必要でしょう。まず今の国民を守ることが一番大事なのであって、過去や周辺国を気にしすぎてはいけないのです。中国は中国で、平和を口にしながら軍備を拡張しています。日本は日本で、自分たちを守る方法を考えるべきなのです』と明言した。
またシルバ大使はこんなことも言っていた。『先週、私はダライ・ラマと同じ昼食会に出席しました。チベットでは中国との争いで百万人以上の人々が亡くなっています。ダライ・ラマは常に平和を祈っているのですが、中国は聞く耳を持っていません』。大変デリケートな問題にも非常に勇気のある発言する大使に私は理由を訊いた。『私はもともとコスタリカ大学で人権論などを教えていたので、外交官というより研究者というスタンスが強いのかもしれません。ですから正しいと考えていることは、何も恐れずに発言しているのです』という答えだった。私はこんなシルバ大使の母国・コスタリカに非常に興味が湧き、訪問する計画を練り始めた。コスタリカの隣にはパナマ共和国がある。私はかつて家族四人でエジプトを訪問した時、当時はイスラム過激派ゲリラが観光客を襲っていて、観光バスには護衛の車が同行するなど非常に危険な時だったが、レンタカーは現地の車に紛れてかえって安全だろうとカイロから往復四〇〇キロの道をオンボロなレンタカーを運転してスエズ運河を見に行った。その時から次はパナマ運河を訪問したいと決めていたのだ。今回もぎりぎりのスケジュールだったが、コスタリカに着いてから現地の旅行社でパナマ行きのエアーチケットと一泊のホテルを手配して、パナマ運河を訪れる予定を立てた。
コスタリカでは外務大臣のレネ・カストロ・サラサール氏との対談を行った。サラサール大臣は今年の五月に就任した初の女性大統領のチンチージャ氏の右腕ともいわれる辣腕の政治家だが、ハーバード大学の博士号を持つ環境問題のスペシャリストでもある。そんなサラサール大臣から、政治から経済まですべてのことをエコに結びつけていく、コスタリカが推し進めている「緑」政策について、詳しい話を聞いた。収益をしっかりとあげることができる持続可能なエコツーリズムの確立がこれからの課題だということだ。それ以外にもさまざまな話題が尽きることなく出て、非常に盛り上がった対談だった。その後タイトなスケジュールの中、一泊二日の日程でコスタリカからパナマへと向かった。隣国だからコスタリカもパナマも同じような雰囲気だろうと考えていたのだが、空港からして異なっていた。一八二一年にスペインからの独立を果たしてから長い歴史を持つコスタリカに対して、パナマはさまざまな勢力に翻弄され続けて、完全なる主権国家となったのは一九九九年とごく最近のことだ。民族の構成もスペイン系が多いコスタリカに対して、パナマには混血やアフリカ系の人々が多く人種の坩堝といった国で、空港の入管手続きがスムースだったコスタリカに比べて、パナマ空港の入国係官はほとんどが黒人で非常に非効率に思えた。
空港からはタクシーをチャーターして移動、約五十分でパナマ運河のミラフローレス閘門に到着した。私はパナマ運河というのは、太平洋と大西洋の高低差を水門で仕切っているものだと思い込んでいて、その高低差を利用して水力発電を行えば、無尽蔵のエネルギーを得られるのではないかとも考えていた。しかし現地を訪れて、このイメージがまったく間違いであることを思い知った。パナマ運河には私が訪れたミラフローレス閘門をはじめ、閘門と呼ばれる水のエレベーターが三カ所作られていて、三段階で船を海抜二十六メートルの高さにあるガトゥン湖の水位にまで上げ、反対側でまた三段階で船を下げる仕組みになっている。私はパナマ運河の水は海水と思っていたが、閘門で使われている水はガトゥン湖の限られた湖水だ。パナマ運河開通一〇〇周年記念の二〇一四年の完成を目指して二〇〇七年に着工した拡張工事とともに、その新しい閘門に用水再利用貯水槽を設置し、最大六〇%の水を再利用できるようになるそうだ。わずか二十六メートルの高さを上るとはいえ、閘門を見ていると、まるで船が山を登っているかのように思えた。
重要な戦略拠点であるパナマ運河にはアメリカ軍が駐留しているとばかり思っていたのだが、今はまったくいなくなっていた。アメリカが東海岸に入植してから始まった西部開拓史はネイティブアメリカン虐殺の歴史で、開拓が西海岸にまで達した後、アメリカ最大の戦死者を出した南北戦争ののち、いよいよ太平洋をわたりアジアへと覇権を広げるためにパナマ運河を計画したものと思われる。世界でイギリスとフランスとの緩衝国として独立を保ったタイとエチオピアを除けば、白人国家による植民地化を迫るロシアを打ち破り、唯一の独立国家を保った日本との戦争は、既にこの時から計画されていたと思われる。
一九◯三年のパナマ運河条約によって、運河の建設権と開発地区の永久租借権を得て工事に着手、一九一四年の開通後は運河地帯の施政権と運河の管理権を持ったアメリカは、永久租借地に長年軍事施設をおいていた。日露戦争に勝利した日本に対して一九一九年、アメリカ海軍の戦争計画であるオレンジ計画が立案され、一九二四年初頭には陸海軍合同会議で採用されている。そんなパナマ運河もパナマからの返還要求の高まりに応じて一九九九年、運河と運河地帯の施政権を返還、アメリカ軍はこの地区から撤退した。今ではパナマ運河庁がこの地域を管理・運営している。この撤退もアメリカ衰退の一つの事例だろう。かつてはフィリピンにもアメリカ軍は基地を持っていたが一九九二年に撤退、エクアドルからは二〇〇九年に撤退した。冷戦終結後は、世界一極支配を確立するかのように思えたアメリカだが、一九九一年の湾岸戦争、二◯◯一年の九・一一の同時多発テロ、その後のアフガニスタンやイラクでの戦争などでどんどんその力を消耗していった。さらにオバマ政権は、今後五年間で軍事費を一兆ドル(約八十一兆円)削減する方針を打ち出している。そんな状況のアメリカと日本との関係は、普天間基地問題を契機にぎくしゃくとしたままだ。
そもそも日米安全保障条約によってアメリカが日本を守ってくれるということ自体が、今や幻想だ。現実としてアメリカは「オーバーコミットメント」状態で、過剰な対外的な約束を解消していき、自国の問題のみに対処する「新モンロー主義」を打ち出しつつある。一方二十年間の長きにわたって毎年軍事費を二桁増額させてきた中国は、その軍事力と発展する経済力によって得た自信を背景に、膨張政策をとり始めている。九月に起こった中国漁船が海上保安庁の巡視船にぶつかってきた事件についても、日本は領海侵犯には問わず当時の前原国土交通大臣は公務執行妨害として船長を逮捕させたが、中国からの厳重な抗議を受けて仙石官房長官は那覇地方検察庁に処分保留で釈放させた。これで一見落着と思っていたが、計画的に事件を起した中国からは今度は謝罪と賠償を求められる始末だ。撤退するアメリカに膨張する中国。このままだといずれ日本は、中国の自治区の一つになってしまうだろう。
この尖閣諸島での事件での弱腰対応で明らかになったのは、菅政権がまさに売国政権ということだ。日本は今、私が勇気を持ってAppleTown十月号に掲載した秘密文書『中国共産党「日本解放第二期工作要綱」』通りの状況になっている。この文書の冒頭の基本戦略内には、次のような日本の平和解放への三段階が示されている。
『イ』 我が国(注中国のこと)との国交正常化(第一期工作の目標)
『ロ』 民主連合政府の形成(第二期工作の目標)
『ハ』 日本人民民主共和国の樹立ー天皇を戦犯の首魁として処刑(第三期工作の目標)
「イ」は一九七二(昭和四十七)年の日中国交正常化によって達成され、「ロ」は昨年誕生した民主党政権によって達成された。次は「ハ」である。このことに日本人は早く気づかなければならない。
日本が自らの国を自らの手で守る姿勢を見せないことには、実はアメリカも日本を守ることができない。日米安保によって、日本が攻撃された場合には自動的にアメリカが反撃してくれると勘違いしている人が多いが、安保には自動参戦条項はない。アメリカが軍隊を動かすかどうかは、逐一の判断に任されているのだ。最初に必要なのが、アメリカ大統領の参戦決意である。これによってアメリカ軍が行動を開始することは可能だが、この大統領の命令が有効なのは二カ月間であり、それ以上軍事行動を継続させる場合には議会の承認が必要となる。自国の問題に忙殺されているかに思えるアメリカが、果たして有事に日本を守るという判断をしてくれるのか。近い未来にありそうなケースとして、中国が尖閣諸島に武力侵攻した場合を考えてみても、オバマ大統領が軍を動かしてくれるかどうかですら不明であり、その二カ月後の議会の承認などはほぼ絶望的だろう。アメリカによる「核の傘」の有効性にも疑問がある。日米安保に自動参戦条項がないことも理由の一つだが、日本が核攻撃を受けた場合、アメリカが自国に核攻撃を受けるリスクを負ってまで、日本のために反撃することはあり得ないからだ。日本の安全保障のためには「核の傘」など存在していないと考えるべき。やはり日本は自ら核武装するか、ニュークリアシェアリングというNATO(ベルギー・ドイツ・イタリア・オランダ)で既に締結している常時米軍の核搭載艦船に乗務していて、自国が核攻撃を受けた場合ただちにアメリカ軍から核使用の指揮権の譲渡を受けることのできるしくみを導入すべきだ。自国は自分で守るということがどの主権国家でも基本であり、コスタリカのシルバ大使の「平和が欲しいなら戦争の準備をしろ」という言葉は、非常に的を射た指摘だったと思う。
パナマ運河から一旦コスタリカに戻り、私たち一行は帰路についた。首都サンホセからアメリカのマイアミ、ダラスを経由して成田へ。ホテルを出てから自宅まで三十六時間もかかる長い道程だった。三泊六日と急ぎ足の行程ながら、政府要人との会談やパナマ運河訪問など多くの収穫を得たコスタリカ・パナマへのへの弾丸ツアーだった。