今年もまた六月二日に明治記念館で、「アパグループ創業祭 並びに会長バースデーイブの会」を開催した。当日は国会議員や各国駐日大使、古くからの友人をはじめ、数多くの方々が参加、会社の創業記念と私の誕生日を祝ってくれた。また、このパーティーは勝兵塾の総会を兼ねており、第十六回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀藤誠志賞を受賞した、一般財団法人日本安全保障フォーラム会長の矢野義昭氏が、「ウクライナ戦争後の世界秩序」というテーマで特別記念講演を行った。講演の内容やパーティーの様子については、このApple Townのパーティー特集のページをご覧いただきたい。
このようなパーティーを毎年開催する度に、一年経つのが早いと感じる。十九世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネが提唱した「ジャネの法則」によると、一年は六十歳の人間にとっては人生の六十分の一だが、六歳の人間にとっては六分の一にあたり、歳を重ねて人生における一年の割合が減少していくにつれて、人は心理的に一年を短く感じるようになっていくという。この法則はなんら実証的な裏付けのあるものではないが、実感には非常にマッチしている。時は老いていけばいくほど短く、それゆえに人にとって貴重になる。まさに私の座右の銘の通り、「人生のどの一瞬を切り裂いても悔いのない」ことが、益々求められるのだろう。
私は「人生の勝者とは誰か」と聞かれると、いつも「明朗闊達にして長生きした人である」と答えてきた。この「明朗闊達」であることが、老いた人の時間を悔いのないものにするための最重要ファクターとなる。これは別の言葉で言えば、「健康寿命を延ばすこと」だ。ナショナルジオグラフィックの日本語デジタル版で二〇二五年五月十二日に、「科学が教える『長生きのルール』七選、健康寿命で五年以上の差も」というタイトルの記事が配信されている。この記事が勧める健康寿命を延ばす「ルール」には、適度な運動やバランスの良い食事、良い眠り、禁煙禁酒等の生活習慣の改善に加え、社交性を鍛えることも含まれている。パーティーで多くの人に会うことも、健康寿命延長に繋がるのだ。
「逆境こそ 光輝ある 機会なり」は、私が中学校の卒業論文に書いた言葉である。中学二年生の時に父が病気で亡くなったことを「逆境」と捉え、それを自分の成長の機会にすると自らに宣言したものだ。父は、戦時中は軍需工場として船の舵輪を、戦後は木工家具を製造する工場を営み、ピーク時には百名の従業員を使う実業家だったが、私が小学校に入る頃に結核を患った。そのために閉めた工場を細かく仕切って、貸間業を始めた。私は六人きょうだいの四番目に生まれたが、上の三人は全て姉だったので、長男として「親父の次に自分が偉い」という自負心を幼少期から持っていた。父が工場を閉めてからは家計を支えるために、家賃の集金や貸家の修繕、ビラ貼りに加え、古本回収や古鉄集めなどをした。父が他界してからは、「私が家長なのだから家族を守らねば」という意識がさらに強くなった。中学卒業後は、奨学金を得て地元の進学校である小松高校に進学、卒業後は家族を養うために地元の小松信用金庫へ就職した。また同時に、学歴社会の到来を予見して、慶應義塾大学経済学部の通信教育課程に入学した。将来実業家となることを前提に、金融のメカニズムや様々な業種の経営を学ぶことが信用金庫に入社した目的だった。入社後まもなく労働組合の書記長になり、二十歳でその上部組織である北陸地区信用金庫労働組合連合会の副議長になった。組合活動を通じて、当時地域で最低水準だった小松信金の給与水準を最高水準にまで引き上げるとともに、金庫経営の近代化を要求して経営陣と対峙した。そして、信用金庫の合併を機に一九七一年、二十七歳の時にアパグループを創業した。
アパグループはこれまで一度の赤字も出さず、現在では日本最大のホテルチェーンとなることができたが、ここに至るまでにはそれなりの苦難もあった。その苦難を成長の機会として捉え、私の座右の銘の一つ「人生波乱万丈 大変を楽しむ 男の気概」の通りに「大変」を楽しんできたからこそ、ここまで成功することができたと思う。また、私にとっては「仕事は遊び」だ。かつて知人から「あなたはこれだけ成功したのだから、会社を売って悠々自適の生活を送ればいいのではないか」と言われ、「私は仕事が楽しみ。楽しみを手放すつもりはないよ」と返答したことがあるくらいだ。いつからか事業での成功に加え、「この国を良くしたい」という思いが大きくなり、これがApple Townでの社会時評エッセイの連載や懸賞論文制度の創設、勝兵塾の主宰といった言論活動へと繋がっていった。
人生は決まる
最近「親ガチャ」という言葉をよく耳にする。「ガチャ」とは、コインを入れてハンドルを回すと、カプセル入りの商品が出てくるあの「ガチャガチャ(ガチャポン)」のことだ。「親ガチャ」は、商品がランダムに出てくることを自分の親が選べないことの例えとして使った言葉で、インターネットで拡散した。「ガチャ」で望まない商品が出る「ハズレ」同様、様々な理由で自分の親が「ハズレ」だと、自虐的に使われる。この「ハズレ」について、サイト「Spaceship Earth」に二〇二五年六月二日に掲載された記事によると「ハズレ」の要因として、親の貧困、児童虐待やネグレクト、借金、ギャンブルやアルコール・薬物依存、両親の不和等が挙げられる。その一つとされる「毒親」は、心理学者のスーザン・フォワードが作った言葉で、「子供に対してネガティブな言動を繰り返し、その子の人生を支配してしまうような親」を指す。
もちろん問題のある親は昔から存在していたのだが、今の時代になって特に着目されていることに注意が必要だ。サイト「現代ビジネス」に二〇二一年九月七日に掲載された社会学者の土井隆義氏の記事「『親ガチャ』という言葉が、現代の若者に刺さりまくった『本質的な理由』」によると、「親ガチャ」を言う若者は「人生の運不運ではなく、出生の運不運」を嘆いているところが、重要なポイントだという。つまり問題の根源は、「生まれつきの資質や属性によって人生は規定されると考える若者が増えている」ことなのだ。これは今の日本社会の経済格差の固定化が進んでいることも一因ではないかと、土井氏は指摘する。この記事では、経済格差等の問題は社会全体で解決に取り組まなくてはならない一方、若者がいろいろな人との出会いによって、「生まれ」で全てが決まるわけではないことに気づくことを、状況打開の方策として示している。
そんな若者に私が贈りたいのは、座右の銘の一つである「人間 どう考えるかで 人生は決まる」という言葉だ。先に書いたように、私は中学生の時に父を失うというハンディを負ったが、「逆境こそ 光輝ある 機会なり」という信念と、自分が家長であり家族を守らなければならないという使命感を持っていたために、悩む暇もなく家計を成り立たせるために奔走していた。その結果、他の人よりも早く自立することができ、父と同じ実業家になる道筋も描くことができた。もし父が病に倒れず健在だったら、私は裕福な家庭で幸せな子供時代を過ごし、大学にも進学して家業を継いでいただろう。これは明確な根拠はないことだが、もし父が存命であれば信念と使命感に駆られたあのような情熱的な時代は訪れず、今のようなビジネスでの成功は得られていなかったように思う。もちろん私が生きてきたのは今とは異なる時代だったが、私にはインターネットが普及し、グローバルに経済が広がっている今の時代の方が、成功のチャンスが多いように思える。もし強い信念が持てないのであれば、どんなに些細なことでも良いから、自分の強みを信じて生きていって欲しい。若い人であれば「若さ」、健康な人であれば「健康」が強みだと信じることができる。そしてその強みを武器として、人生を切り拓いていくのだ。
復活した安倍晋三元首相
二〇二二年七月八日に安倍晋三元首相が銃撃によって亡くなり、それからもう三年が経とうとしている。私は安倍氏とは親交が深く、この事件は大変なショックで今でも現実だとは信じられない。かつて私は、「安倍晋三を総理にする会」の副会長を務めていた。この会で何度も安倍氏とディベートを行い、考えが近いことを確認、「誇れる国、日本」再興のためにも彼を何が何でも首相にしなければならないと、私は強く確信していた。その希望が叶って、二〇〇六年九月に誕生した第一次安倍内閣は、わずか一年しか持たなかった。体調不良が辞任の原因だったが、掲げた「戦後レジームからの脱却」が多方面で軋轢を招いたことが、本当の理由だったのではないか。しかしその後、安倍氏は二〇一二年九月の自民党総裁選に大方の予測を覆して勝利、同年十二月の総選挙で自民党が圧勝したことで、第二次安倍内閣が発足した。この二度目は、選挙の圧倒的な強さと安倍氏の巧みな運営で、約七年八カ月にも及ぶ日本の憲政史上最長の長期政権となった。
最初に首相を辞任した時、まだ五十三歳だった安倍氏を、私は「必ず二度目のチャンスがある」と励ました。持病の潰瘍性大腸炎を薬で寛解にまで持ち込み、その後も再起を狙っていたのは、憲法改正や安全保障環境の改革等、「誇れる国、日本」を取り戻す大きな改革、すなわち「戦後レジームからの脱却」をどうしても実現したいという強い信念が、安倍氏にあったからだ。この信念が、自民党初の、他の人を挟んでの総裁再選、そして吉田茂以来の辞任した首相の再就任に繋がったのだろう。二〇二〇年に安倍氏が辞任した時に、私は近い将来に三度目の首相登板を期待していたが、その希望も今や絶たれた。強い信念によって返り咲き、国内政治から経済、そして外交まで大きな存在感を示した安倍晋三氏のような政治家は、日本ではこれからなかなか現れないと思う。
現在の日本は課題が山積している。失われた三十年で経済大国としての地位は低下し、少子高齢化で社会保障制度は行き詰まりを見せ、これ以上の負担増加は国民の強い反発を受けるため、政府は身動きが取れない。安全保障環境も非常に危険な状態だ。ロシア、北朝鮮、中国と核保有国に囲まれ、その内の対ロシアと対北朝鮮との関係は、「友好的」とはとても言えない。中国との関係も、台湾の状況次第では急速に悪化するだろう。このような環境の中、日本の政界では野党がこぞって消費税減税を主張するなど、夏の参議院議員選挙を控え、国民に耳あたりのよい議論ばかりが行われている。もっと日本の将来を考えた、場合によっては国民の痛みも伴う議論を自民党が中心となって行うべきだ。そのためにも男女を問わず、政治的な強い信念を持ち、さらにしっかりとした世界観、国家観、歴史観も兼ね備えた、力強いリーダーの登場が待ち望まれる。
さて、33年に亘って執筆を続けてきたペンネーム藤誠志のエッセイですが、この度ペンを置くことになりました。1992年に初めてエッセイを発表して以来、私はこの国の再興を目指して、混迷する国家社会に対して警鐘を鳴らし、我が国の進むべき指針を示してきました。これまで皆さまにご愛読いただき、数多くの感想文をお寄せいただきました。書き記してきたことは、活字として残ります。引き続き、皆さまの「本当はどうなのか」を知る糧としていただければ幸いです。
これまでのご愛読、誠にありがとうございました。
完
2025年6月19日(木) 10時00分