Big Talk

なりたいものを強く意識すれば、それは実現するVol.406[2025年5月号]

参議院議員 森雅子
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アパグループ会長 元谷外志雄

世の中を良くしたいという使命感から弁護士に、そして政界へと進み、安倍内閣において二度の入閣を果たした参議院議員の森雅子氏。中学卒業後すぐに就職する予定だった貧困の子供時代や、少子化対策や大規模化、頻発化、複雑化する災害対策など、日本が今後解決していかなければならない課題等のお話をお聞きしました。

森 雅子氏
1964年福島県いわき市生まれ。1988年東北大学法学部を卒業、1995年弁護士登録。ニューヨーク大学法科大学院客員研究員、金融庁検査局金融証券検査官などを経て、2007年参議院議員選挙初当選。2012年第2次安倍内閣で女性活力・子育て支援内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)(少子化対策)(男女共同参画)に就任、初入閣。2019年に法務大臣、2021年に内閣総理大臣補佐官(女性活躍担当)を歴任。

担任の先生の説得で
高校に進学できることに

元谷 今日はビッグトークへの登場、ありがとうございます。

森 お招きいただき、ありがとうございます。私はアパホテルのファンで、もちろん会員にもなっていますし、宿泊すると必ずこの月刊誌『Apple Town』を読んでいます。この間も三十六人の女性と共にアパホテル&リゾート〈両国駅タワー〉に宿泊、靖国神社に皆で参拝した後、最高裁判所と法務省を見学しました。

元谷 森さんは弁護士であり、法務大臣経験者ですから、そのようなコースになったのでしょう。

森 はい、四年前に法務大臣を拝命いたしました。十二年前に少子化担当大臣で初入閣していまして、安倍内閣で二回大臣を務めさせていただいています。考えてみると、民主党から自民党が政権を奪回した最初の内閣で少子化担当大臣、安倍首相の最後の内閣で法務大臣でした。その後の岸田内閣では、首相補佐官も務めました。

元谷 要職を歴任されていますね。

森 非常に光栄なことです。私は小さい頃、貧しい家に育ち、親には中学校を卒業したら就職と言われていて、就職先も父親が事務員として勤めている病院に決まっていました。しかし私の世代ですと、同級生は全員高校に進学、中学卒業で働く人などいません。どうしても勉強を続けたくて、高校に行きたくて毎日泣いていました。そんな時、担任の先生が家まで来てくれて、私の親に「雅子さんは勉強ができるから、なんとしてでも高校に行かせたい。奨学金や授業料免除等の制度を先生が頑張って探してくるので、どうか雅子さんを高校に行かせてあげて欲しい」と言ってくれたのです。まだ三十代の「熱血教師」そのものの先生でした。私の成績が良かったわけは、家にはテレビがなくマンガを買うお金もなく、教科書を読んで勉強するしかすることがなかったのです。進研ゼミの模試で全国一位を取ったこともありました。

元谷 そんな先生に出会えたのは、非常に幸運でした。

森 はい。私は両親から戦争の恐ろしさ、負けた悔しさの話を沢山聞いてきました。実は二人共東京生まれで、幼馴染ではなかったですが、二人共小学生の時には浅草に住んでいたのです。そこに東京大空襲があり、焼夷弾が降り注ぐ中、二人共家族と一緒に、福島まで逃げてきたのです。父方の祖父は焼夷弾で亡くなり、祖母が父を含む五人の兄弟を連れて、途中親切な人々に宿を借りながら、歩いて福島に辿り着いたそうです。母も似た感じで、福島のお寺に学童疎開していた兄姉を頼って、家族全員が移住しました。後で東京に戻ろうとした時期もあったようですが、戦後のどさくさで東京の土地は他人に取られてしまったそうです。

元谷 焼け野原になって混乱していましたから、そのようなこともあったでしょう。

森 当時、山へ入って入植すると、田畑が自分のものになるという制度がありました。母方の祖父は一橋大学商学部を卒業して、東京で社長秘書をやっていたのですが、福島では農家になりました。頑張り屋の祖父は、山奥で田畑を耕して酪農もやって成功して、農林大臣賞を受賞したこともあったそうです。私もこの山奥の祖父の家に遊びに行き、飼っている牛にブラシをかけたり、糞尿を掃除したり。よく乳を絞って飲んでいましたね。絞りたての牛乳には薄く膜が張っているのですが、それをまず食べて、そして乳を飲んで。そのことが今でも忘れられません。祖父の家は母屋と牛舎が繋がっていて、成功したといっても貧しく、母は中学校までしか行けず、卒業後は集団就職で上野に出てきて、縫製を学んでミシンで洋服を作っていたそうです。その後福島に戻って、縫製工場で働いていました。父も中学校卒業後に味噌屋で働いていました。父と母が出会って話をしてみると、二人共東京生まれで浅草に住んでいたということで意気投合し、結婚して生まれたのが私です。下に妹が二人いて、両親と三人の女の子の五人家族でした。父も母も給料は決して多くなく貧しいけれど、家族仲良く暮らしていたのです。しかしそんな貧しい人を騙す詐欺集団がやってきて、地域の人々が皆騙され、我が家も全財産を奪われてしまいました。さらに父は同様に被害に遭った叔父の連帯保証人になっており、数千万円という借金まで背負うことになったのです。父の給料は差し押さえられ、母は道路工事の仕事に出て家計を助けるようになりました。そして毎日取り立てが来るのです。だから高校に進学したかったのですが、とても無理だと思っていたのです。

元谷 中学校の担任の先生のおかげで、高校には進学できたのですね。

森 はい。また、ある弁護士さんのおかげで、借金の取り立ても無くなりました。高校に進学して勉強ももちろん頑張ったのですが、アルバイトも沢山やりました。授業料は免除でも、教科書代や制服代、上履き代等が必要だからです。高校から帰るとカメラ店や精肉店で働いたり、近所の子供の家庭教師をしたりしていました。

元谷 優秀な上に頑張り屋という、周囲の人々が支援したくなるような子供だったのですね。

森 いろいろな方のおかげで、授業料免除で大学まで進学し、司法試験も合格して弁護士になり、日弁連の留学制度でアメリカ留学もし、参議院議員にも当選することができました。本当に幸運だったと思っています。

元谷 私も中学生の時に父親を病気で失い、奨学金をもらって高校に通いました。また将来の学歴社会を見越して、地元の小松信用金庫に就職すると同時に、慶應義塾大学経済学部通信教育部に入学しました。

森 会長も私同様、苦学生だったのですね。

元谷 はい。ただ今となっては、それで良かったと思うこともあります。周囲の環境が良いと甘えてしまうこともあったでしょうが、厳しい環境にいれば自分の力を磨くしかありませんから。

森 全くその通りだと思います。

人口減少対策としては
若年層の所得向上が必要

森 今やアパホテルは飛ぶ鳥を落とす勢いで、日本の誇るべきホテルチェーンへと成長しました。JR福島駅の駅前にもアパホテル〈福島駅前〉を建てていただきました。

元谷 二〇一一年の東日本大震災の後、福島県に視察に行ったのです。そして私ができる復興支援としてはホテルを建設することだと考え、二〇一七年に福島県最大の三百六十二室のアパホテル〈福島駅前〉を開業しました。

森 本当にありがとうございます。震災と原発事故で東京の企業が次々と福島から撤退する中、会長は逆に入ってきてくださった。また復興のためのビジネスマンも観光客も、ホテルがないと来てくれません。その意味でも、福島駅前にホテルが建った意義は非常に大きいと思います。今は、郡山にもアパホテルがありますね。

元谷 私は他のホテルや事業者に範を示すことが大事だと考えたのです。口だけで復興を言うのは簡単ですが、実行することが肝心なのですから。

森 その通りで、アパホテルが先鞭をつけたことで、他のホテルの建設も進み、福島はどんどん元気になっていきました。これからも福島県の復興を進めなければならないし、能登半島や他の被災地の復興も重要です。特に近年の地球温暖化の影響か、日本の災害が大規模化、頻発化、複雑化しています。東日本大震災では福島県で地震・津波に原発事故まで発生して、複合災害となってしまいました。災害が起こると安全保障上の問題も発生します。ウクライナ戦争では、ロシアがザポリージャ原発を占拠、戦闘による放射性物質の漏洩の危険が生じたり、チェルノブイリ原発は占拠されていませんが、先日ロシアのドローンによる攻撃を受けたりしています。日本で震災が発生した場合には、そこを狙って他国が原発等に攻撃を仕掛けてくる可能性があります。私は今、災害と危機管理をテーマにした活動に力を入れていて、防災士と国際危機管理士の資格も取得しましたし、東京大学工学部(大学院)の社会人学生として災害対策学を学んでいます。

元谷 災害対策と安全保障は、政治の最重要テーマだと思います。また災害の際に私が常々問題だと考えているのは、メディアのただ不安を煽るような報道によって、風評被害が発生することです。いち早く本当のことを知らせ、安心感を醸成する体制も求められています。

森 その通りです。東京オリンピックの際も韓国が福島は危ないとキャンペーンを行ったり、二〇二三年に開始した福島第一原発からのALPS処理水の放出に対して、中国が日本産水産物の全面的な輸入禁止を行ったり、海外からの風評被害も発生します。韓国も中国も、日本の外交努力によって、今はかなり態度を軟化させていますが。風評被害に対して政府ができることは限られています。経済界からサポートが得られると、非常に助かります。

元谷 ホテルを建設するなど、やるべきことはどんどんやっていきます。

森 あとやはり解決が急がれるのは、人口減少対策でしょう。少子化対策やライフワークバランスの推進等に、私は積極的に取り組みたいと考えています。

元谷 結婚しない人が増えているのが、問題の根源にあるのではないでしょうか。貧しいと感じる人が増えると、独身のまま結婚もしない子供も産まないという人が多くなります。国民の多くが豊かさを感じることのできる社会を実現することが、急務ではないでしょうか。

森 お給料を上げる等、若い人の経済的安定が求められています。

元谷 森さんや私が助けられた奨学金の一層の充実も、求められています。

森 どんな家庭環境の人でも勉強ができ、会長のようなやる気のある人を成功に導くことができるような制度が必要ですね。

元谷 全く同感です。

耐震偽装報道で実践した
「逆境こそ光輝ある機会」

森 アパホテルに関わることで私が一番感動したのは、コロナ禍の中、アパホテルがコロナウイルスの陽性者の受け入れを行ってくれたことです。当時私は法務大臣として内閣の一員だったのですが、安倍首相が非常に感謝していました。他の著名なホテルは、陽性者を宿泊させるとパンデミックが治まった後、誰も泊まらなくなることを恐れて、引き受けなかったのです。

元谷 安倍首相から直接携帯に電話をいただき、受け入れを了承したら、翌日の朝の記者会見ですぐに発表されていました。

森 国を助けるご決断だったと思います。

元谷 これは第一次安倍政権の前のことですが、私は安倍晋三を総理にする会の副会長だったのです。実質的には私が作った組織なのですが、トップは別の方にお願いして、私は支える側に回りました。これもあって、そもそも私は安倍首相とは親しかったです。

森 そうだったのですね。第二次政権で安倍さんが首相に復帰する前には、自民党政権も民主党政権も年単位で首相が変わり、海外の人が誰も名前を覚えられないという時代が続きました。そんな状況では日本のプレゼンスを世界に示すことはできません。そんな時に安倍首相が再び誕生し、八年の長きに亘って政権を担当しました。会長はその日本最長政権の生みの親なのですね。

元谷 そうかもしれません。

森 安倍さんは、第一次政権の時には潰瘍性大腸炎という難病で辞任を余儀なくされました。その後の話を夫人の昭恵さんにお聞きしたことがあります。周囲の多くの人が、体のことで首相を辞任したのだから、政治家としてもう復帰は無理ではと言っていて、昭恵さんもそれを心配したそうです。しかし安倍さん自身の意志は非常に強く、もちろん政治家を続けるし、もう一度首相になるという信念をお持ちだったと聞いています。会長はその安倍さんを支えてくださったのですね。

元谷 元々頻繁にお会いして、日本がどうなるべきかという議論を行っていたのです。その中で、考え方における連帯感が築かれ、だから総理にする会を作ることにしたのです。私は事業にも力を入れてきましたが、同時に国への貢献となる言論活動にも注力してきました。

森 五十年以上事業をされてきたのですから、ずっと安泰ということもなく、コロナ禍のように危機を迎えられた時もあったと思います。それを乗り越えて会社が継続しているというのは、本当に素晴らしいと思います。私は弁護士として多くの企業の清算に関わったのですが、ピンチに陥っても清算という道を選ばずに、再び業績を回復させていくためには、精神力も体力も使命感も不可欠だと感じています。会長がどのように困難に立ち向かってきたかは、多くの経営者の関心がある話だと思います。

元谷 私が毎月月刊誌『Apple Town』に掲載している「APA的座右の銘」の一つに、「逆境こそ光輝ある機会なり」というものがあります。状況が厳しい時こそチャンスなのです。特に他の人が思い切った行動に出ない時期は、打って出るのに良いタイミングだったりするのです。

森 二〇〇八年のリーマンショックの時、産業界は大きな損失を被ったのですが、その時にアパグループは大きく成長しています。

元谷 その直前にアパグループには、自らは何の問題もない耐震偽装問題に巻き込まれ、金融機関からの融資返済要求に応えるため、資産を整理する必要があったのです。当時はファンドバブルで資産を高値で売却することができ、返済した後もキャッシュに余裕ができていました。だから、リーマンショックの後に暴落した東京都心の土地を、安く仕入れることができたのです。また、これからの日本の成長産業は観光だとし、観光が盛り上がるためには、海外からのお客様が宿泊する場所が用意されていないと、リピーターも見込めなくなると考えました。そこで二〇一〇年から「SUMMIT五(頂上戦略)」として、東京都心に集中的にホテルを建設する作戦を実行、さらにホテルの拡大を全国で進め、日本最大のホテルチェーンを築き上げることができました。

森 本当に素晴らしいことです。

数多くの日本の良さを感じ
この国をもっと好きになる

森 今年は四月から大阪・関西万博が開催されます。日本の国の威信をかけて開催されるこの一大イベントを、宿泊の面から支えていただければ。

元谷 一昨年二月に千七百四室のアパホテル&リゾート〈大阪梅田駅タワー〉を、昨年十二月には二千五十五室のアパホテル&リゾート〈大阪なんば駅前タワー〉をオープンさせるなど、大阪・関西万博に向けて大阪には着々と大型ホテルの開業を行ってきました。アパホテルでは今お客様の三割強が訪日外国人旅行客で、たぶん日本で一番インバウンドを受け入れているホテルだと思います。特に海外の方は、長期滞在が可能なホテルを好まれる傾向がありますね。

森 外国の方が利用しやすいような工夫はされているのでしょうか。

元谷 英語表記はかなり徹底しています。この月刊誌『Apple Town』でも、ビッグトークと藤誠志のエッセイは、毎号日本語の他に英語に翻訳したものが掲載されています。APA的座右の銘も英語訳が入っているのですよ。

森 本当だ。細かい配慮をされているのですね。

元谷 これも、訪日外国人旅行客がアパホテルを利用する理由の一つになっていると思います。

森 しかしゼロから始めて、日本最大のホテルグループを築かれたというのは、本当に凄い業績です。

元谷 意識することが大切です。国会議員になろうとか、大臣になろうとか、意識を強く持つことで実現することができると思うのです。森さんも弁護士になる、政治家になる、大臣になるという意識があったから実現できたのでしょう。

森 仰る通りです。私は世の中の不条理が許せなかったのです。親の仕事が上手くいかないために、子供が学校に行けないのはおかしいと、自分が子供の頃から強く思っていたのです。これを変えるのは政治家ですし、その中でも権限を持っているのは大臣です。世の中を良くしたいという強い思いが、これまでの結果に繋がっているのは間違いないですね。苦学生だったことや強い意識を持っていることなど、会長とは何か共通点が多いような気がします。

元谷 そうですね。

森 あと会長の一番大好きなところは、奥様をとても大事にされているところです。全国の女性の憧れですね。ホテル社長には私の故郷の福島県いわき市の経済同友会で講演していただき、なれそめから起業後の話まで、全てをお伺いしました。

元谷 県は異なりましたが、お互い信用金庫に勤めていた関係で知り合って、結婚しました。

森 社長に起用されて、働く女性に活躍する場を与えられて。またホテル社長は仕事で活躍するだけではなく、家庭でも息子さんお二人を生んで育てて、その息子さんが今は会社を継いで発展させていて。家族仲良くて、非常に羨ましいことです。私は家庭を国の最小単位だと考えていますから、ここが円満なことが少子化対策としても非常に重要だと思います。

元谷 様々な方々のお力添えもあって、私は大変恵まれていると感じています。その恩返しは、儲けて税金を払うことだと。創業してから一度の赤字を出さずに、高額納税を続けてきています。

森 その税金で、物価対策や被災地の復興等が行われているのです。納税は本当に大事です。

元谷 その通りです。税金を払うのはバカバカしいという人もいますが、様々なインフラの恩恵を受けている以上、ちゃんと儲けて税金を払うべき。また私の場合は、税金をきちんと納めているから、言いたいことを主張できるのです。

森 素晴らしい姿勢だと思います。

元谷 最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。

森 日本を好きになってもらいたいですね。私はアメリカに留学した経験がありますが、海外で暮らすと日本の良さがよくわかるのです。治安が良く穏やかで、経済的にも安定しています。また昔からの伝統文化や地域の互助精神、家族の絆もある。日本の良さを、もっと若い人に感じて欲しいと思います。

元谷 全く同感です。今日はありがとうございました。

森 ありがとうございました。