Big Talk

皇室と神道は日本人の団結の礎だVol.405[2025年4月号]

日本経済大学 准教授 久野潤
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アパグループ会長 元谷外志雄

四百名以上の戦争経験者へのインタビュー、七百社以上の神社神職への取材等、活発なフィールドワークで知られる気鋭の保守論客・日本経済大学准教授の久野潤氏。昭和初期の防共政策をはじめとした日本の政治外交史を専門とする久野氏に、研究者への道を進んだきっかけや、行っている歴史研究の意義、今の日本人に対する思い等をお聞きしました。

久野 潤氏
1980年生まれ。専門は近代政治外交史。神道が専門ではないが、神道を重要な要素とする国史の研究者として日本経済大学や名城大学で講義。日本国史学会理事、歴史認識問題研究会幹事、顕彰史研究会代表幹事など。全国で神社や戦争経験者を直接取材。各地で歴史勉強塾(れきべん)を開催。毎週更新のYouTube『久野潤チャンネル』も運営している。

隠れ共産主義者の暗躍で
共産主義的政策が現実に

元谷 本日はビッグトークへの登場、ありがとうございます。今年から産経新聞の「正論」の執筆メンバーになったとお聞きしています。おめでとうございます。

久野 ありがとうございます。早速一月二十四日付の産経新聞の「正論」に、「英霊慰霊顕彰と皇位の男系継承」という一文を掲載していただきました。

元谷 歴史学者として大活躍中の久野さんですが、そもそも研究者の道に進んだ理由は、何だったのでしょうか。

久野 両親はもちろん、親戚にも研究者がいない家庭で、特に研究に縁があった訳でもありませんでした。ただ、両親には祖父母の家によく連れて行ってもらったので、戦前の話をいろいろと聞く機会が多かったのです。そしてそのため、小学生になって歴史を学んだ時に、日本が侵略戦争の中で南京大虐殺や慰安婦の強制連行を行ったということに非常に違和感を感じました。もちろん十分に知識があった訳ではないのですが、祖父母との交流を深めていた私には、彼らと同世代の人間が並外れた残虐行為をするということについて、想像がつかなかったのです。また祖父母の話から伝わる戦前の日本人の素晴らしさからも、そんな偉大な人々が本当に悪いことをしたのかという自然な気持ちも芽生えていました。これは情報戦・歴史戦の一環としてのプロパガンダが行われていた結果で、戦前・戦中の人間が悪いことをしたと私達に刷り込むことで、先人との信頼関係を破壊していたのです。このプロパガンダに多くの日本人が騙されていたのだと、後になって理解することができました。

元谷 教育とメディアの報道で、日本人は自国がかつて、非常に残虐なことをした悪い国だったと思い込まされてきたのです。私はこの月刊Apple Townの刊行や「真の近現代史観」懸賞論文制度、アパ日本再興大賞の実施、そして勝兵塾の開催等で、本当の歴史を知る機会を日本人に提供し続けてきました。

久野 私も大阪の勝兵塾が立ち上がった時から参加しています。先月は東京の勝兵塾でも講演をしました。会長が行っている一連の言論活動は、本当に素晴らしいことだと思います。

元谷 小学生以降の久野さんと歴史の関係は、どうなったのでしょうか。

久野 長じて大学や大学院に進学し、本格的な歴史研究に触れることで、私が子供の頃に感じていた「本当に日本は侵略国家で悪い国だったのか」という疑問は、正当なものだったという確信を得ることができました。私は大学院から、支那事変(日中戦争)期の政治外交史を研究するようになりました。正規のゼミ生ではなかったのですが、薫陶を受けていた中西輝政先生から、近衛文麿のブレーン集団だった昭和研究会の研究が全然進んでいない、どういう主張と行動をしていたのかを研究してみてはどうかという指導をいただいたことがきっかけです。私は修士論文に、先行研究が当時ほとんどなかった、この昭和戦前期の限られた時期に活動し、メンバーたちが戦争国策に大きな影響を及ぼした昭和研究会のことを書きました。それ以来、戦前日本の防共政策やその挫折を大きな研究テーマとしています。

元谷 中西輝政さんとは張作霖爆殺事件の真相について、このビッグトークで対談をしたことがあります。あの事件の首謀者は一般に言われる関東軍の河本大作大佐ではなく、本当はソ連の特務機関が行ったということで、私と中西さんの意見は一致しました。

久野 そうでしたか。私が研究していくうちに気づいたのは調べたところによると、この昭和研究会が容共的政策を正当化していったことで、日本の防共政策が変質してしまったのです。一九一七年にロシア革命が起き、これによってナポレオンでも倒すことができなかったロシアという国が、内部崩壊を起こして滅びてしまいます。この過程を見ていた日本の知識人の一部の中に、貧困層を救いたい、日本を平等な社会にしたいという理想を持ち、またそれを議会制民主主義の中での改革ではなく、天皇制打倒の革命によって実現しようという思潮が起こります。共産主義に傾倒する若者が増えることに対して、政府は治安維持法での取り締まり等で、日本精神を取り戻すための動きも見せました。しかし若き共産主義者達は、治安維持法で検挙され何年か刑務所で過ごし出てきた後、表立って共産主義を主張する代わりに、政権に近づいて密かに共産主義的政策を後押しすることで、理想を実現しようとしたのです。昭和研究会に入ることで近衛内閣に潜り込んでいた共産主義者達にとっては、一九三七年に勃発した支那事変はチャンスでした。長期戦を勝ち抜くため、戦時体制だからという理由で、平時であれば共産主義的だと批判されそうな統制経済を実行していったのです。

日本人の団結のために
紀元二千七百年の奉祝を

元谷 防共という考えが強かったはずの日本政府の政策が、思わぬところから崩れていったのですね。

久野 はい。外交政策にもそうした影響が見られます。一九三六年に日本はソ連を仮想敵国とした日独防共協定を結び、翌年イタリアも加入した後、三年後の一九四〇年に日独伊三国同盟を結んでいます。学校の教科書的には、防共協定を強化して三国同盟という軍事同盟にしたと説明されており、当時の政府・軍における推進派の主張も同様でしたが、実際は異なります。外務大臣の松岡洋右はソ連も含めた日・独・伊・ソ四国同盟を構想、防共どころかソ連と組もうとしていたのです。つまり三国同盟は「防共の強化」ではなく、「防共の破棄」だったということです。

元谷 本当の目的を隠すために、「防共の強化」を主張したということでしょうか。

久野 容共主義者たちが、松岡外相の動きを利用したと言えるでしょう。また、それは日米離間を図る勢力にとっても好都合で、ソ連のスパイだったリヒャルト・ゾルゲもこうした動向を注視していました。日本の外交政策の中で、ソ連を警戒するのが最重要項目だったはずが、いつの間にかそうではなくなっていたわけです。誰がそのように仕向けたのか。日本の政治外交史において、現在への教訓としても共産主義勢力に対する対応が重要なテーマになるはずなのですが、なかなか注目されません。そのため、私が学問の世界でも一般社会へも、できるだけ問題提起をしています。

元谷 今後も引き続き研究するに値するテーマだと思います。

久野 しかし昭和十年代(一九三五年~)は隠れ共産主義者が政権に入り込んだ一方、日本人が日本を懸命に取り戻そうとした時代でもありました。特に一九四〇年に紀元二千六百年の奉祝を盛大に行ったことは、特筆に値すると思います。一九三七年に中国との戦争状態が始まり、この長引く戦争にあらゆるマンパワーや資源を投入する必要があったにもかかわらず、奉祝のため様々なことを実行しています。教科書には「紀元二千六百年奉祝事業を行った」としか書かれていませんが、これは世界に誇る離れ業としか言いようがありません。

元谷 確かに、そのタイミングでの奉祝は偉業ですね。

久野 またこの奉祝に関しては、天皇偏重の思想と他国への優越性を強調するために、明治以降の近代化の延長線上の国策として行われたという批判がありますが、例えば、その百年前の一八四〇年の紀元二千五百年に際して、水戸藩主の徳川斉昭は朝廷や幕府に国家的に奉祝すべきとの建議を行っています。その時は幕末の動乱期で受け入れられませんでしたが、江戸時代以前でも神武天皇即位紀元をお祝いするという動きはあったのです。その百年後の一九四〇年には、江戸時代にできなかったという民族的記憶があって、「何がなんでもやらなければ」という機運が盛り上がったのでしょう。

元谷 それだけでしょうか。日中戦争の最中にもかかわらず奉祝を行ったことには、もっと強い根拠があったように思えるのですが。

久野 仰る通りです。さらに日本の何を守るために戦争をしているのか、何が守れなければ日本ではなくなるのかが、戦争中であるために強く意識され、日本の原点回帰の方向に繋がったことも、奉祝の原動力になったのでしょう。また、紀元二千六百年の様々な行事はいきなり準備されたのではなく、その約二十年前の一九一九年~一九二〇年に行われた日本書紀編纂千二百年関連の諸行事が下敷きとなっていると考えます。神武天皇による建国が記された正史である日本書紀の歴史観を共有するという土台があったからこそ、中国との戦争の最中でも国家的奉祝が可能だったのではないでしょうか。

元谷 国難に直面して、日本国民を団結させるために、誇れる国が二千六百年も続いてきたのだということを強調して、国として思想的統一を図る必要を政府が感じていたこともあったのでしょうね。ただそれが、その後の行き過ぎた軍国主義を招いた可能性もあります。

久野 確かにそれもあるでしょう。また、「日本とは何か」を考える原点回帰を悪用して、日本は誇れる国なのだからアメリカに屈してはいけないと、反米や日米関係を崩す主張を行う勢力も出てきました。日米離間を画策していた隠れ共産主義者が、このような主張の政権内への浸透を図り、必要以上に「日本は凄い」「アメリカは悪い」という空気が生み出されていった側面もあると思います。

元谷 団結すると強いということもあり、日本は国内では紀元二千六百年の奉祝を行って国民の団結を、国外では三国同盟による国家間の団結を強めていきます。これは当時の政策としては、必要だったのではないでしょうか。

久野 そういう見方もできるのですが、隠れ共産主義者達には、三国同盟でドイツ・イタリアと組むことで、日本とアメリカを遠ざけようという意図もあったと私は考えています。これが見抜けなかったことを、今の日本の教訓にしなければなりません。

元谷 なるほど、その通りですね。

久野 また団結ということで言えば、今の日本にも団結が求められています。その一つの方策は、あと十五年後に迫ってきた二〇四〇年に、紀元二千七百年の国家的奉祝事業を行うことです。紀元二千六百年の時に下敷きとなった日本書紀編纂の節目については千三百年が二〇二〇年だったのですが、今回は何も行われていません。私も何人かの大臣クラスの方に相談したのですが、二〇二〇年は東京オリンピックがあるからと、なかなか取り合ってもらえませんでした。結局はコロナ禍で、東京オリンピックすらこの年には開催できませんでしたが。日本書紀には二千年程前の第十代崇神天皇の御代に疫病が流行し、それにどのように対処したかも書かれています。コロナの時代こそ、日本書紀をクローズアップし、さらに紀元二千七百年奉祝のステップとする必要があったのですが、果たせませんでした。私も力不足を反省しています。

元谷 何としてでも二〇四〇年には皇紀二千七百年の奉祝を行い、日本人の団結を新たにしたいですね。

久野 仰る通りです。

今年の大阪・関西万博は
歴史を伝える絶好の機会

元谷 日本は島国で大陸から程よい距離感を保っています。この距離感でいいものは取り入れ、悪いものは排除してきたのです。これは日本が持つ地政学的優位性だと思います。

久野 地政学的優位性で言えば、日本は島国であるが故に大東亜戦争の時にも海軍力を重視して、アメリカやイギリスと並ぶ海軍国になったということが、忘れられがちです。またこの日本の海軍は、神武天皇の東征の御船出が起源とされました。こういった歴史観が戦前は共有されていたのですが、今は過去と繋がることが軽視されています。今年開催される大阪・関西万博でも、本来であれば歴史と繋がるチャンスなのです。国際的に万博を招致した以上は、国として何が何でも実行するべきなのに、オリンピックの時もそうですが、反対理由を羅列して妨害する勢力があります。世界二百カ国近くのうち、歴史上万博を開催できた国は、三十カ国もありません。その中で日本を万博を開催できる国にまで育て、支えてくれた先人たちの労苦を思えば、信じられないですね。大阪・関西万博は、日本人が日本のことを、大阪人が大阪のことを伝える最大のチャンスなのです。特に関西は神武天皇の建国過程である神武東征に縁の深い地域なのですから、世界に日本の古い歴史を知ってもらうのにぴったりです。何故このような話になっていかないのかが、私には非常に不思議なのです。

元谷 私も全く同感です。オリンピックや万博に反対する動きについては、時の政権に反発することを「カッコいい」とする風潮が、日本のどこかにあるからでは…と感じています。かつての安保闘争からの「反権力のファッション化」が、延々続いているように私には思えるのです。

久野 それも分断の一つの要因だと思います。ただ今の日本を分断する要因の最たるものは、東京裁判史観ではないでしょうか。これに与する多数派と少数の抵抗する人々で、日本人の歴史的価値観が分断されているのです。東京裁判史観自体がそもそも日本にとって相応しくないだとか、これに基づく大東亜戦争の評価はおかしいということを、伝えていく必要があるでしょう。また、日本は過去に何度も国難に遭遇し、それを先人達が正しく乗り越えてくれた国です。さらに戦国時代も幕末も、ただ敵と戦うのではなく、「日本とは何か」を取り戻しながら国難を克服してきたのです。昭和の戦前期は日本国内への共産主義の浸透が国難でしたし、その後は国際情報戦に敗北したことによる大東亜戦争の敗北が国難でした。これらの国難とその克服から本当の教訓を汲み取るのが、歴史学の果たす役割なのです。例えば「日本とは何か」を突き詰めるふりをして、日米離間に導く勢力に国策を揺さぶられたことなどは、猛烈に反省すべきことでしょう。これらの反省を踏まえ、国難を克服して一致団結できる日本として、紀元二千七百年をお祝いしなければなりません。今からでもいろいろなところに働きかけをしていきたいと考えています。

元谷 日本では黙っていれば平和が当たり前のようにやってくると思っている人が多いですが、平和を維持するためには大変な力が必要です。日本を弱体化させようとする勢力は、六十年安保で日本が割れた時のような国民の分断を狙ってきます。そうはならないよう、結束を固める政策を実行していくべきで、例えば大阪・関西万博を通じて日本の良さを世界に発信すると同時に、日本人自身が自国の良さを再認識して結束を固めるための、紀元二千七百年の奉祝のような行事が重要なのです。

どんな日本人であっても
神道がDNAレベルで浸透

久野 今日米安保のお話も出ましたが、日本の安全保障体制として「日米安保があるから大丈夫」では甘いし、「日米安保なしで自分の国は自分で守る」も非現実的です。どこで現実的なバランスをとって、日本を運営していくのかが重要ではないでしょうか。その際によりどころになるのが、皇室と神道だと考えています。ただ、例えば皇位継承問題ですが、本来は男系継承を愚直に守ればいいだけなのに、かつては天皇制打倒と言っていた人々だけでなく、一部保守を自称する人々までが、「女系」天皇を容認すべきだと主張しています。これはまさに分断ですが、一番大事な皇室に関する問題で、日本は分断を生じてはいけないのです。二十世紀初頭、共産主義が世界を魅了した時に、共産主義の理想に燃えたゾルゲは金銭の対価なしに日本に諜報網を築いて、ソ連のためにスパイ活動を行い、結局死刑になりました。共産主義は人を突き動かしますが、日本の神道そのものは共産主義に対してもびくともしません。GHQの占領政策においても、アメリカ政府に潜り込んだ共産主義者が、日本弱体化のために神道をなんとか叩き潰して日本を分断しようとしたのですが、十分には果たせませんでした。

元谷 その通りで、私達日本人はまだ神道的な感覚を日常生活においても持ち続けています。

久野 食事の前にはいただきますと言ったり、常に手を洗って清潔にしていたりと、神道がDNAレベルで染み付いているのです。この「手を清潔に」というのは、神社に参拝する時の手水、さらに遡れば神話に出てくるイザナギノミコトの禊に由来するものです。それぞれが「神道を心に持っている」ことを信頼して、日本人の分断を防ぎながら、紀元二千七百年をどう迎えるかを考えていきたいですね。

元谷 日本ではどんな小さな町にも神社があり、初詣をしたり、何かあればご祈願に行ったりと、地域の生活に密接に繋がっています。これは宗教の信仰以前のことであり、日本人の団結の礎であることは確かです。アメリカは来年で建国二百五十年ですが、歴史の浅い国では様々な勢力による分断が起こっています。しかし、歴史の長い日本では、根本のところで人々が繋がっている習わしがあります。

久野 一つ私が不満に思っているのは、日本の政教分離の解釈です。政教分離自体については、私は建前としては基本的に異を唱えるつもりはありません。しかしキリスト教や仏教に関して、日本国憲法二十条や八十九条を根拠にした裁判沙汰になることはなかなかありませんが、神社との関係で政教分離の訴訟が起こされることは頻発しています。この状況を鑑みれば、神道を迫害するために現行の政教分離規定があるとしか考えられません。神道は一般的な定義の宗教ではありません。宗教以前の日本の国柄そのものだという理解が必要です。

元谷 全く同感です。日本は皇室と神道を礎として、長きに亘って結束を守ることによって、世界有数の経済大国となった国です。安全保障の観点からも、これからもこの団結を保ち続けるために、国民全員が努力をする必要があります。

久野 アパグループはそれを最前線で頑張っていますね。

元谷 はい。私も引き続き言論活動に邁進したいと考えています。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。

久野 私もまだまだ若いつもりですが、もっと若い人に伝えたいことは、日本についてもっと知って欲しいということです。例えば好きな人ができれば、その人のことを知る努力をするでしょう。日本が好きで大事にしたいのなら、日本のことを知る努力をして、さらに知ったことを他の人に伝えていって欲しいのです。日本の様々な伝統を後世に残していくことの一端を、ぜひ担っていって欲しい。先祖から受け継がれた意識を持った日本人として、日本を共に支えていって欲しいですね。

元谷 素晴らしい言葉です。今日はありがとうございました。

久野 ありがとうございました。