日本を語るワインの会261

ワイン261恒例「日本を語るワインの会」が会長邸で行われました。二〇二一年の衆議院議員選挙では惜しくも次点で当選を逃した元東京十五区衆議院議員候補の金澤ゆい氏、陸上自衛隊時代には特殊作戦群の初代群長を務めた熊野飛鳥むすびの里代表の荒谷卓氏、家庭の親子関係の再構築で愛国心を育む活動を行っている皇統を守る会理事の近藤倫子氏、音楽家の派遣を行う事業を行う他、昨年THE TOKYO CLASSICSを立ち上げ、楽しいクラッシック演奏活動も展開する株式会社サウンド東京代表取締役の福元麻理恵氏、厳しいオーディションを勝ち抜きTHE TOKYO CLASSICSのメンバーとなった東京藝術大学四年生の石塚万菜氏をお迎えし、芸術から政治まで、各人の様々な活動についての話題で盛り上がりました。
選択的夫婦別姓制度は
国家の破壊に繋がる
 近藤倫子氏は、長年児童家庭支援士の仕事をしてきた経験を生かして、内なる国防は家庭にありという信念の下、日本を守るために家庭の親子関係を築き直して、その中で愛国心を育むという活動を、主に著述活動を中心に行っている。選択的夫婦別姓制度に対して反対の立場であり、月刊WiLLでの原稿やYouTubeでの動画等で主張を発信、勝兵塾でも講演を行っている。夫婦別姓に反対する理由は、子供から見れば両親のどちらかと別の姓を名乗ることになり、これは子供にとって不幸なことだからだ。また家庭は国家の最小単位であり、選択的夫婦別姓は家庭を破壊し、それが地域共同体の破壊、最終的には国家の破壊に繋がる可能性がある。
 金澤ゆい氏は政治活動を行いながら、江崎グリコに勤務していた経験を踏まえて、マーケティングのコンサルティングも行っている。政治を志したきっかけはサラリーマン時代に、キャリアか出産・育児を選択しなければならない先輩を見て社会構造の不合理さを痛感、社会を根本的に変革するために、政治家にならなければと決心したからだ。生まれは神奈川県だが、勤務地が大阪だった関係で日本維新の会に入り、東京都江東区の衆議院の東京都第十五区で活動を行って、二〇二一年の衆議院議員選挙に立候補した。四万四千八百八十二票を獲得したが、惜しくも落選。その後も二〇二四年四月の補欠選挙、十月の総選挙にも立候補したが、涙を呑んでいる。目指すのは頑張っている人が報われる社会であり、正しい歴史を教える教育だ。LGBTへの対応等で主張が合わなくなり、昨年九月に日本維新の会を離党、現在は無所属で政治活動を行っている。
クラシック音楽を
楽しいエンタテイメントに
 荒谷卓氏は国を変えるためにはまず防衛からと考え、東京理科大学卒業後に陸上自衛隊に入隊した。習志野の空挺部隊から勤務をスタート、防衛庁防衛局防衛政策課戦略研究室にも所属した時があり、日本の防衛の全体構想を作成したが、当時の政府には受け入れられなかった。ドイツとアメリカへの留学も経験し、世界の動向と日本の格差をまざまざと感じたという。アメリカ陸軍特殊作戦コマンドのグリーンベレー養成課程に、四〇歳過ぎでかつ一佐の階級で参加したこともある。他のアメリカ人の参加者は二十代後半の頭も体も脂が乗り切った軍人達であり、「カーネル(大佐)じいちゃんがやってきた」と揶揄された。過酷な養成課程のため、一週間でギブアップするだろうという賭けに応じた荒谷氏は、結局この養成課程を最後まで修了、何度も賭けを繰り返すことで、一カ月程荒稼ぎを続けることができたという。
 防衛省に勤めて、日本の防衛を変えるとしてもどこから手を付けて良いのかわからず、まず政治からと、荒谷氏が立ち上げた安全保障制度研究会という若手の代議士対象の勉強会には、若き日の石破茂氏や前原誠司氏が参加した。またその後、自民党では石破グループの、民主党では前原グループの国防勉強会も主宰した。一方本業の方でも自衛隊の改革プランを作成し、日本最初の特殊部隊である特殊作戦群を実現、自らが初代群長に就任した。三年群長を務めた後、一度辞表を提出したが、第一次安倍内閣の時でNSC構想が持ち上がっており、その内閣に派遣する要員になることを要請されて待機していたら、安倍氏が首相を辞任、福田内閣になった途端に法案が廃案となったので、改めて辞表を提出して辞めた。退官後は明治神宮至誠館の館長に就任、十年務めると同時に憲法の会を作り、一般国民が憲法草案を起案して国の体制を考える勉強会を開催した。その実践として六年前に、三重県熊野市に伝統的な日本の共同体である「熊野飛鳥むすびの里」を設立、三年前に全国の同志に声をかけて、日本自治集団を結成、二十年前に考えた新しい日本の形の構想に向けた活動を活発化している。
 自身もバイオリニストである福元麻理恵氏が代表取締役を務める株式会社サウンド東京は二〇一六年設立、ホテルの宴会場を主戦場に、企業を中心とした様々なパーティーに演奏家を派遣するビジネスを行っている。パーティーの規模に応じて、演奏家を一人から二十人、最大で六十五人のオーケストラを派遣することも可能だ。その他にも三山ひろしの全国ツアーの伴奏を二年間務める等の実績を積んできたが、コロナ禍で九九%の仕事が消滅した。初心に帰った福元氏が二〇二二年に始めたのが日本初の女性だけのプロの交響楽団「東京女子管弦楽団」で、初代理事長に就任した。白鶴酒造等の協賛も得、評議員には、衆議院議員の高村正大氏や参議院議員の今井絵理子氏らが参加している。福元氏は二〇二四年に東京女子管弦楽団の理事長を退任、新たに「THE TOKYO CLASSICS」というインストゥルメンタルグループを結成、クラシック音楽を誰もが楽しめるエンタテイメントとして発信する活動をスタートした。
 石塚万菜氏は三歳からバイオリンを始め、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校から東京藝術大学に進学、現在四年生だが難関を突破して東京藝大の大学院に進学する予定だ。「THE TOKYO CLASSICS」に参加するには厳しいオーディションがあり、東京藝術大学の在学生や卒業生が何人も落ちたが、石塚氏は見事に合格した。日本では芸術活動ではなかなか稼ぐことができないと言われているが、その状態に風穴を開けるべく、「THE TOKYO CLASSICS」は更に活動を活発化させていく。
お金の掛からない工夫で
赤字のプールを黒字に
 企業の「売上が上がらない」や「利益が出ない」は、やり方を変えれば改善できる可能性がある。アパグループがアパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉をプリンスホテルから購入した時には全部門が赤字で、特に年間二カ月しか営業をしないプールの赤字が酷かった。専務は費用を掛けないこのプールの黒字化を考え、まず大塚製薬と交渉をしてプールのネーミングライツを購入してもらい、プールの底に大きなポカリスエットのロゴマークを入れた。さらに有名アイドルグループが登場していたポカリスエットのポスターを無料で大塚製薬から提供してもらい、それをホテル内の至る所に貼った。これによりお金を掛けずにホテルのブランドが向上すると同時にプールの告知ができ、多くの人がプールを利用することにより、二カ月の稼働でも黒字化を達成することができた。これは小さな頃からビジネスの工夫と実践を重ねてきた会長の姿を、専務が子供の頃から見ていたからこそ生まれたアイデアだ。この成功から以後の大型のアパホテルには必ずプールが作られ、タリーズコーヒープール(アパホテル&リゾート〈西新宿五丁目駅タワー〉)、モンダミンプール(アパホテル&リゾート〈大阪なんば駅前タワー〉)、バスロマンプール(アパホテル&リゾート〈六本木駅東〉)、ネスカフェプール(アパホテル&リゾート〈両国駅前タワー〉)などが誕生。訪日外国人旅行者はホテルのプールで寛ぐことが好きな人が多く、インバンドの集客にも一役買っている。
学生の就職先としても
アパグルーブの人気が高い
 ホテル社長や専務へは多くの講演依頼が来ているが、講演は面白く、元気の出るものがいい。また講演は「掴み」が大事。まず笑わせて場を和ませるのが王道だが、「この会場で一番のハンサムさん」などと誰かを指名すると、次は自分が当てられるかもと緊張感が走り、講演者が主導権を持って話を進めることができる。保守言論人は講演が下手でお金が集まらないと良く言われるが、この辺を工夫する必要がある。ホテル社長が経営者向けの講演で良く話していたのが、ライオン社長と九十九人の羊の部下の会社と、羊社長と九十九人のライオンの部下の会社では、どちらの業績が伸びるかという話だ。正解はライオン社長の会社。企業はトップで決まり、トップが強くないと変革や成長は難しい。またトップが優しすぎると、優秀だったライオンも社長に倣って弱くなってしまうという。またホテル社長は、運命の女神には後ろ髪がないという話も良くする。努力を続けて運命の女神とすれ違うことができたなら、その瞬間にちゃんとチャンスを掴む。一瞬を逃したら、もうチャンスは通り過ぎてしまうのだ。良い経営者は良い芸人と同じで、瞬時に見極めを行って反応することができる。これがないと、天下を取ることはできない。
 会長は若い頃から車が好きで、一番好きなスカイラインGT‐Rは歴代の車の全てを所有している。また、フェラーリ等外車も多数乗り継いできたが、特に外国製の高級車の皮シートは、独特の匂いがするものが多かった。専務がまだ幼稚園児の頃、会長が送ってくれるというのでジャガーの後部座席に乗ったが、あまりにも匂いがきついので口の周りにタオルを巻いていた。それを見た会長は「誘拐犯だと思われるから止めろ」と言ったという。
 マイナビ二〇二五の日本経済新聞連動特集に掲載されている二〇二五年卒就職企業人気ランキングの文系学生の第一位は、ニトリだった。かつて東京海上火災が毎年一位だったことから考えると、隔世の感がある。このランキングでアパグループは五十三位だが、旅行関連業界に絞ると五位、ホテル業界に絞ると二位になる。ただホテル業界の一位はオリエンタルランドであり、ここはTDRの運営がメインの事業でありホテルも園内のみだ。ホテル専業企業で考えれば、実質アパグループが一位ではないだろうか。アパグループは毎日二億円の利益を出し、一兆円の資産を保有する優良企業だ。百年続く企業を目指して、他の追随を許さないオリジナルな商品開発で常に進化を続けている。