日本を語るワインの会259

ワイン259恒例「日本を語るワインの会」が会長邸で行われました。経済・経営の観点から技術問題を捉える研究を続ける神奈川大学経済学部教授の小山和伸氏、人気商品「ペヤング ソースやきそば」シリーズの売上が年商一七〇億円の八割を占めるまるか食品株式会社代表取締社長の丸橋嘉一氏、著書『「ジャパンズ・ホロコースト」解体新書』が第七回アパ日本再興大賞の最終選考にまで残ったジャーナリストの大高未貴氏、千葉ロッテマリーンズ時代には首位打者、その後大リーグ、阪神タイガースでも活躍した野球人の西岡剛氏をお迎えし、人生や商売など様々な話題について語り合いました。
技術が成熟しつつある原発
今止める選択はあり得ない
 第七回アパ日本再興大賞の最終選考にまで残った大高未貴氏の著書『「ジャパンズ・ホロコースト」解体新書』は、アメリカのユダヤ人がアメリカで出版した『ジャパンズ・ホロコースト』という本の中で、日本が天皇の命令で三十万人の人を虐殺したという主張を行ったことに対し、インタビュー等を交え丹念に分析と反論を行ったもので、多方面から高く評価された。
 小山和伸氏の専門は、産業における技術の重要性に関するものだ。産業革命がいつ起こったかで、経済の先進性が決まる。最初に産業革命が起きたイギリスは、最古の経済先進国だ。このように技術と経済との結びつきは強い。人間は有史以来様々なものを発明してきたが、パフォーマンスが高い技術ほどリスクも高くなる。自動車は自転車よりも便利だが、自動車事故の方が自転車事故よりも酷い場合がほとんどだ。これを人間はなんとか克服して、文明を発展させてきた。最も重要な技術問題は、経済の根幹たるエネルギー問題だ。日本は福島第一原発の事故以降、原発に関して非常に臆病になっていた。ドイツは福島の事故をきっかけに、当時のメルケル首相が原発全廃を決断、実際に二〇二三年に全ての原発が停止した。しかしフランスは、今でも電力の七〇%を原発に依存していて、国民のコンセンサスも得ている。ドイツはロシアからの天然ガスによる発電で電力を賄おうとしていたが、ウクライナ戦争にまつわるパイプラインの破壊等でガスが供給されず、電気代の高騰を招いている。これは技術的リスクと政治的リスクの天秤にかけて、技術的リスクを重視して判断したのだが、実際にはプーチン大統領という政治的リスクの方が大きかったという例だろう。自動車でも飛行機でも、技術は初期段階で致命的な事故を起こす。しかし引き続き試行錯誤して開発を継続していると、ある瞬間から急速に安定して事故率が激減する。一九五〇年代から始まった日本の原発は、今成熟過程に入りつつある技術であり、ここで止めることは一番無駄が多くなる。続けていけば、必ず安全性が飛躍的に高まる技術なのだ。またコストも下がる。自動車は、「T型フォード」の誕生でガソリンエンジンの使用した「ドミナントデザイン」が確立していき、急速に価格が安くなっていった。
ライン速度を落とすことで
利益を食う製造ロスが減少
 まるか食品の「ペヤング ソースやきそば」の製造ラインはほとんど無人だ。大量生産を目的にしておらず、他社の半分ぐらいのスピードでゆっくりとラインが動いている。ゆっくりと動くことで製造ロスが出ず、エネルギー効率も良く、一人当たりの生産量が上がる。製造業にとって製造ロスは一番利益を食うもので、これが無くなるだけで大きく利益に貢献する。社長の丸橋嘉一氏の業務の大半は新商品開発だ。年間三百アイテムぐらいのアイデアを出し、実際に六十アイテムを商品化している。昨年発売した「ペヤング アパ社長カレー味やきそば」は、バイヤーからの発注が多く、予定製造数をはるかに超える発注となり、ファミリーマート等で売り出した。専務のアイデアである「ザク辛スパイス」がついたこのアパ社長カレー味のペヤングは大きな反響を呼び、ネットニュースに多数掲載され大ヒット商品となった。
 二〇二五年で「ペヤング ソースやきそば」は発売から五十周年を迎える。女性も食べやすいスッキリとした味でロングセラーとなっているが、発売当時十歳だったお客様はもう六十歳で、だんだん食べる量が減ってきている。そのため、新たな若い顧客を獲得するために様々なやきそば商品を展開、そこで興味を持ってもらった人が改めてオリジナルの美味しさを発見する…という流れを作っている。そんな新商品の一つ、「ペヨング ソースやきそば」は、わざと味を薄く量も少なくした「ペヤング」の劣化版。これもヒット商品になったが、食べた人の多くはオリジナルの美味しさを再認識して、戻って来るという。人気の「超大盛」は、店頭で手に持って「多いな…」と思う人はオリジナルを購入するという流れで開発した商品だ。さらに作られた「GIGAMAX」が多いと思う人は、「超大盛」を購入するという仕組みになっている。自社製品には自社製品のライバルを作らなければならないというのが、丸橋氏の哲学だ。
 丸橋氏が伝授する「ペヤング ソースやきそば」の一番美味しい食べ方はこうだ。沸かしたてのお湯を容器に注ぎ、通常書かれている三分ではなく一分でお湯を捨てる。ソースを入れて混ぜてから蓋をして、さらに一分待つ。硬めに仕上がった方が麺は美味しく、さらにそこにソースが染み込んでいる状態になる。柔らかめの麺が好きな場合は、最初の一分を二分にすればいい。
四十歳になって気付いた
「いい時ほど謙虚であれ」
 四歳から野球を始めた西岡剛氏は、小学校二年生の時に父親から、勉強を頑張って東大にいくか野球を続けてプロ野球選手になるかどちらかを選べと言われ、深く考えずにプロ野球選手を選んだ。それからプロになるまで一年三百六十五日練習を休まなかった。その結果、ドラフト一位で千葉ロッテマリーンズに入団。しかし本人の意識としてはこれがスタートラインで、これからプロ野球選手として稼ぐのだと考えていた。十九歳でレギュラーを獲得、二十二歳の時にWBC日本代表として優勝を経験、二十六歳の時には首位打者になり、この頃は世界が自分を中心に回っているように感じたという。プロ野球選手は結果さえ出せば給料が上がる世界で、ヒーローインタビューで「ファンの皆さんのため」というのは口先だけで、本当は自分のためとしか考えていなかった。しかしこの頃が、一番選手として成長が早かった。三十歳を過ぎると、自分の高額の給料がユニフォームや球場に付いているスポンサーや、試合を観に来てくれる観客から来ていることを理解するようになり、ファンへの対応は丁寧になったが、野球がすごく難しくなった。結局西岡氏のNPBでのプロ野球人生は、三十五歳で終わった。プロ野球選手になった時、西岡氏はプロって思っていたよりも簡単で、同期や先輩の選手を見ても、大した事ないと思っていた。阪神タイガースで一緒にプレーをしていた鳥谷敬氏も、西岡氏は正直大したことがない選手だと思っていた。しかし鳥谷氏と話をしてみると、西岡氏とは逆にプロ野球に入って、凄い世界だと感じたという。そこからさらに努力を積み重ねたので、鳥谷氏は二千本安打を達成、四十歳までNPBの現役でいることができた。栄光の後に怪我等で挫折を経験した西岡氏は、若い頃の自分は勘違いをしていて、今考えると反省点だらけ。成績が良く、良いシーズンだったと思う時には何らかの落とし穴があり、故障や不調を耐えて乗り越えたことが、むしろ自信に繋がっている。「いい時ほど謙虚であれ」という言葉が正しい。このようなことや、野球人としての選手生命は短いこと等を、これから後進に伝えていきたいという。
オリジナリティの追求は
大きな利益をもたらす
 二〇一四年十二月、ネットに「ペヤング ソースやきそば」にゴキブリが混入している写真が掲載され大騒ぎになり、返品が相次ぎ製造を停止、掲載から十日間で小売店から「ペヤング」が消えた。その後七カ月間、正常な出荷ができなかったという。本当にゴキブリが混入したのかははっきりしなかったが、まるか食品は生産ラインの様々な点を改善、今では六方向から監視するカメラを導入する等、徹底的な品質管理を行っている。「無かった」証明というのは一番むずかしい。南京事件についても同様だが、中村粲氏の説明に一番説得力がある。中国側は日本軍が十五万体の遺体を四十日間で埋めたと主張しているが、事件の時は十二月で南京は凍土となり、重機を使うか数千人の屈強な男性がいないと無理。それを考えると、少なくとも「十五万体の遺体を埋めた」という主張は正しくないと言える。
 二〇二四年十二月十三日に放送されたテレビ番組「ガイアの夜明け」(テレビ東京系)は、「ビジネスホテル戦争!〜日本一アパvs世界王者マリオット〜」というテーマで、CEOに五カ月間密着取材をして作られたものだ。マリオットが「フォーポイントフレックス by シェラトン」という低価格ホテルを、一気に十四棟全国にオープンさせたことで「戦争」としているのだが、マリオットの社長はアパホテルを知らなかった。またアパホテルのライバルはアパホテルであり、累積2,000万人以上の会員を背景にオリジナリティのある路線を走っている。他社と同じものを作ると価格競争しかない。オリジナルの商品なら、真似できない。「ペヤング」のような商品なら、オリジナリティはメーカーにも小売にも利益をもたらす。アパホテルの場合はホテルチェーンを始める際に航空業界を研究、ホテルの稼働率を航空機の搭乗率を同じに考え、徹底したイールドマネジメントを導入するために、多大なシステム投資を行った。
 コロナ禍中にアパホテルは陽性者の宿泊療養施設として、ホテルの一棟提供を行った。通常の経営者であれば、提供したホテルの後々の風評被害に恐怖を感じ、このような決断はできない。しかし会長は自分が本物だという確信があれば、そんな恐怖は湧かないという。ただ現場はやはり大変だった。オープンしたばかりのアパホテル&リゾート〈横浜ベイタワー〉も療養施設として神奈川県に提供することになったが、既に数千件の予約が入っていた。そこで、アパホテルのスタッフが一人ひとりのお客様に連絡、丁寧に他のホテルに誘導した。また療養所勤務のスタッフの負担を考え、強制ではなく希望者のみにしたが、予定人員の数倍の応募があり、ホテル社長が驚いた。