中村 敏幸氏
昭和22年三重県四日市生まれ。幼少期に度重なる米軍機の猛爆撃によって破壊された四日市第二海軍燃料廠の残骸を眺めて育ち、大東亜戦争とは何だったのか? を考究することがライフワークになる。明治大学工学部卒業後民間企業(大同特殊鋼株式会社)に勤務。退職後、近現代史を中心とした古今東西の歴史・思想・文芸書に本格的に取り組み、皇統護持こそが日本を守り、日本を取り戻すための最後の砦であるとの結論を得、「皇統を守る国民連合の会」の創設に携わり現在理事。
日本は連戦連敗している
元谷 今日はビッグトークへの登場、ありがとうございます。中村さんは今年の第十七回「真の近現代史観」懸賞論文にて、最優秀藤誠志賞を獲得されました。おめでとうございます。
中村 ありがとうございます。
元谷 まず、中村さんの自己紹介をお願いできますでしょうか。
中村 私は、一九四七(昭和二十二)年三重県四日市に生まれました。今は石油コンビナートで有名な街ですが、その一帯は、一九四一(昭和十六)年に旧帝国海軍の軍艦や航空機が使用する燃料を精製する基地である第二海軍燃料廠が操業を開始したところです。父はこの第二海軍燃料廠の航空燃料を研究する部門に勤めていました。この施設は、戦争末期の一九四五(昭和二十)年三月頃から度重なる、アメリカ軍機による猛爆撃を受けるようになりました。これは母からよく聞かされた話ですが、空襲警報が鳴ると、父は家族を防空壕に避難させた後、燃料廠の実験施設を守るために官舎を飛び出していったそうであり、その度に母は、これが今生の別れになるかもしれないと覚悟したそうです。空襲で特に規模が大きかったのが、六月十八日の四日市空襲であり、凄まじい爆撃によって全市の約三五%が焼失したと記録されており、燃料廠は廃墟と化してしまいました。私は戦後生まれなので空襲を直には体験していませんが、私が幼少期に眺めていた原風景は爆撃によって機能を失った石油精製設備の残骸やあちらこちらに残る、爆弾によって空いた大きなクレーター状の穴、そして機銃掃射の痕でした。そして、その頃から幼心にも、大東亜戦争とは一体何だったのか? を考えるようになり、それが結局ライフワークとなっています。
元谷 中村さんは、お仕事も歴史関係のことをしていたのでしょうか。
中村 いいえ。大学は工学部の機械工学科に進み、卒業後は大同特殊鋼という特殊鋼の製造を専業とする会社に就職し、一会社員として定年まで勤務しました。ただ勤務の傍ら、大東亜戦争史を中心に近現代史に関する勉強を続けておりました。そして、二〇一一(平成二十三)年三月、退職して四十年間に亘る会社員生活に終止符を打ち、若い頃から買い溜めた書物等によって、本格的な勉強を始めました。その学んだ成果をまとめようと考えていた時に、友人から「真の近現代史観」懸賞論文のことを知らされ、二〇一二(平成二十四)年の第五回のこの懸賞論文に応募したところ、社会人部門の優秀賞を獲得することができました。小林秀雄は「書くことは考えることである」と書き残しておりますが、確かに書くことによって発見があり、思索の深まりがあることを体験し、それからは読書によって得られた知見や日頃の思索を深めるべく、それらを年に一度は文章にまとめることを自分に課し、折角まとめたのだからとその文章を毎年「真の近現代史観」懸賞論文に応募しています。
元谷 その後中村さんは、「真の近現代史観」懸賞論文で優秀賞を二回、佳作を四回受賞、そして今回の最優秀藤誠志賞に至りました。そのように中村さんを歴史研究に向かわせた終戦後の四日市の惨状は、相当のものだったのですね。
中村 その通りです。自然と、一体大東亜戦争とは何だったのだろうか? と考え続けていましたから。
元谷 その問いについての考えはまとまったのでしょうか。
中村 第五回で社会人部門最優秀賞をいただいた論文「日米百五〇年戦争と日本再生への道標」に、まとめた考えを書いてみました。大東亜戦争は、ペリー来航から今日まで続く「日米百五十年戦争」の一コマに過ぎないというのが、私なりの結論です。一九四五(昭和二十)年九月二日のアメリカの戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印の時の式場に飾られていたのは、一八五三年にペリーが日本にやってきた時に乗船していたサスケハナ号に掲げられていた、星数が三十一個の星条旗でした。
元谷 当時のアメリカは三十一州だったのですね。
中村 はい、そうです。そしてこのことをニューヨーク・タイムズは、「我々は初めてペリー以来の願望を果たした、もはや太平洋に邪魔者はいなくなった」と報じました。
元谷 日本とアメリカは、太平洋を挟んだ隣国です。アメリカとしては、ペリーを派遣した時から日本を占領したいという願望があり、それが九十二年後の一九四五年に達成できたということなのでしょう。その願望の証拠として、アメリカは明治維新後に日清、日露戦争という二つの戦争に勝利した日本に対し、対日戦争計画を立案していました。
中村 アメリカは一七七六年に東部十三州で大西洋岸にのみ接する国として独立を宣言し、以来、領土と資源に恵まれ膨張する必要の全くない国でありながら、アメリカによる世界支配は「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」であるとの宗教的な信念に燃えて西へ西へと膨張拡大を続け、一八四八年には米墨戦争に勝利して、カリフォルニアを中心とする西部諸地域のメキシコからの割譲を果たして太平洋岸に達しました。そして、アメリカの次なる野望は太平洋とアジアに触手を伸ばすこととなり、ペリー来航はそれからわずか五年後のことでした。続いて海軍大学校長アルフレット・マハンが著した『海上権力史論』が説いたようにカリブ海と太平洋をスペインの海からアメリカの海にするべく、一八九八年(明治三一)年には老朽艦メイン号を自爆させて仕掛けた米西戦争に勝利してフィリピンとグアムを奪い、その後ハワイをも併合し、愈々アメリカによる太平洋制覇にとって唯一の障害となった日本に照準を合わせ始めたのではないでしょうか。アメリカは日露戦争が始まる七年前の一八九七(明治三〇)年に対日戦争計画である「オレンジ計画」を策定(その後度々改訂)しておりますが、その延長線上に日米戦争が起こったと考えております。
元谷 つまり中村さんは、一九三一(昭和六)年に起きた満州事変が大東亜戦争の端緒ではなく、ペリーから続く長い準備期間があった上で、先の大戦が起こったという考えなのですね。
中村 その通りです。昭和史家の中には、満州事変から大東亜戦争の終結までを十五年戦争と捉えて得意がっている人物がおりますが、全くもって近視眼的なものの見方です。彼ら昭和史家と称する人たちに共通する欠点は、日本側の戦いの歴史を考察するのみで、戦った相手がどの様な意図をもって戦いを挑んできたかを考察の外においていることです。アメリカは第一次世界大戦後、五大国(英・米・仏・伊・日)の一員となって一層国力と存在感を増した日本を封じ込めるために、一九二一(大正十)年に「ワシントン会議」を開き、一九二四(大正十三)年には「絶対的排日移民法」によって日本に対する敵意を剥き出しにしてきました。そして、満州事変と支那事変以降は日本の息の根を止めるべく対日武器禁輸や在米日本資産の凍結、対日石油全面禁輸を行い、さらに所謂ABCDラインと言われた対日包囲網の中でハル・ノートを日本に突きつけることによって、日本を開戦せざるを得ない状況に追い込んだのです。また戦後には、日本が再びアメリカの脅威とならないようにするべく、次なる攻撃目標を我が國體の破壊と日本人の心の中に定め、GHQによる占領政策、特に『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」によって日本人を自虐史観に陥らせて精神的な基盤を破壊しました。しかしそれでも日本が驚異的な経済復興を遂げると、一九六〇年代の「日米貿易摩擦」から始まり、「プラザ合意」「日米構造協議」「日米経済包括協議」「年次改革要望書」等によって、日本の経済の基盤を破壊しつつ、日本から富を奪い続けました。今でも日米の戦いは続いているのですが、日本は連戦連敗しているのです。
保守思想の再生を図れ
元谷 中村さんの主張は、一般的にはあまり知られていないことですが、真実を突いていると思います。もちろん安全保障面での同盟国として、アメリカとの関係を殊更荒立てる必要はないと思いますが、逆に屈服して属国化がこれ以上進まないように、常に日米関係を意識して油断しないようにするべきですね。
中村 はい、仰る通りです。特に私が申し上げたいのは、単純な親米或いは拝米保守ではいけないということです。確かにアメリカには良いところや学ぶべきところがたくさんあり、殊にトランプ氏のような人物を輩出するアメリカの自浄・再生能力は羨ましい限りです。しかし、アメリカの負の部分、その正体をしっかりと認識したうえでうまく付き合っていくことが肝要かと思います。
元谷 単に「いい関係」ではなく、バランス・オブ・パワーに従った力の均衡が重要なのです。力なく屈服して支配されるのではなく、逆に力で支配することもない。バランスがとれた関係を保つことが、平和を維持することにつながると思います。大東亜戦争に対する考えをまとめた第五回の論文から、今回受賞した論文はまたかなり進化しているように、私には感じられました。
中村 最優秀藤誠志賞をいただいた今回の論文、「リベラリズムvs保守思想・グローバリズムvsナショナリズム間の最終戦争~どちらに軍配が上がるのか、その岐路に立つ世界と日本」は、さらに扱う領域を広げて、ロシア・ウクライナ戦争の推移や欧州における保守勢力の台頭、アメリカ大統領選挙の情勢等、世界的な視野を踏まえた上で、リベラリズムとグローバリズムの「問題点」を指摘、保守思想とナショナリズムへの回帰の理由を述べた上で、これからの日本に対する提言を行ったものです。特に日本に関して、ヨーロッパがリベラリズムとグローバリズムの失敗の反動から保守へと回帰しているにもかかわらず日本が変われないのは、未だにGHQの占領政策による洗脳から脱却できていないからです。今度のアメリカ大統領選挙におけるトランプ氏の復権をチャンスにして、日本は独自の保守思想の再生を図るべきだと主張しました。
元谷 非常に冷静な今日の世界の分析だと思いました。今回も審査委員の全員一致で、中村さんの論文を最優秀藤誠志賞とすることに決まりました。
中村 私のような引退した一会社員で、言論等とは全く関係のない世界に生きてきたものにとって、自分が学んで考えたことを自由に主張でき、また評価をいただくことができる「真の近現代史観」懸賞論文は、非常にありがたい制度であり、このような制度を設けて下さった元谷会長に深く感謝を申し上げる次第です。
元谷 私は本当の歴史が広く世の中に広まり、真実を知ることで多くの人が保守になることを目的として、この懸賞論文制度を続けています。中村さんの今回の論文は、正にこの主旨にぴったりと合致するものだったと思います。
中村 ありがとうございます。
官民一体で皇統護持を主張
元谷 ところで、中村さんは「皇統を守る国民連合の会」の理事でもあります。私は二千六百年以上続く日本の皇統は、世界でも類を見ないものであって、これを大切に守り続ける必要があると考えています。中村さんも同じ思いで会の理事となっているのでしょうか。
中村 はい、仰る通りです。私は「日本が日本であり続けるための最後の砦は萬世一系の皇統にあり」との固い信念を持ち続けておりますが、その大前提である皇位の男系継承についてはそれほど心配しておりませんでした。しかし、小泉政権下の二〇〇五(平成十七)年十一月、皇室典範に関する有識者会議の報告書が出され、その中の女性・女系天皇の容認と、皇位継承順位を性別に関係なく長子優先とするという提言に従い、翌年一月に小泉首相が施政方針演説で皇室典範の改正を表明したことによって、危機感を抱くようになりました。この時は、二月に秋篠宮妃紀子殿下が御懐妊されていることがわかり、危機一髪のところで法案提出は見送られました。ところが、その後も民主党政権の野田首相が二〇一一(平成二十三)年に、女系天皇に繋がる女性宮家の創設に異常な執念を燃やし始め、これは愈々危ないとの危機感を抱くようになりました。そして、萬世一系の皇統を死守するためには、皇統護持に深い思いを抱く保守政治家と連携し、その保守政治家を後押しする国民運動が不可欠であるとの思いに至り、志を同じくする仲間が集い、「皇位の父系継承」を活動目標の一つに掲げている「日本の尊厳と国益を守る会」の幹事長である山田宏参議院議員のところに、ご意見を伺うべくお伺い致しました。その際、私どもは会の長には保守論壇の重鎮の方にお願いしてはと考えていたのですが、山田議員はそれではいけない、年寄りの保守がまた何かを始めようとしている程度に思われ、軽く扱われてしまう、会の長は女性にすべきだと助言して下さいました。続いて亡くなられた加瀬英明先生をお尋ねし、山田議員から受けた助言を告げてご相談したところ、「防人と歩む会」の会長をしておられた葛城奈海さんを推薦して下さったのです。
元谷 加瀬先生には、二〇一七年から二〇二二年まで、「真の近現代史観」懸賞論文の審査委員長を務めていただきました。
中村 はい、存じ上げております。加瀬先生の推薦に従い、葛城氏に三顧の礼をもってお願いしたところ、任務の重大さからか、最初は躊躇っていらっしゃったのですが、最終的にはご快諾いただくことができました。そこで今上陛下の即位礼正殿の儀の佳日に合わせ、二〇一九(令和元)年十月二十二日に、正式に「皇統を守る国民連合の会」を結成することになりました。葛城氏は持ち前の人望に加えて幅広い人脈をお持ちで、この会にはその後佐波優子氏やsaya氏を始めとする多数の方々がも加わって下さり、葛城会長を中心とした同志的な結合によって活動の輪をどんどん広げています。
元谷 葛城氏は第四回アパ日本再興大賞の受賞者で、佐波優子氏は第三回「真の近現代史観」懸賞論文の最優秀藤誠志賞の受賞者です。またsaya氏も勝兵塾で活躍されています。皆さん精力的に活動されていて、非常に頼もしいですね。また、葛城氏は「皇統を守る国民連合の会」の活動として、今年十月にスイスのジュネーブで開催された国連「女性差別撤廃委員会」に参加、皇位を男系男子に限る皇室典範が女性差別撤廃条約と相容れないとの改正の勧告に対して、皇統を守る主張をしてきたと産経新聞等で報道されています。
中村 はい、多くの方々からの浄財支援によって、葛城氏、佐波氏、saya氏と事務方を合わせ、計八人でジュネーブに行ってきました。
元谷 国連というからニューヨークかと思ったら、ジュネーブなのですね。
中村 はい。総会や安全保障関係の会合は本部のあるニューヨークなのですが、人権問題等いくつかの会合はかつて国際連盟の本部があったジュネーブで行われています。
元谷 なるほど。
中村 この問題の背景には、日本の反日NGOの活動があるのです。二〇一六年、二〇二〇年、二〇二四年の三回に亘り、日本の反日NGOが女性差別撤廃委員会に「皇位の男性継承は女性差別」と執拗に意見申請を行っているのです。特に日本に対する八年ぶり(コロナの為二年延期)の審査となる今年は、「男性継承は女性差別」「愛子様を天皇に」と反日NGOが非常に熱心な活動を行っていました。彼らの思うがままにさせてはいけないと、私達の会の八人が乗り込んだのです。十月十四日がNGOがスピーチを行う日で、最初は一~二分のスピーチ時間をいただける予定だったのですが、日本に与えられた十四分に対して、出席した日本のNGOは三十団体にも及びました。結局左派の二十六にも及ぶNGOが十二分を確保、保守系の団体に割り当てられた時間はたったの二分で、調整の結果葛城氏の時間は三十五秒になったのです。
元谷 それは短い。
中村 はい。ですからできるだけ効果的なスピーチにしようと、まず事前に作成して持参した、日本語では「日本国天皇の皇位継承について~建国の理念・八紘為宇~」と題したものを英訳したパンフレットを配布し、各国の委員に日本国天皇とその皇位継承の本質を深く理解してもらえるようにしました。またビジュアルも重要との作戦を立て、葛城氏、佐波氏、saya氏は三人とも女性の戦闘服ともいえる着物姿で会場に乗り込み、会合の合間には三人が各国の委員に対し積極的なロビー活動を行いました。その結果、日本には反日NGOの面々とは正反対の考えを持つ、本当の日本女性・大和撫子が存在することを認識してもらうことができたと思います。またその中で、レバノンの委員から、「私は日本の天皇陛下を尊敬しています。日本にはロイヤルファミリーがいて羨ましい。私の国レバノンでは政治的な対立によって、大統領すら二年間も不在の政治的な空白が生まれています」との話を聞くことができ、またキューバの委員からは、「委員会が各国に出すリコメンデーションはあくまで推奨という意味であって、それぞれの国には歴史と伝統があり、聞き入れるか聞き入れないかはその国の自由です」との見解を得られた意義は極めて大きく、ロビー活動の重要さを痛感した次第です。
元谷 産経新聞の十月二十四日付けの「阿比留瑠比の極言御免」によると葛城氏は、「天皇は祭祀王だ。ローマ教皇やイスラムの聖職者、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ法王はみな男性なのに、国連は女性差別だとは言わない。なぜ日本にだけそのように言うのか。世界にはさまざまな民族や信仰があり、それぞれ尊重されるべきだ。内政干渉すべきではない」と主張したと伝えられています。
中村 さらに十月十七日には、日本政府から派遣されていた代表団三十七名が女性差別撤廃委員会の各国の委員の指摘に答える審査会があり、ここで内閣府の担当者は、「我が国の皇位継承のあり方には、歴史や伝統が背景にあり、国家の根幹を成すもので、女性に対する差別の撤廃を目的とする女性差別撤廃条約の主旨に照らし、女性差別撤廃委員会で取り上げるのに適当な議題ではない」と、日本政府として明言しました。産経新聞の阿比留瑠比氏も記事で「葛城氏は『今回はいい意味で官と民とが協力しあえた』と語る。安倍政権以降の歴史認識や文化・伝統について『主張する日本』が機能したようである」と、この官民一体の行動を評価しています。我々も今回は、わざわざ行った甲斐があったと考えています。
日本の国柄を知るべきだ
元谷 私も、葛城氏や内閣府の担当者と全く同じ意見です。そのように国連のような場できちんと主張しないと、反日NGOの思い通りになってしまいます。中村さんら「皇統を守る国民連合の会」は、非常にいい活動をしていると思います。引き続き、頑張ってください。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。
中村 「皇統を守る国民連合の会」ですが、女性には若い方が多いのですが、男性は年配者が多くなっていて、この活動を若い人にどう受け継ぐかが課題になっています。ただ最近、先生に導かれた高校生や大学の保守サークルが、私達の会合に参加するケースも出てきました。戦後の日教組教育の中で育ちながら、「何かが違う」と疑問を持ち、目覚めてきた学生が増えてきた感触があり、強い希望を感じています。若い人々にはまず、古事記や日本書紀、更には万葉集等の古典を学ぶことで、日本とはどういう国なのかをしっかりと学んで欲しいですね。今全国各地で古事記を学ぶ会が盛んになっているのは、非常に良いことだと考えています。
元谷 歴史を学ぶことは非常に大切です。世界の中でも、日本ほどの歴史を持つ国は少ないと思います。
中村 ジュネーブにおいて女性差別撤廃委員会の各国の委員に対して配布したパンフレットにも、日本が二千六百年以上の歴史を持つ国であることを記載しているのですが、紀元前からの歴史があることを知って驚く委員もいらっしゃいました。これらのことをもっとアピールして海外の人々に知らせると同時に、日本人自身も勉強して、もっと日本に自信を持つべきではないでしょうか。
元谷 全く同感です。また、日本の皇統は長きに亘って繋がっています。これも非常に重要なことです。
中村 その通りです。「中国四千年の歴史」といっても、易姓革命によっていくつもの王朝が入れ替わり、連続性は皆無なのです。
元谷 なぜ日本でこれだけ長い皇統が維持できたかというと、それはやはり日本が素晴らしい国だったからでしょう。歴史と共にこのことを、学校で教えたり、人々の間で共有したりしていく必要があるのです。世界中どの国でも「自国はいい国」だと教えるのですが、日本だけ「自国は悪い国」だと教えています。しかし悪い国であったならば、皇統はとうの昔に途絶えているでしょう。
中村 しかし女系天皇を主張する反日左派は、日本を潰すために皇統を途絶えさせようとしています。ジュネーブには反日NGOが三百人近くも押しかけていて、ジュネーブに現地事務所を構えているNGOもあります。彼らは非常に潤沢な資金を持っているのです。
元谷 例えば労働組合の場合は組合費を徴収していて、資金が豊富です。そういうことなのでしょうか。
中村 それだけではなく、もう少し調べなければならないのですが、様々な公的な予算が還流しているのではないかという疑念があります。十七日の対日本政府審査会合で、内閣府の男女共同参画局長は日本はそのために年間十兆六千億円もの予算を計上していると述べていますから、その辺りの予算の流れを精査しなければならないでしょう。万が一、今風の表現を借りれば公金をチュウチュウして国連という舞台に乗り込み、日本を貶める活動を行っているとしたらそれは決して許されることではありません。
元谷 是非、明らかにしてください。
中村 はい。これは是非とも明らかにしなければならない問題だと思います。
そして、最後にもう一つ若い人に伝えたいことを付け加えさせて頂きます。
芭蕉は『奥の細道』の旅路において「不易流行」、即ち「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず、しかもその本は一つなり」との理念に開眼したと伝えられていますが、精神文化の世界は、変えてはならないもの、即ち「不易」と新風を求めてゆくもの、即ち「流行」の二つの面が一体となって成り立っていると思います。我が国の保守と称する政治家や言論人の多くは「保守とは何か」その神髄を見失っているように思われてなりませんが、この「不易流行」という理念こそがそれを端的に示しているのではないかと思います。そもそも、それぞれの民族が永々脈々と継承し培い育んできた伝承や伝統には真実なるものが息づいており、人々の営みを支え豊かにしてきたからこそ継承されてきたのであり、それが無ければ時代を経て淘汰され、途絶え消滅していたでしょう。進歩主義者による、人間社会は時代と共に常に進歩するのであって、新しい考えや制度ほど優れているとの考えは誤りであり、そのようなものは歴史の淘汰を受けておりません。長い歴史を持つものこそ真実かつ優れた存在です。かといって歴史や伝統にしがみ付いていたのでは停滞を招き、やがては衰亡に至るのであって、常に新風を目指してゆくことは不可欠です。どうか若い方々には以上のことをしっかりと認識した上で、目下はやりの新思想や運動に惑わされず、本来あるべき新風に取り組んで頂きたいと思っております。明治天皇は「いそのかみ古きためしをたづねつゝ新しき世のこともさだめむ」と詠んでいらっしゃいますが、これこそ保守が取るべき精神だと思います。
元谷 今日はいろいろと良い話を、ありがとうございました。
中村 ありがとうございました。