戦場での戦術核の使用
三月四日付の産経新聞の櫻井よしこ氏のコラム「美しき勁き国へ」のタイトルは、「核の傍観者になるな」だった。「ロシアのプーチン大統領が二月二九日、上下両院議員を前に年次教書演説を行い、『ロシアの戦略核戦力は臨戦態勢にある。それらを使用する能力は保証されている』と語った。ロシア領土を攻撃する国には幾層倍の報復をする、ロシアには十分な攻撃武器があるとも述べた」「核の恫喝を繰り返す氏の本音は二月二八日、英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)が報じた『流出したロシア軍事資料が示す核攻撃の基準』にも明らかだ」「FTによれば、同資料は二〇〇八年から一四年の間に作成された二九の秘密資料からなり、中国の侵攻に備えた訓練の詳細も含まれている。注目されたのは、ロシア軍が大国との紛争の初期段階で戦術核兵器の使用に踏み切る訓練を施されていることだった」「核投入のきっかけとなる具体例も明記されている。敵のロシア領内への侵入や、ロシアの弾道ミサイル潜水艦の二〇%が破壊されたときなどだ。FTは専門家の見方として、これらの基準はロシアが従来、公式に認めていたものよりも低いと伝えた」「核使用に関して中国とロシアは同類だ。人民解放軍の台湾作戦を前提とした野戦教範には『放射能汚染の環境下での作戦』という項目があり、中国が台湾攻略で核使用を前提にしているのが見てとれる。台湾は今、一番危険な状況に置かれているのである」「中国は長年、自分たちの核兵器は抑止目的であり、先制使用はしないとの建前を掲げてきた。だが彼らは、高精度のミサイルに載せる小型の戦術核を急増させるなど核軍拡を加速させている。核を実際に先制使用するケースを想定しているとしか思えない」「防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏は『現代戦略論』(並木書房)で台湾有事のもう一つの側面を指摘する。台湾有事は中国共産党にとって負けられない戦争になる。敗北は共産党の支配体制の動揺・崩壊につながりかねないからだ。中国と対峙する米国にも民主主義国のリーダーとしての地位があり、負けられない戦争となる。戦いは必然的に大規模なものになり、核の使用もあり得る」という。
戦略核というのは、米ロ等国家が存亡を賭けて直接的に攻撃しあう核兵器のことであり、戦術核は強力な兵器として、戦場で使われるものを指す。この一文で櫻井氏が冒頭に引用したプーチン大統領の発言は、戦略核と言っている以上、アメリカに対する直接的な牽制であろう。それとは別に、ロシアも中国も戦術核については地域的な紛争においても、戦況を有利にするために使用する可能性を検討しているということであり、戦術核が実際に使われる確率は戦略核よりも遥かに高いと言えるだろう。
櫻井氏が引用している防衛研究所の高橋杉雄氏の『現代戦略論』ではまず現状として、ポスト冷戦期に出現した一時的に安定した国際情勢の時代は終焉し、今は米中を中心とした大国間競争の時代が到来したと分析している。冷戦期には資本主義&民主主義VS社会主義という構図での対立だったが、結局経済的には資本主義が圧倒的な勝利を収めた。しかし政治的には、中国が国家主導的な資本主義を成功させたことにより、民主主義は権威主義を圧倒的に凌駕することができなかった。逆に近年進展するDX(デジタル・トランスフォーメーション)が国民を一元的に管理する志向を持つ権威主義に親和性が高く、デジタル権威主義VS民主的なDXを持つ体制の対立となっている。
三分の一以上の戦力を保持
もう一つの米中の対立のポイントは、勢力圏を巡る地政学的な争いであり、こちらが日本の安全保障にとってはより重要な問題だと高橋氏は指摘する。中国の「一帯一路」政策は、地政学では古典的な「ハートランド」を抑えようとするものであり、さらに地域レベルでは中国は東シナ海、南シナ海、台湾に圧力を加えて、現状変更を試みようとしている。東シナ海と南シナ海が有事と平時の中間の「グレーゾーン」であるのに対し、台湾統一は中華人民共和国建国以来の至上命題であり、それ故に事態は深刻で、グレーゾーンではなく実際の戦争に繋がる可能性が高い。この文脈で、台湾周辺での米中対立が、核をも使用する大規模な戦争に発展しかねないと高橋氏は指摘しているのだ。この論拠から考えれば、場合によっては戦術核ではなく、戦略核の使用を伴う危険性があるとも予測でき、「現在の東アジアは世界で最も危険な地域」という表現は決して誇張ではない。
コラム「美しき勁き国へ」において、櫻井氏は前出の引用に続けて、中ロの核の脅威に対抗するために、日本がこの危険な東アジアにおいて傍観者である態度を捨て、当事者として核兵器と向き合い、安全保障政策を立案することを説いている。特に注目に値するのは、高橋氏の著書から引いた次の部分だ。「日米の戦略目標は現状維持でよいのに対して、中国は現状変更しなければならず、この二つの戦略の違いに注目せよと説く」「一般論として『攻者三倍の法則』があるという。現状打破の攻勢作戦には、攻める側は守る側よりも三倍多い兵力が必要だ。となれば、台湾の現状維持を目指す日米の喫緊の課題は攻めてくる中国の少なくとも三分の一の軍事力を確保することだ」という。
高橋氏は著書の中で、競争相手の動きを組み込みこちらも動きを変化させる戦略を考える「ネットアセスメント」の手法を推奨している。中国は東アジアにおいて、日米両国よりも圧倒的に強力な軍事力を保有している。もちろん総力ではアメリカの戦力が中国を上回るが、アメリカ軍は世界中に展開しているため、アジアに割ける戦力が一部に留まるからだ。しかしネットアセスメント的に考えれば、中国が現状変更を意図するのに対して、日本は現状維持に徹して中国の意図を挫けばいいという非対称性は、日本に有利に働くという。すなわち、台湾有事においても日本は中国軍が海を渡ることのみを妨害して事態を膠着状態に持ち込み、その間にアメリカ軍がグローバルな戦力を東アジアに集中させるというシナリオだ。さらに「攻者三倍の法則」に従って中国軍を足止めするだけの戦力を維持するためには、日本の防衛費の増額が必要だ。GDPの二%の十兆円であれば、中国の国防費との比率は一対二・一となり、中国の三分の一という条件を満たす。岸田政権が二〇二二年十二月に打ち出したGDP二%の防衛費の方針は、理に適っていると高橋氏は主張する。私も同感だ。
安全も無償と考えている
櫻井氏はコラムの中で、「日本の安全は日米同盟に大きく依拠している」と書いていた。これは事実だが、本来国防とは自国が行うものであって、これに足らざる部分を同盟に頼るというのが筋だろう。しかし二〇二一年に七十九カ国の十八歳以上の男女に対して行われた「世界価値観調査」において、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という質問に対して、日本で「はい」と答えた人はたったの一三・二%で最下位だった。「はい」の率は、一位のベトナムは九六%、下から二番目のリトアニアでも三二・八%であり、いかに日本人が国を守るという意識を失っているかがわかる。どうするべきなのか。
この問題について、月刊Hanada二〇二四年四月号に竹田恒泰氏の「『徴兵制』の議論があってしかるべき」という一文が掲載されている。まず竹田氏は、この意識の低さの原因をこう分析する。「日本人の国防意識の低さは以前から語り草だった。その最大の原因は『戦争に負けたこと』である」「米国は対日戦に勝利したものの、日本との戦いが容易ではなく、ゆえに、占領政策の柱の一つとして『日本人の精神的武装解除』を据えたものと考えられる」「GHQは占領を解除する前に、日教組を作り、自らの占領教育方針を日教組に引き継いだ。その結果、占領が解除されたあとも、今度は米国人ではなく日本人が、その教育を受け継いで何十年もWGIPが実施され、間違った『平和教育』が施されてきた」「日本人が戦争だけでなく、戦争を連想させるあらゆるものを嫌うようになったのは、敗戦が原因であることは間違いないだろう」「日本が軍を持たず憲法九条を守っているから日本が平和なのだと、多くの日本人が勘違いした。島国であることと相まって、水と空気と同様、安全も無償のものと思い込んでしまった」という。
しかし中国が急速に軍事力を増強、いざという場合には軍事力を使ってでも台湾併合を行うことを公言し、さらにロシアが国連憲章を無視してウクライナに侵攻するなど、世界の情勢は大きく変化している。そんな中で日本の国防意識を変えるにはどうすればいいのか。竹田氏はこう主張する。「憲法改正である」「憲法改正に際しては、正面から日本の安全保障を議論したらよい。日本が置かれている状況を把握し、いかに国を守るべきかをしっかりと議論することに意味がある。国防のために九条を改正すること自体、国防意識の醸成に大きく役立つと考えられる」「憲法九条の改正だけではなく、徴兵制を復活すべきと述べたら、反感を覚える人もいるだろうか」「現在、国連加盟国で軍隊を持つ百六十九カ国のうち、徴兵制を採用している国は六十四カ国ある。これは軍隊を持つ国の四割近くであり、徴兵制は国際的には特殊な制度ではなく、ありふれた制度であることがわかるだろう」「世界の傾向としては、戦争の可能性が高い地域ほど、徴兵制を採用する国が多い。東アジアの軍事的緊張が高まっているのは明白であり、日本でも徴兵制の議論はあって然るべきではないか」「『あなたは進んでわが国のために戦いますか』との問いに『はい』と答えた日本人が少ないことを述べたが、この問い自体が、徴兵制のない国では無意味である」「なぜなら軍事訓練を受けていなければ、戦うこと自体が不可能だからである」「徴兵制のない日本では、この問いに『はい』と答えた人が少ないことは、むしろ当然ともいえよう」「高卒と大卒のものに、働きながら予備自衛官補となることを義務付けるというのが私の提言である」という。予備自衛官補になるには一般募集に応募、「受験で選抜されると三年間で合計五十日の教育訓練に出頭し、終了後に予備自衛官に任用される。そのあとは、三年一任期で年間五日間の訓練を課」されるという。
戦争を学ぶ必要がある
竹田氏は「日本人はそれで、ようやく『戦う』『戦わない』の二者択一が可能になり、国防を問うことができる入口に立てる」と主張する。これも一つの手だとは思うが、私は大学までの教育でも、国防意識を変える事ができると思う。元航空自衛隊空将の織田邦男氏が、自身の講義で大学生に同様の「戦うか否か」のアンケートをとったら、最初は「はい」が一五%だったが、一連の講義の最終回に再び尋ねると、「はい」が七九%に跳ね上がっていたという。日本が戦争放棄をしても、戦争は日本を放棄しない。国家や国民、人権、核抑止、国連等、安全保障の基本を教えるだけで、これだけ学生の考え方が変わるというのだ。かつて日本学術会議が「軍事研究はしない」と宣言していたように、極端な平和教育の理念故に、日本の学びの場から軍事や安全保障に関する項目が一切抜け落ちている。平和を守るためには平和を祈るだけでは駄目で、なぜ戦争が起こるのか、戦争を抑止するためには何をすればいいのかについての膨大な研究の成果を、若い人々がしっかりと学ぶ必要がある。例えば、前出の防衛研究所の高橋杉雄氏の『日本人が知っておくべき自衛隊と国防のこと』(辰巳出版)という本などは、最初に読むには最適だろう。義務教育から高校、大学までの一貫した安全保障教育を、日本もそろそろ検討するべきではないだろうか。
2024年3月14日(木)17時00分校了