浜野 安宏氏
1941年京都府生まれ。FROM-1st、東急ハンズ、AXIS、QFRONT、Q-AX、青山AOなどの総合プロデュース・商業コンサルタントを務め、その他多数プロデュース事業を手掛けた。神戸ファッションタウン、 横浜みなとみらい都市デザイン委員など、多くの公的活動も歴任。『ファッション化社会』『自由無限』等著書も80を超える、2014年より映画製作・監督活動も開始、「さかなかみ」(2014)や「COUNTRY DREAMER-私の道、生きる!」(2019)を監督。「COUNTRY DREAMER」はハリウッドのファミリーフィルム大賞の最優秀監督賞を受賞した。沖縄でGACKT主演の劇場映画大作「カーラヌカン」を製作、沖縄映画祭、京都映画祭でスタンディング・オーベーション。
国内外に多彩な人脈を持つ
元谷 今日はビッグトークへの登場、ありがとうございます。
浜野 お招きいただき、ありがとうございます。
元谷 浜野さんといえば、一九七〇年代から様々な施設のプロデュースを手掛けてきた凄腕という印象が強いです。地方にいると、東京にいいものができるとすぐに見たくなる。浜野さんが関わって、一九七五年に東京の表参道に竣工した「FROM‐1st(フロムファースト)」ビルが私はすごく気に入って、当時の本拠地である金沢から、何度も見に行きました。住居とオフィスと商業が同じビルにあるというコンセプトが良かったですね。
浜野 もう五十年前のことになります。当時はフランスのカフェのように、店舗が屋外に席を作るとかは日本では考えられなかった。それを自分の土地の中ですが、椅子を外に出したのです。あの施設に影響を受けた人は多かったと思います。
元谷 とにかくセンスが良かった。何度か行って、同様のものを金沢にと、2+4ビルというのを造りました。今もありますが、一・二階が商業施設でその上四階が住居になっているのです。
浜野 それは光栄です。当時はフロムファーストのある通りには何もなく、フランス料理店やブティック等が入ったこのビルが起爆剤になって、この辺りにファッション関係の店舗が増えていったのです。ヨックモックの本社ビルも並びに建ちました。
元谷 フロムファーストの通りを進むと西麻布で、そこには今、アパホテルがあります。フロムファーストの近くには、根津美術館もありますね。
浜野 根津美術館の今の展示棟は隈研吾氏の設計です。この美術館は東武財閥の創設者の根津嘉一郎氏のコレクションを引き継いだものですが、私も東武百貨店とは縁があります。伊勢丹の専務だった山中鏆氏は、松屋で副社長から会長になって経営を立て直し、その後東武百貨店の社長・会長となりました。私は伊勢丹のマーケティングの顧問をやっていた関係で、山中鏆氏についていったのです。私の当時の風貌が良くなかったのか、「山中氏に用心棒もついてきた」とニュースになりました。
元谷 多方面でプロデューサーとして活躍する一方、浜野さんは釣り名人としても知られています。
浜野 私がやっているのはフライフィッシングです。フライという疑似餌の毛鉤を自分で作って、これを魚に食わせて釣るのです。フライフィッシングは川だけではなく、海でも行うことができます。二〇一九年に『釣極道』という写真集を出しましたから、これをご覧になっていただければ、どんなことをやっているのかはわかります。この本の推薦文は、元アメリカ大統領のジミー・カーター氏が書いてくれました。
元谷 なぜカーター氏が書いてくれたのでしょうか。
浜野 釣り仲間ですから。昔、アメリカのイエローストーン国立公園で釣りをしていたのです。良く釣れていたら、近くで釣りをしていた大統領を辞めたばかりのカーター氏が、フライに何をつけているのかと聞いてきたのです。教えたら、「オレ、ジミーっていうのだけど、そのフライを一つくれないかな」と。十人ぐらいお供がいましたから、「わかっていますよ、大統領のカーターさんでしょ」とフライをあげてからの付き合いなのです。彼の書いた『アウトドア日記』という本の日本語訳の監修も務めました。翻訳と言えば、田中角栄氏の『日本列島改造論』のフランスでの出版にも関わりました。会食時に、角栄氏が誰か翻訳者を知らないかと聞くのです。ジュネーブの翻訳者に心当たりがあったのでそう言うと、じゃあお前に任したと。大変なことを、頼まれてしまいました。
元谷 少しお聞きしただけでも、国内外の人脈が物凄いですね。
浜野 このように人を助けることもあれば、助けられることもあって、一度も就職というものをしないで、この歳まで生きてくることができました。私が代表取締役を務める会社には、一時期は社員が六十名ぐらいいたこともありました。神戸のファッションタウンから横浜のみなとみらいまで、かなり多くの事業を、設計ではなくプロデュースとして担当しました。それぞれの事業には建築家の名前が残っていますが、元々は私のコンセプトやアイデアだったというケースが多いですね。いろいろと手掛けてきましたが、会長のように一つの筋に沿って、一度の赤字も出さず…というわけではありません。
元谷 アパグループは創業から一度の挫折も赤字も、リストラもありません。払った税金は数千億円になります。
浜野 私はあまり儲けたことがないですが、アメリカの牧場は少しお金になりました。一九八〇年代にアメリカのワイオミング州とモンタナ州に、二十万坪の土地を買ったのです。湧き水の川にはビーバーが作った十二の池があり、イエローストーンから上ってきた鱒が産卵をする場所でした。放って置くとゴルフ場になって、薬物で鱒の産卵床が駄目になってしまう。鱒の産卵床を保護するためと、日本の子供たちが健康に遊べる場所を作りたいという想いから、その土地を購入しました。ここにハマノネイチャースクールを開校して、日本の子供達のアウトドア・自然教育等を行っていたのです。結局、この約五千万円で購入した土地が、三億五千万円で売れました。手を入れて充実させてきた地上四階、地下一階の北青山の家兼オフィスも売って、二人の息子や妻への財産分けも済まして、その資金で今は琵琶湖畔の大津市に土地を買って家を造ったり、商業ビルを購入したりしています。商業ビルは利回りよく運用できているのですが、大家となると税金が高いですね。会長はどうされているのでしょうか。
元谷 元々はマンションデベロッパーとして、造って売って儲けていたのですが、それだと税金が大きくなります。今はホテル事業が中心で、所有して運営して利益が出るのですが、そこから減価償却費を引いて課税されますから、こちらの方が節税になるのです。また所有が基本ですから、資産がどんどん増えてきます。今やアパグループの資産は、一兆円に達しています。
浜野 なるほど。
リゾート開発を構想中
浜野 「アパホテル&リゾート」となっていますが、リゾート開発にも興味はおありでしょうか。
元谷 アパホテル&リゾート〈上越妙高〉等リゾートも保有していますが、確実に需要があるのは、首都圏を中心とした都市部の宿泊だと考えています。その方針を貫いてきたから、日本で最大のホテルチェーンになれたのです。
浜野 私は一九七二年、バリ島ヌサドゥア地区開発計画に関する世界銀行のコンペで、首席を獲ったことがあります。最高峰のアグン山の爆発によって瓦礫の山になったビーチを美しく再整備し、そこへ空港からメインの道路を引いて、バリのカルチャーを残した開発を提案したのです。また景観を考えて、ヤシの木よりもホテル等の建物は低く建設するよう、法律まで作りました。その後、通産省からの依頼で沖縄海洋博の仕事もしました。その時考えていたのは、日本も休暇をもっと増やすべきということでした。当時は「モーレツ」が流行っていたような時代でしたから。余暇作りの戦略として、今実現しているような祝日を繋げて連休を増やすようなことを、国に提案したりしていました。
元谷 長いバカンスが当たり前の欧米人からすれば、日本人はなぜそんなに働き蜂なのかと不思議に思うようですね。私などは、仕事が無くなると寂しいので、いつまでも頑張るのですが。
浜野 私も同じです。
元谷 リゾートに対する考えも日本人と欧米人では異なっていて、欧米人は長期滞在が基本です。
浜野 私もアメリカにログハウスを建てたときには、夏冬それぞれ二カ月ぐらい遊びに行っていましたね。私が関与したバリ島のプロジェクトで最初にヌサドゥア地区の土地を購入したのは、エイドリアン・ゼッカ氏が率いる高級リゾートホテルのアマンでした。ホテルの他にコテージやコンドミニアムを建設、アマンの管理能力をアピールして販売したのです。またそれらの物件をリースして運用もしてくれる。この辺りの仕組み作りがアマンは非常に上手だったと思います。私は今、同様のことを沖縄でできないかと考えているのです。
元谷 どのようなお話でしょうか。
浜野 マングローブを伐採することで、生態系が破壊されるなど、様々な環境問題が発生する可能性があります。私は自然保護活動の一環として、マングローブの植樹運動を行ってきました。その活動の中で、沖縄県の中に二箇所、どちらも水のそばでマングローブが沢山生えていて、リゾートにぴったりの土地を見つけたのです。一つは石垣島の空港から車で十分で行くことができる、河口のマングローブの密生地です。このマングローブを切らずに、潮の満干にも対応できるように高床式のコテージを建設するのです。岩盤も調べましたが、火山岩があってしっかりと建物が建ちます。また新しい建築工法も開発していて、新潟の鉄工所にて重量鉄骨のフレームで箱状の部屋を造り、それをそのまま船で運搬して現地に設置することが可能です。トライアルで私の秘書がこの場所の七〇㎡の斜面を借金で購入、家を建てようとしています。マングローブの林から突き出た感じになりますから、海が良く見える家になるはずです。土地売買の契約に私も立ち会ったのですが、建設プランを見て前の持ち主が「売らなければよかった」と言っていました。箱の部屋を先に造る工法であれば、この計画手法に六階建てのホテルを十分に造ることができます。
元谷 面白いですね。
浜野 もう一つ、西表島にもとっておきの土地があります。そこは八万坪の広さがあり、イリオモテヤマネコが活発に動くエリアで、高床式の建築物を造ればその下を動物が行き来することになります。マングローブや川、野生動物を保護できるリゾートを造ることができるのです。西表島は二〇二一年に世界自然遺産に登録されましたが、星野リゾート以外の大規模なリゾート施設がまだありません。こういったリゾート開発事業に、ぜひ会長にも乗り出して欲しいと思っているのですが。
元谷 アクセスはどうなのでしょうか。
浜野 石垣島の空港までは羽田空港をはじめ本州からも、沖縄本島の那覇空港からもかなりの数の航空便が飛んでいます。西表島までは石垣島から船で四十分ほどです。石垣島と西表島にセットでリゾートを持つと、両方に行きたい人が訪れて人気になると思います。
元谷 石垣島ではトローリングで釣りをしたことがありますね。
浜野 トローリングよりも、ぜひフライフィッシングをしましょう。石垣島にも西表島にも釣りのポイントは多く、満潮時には大きな魚がラグーンに入ってきます。その魚影を見ながら、エビや小魚のふりをしたフライを投げて、食わすのです。楽しいですよ。下見がてら、今度ぜひ一緒に行って釣りもしてみましょう。
元谷 はい、考えてみます。
九十九を巡る「祈りの道」
浜野 もう一つ、私が長い時間を掛けてでも取り組んでいきたいと思うことがあるのです。二〇一九年に「COUNTRY DREAMER ~私の道 生きる!」という映画を作り、アメリカで監督賞もいただきました。これは空海ゆかりの四国八十八ヶ所巡りがテーマの作品でした。この映画を製作している中で思いついたのは、かつて空海が設定した寺を単に巡るのではなく、もっと地域的にも内容的にも広い意味を持った「道」の構築です。私の父は今回地震があった能登半島の珠洲市の出身です。ここを起点に能登半島を南下して、白山、琵琶湖、大峰山、高野山を通り、熊野古道までの道をプロデュースするのです。この道沿いには九十九もの寺や神社、巨木や大岩石等、祈りの対象となるものがあります。車でも自転車でも、歩いてでも良いので、これらを細かく巡ることができて、それぞれのスポットの近くに簡易で安くて清潔な宿泊施設が確実にあるという状態を作りたいのです。
元谷 それは面白い試みですね。
浜野 能登の珠洲市出身の私の父親は、修験道の行者でした。行者にとって「山に入る」、つまり入山ということは極めて重要な行為でした。父はよく「山を征服してはいけない。登ってはいけない。山に入るのだ」と言っていました。この修験道の意味から、道の終着点は、富士山の五合目にしたいと考えています。河口湖の浅間神社の近くの登り口から歩くと、緑があって鳥がいる美しい世界が残っているのです。五合目以上は瓦礫ですし、ご来光を見るために頂上を…となると、それは単なる観光になってしまいます。多くの人が車で行くこの五合目まで歩いて、珠洲市からの道を終わりにする。そういう旅を演出したいのです。そしてここはやはり、全国にホテルをお持ちのアパグループに提携していただけると、お互いに意義があるのではと考えています。
元谷 そういうお話であれば、なんらかのご協力はできるかもしれません。
浜野 この祈りの道のプロデュースと、もう一つ最後の仕事だと考えているのは、リベラルアーツの学校の創設です。リベラルアーツは新しい学問領域なのですが、長期ビジョンや戦略を持って、社会全体を見ていくという学問です。カナダの大学と連携して日本に学校を作ろうとしたのですが、文部科学省といろいろあって上手くいきませんでした。山梨学院では校舎建設でお手伝いしましたが、今、別の方法を模索しています。
元谷 学校を作るのは、本当に大変だと聞いています。
浜野 やりたいことはまだあるのですが、私ももう八十二歳ですので、終活も考えて辿り着いたのが、先ほどもお話した琵琶湖畔に家を建てることだったのです。三月二十八日に落成予定です。この家の後ろに、若者向けのゲストハウスを造ろうと思っています。私の息子の次男の方が、北海道でゲストハウスを運営していて、ブッキングドットコムで高評価を得るなどで、上手くいっているようなのです。彼に琵琶湖のゲストハウスも手伝ってもらおうと思っています。また家の周りに、年々琵琶湖で減少している葦が生えていて、風情があるのです。行政にも伝えて、家の周辺の私の土地じゃないところにも、今葦を植えています。
日本の平和をもたらす
元谷 素晴らしいですね。浜野さんは私同様、人生をフルに楽しんでいる感じがします。
浜野 そういえば、今度イタリア映画を撮影するのです。イタリアの南部にトロペアという街があるのですが、そこの市長から映画製作の依頼を受けたのです。ドキュメンタリーではなく、ちゃんと役者が演じる劇映画です。三月にイタリアに行って、ロケハンして役者も選び、五月撮影予定になっています。
元谷 今アパホテルは海外ではカナダとアメリカにありますが、私は個人的にはヨーロッパの方が好きなのです。行く度にレンタカーを借りて、ドライブをするのです。一度ベルリンで車を借りて西へと向かい、ユーラシア大陸西端のポルトガルのロカ岬まで行ったことがあります。
浜野 それは凄いですね。トロペアはナポリよりもさらに南で、イタリアの靴型の半島の、つま先近くの足の甲の部分にあります。観光客は多少訪れますが、あまり発展していません。旅行代理店の社長とトロペアの市長を交えて話をする中で、映画の話に市長がのってきたのです。親交のあったパソナグループの南部靖之氏もぜひ協力したいという話になり、パソナが大規模な事業を展開している淡路島とトロペア市が、どちらも玉ねぎが特産ということもあって結びつき、昨年四月にトロペア市長が淡路島を訪問、十二月にはトロペア市と南あわじ市が連携協定を結びました。映画の話は、どんどん膨らんでいくから面白いですね。映画は耕すもので、シナリオ通りだと面白くない。撮影していると、途中からどんどん膨らんでいくのです。イタリアには、四十~五十室の買えるホテルがいろいろとあるので、撮影しながら見つけておきます。
元谷 いや、見ない物件は買わない主義なので…。
浜野 であれば、ロケハンに一緒に行きましょう。ヨーロッパのホテルは駆体がしっかりしていますから、古いものでもいろいろリノベーションが可能だと思います。
元谷 スケジュールが合えば、ぜひ行ってみたいですね。最後にいつも、「若い人に一言」をお聞きしています。
浜野 人に頼らずに、自分が本当に幸せになれると思う仕事をやって欲しい。そして自分はもっと成功するのだと念じるのです。修験道でいう即身成仏を目指すということですね。世の中には可能性がいっぱい。魚がいれば必ずフライを投げるという精神でいけば、成功が掴めるはずです。
元谷 苦労をするというよりも、自分が楽しめる仕事をやるべきですね。
浜野 その通りだと思います。あと平和がやはり一番です。ロシアのカムチャッカ半島は川に鮭が上ってきて釣りもできますし、地平線までずっとブルーベリー畑という絶景もあります。ここで映画を撮影する計画もあったのです。しかしロシアのウクライナ侵攻で行けなくなり、映画の話も潰れました。先日田母神俊雄氏にお会いしたのですが、「守らずして平和なし」と言っていました。安全保障は常に考えるべき課題です。
元谷 国を守る意識は、国民皆が持つべきですね。
浜野 あと、どうも日本はまたバブルになりそうです。ここで踊らされないように、時代をどう泳いでいくか。これが上手くいけば、若い人には素晴らしい未来が開けていると思います。
元谷 今日は非常に面白いお話をありがとうございました。
浜野 ありがとうございました。