戦争はどんどん減っている
一月九日付の日本経済新聞朝刊の三面に、「一〇大リスク『米分断』一位」という見出しの記事が出ている。「国際政治学者のイアン・ブレマー氏が率いる米調査会社ユーラシア・グループは八日、二〇二四年の世界の『一〇大リスク』を発表した。一位に『米国の分断』を挙げた。十一月の大統領選に向けて国内の政治的分断は悪化し、米国の民主主義がこれまでになく試される年になると予測した」「同社は年頭に政治や経済に大きな影響を与えそうな事象を予測する。二三年の一位は『ならず者国家ロシア』だった」「二四年最大のリスク要因とした米国について『どの先進民主主義国よりも機能不全。二四年にはさらなる弱体化に直面する』と厳しく指摘した」「複数の罪で起訴されたトランプ前大統領、八十一歳という年齢が問題視されているバイデン大統領について『二大政党の候補は他に類を見ないほど大統領にふさわしくない。国民はどちらのリーダーも望んでいない』とも述べた」「二番目に大きいリスクとしたのはイスラエルとイスラム組織ハマスの衝突が続く『瀬戸際の中東』。地域の情勢には米国やイランなど多くの国が関わっており『ガザでの戦闘は二四年に拡大する紛争の第一段階に過ぎない可能性がある』とした」「紛争の現場がイランに接近すれば原油の流れが阻害され原油価格が上昇するだろうと指摘した」「第三のリスクは『ウクライナの事実上の割譲』とした。『ウクライナは二四年、事実上の分割統治を受けることになる』と予測。ロシアは戦場で主導権を握っており、物資面でも優位に立っているため、ウクライナが対策を取らなければ『早ければ来年にも「敗北」する可能性がある』」という。
第二次世界大戦後、米ソ冷戦の長い時代を経て、今や米中冷戦となってきているが、「冷戦」との名の通り世界大戦に及ぶような戦争の勃発を人類は避けてきた。これは兵器の近代化に伴って破壊力が大きくなり、一旦使えば双方が非常に大きなダメージを受けるために、戦争によって国家がメリットを得ることができる時代ではなくなってきたからだろう。朝日新聞デジタルの二〇二二年九月十八日配信の記事「暴力を克服する力、人の本性の中に スティーブン・ピンカーの洞察」によると、アメリカの実験心理学者のスティーブン・ピンカー氏も、戦争による死者数の減少などを根拠に、世界がどんどん平和になっていると主張している。なぜ暴力が減少しているのか。ピンカー氏はその理由を「人類の合理性」に求める。この考えは、メリットがなければ国家は戦争を行うことはないという私の考えを裏付けするものだ。さらに現在多くの国家間に張り巡らされているグローバルな経済関係によって、暴力によるメリットよりも通商によるメリットが上回っているために、戦争が抑制されているという側面もある。ピンカー氏は、ウクライナでの戦争の勃発はあったものの、長期的な視点から見れば戦争という暴力は減少傾向にあるとしている。イスラエル対ハマスのような、非対称な地域紛争は今後も起こりうるが、国家間の戦争はこれからも少なくなっていくだろう。
複数のシナリオを想定せよ
そうなると問題になるのが、特に大国の国内の分断問題だ。その意味で、今年の十大リスクのトップにアメリカの分断が挙げられたのは、まさに「今」を反映しているように思える。歴史上、アメリカが最も深刻に分断したのは、一八六一年の南北戦争だ。この内戦によって六十万人以上が戦死しているが、これは第二次世界大戦の約四十万人を超えて、アメリカが関与した戦争の戦死者で最も多い。内戦は敵も味方も自国民のため、その損害は他の戦争の倍になるのだ。今年の大統領選挙に起因するアメリカの分断は、南北戦争のような戦死者を伴うものではないかもしれないが、アメリカ国民を二分して、深刻な対立を招くものになるかもしれない。またそれは、いずれの陣営が勝利したとしても、その後に長く尾を引くだろう。
アメリカのリスクは、日本にも無関係ではない。十大リスクを発表したユーラシア・グループは、「アメリカの分断」が日本に及ぼす影響についても、トランプ再選を前提として以下のように言及している。「安倍でさえ、トランプが日本からの鉄鋼とアルミニウムの輸入に関税をかけるのを止められなかった。米国はまだ日本に対し貿易赤字が大きく(二〇二二年には六百八十億ドル)、第二次政権では貿易赤字を嫌うトランプの怒りを買うだろう。日本は他の国々とともに、再び関税の対象となる可能性がある」「日本は現在、二〇二七年までに防衛費をGDPの二%に引き上げる方向で動いているが、トランプはこれに満足せず、さらに引き上げるよう圧力をかけるだろう」「しかし、日本にはトランプに影響力をもつ道があるかもしれない。トランプは中国に対して非常に強硬な姿勢を取るだろうから、日本のような重要な同盟国が役立つと考える可能性がある」という。また前のトランプ政権時に、関税を避けるためにアメリカ進出を行った日本の製造業だが、この国内の分断によって州ごとに政策や規制が激しく異なる可能性があり、それに対応するリスクに直面すると予言している。かつてトランプ大統領と親密な関係を築いた安倍晋三氏はもういない。二人の仲を取り持った河井克行氏も失脚した。岸田首相をはじめとする今の政府閣僚に、安倍氏と同様のトランプ氏への対応はとても望めないだろう。日本はアメリカの動向を注視するとともに、様々なシナリオを考えて、対策を準備する必要がある。
「崩壊の予言」ではない
戦争は人類に対する大きなダメージではなくなってきている一方、温暖化等地球環境問題がリスクとして重要になってきている。世界中で異常気象が報告され、それらの被害額は膨大なものに上っている。気候が変わる中での食料生産技術の向上や温室効果ガスを排出しないエネルギー源の開発・普及等、この地球環境問題解決のために考えなければならないことは、非常に多い。
今から五十年以上前に、地球の持続可能性に対する疑義を公表したのが「ローマクラブ」だ。イタリアのオリベッティ社の副会長だったアウレリオ・ペッチェイ氏を創設者とするローマクラブは、一九七二年に報告書『成長の限界』を発表、全世界に大論争を巻き起こした。この辺りの経緯は、WIRED電子版の二〇二二年八月十二日に配信された記事「悪名高い『成長の限界』から五十年、その初期のコンピューターシミュレーションが示していたこと」に詳しい。「『コンピューターモデル』がそれを明らかにした──もし人々が限りある資源を過剰に採掘し、大規模な汚染をもたらし、持続性に欠けるやり方で人口を膨張させ続ければ、文明は一世紀以内に崩壊するだろう」「気候変動や水不足、マイクロプラスチックが地球上をすみずみまで蝕み続けている現在、このモデルは先週つくられたかのように聞こえる。しかしこれは一九六八年に設立された知識人たちの国際的な組織であるローマクラブが七二年に発表した報告書『成長の限界』に書かれた内容だ」「この本は数百万部売れ、三十カ国語以上に翻訳され、論争の嵐を巻き起こした。結局のところ、これはMITのパンチカードシステムで計算したごく初期のコンピューターモデリングであり、複雑な地球システムを高度に単純化させたシミュレーションだったのだ。だがそれは壮大で、重要な予測だった(古い格言にあるように、すべてのモデルは誤りだが、有用なものもある)。そのモデルが導き出したシナリオとは、人類が持続可能で公正なあり方を見つけ、繁栄していくのか、あるいは資本家に地球と文明を収奪させ続けて滅びるのか、という分岐する道筋を示したものだった」「『シミュレーションによる結果は、多くの場合において──つまり、すべての場合ではなくあくまで多くの場合にということですが、人口・生産・汚染といった多くの変数が発展していくことで、二十一世紀半ばに人類文明が崩壊することを示しました』と、ローマクラブ副会長」「カルロス・アルバレス・ペレイラはいう」「『それによって、シミュレーション全体が世界滅亡の日の予言という枠組みにはめられました。滅亡についての話ではないというメッセージを伝えることに失敗したのです。本当に言いたかったのは、わたしたちには選択する能力がある、人類として望む未来を決める力をもっているということだったのです』」。
「人は幾何学級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」という前提で、人口や食料、資源等の変数を予測したローマクラブの提言だったが、上記の証言のように曲解されたことや、その後世界の人口増加の速度が落ちたこともあり、「誤った予言」として記憶している人も多い。しかし、国連人口基金(UNFPA)の「世界人口白書二〇二三」によると、二〇二三年の世界人口は八十億四千五百万人で初めて八十億人に到達、多くの国で出生率が歴史的な低さになり増加率が鈍化するも、今後の見通しでは二〇八六年に百八億人のピークに達する見込みであり、その人口がしばらく続くとされている。『成長の限界』の予測ほどではないが、着実に人口は増加しているのだ。またそもそもローマクラブが提言したのは、人口・食料生産・工業生産・天然資源・汚染という変数をより良い方向に向けられれば、人類が未来への道を拓くことができるということであり、これは今の地球温暖化対策やSDGsで行っていることと全く矛盾しない。
今何ができるかを考える
ローマクラブは現在でも活動を続けており、二〇二二年に「『成長の限界』から『プラネタリーバウンダリー』へ」をメッセージとした新しいレポートも発表している。プラネタリーバウンダリーについては、二〇二三年十二月二十八日付の朝日新聞デジタル「プラネタリーバウンダリーとは 九項目と環境への影響、対策を解説」が詳しい。「プラネタリーバウンダリーとは、地球の環境に変化(とくに人間の影響)が加わってももとの状態に戻り、地球環境が安定した状態を保てる限界の範囲を示したものです」「プラネタリーバウンダリーは、地球の限界を脅かすさまざまな要因を科学的に分析し、一つの図に集約してわかりやすく示したことで、注目を集めました」「地球環境の悪化と言っても、その原因や状況はさまざまあるため、人によって捉え方が異なるでしょう。そのため、地球環境の全体像を理解することは専門家でも容易ではありませんでした。しかし、『持続可能な限界を超えたかどうか』に注目することで、多様な問題を同じ軸にのせて、俯瞰的に判断できるようになりました」という。地球の限界の範囲を判断する九項目とは、「気候変動」「成層圏オゾン層の破壊」「海洋酸性化」「生物圏の健全さ」「生物地球化学的循環」「淡水利用」「土地利用変化」「新規化学物質」「大気エアロゾルによる負荷」であり、この内「海洋酸性化」「成層圏オゾン層の破壊」「大気エアロゾルによる負荷」以外の六項目は、現在すでに限界を超えている状態だ。人口増加はこの限界超えの大きな要因とされている。ローマクラブは「五つの劇的な方向転換」によって、二一〇〇年の世界人口を二〇〇〇年と同レベルの六十億人とすることで、自然環境への圧力を大幅に低減し、プラネタリーバウンダリーを改善するシナリオを提言している。
これから世界全体として目標とすべきことは、豊かさを楽しみながら持続可能な環境を維持することだろう。豊かな国ほど出生率が低いというのも統計的に明らかになっていることであり、世界的に貧困や富の不平等を解消することで、人口増加にストップをかけることができる。戦争が少なくなった世界の持続可能性を保つべく、国や国民一人ひとりが、やるべきことを考える時代となっているように思う。
2024年1月16日(火) 17時00分校了