Big Talk

自身の恵まれた才能をフル活用して、社会に貢献するべきだVol.391[2024年2月号]

参議院議員 猪口邦子
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アパグループ会長 元谷外志雄

軍縮外交の専門家として、軍縮会議日本政府代表部特命全権大使も務めた学者でありながら国政の道へと転身、初代の少子化・男女共同参画担当大臣を務めた参議院議員の猪口邦子氏。今も女性の仕事と家庭の両立をテーマに活発な活動を続ける猪口氏に、自身の多彩な教育環境や軍縮会議大使で感じた思い、政治家として今力を注いでいること等をお聞きしました。

猪口 邦子氏
千葉県市川市生まれ。1975年上智大学外国語学部卒業、1982年アメリカ・エール大学政治学博士号取得。1981年から上智大学教員となり途中海外の研究員や客員教授を挟みつつ、助教授、教授として勤務。2002~2004年には軍縮会議日本政府代表部特命全権大使も務めた。2005年衆議院議員に当選、内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)を翌年まで務める。2010年から参議院議員。

女性の就職難から
国際政治学の研究者に

元谷 本日はビックトークへの登場、ありがとうございます。

猪口 お招きありがとうございます。

元谷 猪口さんは今は政治家ですが、元々は学者だとお聞きしています。これまで、どんなお仕事をされてきたのですか。

猪口 まず私の教育の背景からお話したいと思います。十歳の時に損害保険会社勤務の父がブラジルに転勤になり、私はサンパウロのアメリカンスクールで五年間を過ごしました。まだ日本企業が海外へ進出するのが稀だった時期で、アメリカンスクールに願書を出したのですが、最初は敗戦国の子供は入学させないという雰囲気だったのです。それに対して父が、英語が得意ではないので通訳を通してですが、日本は戦争に負けたが、差別をしない国に負けたと思っていると言ったのです。すると校長先生が黙って数学の試験用紙を出してきました。それに満点をとって、私は入学を許可されたのです。私が市川市の小学校で学年一番だったこともあるでしょうが、日本の小学校の算数・数学の教育水準は非常に高いので、満点が取れたのでしょう。敗戦国差別のような対応を受けて、私はやはり国は強くあるべきだと心底思いました。このことをきっかけに、国際政治学に興味が湧いてきたのです。アメリカの有名大学に多くの学生を送り込むなど、その学校は非常に優秀で、ここでの五年間は大変勉強になりました。日本に戻ってからは桜蔭高校で学び、途中AFSを通した交換留学の機会があって、一年間アメリカのマサチューセッツ州で学びました。この時に英語力をかなりつけることができましたね。そして上智大学に進学したのです。

元谷 当時、国際政治学を専門としている先生は、日本の大学には少なかったのではないでしょうか。

猪口 その通りです。私は学部は上智大学だったのですが、大学院からアメリカのエール大学に留学して国際政治学を学び、学位を取得したのです。その後『戦争と平和』という本を東京大学出版会から出し、女性で初めて吉野作造賞を受賞しました。大学の教員となり研究者になるという道を選んだのは、私の時代にはまだ女性には、民間企業へ就職する機会が少なかったからです。上智大学の教授になって研究と教育に従事していたのですが、私の専門が軍縮外交だったことから、外務省から依頼を受けて二〇〇二年から二年間、軍縮会議日本政府代表部の特命全権大使になりました。

元谷 大使の仕事は、研究とはまた全く異なるものではなかったですか。

猪口 はい、私にとっては初めての「実務」でした。特に力を入れたのが、対人地雷の問題でした。

元谷 対人地雷は残酷な兵器です。これで脚を失う人が多いのですが、その人の介護のために何人もの人手が必要となり、その分兵隊が減るのです。殺すのではなくわざと脚だけを失うような威力にして、相手の軍事力を削るというのが、対人地雷の非情さだと思います。もちろん地雷を除去すればいいのですが、その除去時に被害に遭うことが多いのです。

猪口 その通りです。この対人地雷除去のために日本は地雷除去機の開発を行い、これを導入したカンボジアは多くの農地を回復、優秀な食料輸出国となりました。

元谷 そういう技術があるのですね。

猪口 はい。戦争はそもそも非道なものですが、対人地雷は決してあってはならないものです。対人地雷禁止条約は日本をはじめ多くの国々が批准して、一九九九年に発効しているのですが、アメリカやロシア、中国等が署名していません。それらの国が条約外でも実際に対人地雷を製造・使用しないようにするとか、技術を活用して残留している地雷を除去して安全な大地を取り戻すということを軍縮会議大使時代に行っていたのです。私がそれまで学び、研究してきたことを実務に活かすことで、多くの人々の役に立つことができると実感でき、非常にやりがいを感じました。

小泉首相の誘いを受け
選挙への出馬を決心

元谷 その後に政治家に転身されるわけですが、何かきっかけがあったのでしょうか。

猪口 小泉純一郎首相からの電話です。相談したいことがあると仰るのですが、電話があったのが二〇〇五年八月八日の郵政解散の当日でしたから、その内容は総選挙への出馬要請だと、薄々予想がつきました。お会いすると、まず小泉さんは国際政治学の研究者として私が書いたものを、いろいろと読んだと仰るのです。私はその次に、良い研究はしてきたけれどそれは机上の空論であって、やはり実務をやってみないかと説得してくると思ったのです。でも違いました。まず猪口先生がやってきた研究者としての仕事が、「非常に尊い」と仰るのです。そして彼がやってきた国会議員としての仕事も大事だと。そういう誘い方でした。自分の半生を否定されたら反発したと思うのですが、「尊い」と認めて頂いた上で、また別の大事な仕事をやりませんかというお話だったので、お受けすることにしたのです。先の軍縮会議の大使の経験から、自分が研究してきたことを活かして国政で最大限仕事をすれば、多くの人々の運命を好転させたいという私の願いが、叶うかもしれないという思いもありました。

元谷 私は人はプライドを持つことが大切だと考えているのですが、猪口さんはしっかりとプライドをお持ちだった。だから小泉首相の「尊い」という言葉が、心に響いたのでしょう。

猪口 そうですね。研究者の思いを理解しているその一言で、私には小泉首相の言うことであれば大丈夫じゃないかと思えたのです。ただ父の教えの一つが「重要なことは即答しない」でしたので、「家族と相談します」と一旦引き取り、翌日にお引き受けしますと伝えました。

元谷 私なら、即答しますが…。

猪口 父の教えですから(笑)。お引き受けした日の新聞朝刊の見出しには、「自民瓦解」などの文字が踊っていて、小泉政権にとって逆風の選挙だという見立てでした。そんな状況で私は出馬を了承したのですから、決して勝ち馬に乗ったのではありません。これが私の誇りですね。小泉政権の支持率も底だったのですが、私は小泉首相とお話して、この人とならば戦えると思い決めたのです。三週間後にはこの見立ては正反対に変わり、自民党圧勝の流れとなりました。この選挙では、国民の支持に勢いがついていくのを、目の当たりにすることができました。

元谷 私は郵政解散の時から、自民党が圧勝すると予想していましたよ。

猪口 さすがです。結局自民党は圧倒的な勝利を収め、私も当選することができました。その選挙戦の最中だったのですが、小泉首相に女子学生についてお話をしたことがありました。

元谷 どんなお話でしょうか。

猪口 「女東大」と言われていたように、上智大学は女子学生が優秀なことで有名ですが、男子学生も負けず劣らず優秀です。女子の方がやはり華やかですから、目立つのです。ただ就職になると、男子が皆一流企業に就職するのですが、女子はそこまでではありません。男女雇用機会均等法ができてからは女子の就職率もぐんと上昇したのですが、五年後には全員辞めて結婚していました。その当時は結婚と仕事の両立は不可能だったのです。そんな話を小泉首相にしました。そして選挙が終わり、当選して五六週間経った時に組閣が行われたのですが、私が初代の少子化・男女共同参画担当の大臣に選ばれたのです。選挙中にお話したことが、首相の心に響いたのでしょうね。女性が仕事と家庭を両立できるよう働いてくださいと言われ、はいと答えてお引き受けしました。

元谷 国会議員になって、いきなり大臣からスタートしたのですね。

猪口 はい。

「お互い様」の心で
選択的週休三日制の定着を

猪口 結婚と仕事の両立は、以来ずっと私のテーマにしています。二年前、私が自民党の一億総活躍推進本部の本部長だった時に提言、国の方針になったのが選択的週休三日制です。出産や子育てには週休二日では足りないから…と辞表を持ってきた女性に対して、いや今は週休三日という制度があるから、まずはこれを申請してみたらどうかと言える時代にしたいのです。一部の企業ではもう導入していますし、国家公務員への導入も検討されています。就職活動の学生からも、御社は選択的週休三日制の導入予定はありますかという質問が多いそうです。優秀な人材を獲得するために、この制度は必須になるかもしれません。もちろん週五日働きたい人は働けばいいのです。しかし長い人生、出産だけではなく、例えば介護等必ずなんらかの「事情」が発生するものですし、その場合女性が会社を辞めて対応することが多いのです。そんな時に遠慮なく週休三日を選択できれば、ずっと長く働くことができると思います。

元谷 確かに家族には、様々なことが降りかかりますから。

猪口 給与に影響しないように、国がなんらかの補填措置をとっても良いと思います。保育園や介護施設も人手不足です。自分で子供を育てたい、自分で親を介護したいということで週休三日制を選ぶ人を国がサポートすることは、保育園や介護施設の人手不足を緩和し、財政学的に見ても一番安上がりだと思うのです。キャリアアップのために転職を繰り返すアメリカとは異なり、日本は終身雇用で長く企業と付き合うという社会ですから、大手だけではなく中小企業まで選択的週休三日制を導入するようになって欲しいですね。私はこれまで保育所やベビーシッター等、結婚と仕事の両立のための政策を沢山実現させてきたのですが、この選択的週休三日制が横断的な究極の解決策だと考えています。

元谷 確かに安上がりですね。

猪口 ただ制度が導入されても、職場のプレッシャーで使えないというのでは駄目です。介護だったり不妊治療だったり、大学に行きたいとか親の畑を手伝いたいとか休暇が必要な様々なイベントは全ての人に発生するものですから、「お互い様」なのです。子供が毎週畑仕事の手伝いに帰ってくれば、親御さんの晩年の喜びになって、本当に長生きするのです。もちろん休暇の理由は聞いてはいけない決まりになっていますが。この「お互い様」という観念を、日本の企業に時間を掛けてでも導入していきたいです。

元谷 今でも有給休暇を完全に消化する人は少ないですからね。

猪口 そうなのです。しかし権利ですから、申請されれば企業は断れない。私が週休三日制を提唱して経団連や日本商工会議所の合意を取ったのですが、中には「猪口さん、建設業は週休二日も取れない。三日は贅沢」という人がいたのです。私は週休三日を提唱すれば、建設業でも週休二日は取れるようになると答えました。少子化が進んでいる今、日本に生まれた人達がその能力を最大限に国と社会のために還元できてこそ、日本の持続可能性は維持できると考えています。そのためには、選択的週休三日制のような労働条件の改善は必須でしょう。私も、これまで幸運にも機会に恵まれて受けることができた教育や得ることができた経験を、可能な限り日本や社会に還元する責任があると考えて、政治家を続け、国の制度を整えようとしています。選択的週休三日制の他にも、英語教育の抜本的な強化や安全保障問題にも関与しました。

元谷 昨年十二月に閣議決定された防衛三文書は、反撃能力保有を明記する等、画期的なものになりました。

猪口 はい、その三文書が確定していくプロセスにも関わりました。この文書は、日本の平和の骨格を成すものであり、何人もこの国を侵略させない抑止力の構築を目指すものです。

元谷 その通りです。戦争はバランス・オブ・パワーの不均衡で起きるもので、それを防ぐためには抑止力としての軍事力が必要です。

猪口 仰る通りです。バランス・オブ・パワーの論理は十九世紀の列強間で言われ始めたもので、これが崩れると大戦争に…というのが現実になったのが、第一次世界大戦でした。先日アメリカの元国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏が百歳で亡くなりましたが、彼が言い残したのは、今は第一次世界大戦前夜と非常によく似ているので、バランス・オブ・パワーを決して崩してはならないという警鐘でした。日本もG七のメンバーとして、力の維持のために立ち回る必要があります。抑止力の充実はもちろん、外交力を発揮して、アジア経済の牽引力となることも重要だと思います。

元谷 日本ではかつて、軍備を無くせば平和になるという考えの人が多かったのですが、近年は抑止力の重要性を理解する人が増えてきました。周辺国との力の差がつかないようにしないと、変な野望を持つ国が出てきてしまうのです。

猪口 あと、こちらが油断をしていないということを、常に相手に伝える必要があります。私の選挙区は千葉県なのですが、自衛隊の駐屯地が非常に多い地域です。私も自衛隊の様々な行事に参加して、ご挨拶をさせていただくことがあります。その時申し上げるのは「抑止力の本質」というお話です。これには二つあり、一つは日米同盟をきちんと強く持っていなければならないということ。同盟というのは署名を交わしたからというものではなく、日々信頼と実効性を確保し続ける必要があるのです。もう一つは、日本への侵略は決して成功しないと全ての人に思わせること。時には殉職者も出すほどの厳しい訓練を自衛隊は行っていますが、それを全世界が見ているのです。毎日の訓練を手を抜かずに行い、軍隊としての高い練度を維持することが、抑止力そのものなのです。

元谷 その通りですね。

才能の未利用資源を活用
日本の社会問題の解決へ

猪口 私の友人にもアパホテルを良く利用する人がいるのですが、とても快適で手軽だけど、妥協がないと皆高く評価しています。日本中に広まっているのも納得です。紛争地から逃げた人に大切なのは、やはり屋根があるシェルター。これが人間再生の第一歩なのです。食料については多くの供給者がいるのですが、大掛かりなシェルターは国等が政策できちんと立案しないと、作ることができません。アパホテルが全国にあることで、自然災害時のシェルターを用意していることになっています。

元谷 二〇一一年の東日本大震災の時は、他のホテルが閉鎖したために宿泊できなかった人を、アパホテルが受け入れていました。

猪口 正にシェルターとして機能していたのですね。それは会長に明確なお考えがあったからこそだと思います。またコロナ禍の時には、アパホテルが陽性者の収容施設として活躍しましたね。やはりホテルが街にあるということは、安心につながります。千葉にももっとホテルを出していただければ…。千葉県内にはまだまだホテルが全くない街があるのです。

元谷 今アパホテルは拡大戦略をとっていますから、千葉県の件も検討していきます。面白いもので、増えれば増えるほど、ホテルの需要が増えていくのです。

猪口 ホテルの建設によって、需要を作っているということですか。確かに職場の近くにホテルがあれば、長距離を帰るより、泊まっていくかということになりますね。

元谷 どのアパホテルも立地にはこだわり、基本全てが駅等公共交通機関の乗り場から三分以内に立っています。だからどのホテルの稼働率も高く、利益が出ているのです。

猪口 素晴らしいことです。

元谷 このビッグトークでは、いつも「若い人に一言」ということで、最後に若者へのメッセージをお聞きしています。

猪口 私は日本の若い人だけではなく、世界中の苦労をして頑張ってきた人に言うことがあります。それは、自分と同じ日に世界中で生まれた子供のことを考えてみてということです。その内何%の人が今も生き延びていて、何%の人があなたのような教育を受けて、恵まれた職場に存在しているのかと。

元谷 自分が非常に恵まれていることを、自覚すべきだということですね。

猪口 その通りです。多分同じように恵まれた人は非常に少ないはずで、それ以外の人達の無念を背負って、自分の才能をフルに活かして、社会のためになること全てを全力でやりなさいと言っています。先程お話した通り、私が正しく恵まれた教育を受けることができた人間なので、だから政治家を続けているのです。そのためには、まず自分の才能や個性を自分で発見しなければ。例えば先程お話した選択的週休三日制を活用して、発見した自分の才能を増えた休日に社会に還元する方法もあると思っています。私の友人は子供の頃からサッカー漬けだったのですが、プロにはなれなかった。今は銀行員なのですが、週一回母校に行って、サッカー部のヘルパーをしているのです。これによって顧問の教員の負担軽減になっています。また書道が非常に得意でも所属企業には貢献できませんが、書道教室を開くことで地域の役に立つことがあります。企業も社会も、人々の才能の未利用資源を活かす方向に向かえばいいですね。こういうことが、日本の将来の社会問題の解決に繋がると思うのです。

元谷 ボランティア活動への参加も考えられます。

猪口 そうですね。企業も急に賃金を上げることはできないので、社員の兼業を可能にして副収入を得ることができるようにすることも考えられます。あと若い人に伝えたいのは、少年も少女も大志を抱けということでしょうか。志は高く、しかし温かい心は忘れずに。これからの時代は優しさが社会を救うと感じています。

元谷 今日はいろいろと貴重なお話をありがとうございました。

猪口 ありがとうございました。