日本を語るワインの会244

ワイン244恒例「日本を語るワインの会」が会長邸で行われました。勝兵塾関西支部長も務める日本維新の会の衆議院議員・和田有一朗氏、この五月からウェブサイト「note」で連載を開始、百本以上の投稿を行ったモラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授の髙橋史朗氏、米フィラデルフィアにあるテンプル大学医学部で心臓外科の主任教授を務める心臓外科医の豊田吉哉氏、二〇二二年の第十五回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀藤誠志賞を獲得したジャーナリストの小笠原理恵氏、明治維新によって歪んだ神道を実証学的に見直す研究・発信を続けている石清水八幡宮権宮司の田中朋清氏をお迎えし、これからの世界に向けての日本の在り方等を語り合いました。
和製アニメの世界的人気は
日本独自の思想が理由
 豊田吉哉氏はこの六月にテレビ東京の番組「主治医が見つかる診療所」に出演。世界でも数例しかない心臓と肺の同時移植手術を成功させたスーパードクターとして紹介された。一九九八年にハーバード大学医学部に留学してからのアメリカ生活で、これまでに日本の一流大学からの教授就任の打診もあったが断ってきた。その理由は、吉田氏のテンプル大学の今の「チーフ」と呼ばれるポジションには人事権があり、それを行使して日本人の若手を多数採用することで、日本に貢献できると考えているからだ。日本に帰国すればこのポジションはアメリカ人が占め、日本人のアメリカの病院に就職する入り口の一つが閉ざされてしまう。
 LGBT理解増進法は六月十三日に衆議院で可決、十六日に参議院で可決して成立した。採決の際、衆議院では自民党の高鳥修一氏が退席、その他杉田水脈氏らが欠席した。和田有一朗氏がこの法案に賛成したことを批判する支持者もいたが、与党が日本維新の会の修正案に合意して採決に臨んだ以上、維新の会の議員として退席するわけにはいかなかった。それだけあの修正協議に日本維新の会はエネルギーを割いたし、結果としてLGBT理解増進法をあるべきものにできた。
 京都府八幡市にある石清水八幡宮は、平安時代の貞観元(八五九)年の清和天皇の即位の翌年に、都の南西部の「裏鬼門」を守護する神社として創建された。開いたのは空海の弟子の行教という僧侶で、神仏習合の宮寺だった。正式名称は石清水八幡宮宮寺で、先祖代々僧侶をしながら神職も兼ねる形で受け継がれてきた、日本で一番神仏混淆が進んでいた場所だった。伊勢神宮に次いで皇室からの信仰をいただいた神社としても知られている。田中氏の四代前までの先祖は僧侶でもあった。田中氏もその父の田中恆清氏も今は神職であり、恆清氏は石清水八幡宮の宮司であり、さらに神社本庁の総長も務める。
 戦後の世界の平和維持は国連が中心となったが、利権団体である国連はウクライナ侵攻に対応できないほどだらしなく、これを変えていかなければならない。持続可能な開発目標とされるSDGsも、日本人から見れば利権まみれであり、本質的な知恵ではない。田中氏が考えているのは、日本の地域社会の中で重んじられていた「人の幸せをお互いに祈り合う心」を、世界に向けて発信するということだ。田中氏は髙橋史朗氏の後援も得て、人権の本質につながる価値として、人の幸福を規定する世界宣言を日本主導で出すことができないか、今取り組んでいる。この日本の思想の根源にあるのは、仏だろうが神道の神であろうが、人知を越えた尊い存在があり、人間はそれによって生み出されたものの一部だという考えだ。だから出過ぎた真似をしない、人が人を支配したり、正義の名の下に人が人を滅ぼすことをしたりしてこなかった。今、宮崎駿や新海誠等のアニメーション作家の作品に世界中の人が夢中になるのも、そのストーリーの根底に日本のこの思想があるからであり、それは実は世界的に普遍的な価値観に繋がるものだからではないだろうか。
明治維新によって失った
「本当の神道」に立ち戻る
 田中氏は神職に就くにあたって、國學院大學で一年神道学を学んだ。そこで教えるのは、明治以降に確立した国家神道論であり、田中氏はそのことに疑問を感じた。自分で研究を進めようと京都大学の「こころの未来研究センター(現 人と社会の未来研究院)」の研究員として、実証的な研究を行った。するとやはり古くからの神道は明治以降のものとは異なり、そのために日本の国が歪んできたことがわかってきた。幕末や維新の歴史を改めて検証していくと、神道に関して実証的な研究ができない環境が日本にあり、一九七〇年後半までは歴史が正確に語られず、プロパガンダに近い主張がまかり通ってきたことがわかってきた。だから研究者も育っていない。ここでもう一回立ち返らないと、日本人が何を失ってきたのかがわからなくなる。田中氏は神社界に直接訴えるのではなく、学問の世界と国連を通じて、神職の人々に自らの研究を伝えている。明治維新に異議を唱えると、最初は「国賊」とまで批判されたが、次第に理解をされるようになってきた。世界の原始的宗教における祭礼を概観すると、仮面等装飾や踊りは異なるが、根本の死生観は非常によく似ている。これらも踏まえ、日本でもかつて梅棹忠夫氏が提唱したような「日本総合文化センター」を作り、京都や奈良等で商売の道具と化して破壊されつつある日本文化を守る必要がある。
 労働は原罪に対する罰であり、働かないことが神の祝福となる。その分、社会に奉仕等の形で貢献する必要があるというのが、キリスト教の考え方だ。一方日本では労働は神仏や先祖、世の中に仕えることであり、仕事をすればするほど、自分も周囲も幸せになるという考え方だ。だから日本人は世界的にも勤勉だと言われてきた。しかし今の日本の若者は働かない。雇用しても連絡なく欠勤し、また出勤してきても、パワハラが怖くて強く叱責できない。これは教育の問題だろう。
国のために身命を賭すには
国からの充分な処遇が必要
 小笠原理恵氏が会長を務める自衛官守る会は、自衛隊を守るのではなく、労基法に守られずボロボロの官舎に暮らし、トイレットペーパーを自前で賄う自衛官の待遇を改善するため、国会議員に請願を行い続けてきた。高速道路自腹問題など酷いもので、アメリカ軍や警察は無料で通行できる高速道路だが、自衛隊は有料だ。災害派遣時だけは例外で、派遣を依頼した自治体が支払う。しかし自衛隊の移動費にも予算がある。高速道路利用も上限のあるETCカード利用で、それを越える分は隊員の自腹だった。二〇二四年度の概算要求が締め切られ、五年間で四十三兆円の計画が示されている防衛費は、二四年度は七兆七千三百八十五億円と初めて七兆円を越えた。こうなって初めて防衛費の予算の運搬費が「高速道路代含む」となり、通れば自腹が無くなる。さらにアメリカ軍や中国軍、インド軍でも戦車や兵員輸送車に冷房が付いているが、自衛隊の車両にはついていない。他国の車両には最近トイレ付きも出ており、どれだけ良好な状態で兵士を前線に送るかに腐心しているのに、自衛隊は大幅に遅れている。アメリカは、軍人達が軍に所属していることに誇りが持てるような待遇を、家族にまで行っている。イタリアでアメリカ軍の軍人の家が停電になったことがあったが、すぐに軍から電源車がやってきて電気が使えるようにしていた。軍人達も、国がこれだけやってくれるからと、いざという時に命を賭けることができるのだ。しかし自衛官の処遇にはまだ問題が山積みだ。自衛官守る会は、十一月の末に次の国会議員請願を行う予定だ。
 日本では自衛官や消防署員、救急隊員、警察官等、社会のために自らを犠牲にする覚悟で働いている人々が感謝されていない。仕事はやって当たり前で、少しでもミスをしたり、例えば制服のままコンビニで買物をしたりするだけで袋叩きにする。これまで日本は、知恵や文化や命を繋ぐことを大事にしてきた社会なのに、それらをないがしろにして、自分さえ良ければいいという風潮が蔓延っている。これが少子化の原因ではないか。今まさに、教育や社会のシステムを変えていく必要があるだろう。
尊敬されなくなったため
お年寄りが醜態を晒す

 世のため人のために、いいことをやっている人=格好良いとは言われなくなってきた。これは戦後の教育がそういった方向に走ってきた結果だ。特に偉人教育を行わなくなってきたためではないか。また家父長制にも一長一短があった。尊敬されるべき人を家族や地域の中で作っていかなければならない。かつては、お年寄りは尊敬されるべき存在で褒め称えられ、大事にされてきたので、社会の中でも変なことをしなかった。
 明治時代の新聞は意外なことに、本当にためになることが書いてあり、ゴシップ記事などほとんどない。今のメディアはジャニーズ問題のような下世話なネタで、皆が騒いでいる。スマートフォンで見るニュースも、どうでもいいものばかり。海外のメディアに比べて、日本のメディアは公平性に欠けている。中国や北朝鮮のメディアを馬鹿にできない。
 ホテル社長は早稲田大学の大学院に通っていた時に、筑紫哲也氏のメディア論の授業を取っていた。その中で筑紫氏はカナダ等ではしっかりと確立しているメディア・リテラシーが、日本では根付いていないと指摘していた。メディア・リテラシーとは、マスメディアの成り立ちをしっかりと理解した上で、メディアを批判できる視点を育てる教育のことだ。これが未発達な社会ではマスメディアが間違った力を持つと筑紫氏は指摘していたが、正に今の状況がそうだろう。ホテル社長は「筑紫哲也 NEWS23」の撮影現場に行ったことがあるが、直前まで学生と雑談、すぐに準備なく放送で滔々と話す姿に驚嘆した。朝日新聞出身で朝日ジャーナルの編集長等を務めていたことから色眼鏡で見られることが多かった筑紫氏だが、ホテル社長の目には極めてバランス感覚が優れた人に思えた。