日本を語るワインの会242

ワイン242恒例「日本を語るワインの会」が会長邸で行われました。小学校の途中まで南アフリカ共和国のヨハネスブルグで育った一橋ビジネススクールPDS寄付講座競争戦略 特任教授の楠木建氏、知覧の特攻隊記念館で隊員の遺書を読んで、コンサルタントの仕事を捨てて政治家となった千葉県議会議員の田沼隆志氏、二〇二三年三月に慶應義塾大学の大学院で修士号を取得した戦後問題ジャーナリスト、キャスターの佐波優子氏をお迎えし、ビジネスから歴史まで、様々な話題に花が咲きました。
議員が決めている限り
議員定数の是正はできない
 先の大戦における海外での戦没者の約六十万柱の遺骨が、未だに未収容となっている。これは本来許されないことだ。二〇一三年四月、硫黄島を訪れた安倍首相は、次の視察地に向かう直前、飛行場の滑走路に跪き、その下に眠る数多くの英霊に対して手を合わせ、頭を垂れた。この滑走路の舗装を剥がして遺骨を回収し、また舗装をやり直すというプロジェクトが持ち上がったこともあったが、予算が五百億円掛かることが判明して、立ち消えとなった。
 日本は人口が減少しているのに、国会も地方議会も議員の定数が変わらない。千葉県議会議員の定数は九十五人。人口五万人の銚子市に議員が二名いる一方、六万人の自治体でも議員が一人というところもあり、この「一票の格差」を是正しようと各会派が案を出したことがあった。基本各会派、議員定数を削減する案を出す中、自民党案は定数九十六人と一人増えている。理由は流山市の人口が増えているからという。つまりは、議員が議員定数を減らすのは、自分で自分の首を切るようなものだから、強い抵抗感があるのだ。定数は第三者が決めるべきであって、イギリスはそういう仕組みを採用しているから、定数を弾力的に変更することができている。今は「和を以て貴しとなす」という体質の自民党が与党だから、議員定数が減らない。日本維新の会の「身を切る改革」は的を射ており、いつまでも今の自民党の体質では、座して死を待つことになるのではないか。
 衆議院も参議院も、国政選挙の投票先は政党で決めている有権者が多い。特に衆議院の小選挙区制では、政党に所属してないと勝てない。また中選挙区制では選挙区の三〇%の支持があれば当選できたが、小選挙区制では五〇%を超える支持がないと勝てない。当然大衆迎合的な主張しかできなくなり、国政でも市政レベルの公約を行うことになる。どう考えても、中選挙区制の方が政治家の質は高くなる。しかし自民党が目指さない限り、中選挙区制には戻らない。そして与党に有利な小選挙区制は、自民党が憲法改正を果たすまで、その役割を終えないだろう。
 楠木氏は一九九〇年頃イタリア・ミラノのボッコーニ大学で教鞭を執っていたことがある。ボッコーニ大学は元々商業学校で、イタリアの一橋大学のような大学だ。この大学の総長を務めるマリオ・モンティ氏は、首相や財務大臣を経験している。二〇二一年まで首相を務めたジュゼッペ・コンテ氏も民法を専門とする大学教授だった。イタリアは大学と政治がものすごく近く、閣僚に大学教授が多い。また職場で政治について議論することも多く、非常にポリティカルな国だ。アメリカでも、政・官・財・学を行ったり来たりする「回転ドア」と呼ばれる慣行がある。日本は学者が政治や行政に転向するケースは稀で、竹中平蔵氏がその珍しいケースになる。
そもそも成り立ちが違う
南アフリカと北アフリカ
 楠木氏が少年時代を過ごした一九六〇〜七〇年の南アフリカ共和国は、アパルトヘイト(人種隔離政策)が非常に安定していた時期で、人口比一二%の白人が、職業選択や住居の自由のない八八%の黒人を奴隷のように使っていた。有色人種は冷遇されるので、アジア人は非常に少なかったが、仕事で訪れる日本人は白人カテゴリー扱いをしてもらえた。当然この時のこの国での白人カテゴリーの暮らしは、非常に豊かなものだった。楠木氏の父親は二十代半ばのサラリーマンだったが、家にはプールがありテニスコートがあった。裏庭には複数のメイドと庭師らの黒人が住んでいた。朝起きると、朝食担当のメイドが卵料理はどうするか聞いてくれるような生活だった。物が落ちても必ず誰かが拾ってくれるような生活を経て、楠木氏は小学校の終わりに日本に帰国。編入した日本の小学校で付いたあだ名は「バカ殿」だったという。
 そもそも南アフリカは成り立ちが北アフリカと異なる。北アフリカは元々アフリカの人々が暮らしていて、帝国主義時代にヨーロッパの植民地になり、それから独立を果たした国々だ。しかし南アフリカは帝国主義時代の前からオランダ人らが入植し、オランダ語をベースとした独自の言語・アフリカーンスを話していた白人国だった。帝国主義時代にはイギリスと二度に渡るボーア戦争を戦い、イギリスの支配下に入った。早晩自治を取り戻すが、二度の世界大戦後にアパルトヘイトを整備・強化して、イギリス連邦からも離脱、独自の路線を進んだ国だ。
 アパルトヘイト安定期に、白人社会の敵として収監されていたネルソン・マンデラ氏が、一九九四年の初の全人種参加の選挙で大統領に選出され、アパルトヘイトが廃止になった。その結果、八八%の黒人が労働市場に開放され、一気に失業率が上昇した。この時、オーストラリアやニュージーランドに移住していった白人が多い。新体制に伴い首都・ヨハネスブルグは、一時的に治安が極めて悪化した。当時のヨハネスブルグに楠木氏は外務省の仕事で訪れたが、危険なエリアに入る運転手と入らない運転手で、給料が倍違った。内戦も行われていて自動小銃が流通し、強盗が日常茶飯事。銀行がセキュリティ対策で全て地下に作られるようになり、地下街が発達したという。今は当時とは異なり、すっかり治安は回復している。
ブラック、ホワイトは止め
ブルー、ピンクと呼ぶべき
 民間と行政で違うことの一つに人事評価がある。企業は人事評価をしっかりと付けて、それに基づく昇給や昇格を行うが、役所では厳しい評価を行わない。ゆっくりとしか昇格しないために、怠け者はずっと怠け者で、やる気のある人間はやる気を失っていく。田沼隆志氏がかつて勤務したコンサルティング会社では、人事評価は五段階となっていて、最高評価の「五」は五%、「四」は二〇%など率が定められた相対評価になっていて、最低評価の「一」が三回続くと解雇される。このような状況の中、かつての労働環境は厳しく、体を壊す等の理由で、新卒で入社した社員の多くが辞めていったという。ブラックな労働環境を改め、労働時間も極力九時五時にしようというのが今の流れであり、そのコンサルティング会社も様変わりした。しかしそれだけで本当にいいのか。もっと仕事をして成長したいという人もいるのではないか。労働者が本当に嬉しいのは労働時間の短縮だけではなく、やりがいの増加ではないか。職種によっては時間を掛けなければ一人前になれない時期があるものもあり、ブラックの認定は難しい。好きなことであれば、外から見ると大変だが本人には娯楽という場合もある。仕事は娯楽化している時に、一番成果が出る。会長の座右の銘の「仕事を遊びに 遊びを仕事に」の精神だ。
 楠木建氏は有名ファストファッション企業の人材育成サポートもしているが、某週刊誌がこの企業の働き方がブラックだと批判した。同時期に楠木氏の近くに住む有名タレントのスキャンダルが発覚、某週刊誌の記者が昼夜を問わず張り込んでいた。人の会社はブラックと批判するくせに、自社では過剰な労働を行わせている。楠木氏はこの某週刊誌の言動を「棚上げフェスティバル」と名付けた一文を、某週刊誌と同じ出版社が発行する月刊誌に発表した。某週刊誌の編集長は、ウチの記者はスキャンダルが好き、好きでやっている人間を批判するなと反論したそうだ。これらもあって楠木氏はブラック、ホワイトという分類を止めて、ピンク企業、ブルー企業という言い方を提唱する。正義とか悪ではなく、いろいろなカラーの会社があって、その中から自分に合った会社を選んで働けばいいのでは…という意味だ。
アパホテルのビジネスは
ホテル投資業だ
 予備自衛官である佐波優子氏は、毎年四泊五日の訓練を行っている。予備自衛官になるためには最初に予備自衛官補となり、三年以内に五十日の教育訓練を受ける必要がある。佐波氏がこの教育訓練で一緒になった若い男性は、「引きこもり」。学校や社会や親を恨んで家にこもり、たまにアルバイトの面接に行っても受からない。そこで親に言われて、予備自衛官補になった。最初はまだ世の中を恨んでいた彼だが、しばらくして再会すると丸まっていた背筋がしゃきっと伸び、訓練を通じて自衛隊員に感謝の気持ちを持つようになり、親にも社会にも感謝するようになっていたという。
 会長の座右の銘に「人生波乱万丈 大変を楽しむ 男の気概」というものがある。会長は、二〇〇七年のアパグループの耐震偽装問題勃発時にこの言葉を月刊Apple Townに掲載しようとしたが、「今はまずい」と弁護士に止められて、一年後に掲載した。
 CEOの大学の恩師は、アパホテルのビジネスをホテル業ではなく、ホテル投資業に近いと評価する。部屋数が約十一万室のアパホテルは、世界のホテルランキングでは十九番目になる。世界一は百万室を保有するマリオットだ。しかしマリオットやハイアットなどの世界的なホテルチェーンは、元々ブランドとオペレーションを担当し、ホテルを不動産として所有するのは、これを投資対象とする機関投資家等なのが普通だ。しかしアパホテルは出自がディベロッパーのため不動産所有にこだわり、さらにブランドとオペレーションも担っている。このような形は世界でも類例がない。世界的なホテルチェーンは近年、オペレーションを外注して、ブランド管理業になっている。ロサンゼルス国際空港には有名ホテルが七つほど入っているが、どのブランドも同じサードパーティーのオペレーターに外注している。効率的かもしれないが、同じ教育のサービスと同じセントラルキッチンの料理となると、差別化はどうなるのか。運営の差別化のないブランド競争は、将来手詰まりになる可能性がある。