モハメッド・エルーミ氏
モハメッド・エルーミ駐日チュニジア大使は2018年より現職。東京への駐在は二度目。2011年8月から2016年7月まで東京のチュニジア大使館で首席公使、2013年4月から2014年1月までは臨時代理大使を務める。エルーミ大使は1997年にチュニジアのカルタゴ高等商科大学を卒業。チュニジア外交官養成大学でも学ぶ。2003年8月から2008年7月までオタワ(カナダ)のチュニジア大使館で参事官を務める。2010年10月から2011年7月までは米州およびアジア担当の閣僚諮問会議メンバー、2017年1月12日から2018年10月までは特別国連機関との協力および開発プログラム担当の専門官も歴任しながら、閣僚諮問会議メンバーも続ける。2016年には全権公使に昇格。モハメッド・エルーミ大使は2013年10月にチュニジア国家功労勲章を受章。妻との間に一男一女をもうける。アラビア語、フランス語、英語およびスペイン語を話す。趣味は旅行、読書およびバレーボール。
震災直後の石巻市を支援
元谷 今日はビッグトークにご登場いただき、本当にありがとうございます。二〇一二年にエイエス・カスリさん、二〇一七年にカイス・ダラジさんとチュニジア共和国の駐日大使には過去二回、ビッグトークに出ていただいたことがありますので、エルーミさんで三回目になります。私は二〇一〇年十二月にチュニジアを訪問しました。日本・アラブ経済フォーラムに参加したり、元駐日チュニジア大使で当時の日本チュニジア協会会長だった小野安昭さんと一緒に、チュニジア人の小野さんの友人宅を訪れて、名物料理のクスクスに舌鼓を打ったり。その直後に正にそのチュニジアで、「アラブの春」が始まったのです。エルーミさんには昨年十二月に大使館での昼食会にご招待いただき、小野さんとも再びお話することができました。
エルーミ 今日はお招きいただき、ありがとうございます。会長がチュニジアにいらっしゃった時には、私はお出迎えする側におりました。外交官一筋のキャリアを積んできたのですが、二〇一一年八月に日本に初めてやって来ました。そして大使に任命されて、二〇一八年の十二月に再度日本にやって来ることができました。とても名誉なことだと感じています。
元谷 最初にいらっしゃった時には、どれくらい日本で勤務されていたのでしょうか。
エルーミ 二〇一六年七月までの約五年間でした。二〇一一年は日本にとってもチュニジアにとっても困難な年で、チュニジアは「アラブの春」に、そして日本は東日本大震災に見舞われました。私が赴任したのはその直後でした。しかし困難だからこそ両国の連帯を強める必要があると考え、チュニジア大使館は東北の被災地域、特に一九九二年から留学生をきっかけに交流のある石巻市への支援を積極的に行いました。石巻市では四千人近い人々が津波で亡くなったり、行方不明になったりしたのです。
元谷 そうだったのですか。本当にありがとうございました。
エルーミ まさかの時の友人が本当の友人ですから。
元谷 東日本大震災の際は、津波によって大きな被害が出てしまいました。建物に関しては日本の耐震基準は厳しく、少々の地震では倒壊することはありません。ですから地震が来ても、上からの落下物の危険性が高い屋外にすぐに逃げては駄目で、まず室内で安全なところに退避するべきなのです。
エルーミ その通りだと思います。そして私が日本人が凄いと思うのは、震災から立ち上がる精神です。被災地が着々と復興していく姿を、しっかりと見守らせていただきました。
元谷 チュニジアには地震はないのでしょうか。
エルーミ 少ないですね。しかし世界の他の国と同様に気候変動の危機はあり、干ばつ等が発生しています。
元谷 それは地球温暖化の影響ということでしょうか。
エルーミ はい、そうです。
元谷 地震の少ない国からだと、日本の地震の多さには驚かれたでしょう。
エルーミ そうですね。ただ日本政府は地震等災害時のシミュレーションを行っていて、いざという時どうすればいいのかを、大使館にレクチャーしてくれています。
観光資源に富むチュニジア
元谷 旅がとても充実していたので、私はチュニジアに非常に良い印象を持っています。読者がチュニジアを訪れる際に参考になるように、チュニジアという国のこと、その見所等を教えてもらえないでしょうか。
エルーミ わかりました。チュニジアは、戦略的にも地政学的にも地中海の心臓部とも呼べる最高の場所にあります。北アフリカにあるのですが、限りなくヨーロッパにも近い。またマグレブと呼ばれる北西アフリカ諸国の中央に位置します。国土の面積は日本の五分の二ほどで、そこに約千二百万人が住んでいます。一九五六年にフランスから独立したことから、公用語のアラビア語の他に、多くの人がフランス語を話します。アラブ人が大多数で、ほとんどの国民がスンニ派のイスラム教を信じています。海岸線が千三百kmにも及び、海外に広く開かれた国です。そして気候や国民の人柄等、あらゆるものが穏やかなのが自慢です。四季もしっかりとありますが、冬といってもそんなに寒くありません。
元谷 首都のチュニスは整然としていて美しかったですね。その近くの海の景色がきれいなシディ・ブ・サイドや、百五十kmほど南下したところにあるローマ時代の円形劇場のある街・エルジェム、高級リゾートとなっている海沿いの小さな街・マハディアにも車で訪れました。
エルーミ チュニスからチュニジアの南端までは五百kmほどで、そんなに遠い距離ではありません。数多くの魅力を持つ国ですが、やはり人気はサハラ砂漠とオアシスのある南部でしょう。この地域では冬に、私が世界最高だと信じているナツメヤシが実ります。映画「スターウォーズ」も、このチュニジア南部でロケをしました。チュニジアには世界遺産も多く、歴史遺産が七つ、自然遺産が一つあります。チュニスの旧市街や、チュニスに近い場所にあるカルタゴ遺跡も世界歴史遺産です。
元谷 カルタゴ遺跡には行きました。カルタゴ時代の神殿の跡が、非常に興味深かったです。
エルーミ そのカルタゴの英雄と言えば、紀元前三世紀に行われた第二次ポエニ戦争の名将ハンニバルです。軍隊を引き連れてアルプスを越えてローマ帝国の版図に攻め入り、最後は破れましたが大いにローマ軍を苦しめました。チュニジア国民は、皆彼を直接の祖先だと考えて慕っています。ハンニバルは会長と同じく、確固たる信念の持ち主だったと思いますね。日本人の観光客は本当に歴史や遺跡がお好きな方が多い。チュニジアには他にもクスクスをはじめとした料理や、フランス系の品種のブドウと現地品種を混ぜて作られるワイン、地中海でも有数のビーチリゾート等があり、魅力がいっぱいの国です。また四季を通じて楽しむことができるのも、大きな特徴でしょう。
元谷 訪れてからもう十二年も経過していますから、チュニジアの発展も相当進んでいるのではないかと想像しています。いい思い出がある国なので、できればもう一度訪れたいと考えています。
エルーミ ぜひお越しください。今チュニジアはGDPの一〇%を占めるようになった観光業を非常に大切にしていますから、会長がいらっしゃった際には、観光関連の多くの決定権者と会っていただきたいと思います。
元谷 是非よろしくお願いします。
エルーミ 観光をはじめとした産業や国際交流に大きな影響を与えたコロナ禍が、ようやく終焉しようとしています。チュニジアもこれからに目を向けて、進んでいきたいのです。もしアパホテルがチュニジアに進出、例えばチュニスに日本の旗が掲げられているホテルがあれば、日本人観光客はとても喜ぶと思います。
元谷 ただ、アパホテルの海外展開はまずカナダとアメリカの北米から始めています。また、日本国内では圧倒的なナンバーワンホテルチェーンとなりましたが、まだまだシェアは低く、一〇%に届いていません。日本はチェーンではなく、一館のみという宿泊施設が非常に多く、シェアがなかなか取れない。こういった施設とのフランチャイズ契約や買収も行い、国内シェア二〇%を達成するというのがアパホテルの目標で、現在はまだ日本国内のホテル網の充実に注力しているところです。今、建築・設計中のホテルだけでも二十七棟あります。二月には西日本最大級の全千七百四室を誇るアパホテル&リゾート〈大阪梅田駅タワー〉が開業しましたし、大阪ではさらに来年(二〇二四年)の秋、全二千五十五室の〈大阪難波駅タワー〉が開業する予定です。
エルーミ 実は私は昨日、大阪にいました。二〇二五年の大阪・関西万博にはチュニジアもパビリオンを建てて参加する予定で、現在準備を進めています。二〇二五年には大阪が世界の中心になりますよ。今仰った二つの大型ホテルに代表される大阪のアパホテルも、万博期間には全て満室になるのではないでしょうか。
元谷 そうなると確信していますね。また、今でもアパホテルは高い稼働率を維持しています。
エルーミ どこのアパホテルも駅から非常に近いので、チュニジアから来日する万博目当ての観光客にとっても、非常に便利だと思います。
元谷 ホテルは典型的な立地ビジネスですから、土地の価格が少々高くても、無視をしてでもいい立地にこだわった方が良いのです。万博に加えて二〇二六年に北中米で開催されるサッカーのワールドカップを見越して、アパホテルは日本サッカー協会と四年間のサッカー日本代表パートナーシップ契約を結びました。サッカー日本代表とこのような契約を結べる企業は、一業種一社に限られています。契約に漕ぎ着けることができて、非常に幸運だったと思います。
エルーミ 二〇二二年のカタールでのワールドカップでの活躍で、日本代表は世界にその輝きを放ちました。次のワールドカップでの日本代表の活躍も、大いに期待できます。
元谷 はい、そうですね。サッカーは世界で最も人気のあるスポーツですし、アパホテルに宿泊する海外からのお客様も順調に増えています。そういった意味でもこのパートナーシップ契約は、大きな意味があります。コストはかなり掛かりましたが、それに見合うパフォーマンスがあると信じています。
エルーミ もちろんチュニジアでも、サッカーは大人気のスポーツです。また、チュニジア代表のFWのジェバリが、今シーズンからガンバ大阪でプレーをしています。
元谷 それは活躍が楽しみですね。
ホテル進出の形態を変える
エルーミ しかし、この三年のコロナ禍で多くの観光施設、宿泊施設が大打撃を受けました。
元谷 一時期閉館したり、その影響で赤字に転落した宿泊施設も多かった。でもアパホテルは簡単には閉館せずに営業を続け、黒字も維持し続けました。
エルーミ そのパンデミックの最中に安倍元首相から電話を受け、アパホテルをコロナ陽性者の受け入れ先として提供するという愛国的な決定をされたと聞いています。
元谷 私はかつて「安倍晋三を首相にする会」の副会長を務めていて、安倍氏とは親しかったのです。ですから、直接私の携帯に電話が掛かってきました。
エルーミ そのような英断も下す安倍氏は、素晴らしい政治家だったと思います。
元谷 私も同感で、亡くなられて寂しい限りです。
エルーミ コロナ禍にも打ち勝ったアパホテルの強みは、どこにあるのでしょうか。
元谷 最大の要因は会員システムの成功でしょう。現在アパホテルには二千数百万人の会員がいます。会員になれば宿泊料金の九~一五%のポイントが付き、そのポイントが五千ポイントになれば、現金五千円のキャッシュバックが受けられるのです。アパホテルを一番多く利用するのはビジネスマンですから、宿泊料金は会社の経費で落とすことができます。それでいてポイントやキャッシュバックは個人に受けることになりますから、多くのビジネスマンの利用意欲を喚起することができたのです。この会員システムは第一号ホテルが出来た時からのもので、私が第一号、ホテル社長が第二号の会員になっています。まずはお客様に選んでもらえるホテルを作ること。そのために、お客様と利害が一致するシステムを構築したのです。こうした「武器」を持つことが、ビジネスの成功には不可欠です。
エルーミ 先見の明としか言いようがありません。次々と生まれるホテルは、新しく建設しているのでしょうか。それとも買収でしょうか。
元谷 東京や大阪、福岡等の中核都市にオープンするホテルは、全部新築のホテルです。その他の地方については需要がそこまで大きくないと見込んで、基本買収でホテルを増やしています。これは海外においても同じで、アメリカとカナダに展開するコーストホテルチェーンも、投資価値がある場合には新築のホテルを建設しています。概観してみると、やはり東京のホテルが一番儲かるのです。東京の交通の便の良い場所に集中してホテルを作っていますから、アパホテルのライバルはアパホテルというエリアもあります。
エルーミ 日本での仕事が長くなってきて、国内でも地域によっては経済のダイナミズムが異なり、地方と東京では人の流れも全く異なることがわかってきました。アパホテルはその流れを上手くすくいとって、ビジネスモデルを構築しています。国内の経済に沿ったビジネスという考えは、世界中の他の国の参考にもなりますね。宿泊客における日本人と外国人の比率はどうなっていますか。
元谷 三割が外国人で、七割が日本人です。特に日本人はポイント制もあって、ヘビーユーザーが多いですね。もう一つアパホテルの大きな特徴は、部屋は小さいですが機能的で、ベッドやテレビ等必要なものは大きいということです。テレビは各部屋五〇インチ以上のものを入れています。
エルーミ それらの施策について、どなたが意思決定を行ってきたのでしょうか。
元谷 全て私が決めてきました。アパグループは上場しておらず、家族で全ての株を保有していますから。また金利が安いこともあり、ホテルは所有にこだわっています。日本国内でも世界でも、ホテルは所有と運営、ブランドが別の企業であることが多いのですが、アパホテルはその三つを全て自社で担当しています。だから三〇%を越える経常利益率を出すことができるのです。昨年(二〇二二年)十一月期のアパグループの連結決算でも、売上一千三百八十二億円、経常利益三百五十三億円となりました。
エルーミ それだけの利益を出しているということは、納税額もかなり多いのではないでしょうか。
元谷 その通りです。これまで会社として払った税金は、二千億円を越えています。
一棟、二棟よりも楽だ
エルーミ 会長はゼロから今のビジネスを立ち上げたと聞いていますが、まず何をされたのでしょうか。
元谷 最初は注文住宅事業から始めたのです。この仕事だと最初に半金がもらえますから、大きな資金がまだない開業直後というステージにマッチしていたのです。建売住宅も手掛けるようになり次第に事業が軌道に乗ってくると、今度は税金対策で利益と相殺する減価償却が必要となる賃貸マンション事業、そしてホテル事業を行うようになったのです。
エルーミ アパグループは一から素晴らしいビジネスモデルを確立して、多くの雇用を生み出し、日本社会の発展にも寄与しています。さらに政府からの信頼も厚く、首相から直接電話で問題解決の依頼が入ってくる。チュニジア等海外では、その辺のお話を中心に語っていただきたいですね。アパホテルのビジネスモデルをケースとしたビジネススクールでの講義も、是非行うべきです。
元谷 小さなホテルを沢山作るよりも、大きなホテルを建てる方が良いとか、私なりのいろいろな法則があります。中でも最も大事にしているのが、まず何が何でもナンバーワンになること。そうすれば、人もモノも金も情報も、全部自然と集まってくるようになります。
エルーミ ただ、一番を維持するのは難しくないでしょうか。
元谷 最初に一番になってしまえば、その後は比較的楽です。ゼロを一にするのは難しいですが、十を十一にするのはそれに比べれば楽ですから。よくそんなに沢山ホテルを作って大変でしょうと言われるのですが、沢山作っているから楽なのです。一棟や二棟を運営する方が大変だと思いますよ。
エルーミ 今後のビジネスの方向性を教えてもらえますでしょうか。
元谷 日本国内でまだまだ伸びる余地があると考えています。現状国内の利益率は三〇%を越えますが、海外では一〇%と国内の方が儲かるのです。そのために大事にしたいのはブランド力ですね。高いブランド力を維持することが、今後の大きな課題になると思います。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。
エルーミ 会長にはお話する度に、いつも学ばせていただいています。今日のお話にも、大変鼓舞されました。非常に野心的な目標を設定して、その達成のために全ての努力を傾ける会長の姿勢は、ハンニバルを彷彿させます。「道は見つける。なければ作る」という彼の有名な言葉があります。会長は正にこれを実践されてきたかと。チュニジアでも日本でも、若い人に今日の会長のお話を聞かせたいですね。チュニジアも日本も石油等の資源には恵まれていませんが、人間という資源があります。野心を持って進み、目標を達成していく。両国からそんな若い人材が育っていくことを、私は強く願っています。
元谷 今日はいろいろとお話をありがとうございました。
エルーミ 是非もう一度チュニジアにいらっしゃってください。今日はありがとうございました。