日本を語るワインの会239

ワイン239恒例「日本を語るワインの会」が会長邸で行われました。第一次世界大戦後に日本が委任統治していたミクロネシアのパラオ共和国大使館特命全権大使のピーター・アデルバイ氏、祖父が第五代の大統領だったパラオ共和国大使館公使参事官のクリスチャン・エピソン・ニコレスク氏、在日本ルーマニア商工会議所会頭の酒生文弥氏をお迎えし、繋がりの深いパラオと日本の関係について、語り合いました。
「IBM」を理解しなければ
アラブ社会では暮らせない
 この四月にトランプ前大統領が三十四件の罪状で起訴されたことで、アメリカはトランプ派と反トランプ派に分かれて、その対立が深刻になってきている。来年の二〇二四年には大統領選挙が行われるが、このままでは現職のバイデン大統領対トランプ前大統領という、高齢者対決もあり得る。若い人が大統領選に臨むことが、アメリカには必要なのではないか。
 アラブ社会を表現する時に「IBM」ということがある。「I」はアラビア語のインシャーアッラー、つまり「神の思し召すままに」。アラブ人は約束の時間に遅れても、インシャーアッラーを口にする。自分のせいではなく、神の思し召しで遅れたのだと。何とも都合の良い言葉だ。「B」はブクラ。「明日」という意味で、「明日でもいいことは明日やる」ということ。電化製品の修理を依頼しても最初は「インシャーアッラー」、最後は「ブクラ」となる。「M」はマアレーシュ、「気にするな」という意味だ。車の接触事故が起きても、加害者が被害者にこう言う。この「IBM」に慣れないと、アラブ世界では生きていけない。
戦いの前に住民を避難させ
民間人を守った中川大佐
 パラオ共和国は太平洋に囲まれたオーシャンリゾートだ。四百以上の島々から成るパラオの面積は、全部合わせても日本の屋久島と同じぐらい。人口は約一万八千人。全域が熱帯雨林気候で年間平均気温が二十八℃、雨期が六〜十月、乾期が十一〜五月になる。十九世紀にスペインの植民地に、その後はドイツの植民地だったが、一九二〇年国際連盟によって日本の南洋群島の委任統治が認められ、パラオのコロールに南洋群島全体を管轄する南洋庁本庁が設置された。日本は電気や水道、道路や学校、病院等インフラの整備に努め、一九二〇年代にコロールは近代的な街へと変貌と遂げた。第二次世界大戦の終了まで日本の統治が続き、その後は国連の太平洋信託統治領としてアメリカの統治下に入った。一九八一年に憲法を発布して自治政府が発足、一九九四年にアメリカの統治からの独立を果たした。
 先の大戦の中でよく知られるのが、一九四四年九月のパラオのペリリュー島での戦いだ。この戦いでは、叩き上げの中川州男大佐が守備隊の指揮を執り、全島を徹底的に要塞化した。そのためアメリカ軍の上陸前の激しい艦砲射撃にもほとんど損害を出さずに逆に上陸部隊を攻撃、多大な損害を与えた。結局中川大佐は、アメリカ側が三日で攻略できると楽観視していたペリリュー島を、七十一日間に亘って守りきったが、最後は約一万人の日本兵が戦死、中川大佐も自決して死後特進、中川中将となった。またその戦果以上に評価されているのが、ペリリュー島にいた民間人を事前に全員他の島に移していて、一人の犠牲者も出さなかったということだ。ペリリュー島には今も日本軍の司令部跡の建物が残っていて、爆弾の跡や日米両軍の戦車や大砲も当時のままの姿だ。日本兵慰霊のために一九八二年に再建されたペリリュー神社には、アメリカ太平洋艦隊司令長官・ニミッツ提督の言葉「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ」を刻んだ碑が置かれている。アデルバイ大使の両親も日本の教育を受けていたので日本語を話すことができ、カタカナを書くことができた。戦後パラオを統治したアメリカよりも、日本を好んでいたという。
自然との繋がりを大切に
月章旗を国旗にするパラオ
 パラオの国旗は日本の日の丸と似ているが、明るい青地に黄色の円が描かれている。この円は月の意味だ。パラオは海洋民族のため自然との繋がりを大事にしているが、特に大切にしているのが、潮の満ち引きに影響する月の動きだ。かつての主力産業は漁業であり、月の形で潮の満ち引きを、さらにはサンゴ礁のどの辺に魚が集まっているかを読んで、漁に出た。昔は冷蔵庫がなく獲った魚を貯蔵しておくことはできなかったため、お祭り等どうしても魚が必要な時には、この潮を読む技術が重宝された。パラオの人々が大切な時だけ食べるウミガメも、月に伴う潮の満ち引きに従って繁殖を行っている。パラオでは家を建てる時に樹木を伐採するタイミングも、月の満ち欠けで決める。さらにその木を運んだり、実際に建設したりするのも同様だ。そして新居に入るのは、新月か満月の時と決まっている。パラオは人間と環境との調和を、月を目安に維持してきた。月は太陽を照り返して光るが、パラオが月なら太陽は日本。これが日本とパラオの理想的な関係だ。
 統治している時、日本はパラオの人々に近代的な農業や鉱業、真珠の養殖等を教えて、これらは今日でも重要な産業になっている。パイナップル等フルーツや甘味料となるステビアの栽培も行っているが、今のメイン産業はやはり観光業だ。コロナ前には年間約十万人の観光客が訪れていて、その中の二〜三割が日本人だった。観光客は次第に復活してきている。パラオの観光には海、島、太陽の三つの要素がある。まず海はダイビングスポットとして、世界的に大人気。島として世界自然遺産にも登録されているのが、コロール島とペリリュー島の間にある島々、ロックアイランドだ。古代のサンゴ礁が隆起した島々で、ほとんどが無人島。周囲にはサンゴ礁で作られた浅い湾であるラグーンが広がっている。このロックアイランドの一つ、マカラカル島にある塩水湖・ジェリーフィッシュレイクでは、その名の通り数百万匹ものタコクラゲが回遊、パラオで最も有名な観光地だ。
 他の産業の開発も進めたいが、その半分を日本からの投資で…というのが、パラオの人々の本音だ。残り半分を自分達で賄うことで、完全な開発ができると期待している。
 パラオは大統領制でその任期は四年だ。台湾と国交を維持しており、中国とは国交がない。盛んに中国からの誘いを受けるが、断っているという。その原点にあるのは、台湾もパラオも共に日本統治下にあったという歴史的繋がりだ。二〇二四年十月一日で、パラオと日本との外交関係は三十周年を迎える。
アパのアーバンリゾートが
大阪万博に向けて更に充実
 ペリリュー島の戦いに次いでパラオで行われたのが、アンガウル島での戦いだ。この戦いに軍曹として参加、「不死身」と呼ばれたのが船坂宏だ。この戦いでは大腿部等に重傷を負いながらも戦い続け、米兵を百人以上殺傷したと言われる。味方の部隊が壊滅する中、手榴弾を体にくくり付けて米軍司令部に突入するが、撃たれて捕虜となり、戦後に日本に帰国。渋谷に大盛堂書店を開業し、自身も多数の本を執筆した。かつて日本にもこのような人がいたことを考えると、日本人も若い内に二年ぐらいは軍事訓練を受ける期間があってもいいのではないか。ルーマニアにも徴兵制があり、誰もが二年間の軍事教練を受ける。二〇一二年にパラオは違法操業の中国漁船を追跡、停船を命ずるも従わなかった為、一人を射殺、残り二十五人を逮捕している。一方日本は二〇一〇年に尖閣諸島付近で巡視船に体当たりした漁船の船長を、処分保留で釈放した。こんな弱腰の平和主義では、日本はいつか消滅してしまうだろう。
 四月十日に「ペヤング アパ社長カレー味やきそば」が発売になった。パッケージにはアパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉とアパホテル&リゾート〈横浜ベイタワー〉の夜景をバックに、いつものようにホテル社長の顔写真がデザインされている。早くもネットでは話題騒然で、パッケージのインパクトに驚きつつも、カレー味の焼きそばとしては最高傑作との声も上がっている。この商品のベースとなったレトルトのアパ社長カレーは、十二年掛かりでこの五月に累計販売が一千万食を突破する予定だ。
 二月一日には西日本最大客室数となる全一千七百四室、地上三十四階建てのアパホテル&リゾート〈大阪梅田駅タワー〉が開業した。最上階に展望レストランや展望プール、大浴殿・露天風呂、エステやフィットネスを備えた本格的アーバンリゾートホテルだ。さらに二〇二四年十月には全二千五十五室、地上四十階建てのアパホテル&リゾート〈大阪難波駅タワー〉も開業予定。二〇二五年の大阪万博に向けて、大阪でのアパホテルの充実が着々と進行している。アパホテルネットワークは現在七百二十一ホテル、十一万九百五十七室(建築・設計中、海外、FC、アパ直参画ホテルを含む)となっている。日本国内での圧倒的ナンバーワンを目指して、さらに発展、進化を続けていく。