矢野 義昭氏
1950年大阪府生まれ。1972年京都大学工学部機械工学科卒業、1974年京都大学文学部中国哲学史科卒業、久留米陸上自衛隊幹部候補生学校に入校し、以後普通科幹部として勤務、様々な役職を歴任し、2006年小平学校副校長として退官(最終階級陸将補)。2013年拓殖大学にて博士(安全保障)を取得。著書に『核の脅威と無防備国家日本』(光人社)、『日本はすでに北朝鮮核ミサイル200基の射程下にある』(光人社)、『あるべき日本の国防体制』(内外出版)、『日本の領土があぶない』(ぎょうせい)等。
絶え間ない積み上げ
元谷 今日はビッグトークへの登場、ありがとうございます。矢野さんは昨年の第十五回「真の近現代史観」懸賞論文にて、「日本は核恫喝に屈するな! ‐潜在核保有国としての自信を持ち毅然として対応せよ‐」という論文で社会人部門の優秀賞を受賞しました。私の考えとも非常に合致している論文で、もっといろいろなことを今日はお聞きしたいと思っています。まず自己紹介をお願いできますでしょうか。
矢野 本日はお招きいただき、ありがとうございます。私の学生時代は大学紛争の最中で、先生方も反体制、反国家の方ばかり。私は学生でありながら、この国は大丈夫かと危惧するようになりました。大学の学部は工学部だったのですが歴史や文学が好きで、大学紛争で講義がないのをいいことに、下宿でその分野の読書三昧をしていました。そこで知ったのは、戦争が常に歴史の変換点にあることです。日本の将来のために、世間ではタブーになっている戦争や軍事のことをもっと学びたいと思うようになり、工学部の後文学部で中国哲学史も学びましたが、軍事の実地を知るために自衛官になったのです。
元谷 様々な学びの上に、軍事の実際を知ろうとしたのですね。
矢野 しかし自衛隊は大学とは真逆な世界。大学生は自由にモノを考えて、自由に時間が使えました。しかし自衛隊は軍隊ですから、規律が一番で体力を消耗する場です。私は陸上自衛隊の普通科、要するに歩兵に属していて、最初の五年ぐらいは北海道の第一線部隊に所属していました。零下三十度の中の活動もあり、まだ凍傷の跡が残っています。その後は幹部候補生学校の教官をしたり、部隊勤務をしたり。一九八七~一九九一年の四年間は、陸上幕僚監部という昔で言えば参謀本部の調査部で、ソ連・東欧諸国の情報の収集と分析を行っていました。ベルリンの壁の崩壊から東欧諸国の社会主義体制がドミノ倒しのように次々と転覆、最後にはソ連でクーデター騒ぎまで起こり、調査部はこのままではソ連は崩壊するという見立てでした。しかし情報と作戦は食い違うもので、作戦の方はずっとソ連を「対象国」いわゆる仮想敵としてきたこともあって、この前提を崩すのに強い抵抗感があったのです。かなり議論になりましたが、情報分野で一番大切なことは真実を伝えることですから、責任を全うするために、妥協をせずに主張を貫きました。すると案の定、ソ連は崩壊したのです。
元谷 あっという間だったという印象があります。
矢野 予想以上に脆かったですね。その理由は情報封鎖の反動だと私は考えています。ソ連の最後の最高指導者となったゴルバチョフ大統領は、改革の一環としてグラスノチ(情報公開)を進めたのですが、これが裏目に出て情報統制が効かなくなり、共産党独裁が崩れたのです。軍隊も党の軍隊ですから脆く、崩壊に際してアフロメーエフという元帥が一人自決しましたが、それ以外軍は全く動きませんでした。独裁政権の弱さを痛感しましたね。その後同じく陸上幕僚監部の作戦の方に移り、有事の作戦計画の立案を行っていました。陸上幕僚監部の仕事の八割が昔なら陸軍省の仕事で、予算や人の確保と配分です。残り二割が本来の作戦や情報の仕事になります。私はずっと二割の方の仕事をやっていました。その後小平学校の副校長をやって、陸将補で陸上自衛隊を退官しました。在職中からもその後も、核・ミサイル問題、対テロ、情報戦等について研究を続けています。
元谷 平和にもいろいろあって、支配される平和もあれば、支配する平和もあります。しかしそれらはいずれも「正しい平和」ではありません。日本は第三の道である、バランス・オブ・パワー=力の均衡による平和を求めるべきなのです。今、日本の隣には十倍の人口と強大な軍事力を持つ中国があります。日本は圧力を受けて、言われるがままになって支配されないように、そして戦争を起こさないための戦力を持つべきなのです。自衛隊にはそういう役割があると考えているのですが。
矢野 戦争の抑止の信頼性の要因には、軍事的能力、政治的意志、双方向の伝達の三つがあると言われています。政治的意志は相手もこちらも、どんどん変化していきますから、一番重要なのはいざという時にどれだけ戦力を発揮できるかという軍事的能力になります。ですから軍隊の作戦担当は常にシミュレーションを行い、勝ち負けを見通すのです。勝つ場合にはその戦力の強化を、負ける場合には弱点の補完の策を考える。シミュレーションによって最適化した計画を立て、防衛力整備を行うという一連の流れが戦略の実体です。つまり戦略とはある固定化した計画ではなく、最適化を目指す絶え間ない積み上げであり、これを行うことで初めてバランス・オブ・パワーが維持でき、戦争が抑止できるのです。抑止力には拒否的なものと懲罰的なものがあると言われますが、いずれにせよこちらの能力を示して、相手の軍事行動を起こす気を削ぐことが重要です。この観点から、持っている資源をどう配分して、いざという時どう行使するかを常に考えているのが、平時における自衛隊の最も重要な役割なのです。
日本は原潜を保有すべき
元谷 その矢野さんが言う抑止力の観点からも、「持たず作らず持ち込ませず」という非核三原則を掲げることは、私はあまり得策ではないと思っています。むしろ持っているか持っていないかわからないという曖昧な発信をすることで、有事には何をしてくるかわからないと思わせることが大切ではないでしょうか。
矢野 孫子にも「能あるもこれに不能を示し…」という文句で始まる「兵は詭道なり」、つまり戦争は騙し合いだという言葉があります。今の中国の戦略もこれに近いものでしょう。先程お話した能力、意志、伝達という抑止の三要素では、相手に正確にこちらの意志と能力を伝えることが重要なのですが、これは相互信頼を前提とした核抑止の軍備管理の考え方です。これとは別に、本来の能力や意志を隠す、もしくは誤認させる方が抑止に繋がるという考え方も伝統的にあります。例えばイギリスの戦略思想家のリデルハートによる間接的アプローチの、敵の最も予期しない心理的な最小抵抗線を突くというという考え方は、これに近いでしょう。中国もこういった孫子流の考え方を重視しています。
元谷 中国は長い歴史の中で内戦の経験が豊富で、その中から生み出されてきた考え方を大切にしているのでしょう。日本も見倣うべきことがあるかもしれません。また島国である日本は、防衛をまず海から考えざるを得ません。制海権を維持するためには、通常動力型では世界最高峰の技術を持つとされる、潜水艦部隊が重要になるのではないでしょうか。特に日本の持つ深深度で活動できる潜水艦や、そこから発射できる深深度魚雷は、海を渡って侵攻しようとする相手にとって大きな脅威だと思います。
矢野 軍事の世界でISR(intelligence, surveillance and reconnaissance)と呼ばれる情報収集・警戒監視・偵察活動は今技術的に非常に発達していて、人工衛星や無人機等で地上から空中まで、世界的に数十㎝単位であらゆるものが把握できるようになっています。これを使ってピンポイントで目標を把握することができ、何百㎞も向こうから高い精度でミサイル攻撃を行うことができるのです。このような状況で生き残れる場所は、海中か地下だけだと言われています。海中に潜み音を出さなければ、発見は非常に難しい。かつては潜水艦から発射するミサイルの命中精度は低かったのですが、今は発射後、飛行中に正確な誘導が可能なので、格段に精度が上がっています。潜水艦は今後も重要な兵器であり続けるでしょう。
元谷 潜水艦を使って先に相手の攻撃を封じるとするならば、日露戦争で日本が旅順港で行ったような、機雷によって出撃する港を封鎖するのが有効ではないでしょうか。
矢野 中国はA2/AD(接近阻止・領域拒否)戦略に従ってミサイル火力を整備していて、東シナ海から南シナ海に及ぶ第一列島線内側への軍事的な航空機や船舶の侵入ができない状況です。この第一列島線の内側で活動できる兵器は、原子力潜水艦だけでしょう。今日本には原子力潜水艦はなく、通常動力型潜水艦のみです。この二つは全く異なる兵器体系と言えます。原潜は原子力発電所を積んだ潜水艦ですから、膨大な電力を確保することができ、強力なソナーで広範囲の探知が可能、発見されても高速で逃げ切ることができます。エネルギー源に酸素が不要で、乗員向けには豊富な電力で海水から酸素を発生させることが可能ですから、長期間潜航することができます。通常動力型潜水艦は定期的に浮上して酸素を補給する必要がありますが、そこを狙われる可能性がある。リチウム電池の発達でかなり長期間の潜航が可能になったと言われていますが、やはり限界があり、機雷による港の封鎖や敵の原潜の追尾・撃破などの攻撃的運用は難しいでしょう。韓国は既に原潜の設計・建造に着手しています。日本には小型原子炉を作る技術もあり、政治的決定さえあれば、原潜建造は可能です。しかもこれは動力としての原子力利用ですから、非核三原則にも抵触しません。日本も原潜を作るべきなのです。
元谷 日本では今、平和が当たり前のように言われています。しかし原潜も含め、今後可能性のあるあらゆる事態に備えて準備することが重要だと思います。
日本人を救出できない
矢野 軍備以外にも備えなければならないことがあります。日本への侵攻が行われる場合、確実に事前にその国の特殊部隊が国内に入り込んでいるはずです。また二〇一〇年に施行された中国の国防動員法では、国内はもちろん海外にいる中国人も有事の際に国防の義務を負い、政府や軍の命令に従うことが定められています。今在日中国人は約七十六万人いますが、彼らが有事に本国からの指令を受け、日本国内で妨害活動や破壊活動を行う可能性もあるのです。その他サイバー攻撃や心理戦、経済封鎖等もあるでしょう。武力だけではなく、あらゆるものが戦争の手段となるとした、中国の戦略家が提唱した「超限戦」が現実のものとなることを前提で備えなければ。いくら自衛隊が奮戦しても、国民や政府が混乱したり恫喝に屈してしまったりすれば、日本は負ける。このようなことがない体制を作るべきですし、それは結局国民の意識に帰着するのです。
元谷 全く同感です。「超限戦」になれば、こちらもダメージを受けながら勝利するという武力行使という手段が、避けられるようになるかもしれませんね。他の手段で恫喝して屈服させればいいのですから。
矢野 恫喝に関しては、平時からの対応が非常に重要です。三月にアステラス製薬の日本人社員がスパイ容疑で中国当局に拘束されましたが、こういった場合に安易に妥協すると、中国から恫喝に屈する国だと思われ、ひいては侵攻しても代償は少ないと判断されて、侵攻への誘惑が高まってしまうのです。尖閣諸島での対応も同様です。一事が万事であって、一つのことで妥協すると、それが別の行動を誘発することを熟慮して、判断するべきなのです。
元谷 日本はメディアも含めて、スパイ容疑で拘束された日本人を何がなんでも取り返すという意志が、少し薄いように感じます。
矢野 こういった時に、日本にスパイ防止法がないことが悔やまれるのです。スパイ防止法がある国であれば、スパイ容疑で捉えた人間同士を交換して取り戻すという手段があるのです。戦争における捕虜交換と同じです。しかし今の日本では、外国人スパイを拘束する法的根拠がないのです。
元谷 スパイ防止法がない国は珍しいのでしょうか。
矢野 はい、そんな国はありません。免疫のない人体と同じで、わずかな病気でも重症化しかねません。
元谷 周辺国から見れば、日本は侵入しやすい国なのでしょう。
矢野 戦後内務省をGHQに潰されて、警察も消防も全て自治体単位となり、国としてスパイ行為や大規模災害等に、一元的に対応可能な組織が無くなりました。
元谷 首都圏直下型地震の可能性もあり、大規模災害への備えは重要です。一九二三年の関東大震災では多くの人々が火災で亡くなったのですが、今の東京の建築物は地震にも火事にも、百年前よりも遥かに堅固になっています。同じ規模の地震があっても、その被害は随分少なくなると思われます。
矢野 その通りなのですが、ただ逆に密集度が上がっている分、被害が出やすくなっています。広島の原爆では、一九四五年末までに約十四万人の犠牲者が出たと推計されていますが、今の広島市に同規模の原爆が投下された場合、密集度が進んでいるために犠牲者は約五十万人に及ぶという予測が出ています。
元谷 東京は一極集中で最も密集度が高まっていますから、犠牲者が出やすくなっていますね。
矢野 核攻撃に対する避難先についても、日本は地下構造物は沢山あるのですが、核シェルターとして整備されていないのが問題です。
元谷 地下で最初の衝撃には耐えられるかもしれないですが、その後の放射能を遮断する設備がありません。
矢野 口部が多く、どうしても外気が入ってきます。外気を遮断し熱線や爆風圧に耐えられる耐圧扉の他に、空気を浄化するフィルターや除染用の水の準備も必要です。こういったものが技術も含めて日本にはない。先進国の多くは、冷戦期に人口の六割~七割を収容できる核シェルターを整備しています。
日本は圧倒的に足りない
元谷 また海が防御壁になるとはいえ、いざ上陸部隊が迫った時に、日本の海岸線の長さを考えると防衛できるのか非常に心配です。
矢野 その点は重要です。海岸線防衛を含め、日本には継戦能力がないのです。離島が多く海岸線はアメリカ以上の長さがあり、上陸適地も多い。今の十五万人の陸上自衛官の人数では足りないのです。日本では予備自衛官が約四万数千人しかいませんが、他の国では通常戦力と同様、もしくは倍以上の予備役を持っています。韓国には約三百二十万人、台湾でも百六十六万人から二百万人の予備役がいるのです。台湾は徴兵制から志願兵制度に徐々に移行していましたが、近年の中国との緊張関係から、二〇〇〇年以来短縮してきた兵役義務の訓練期間を二〇二四年一月から、四カ月から一年に延ばすなどの措置も決定しています。人口から考えて、その一%の百二十万人を現役・予備役として即座に戦力化できる体制を、日本も採るべきなのです。これは決して、かつてのような軍国主義へ向うことではありません。韓国や台湾のように、それが世界での常識なのですから。世界全体の準軍隊を含めた兵員数は総計約一億七百万人で、世界人口約八十億人に対する比率は一・三三八%です。これに対し日本の場合は、兵員比率は、〇・一九%と、世界平均比率の七分の一しかありません。特に、予備自衛官については、定数が四万七千九百人程度しかなく、その上充足率も約七割しかありません。
よく少子化が募集難の原因と言われますが、日本の場合は、世論調査でも、侵略があれば武器を持って戦うという国民が一割強しかいないなど、国民の国防意識が世界最低水準です。そのうえ、国を挙げた予備役制度が不備で処遇も悪いから、人が集まらないというのが実態です。日本ほどの人口規模があれば、世界平均並みの努力をしていれば、現役四十万人、予備役八十万人程度の軍を保有できるはずなのです。決して人がいないわけではなく、国民に国を守る気概がなく、国土を守れる制度が不備なことが自衛隊の募集難の根本的原因なのです。
例えばいま少子高齢化が深刻な問題になっていますが、月収三百万円以下の男性との結婚を女性は望みません。いま日本には非正規雇用の人が約一千万人います。そのうち二十万人を予備自衛官として採用し、月に五十万円の俸給を与え年間四カ月間自衛隊で訓練し、その間に自衛隊でも民間でも最も必要とされている、サイバー、IT、ドローン操縦などの技能について教育訓練を行い社会に還元すれば、当人の就職にも有利になり、民間も必要とする人材の確保が容易になり、年収が上がって非婚率が減り少子化問題解決にも役立つでしょう。現在の制度の下では、技能公募の予備自衛官採用枠の大幅拡大ということになりますが、技能が主ですから採用年齢を引き上げれば、一千万人の中から二%程度の適格者は採用可能だと思います。若年者の雇用対策と再教育の場として軍を活用するという方法は、他国ではごく普通のことです。日本も同様の制度を考えてはどうかと思います。
元谷 日本の場合は、徴兵や動員という言葉にアレルギーがあり、戦後はその部分を強化することできないまま今に至っています。
矢野 さらに日本の場合、戦うための弾薬もありません。ウクライナでは想像を絶する火力消耗戦が展開されていますが、榴弾砲の砲弾をロシア軍は一日六万発、ウクライナ軍は六千七千発撃っています。これは備蓄や緊急増産能力が日頃から整備されていないとできないことです。さらに生産した弾薬や装備を第一線の部隊に届けるための輸送、故障した装備品を修理する整備などを中心とする兵站機能も重要です。
元谷 継戦能力には補給が重要ということですね。弾薬の備蓄がないと、最初の一撃を耐えたところで、その後持ちこたえられない。
矢野 その通りです。また現代戦では、先ほど申し上げたISR能力が非常に発達しているため、地上に暴露していると、偵察衛星・無人機などに遠距離から発見され、精密誘導の長射程ミサイル攻撃などにより、敵との交戦の間合いに入る前に制圧されてしまいます。ロシア・ウクライナ戦争でウクライナ軍は、ロシア軍の衛星や無人機に遠方から発見され、前線に到着する前に、ミサイル・ロケット砲・長射程火砲の集中射撃を受け、損害全体の約七五%が生じていると見積もられています。前線に到着する前に四分の三の戦力が破壊されているということです。
このような事態を避けるには、C4ISR(指揮統制・通信・コンピューター・情報・警戒監視・偵察)の中枢施設、装備・弾薬・燃料の備蓄庫や装備品・部品の製造工場を、地表ではなく、敵の監視・偵察から逃れ残存できるように、地下に建設しておくことが極めて重要です。日本の掘削技術は世界一ですから、これをフルに活用するのです。
課題になっている南西諸島の弾薬庫も、早急に地下に施設を作って備蓄しておかないと、開戦当初のミサイルの奇襲攻撃で大半が破壊されるおそれがあります。特に、国境地域の離島の場合は、侵攻当初に奇襲攻撃を受ける可能性が高く、いったん海上封鎖されると、補給線が簡単に絶たれてしまうので、 C4ISR施設、装備品格納庫・弾薬庫・燃料庫等の地下施設の建設は火急の課題です。
元谷 小松基地にも地上に燃料庫があり、私も危険ではと指摘したのですが、結局地下に埋めず、土を盛って運用することになりました。
矢野 アメリカの戦略国際問題研究所(CSIS)が台湾有事の際の日米の損害見積を出しているのですが、最初のミサイルの奇襲攻撃等により地上で発生する航空機の損害が航空機の全損害の九割に上ると予測しています。それも、シナリオが想定している二〇二六年までに、計画通り日米で四百カ所の航空機を守る掩体壕を造ったという前提です。それでも、このような結果になっています。掩体壕を建設しても間に合わず、一機百億円以上する戦闘機が地上で次々と撃破されるということです。現にロシア・ウクライナ戦争でも緒戦でロシア軍が徹底的に叩いたのは、ウクライナ軍のレーダーと対空ミサイル基地、航空基地でした。
元谷 掩体壕の充実、弾薬庫、燃料庫等の地下化は必須です。
矢野 もう一つ行うべきことは、民間の優れた技術を持つ人々を、予備役として防衛に協力してもらう体制を作ることです。習近平主席もしばしば強調していますが、「治に居て乱を忘れず」、ローマの警句で言えば「汝、平和を欲さば、戦争に備えよ」ということです。
元谷 その通りなのですが、首相等日本の指導者はこのことの重要さがわかっていないようです。
矢野 昨年十二月に新たな安全保障三文書が閣議決定され、従来の基盤的防衛力構想から脱却できたのは大きな前進です。防衛費も倍増される方向です。しかし本来であれば、まずどのように日本を守るかという戦略を構築したうえで、必要な防衛力を対象年度までに計画的に整備するという過程を経なければ戦略とは言えません。
すなわち、①まず国益を分析して何を護るかについて優先順位を明確にし、②次いでそれに対する脅威様相を見積もって、その可能性や脅威度、侵攻シナリオを想定し、③それに対する我が方の対処方針を案出しいくつかの方針に整理した後に、④侵攻シナリオと対処方針を組み合わせ、様々の編成・装備や戦い方でウォー・シミュレーションを繰り返して比較分析し、⑤それらの中から最良の戦略方針とそれを実行するための最適の戦い方と編成・装備を見出し、⑥それを実現するため必要な予算を対象年度にどのように配当していくか…という流れで考えていくべきものです。実行段階では、その戦略方針に基づき、隷下部隊を訓練しておき即応態勢を維持し、いざ有事には対処することになります。
大事なことは、実行後に、的確に教訓を抽出し、それを普及して、次期の戦略に反映するというフィードバックを確実に行うことです。そうしなければ、また同じ失敗を繰り返すことになります。戦略というのは、このような一連の合理的思考過程とその結果に基づく成果の反映という永遠に続くサイクルですが、このサイクルを踏まないと、確実な勝利にはつながらず、一度は勝てても貴重な教訓が活かされず、勝ち続けることはできません。
元谷 日本の安全保障は良い方向に向かっているにせよ、まだまだやるべきことは山積しているということですね。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。
矢野 今回の安全保障三文書ではその冒頭に、「非核三原則」と「専守防衛」が「わが国の安全保障に関する基本原則」として明記されています。しかし本来戦略とは徹底的に合理的であるべきです。「非核三原則」や「専守防衛」を墨守していて、本当に国を守れるのかも、また問われるべきです。前提なしに現実を直視して、起こりうる脅威に対し、どう国を守るべきかを熟考し、現実的かつ合理的プロセスを経て戦略を編み出さなければなりません。
そのために考えるべき課題として、今日は、スパイ防止法や情報機関、継戦能力を左右する予備役制度や弾薬等の備蓄、潜水艦装備、地下シェルター等の必要性などについてお話ししました。
しかしこれらはやるべきことのほんの一部です。また自衛隊自体の能力も権限も限られています。真に日本の国を守り抜くためには、様々な力を結集して、自衛隊を中心に国民がそれを支えていくことが不可欠です。私は後五~六年、遅くても十年以内に日本に現実的な危機が来ると予想しています。危機に際しては、独りよがりの不合理な建前や都合の良い思い込みは通用しません。「汝、平和を欲さば、戦争に備えよ」との警句に則り、相応の防衛努力を日ごろから実践しておかないと、日本は生き残れません。周辺国はみなそれぞれに国家としての真摯な防衛努力を積み重ねています。同盟が大切なことはその通りですが、平和を守る根本の力は、国民自らの国を守る意思と日々の国防への努力の積み重ね以外にはありません。自国を自ら守る意思も能力もない国や国民を、誰も助けはしません。若い人にぜひ奮起して欲しいと思います。
元谷 今日は本当に有益なお話を、ありがとうございました。
矢野 ありがとうございました。