市村 浩一郎氏
1964年福岡市生まれ。1988年一橋大学卒業、松下政経塾へ9期生として入塾。米国にて3年間の研究・調査活動を経て1993年卒塾、日本新党に参画、政策調査会事務局長等を歴任し、造語である「NPO」関連法案の国会提出に中心的役割を果たす。2003年衆議院選挙で初当選。2008年一般法人・新公益法人(真のNPO法人)制度の制定を成就。民主党政権下の2010年、国土交通大臣政務官に就任。2021年衆議院選挙に日本維新の会から立候補し当選(兵庫県第6区 伊丹市、川西市、宝塚市)。
政治家を志すように
元谷 本日はビッグトークへのご登場、ありがとうございます。市村さんには、先日の日本再興大賞・「真の近現代史観」懸賞論文受賞記念パーティーにも来てもらい、祝辞をいただきました。まず経歴を教えてもらえますでしょうか。
市村 今日はお招きいただき、ありがとうございます。私は生まれと育ちが基本福岡市なのですが、両親の関係で六歳から十一歳まで四国の高知市に住んでいました。高知では幼稚園や小学校の遠足で桂浜に行くのです。
元谷 桂浜は坂本龍馬像があるところですね。私も訪れたことがあります。
市村 そうですか! 私も毎年、郷土の英雄である坂本龍馬の像を見上げていて、だんだん龍馬のように日本に貢献する人になりたいと思うようになりました。
元谷 そこで政治家を志したのでしょうか。
市村 その時はまだ幼いので、政治家という「志」事も知らず、漠然と「貢献したい」と思っていただけなのです。そして私が十歳になった一九七四年に、第一次オイルショックをきっかけに「狂乱物価」と呼ばれる物価高騰が起こりました。また一九七六年にはロッキード事件も勃発しました。値上げで国民が苦しんでいるし、疑獄事件で国が苦しんでいる。この時初めて、これらを解決する政治ということを考え、政治家になりたいと思ったのです。その後、田中角栄先生の研究をして、政治資金の管理の問題はあったかもしれませんが、そもそもアメリカから発覚したロッキード事件は、多くの人が認識しているような単なる贈収賄事件ではないと理解しています。
元谷 田中角栄が行った日中国交回復が、アメリカの逆鱗に触れたから、法律を使って貶められたという説もありますね。十歳ぐらいで政治家を志したというのですが、家族や親戚に政治家はいたのでしょうか。
市村 いませんでした。私の家系は財界の人間が多かったのです。
元谷 そうですか。市村さんは今、日本維新の会所属ですが、この党にはどういう理由で入ったのでしょうか。
市村 二〇二一年の衆議院議員選挙に日本維新の会から出馬して、四期目の当選を果たすことができたのですが、三期まで私は民主党から出馬していたのです。初当選は二〇〇三年なのですが、当時の民主党は私のような保守寄りの議員が過半数を超えていました。そして同志と共に二大政党制を志し、二〇〇九年に政権交代を成し遂げたのです。しかし政権交代後、党内での足の引っ張り合いが激しくなり、保守的な考えを持つ議員は党を出るか落選するようになりました。政権を失った後、民主党はどんどん変化していき、私が身を置く場所ではなくなっていったのです。そこで党を出て、四年近く無所属で政治活動を行っていました。
元谷 無所属でも選挙に出たのでしょうか。
市村 様々な調整を図ったのですが、結局出馬できませんでした。私は縁あって民主党時代から兵庫県の選挙区から出馬していたのですが、関西ということもあって、日本維新の会の改革を志す姿勢には強く共感していました。そこで門を叩いて仲間にしていただき、一昨年の選挙に出ることができたのです。
元谷 そういう事情だったのですね。市村さんの政策の大きな柱は何になるのでしょうか。
市村 私の政策の根幹にあるのはNPOです。NPOとは「Non-Profit Organization」の略で、非営利組織のことを意味します。私は松下政経塾時代に三年間アメリカでこのNPOの研究を行い、一九九八年に国会で可決した特定非営利活動促進法の議員立法にも関与しました。国の安定のためには、社会のしっかりとした仕組みが重要です。その際、三つのセクターが必要になります。一つが市場セクター、二つ目が行政セクター、そして三つ目が「民の公(おおやけ)」セクター=NPOなのです。「民の公」とは、民間の知恵や迅速性、柔軟性を活かしながら、公共のサービスを提供することです。この三つのセクターで財やサービスを提供することで、バランスの取れた社会を構築することができる。私はこのことを三十年間、主張しています。
立派な社会貢献活動だ
元谷 非常に面白い考えなのですが、実現のためには政権を奪取して、与党にならなければ…とも思うのです。ただ市村さんは民主党時代に与党の経験をしているかと。その時にはどうだったのでしょうか。
市村 私としてはこの政策を進めていきたかったのですが、党内で考え方を共有できる人が少なく、上手くいきませんでした。
元谷 政治というのは、一人の人間や一つの党が独裁となるのは良くありません。多くの人々の意見を集約しながら、時には妥協をして、できるだけ多くの人々の幸せを実現するために、政策を考え実行していくことが大切だと思います。民主党政権の時には、コンセンサスを得る時間が足りなかったのですね。
市村 仰る通りだと思います。最大多数の最大幸福を求める行政と利益を求める民間企業の、それぞれ良い部分を受け継ぐのが「民の公」セクターだということを、時間を掛けて理解してもらうことが重要だと考えています。私は松下政経塾で松下幸之助氏に直接学んだ最後の世代なのですが、氏が常に仰っていたのは「企業は社会の公器」であるということ。この考えは「民の公」に近いものです。今回の新型コロナ禍におけるアパホテルの姿も、正に「社会の公器」と呼べるものではないでしょうか。
元谷 陽性者の宿泊療養施設としてアパホテルを提供することは、もちろんその通りだと思います。ただそれだけではなく、そもそも事業を創出し継続すること自体が、社会貢献になっているのです。アパグループは創業以来一度の赤字も出さずに納税と雇用を行い、社会の需要に応えてきた、これは立派な社会貢献だと考えています。
市村 その通りだと思います。
元谷 社会の需要に応えるということで私が最初に考えたのは、人の最終目標が「豊かな暮らし」であるならば、そのために何を求めるのかということです。私の答えは「住まい」でした。良い住まいで良い家族を築くために、人は一生懸命勉強していい会社に入って、いい仕事をしていい収入を得ようと努力するのです。その最終目標を掴むお手伝いをしようと、起業してまず注文住宅の仕事を始めたのです。
市村 「頭金十万円で家が建つ」というキャッチフレーズで、住宅事業を興されたと聞いています。
元谷 沢山住宅を提供するためには、多くの人が購入可能になるような制度を作ることが必要です。私が起業を思い立った当時、金融機関は事業に対しては融資を行いましたが、個人向けの融資はありませんでした。そこで私は先駆けとして長期住宅ローン制度を作ることを画策したのです。事業向けの融資の返済期間はせいぜい五年程度ですが、それを十五年と長期にし、さらに若干利子は多くなりますが元利均等返済にして、返済終了までの返済額が一定になるようにしました。私は労働組合の執行委員長でしたから、勤務していた信用金庫の大蔵省から天下ってきた理事長に労働組合から圧力を掛け、長期住宅ローンの認可を得ることができました。この制度の成立を踏まえて私は信用金庫を退職、自分の会社を興したのです。
市村 時代の先を行っていたのですね。
元谷 独立する方によく言うのは、まず武器を持って起業しろということです。私の場合は住宅ローン制度でした。これが頭にあったおかげでその後、注文住宅から建売住宅、賃貸マンション、分譲マンション、そしてホテルに総合都市開発と事業を拡大していくことができたのです。
市村 会長が「住」に着目したのは慧眼としか言いようがないことですが、国民の皆様の安心安全を守ることが役割りの政治でも、衣食住の充実は守らなければならないことです。特に私は、民主党政権時に一年ほど国土交通大臣政務官として住宅政策を担当した時に、住まいの大切さを強く実感しました。また住まいを持つことを目標とすることが、日本の経済発展に大きく繋がったという歴史も理解しています。しかし日本はこの三十年経済成長せずに、平均給与が三十年前に比べて下がっているのです。日本の国力も経済力も相対的にダウンしてきたのですが、これからがいよいよ立て直し期です。時代に先駆けた新しい提案や挑戦をもっと後押しする政治を行っていく必要があります。日本はこれまで規制が強すぎました。これを緩和して、若い人だけではなくシニア世代まで、挑戦する人をサポートしていく。もちろん成功する人ばかりではなく、失敗する人もいるでしょう。そんな人達が失敗を活かして再挑戦できるセーフティネットも、同時に構築していく必要があります。
元谷 それもぜひお願いしたいのですが、同時に給与水準をもっと高めて、人々が豊かな生活を送ることができるようにするべきです。所得水準が上がれば、旅行をしたりモノやサービスを購入したりすることで、国内の経済が活性化していきます。国内旅行でアパホテルに宿泊する人も増えるでしょう。こういった豊かな社会をどう作るかを考えるのも、政治の使命です。
市村 全く同感です。
それに続く人を増やす
元谷 日本維新の会の方針も、その方向にあるのでしょうか。
市村 その通りです。そのために高度経済成長を復活するにはどうすればいいかを考えています。例えば今は人工知能開発が進むIT時代ですから、この時代にふさわしい事業の在り方とはなにかを模索しています。アメリカのGAFAと呼ばれる巨大IT企業が世界経済を席巻していますが、彼らのビジネスのアイデアは元々日本にあったのに、私達はそれを活かすことができなかったのです。技術面では優れているのにソフト面が弱かった。この失敗を繰り返さないよう、今日本に芽生えているIT技術をどう育てて開花させていくかを提案していきます。
元谷 もう一つ希望するのは、日本がもっと成功者を称賛する社会になることです。かつては長者番付が発表されて、人々は高額納税者に憧れと称賛の思いを抱きました。しかしそれも廃止され、一段と平等化の風潮が強まったように感じています。平等化が行き過ぎると、社会主義国家のように皆無気力になってしまいます。努力をすれば、それに報いるメリットを享受できる社会になるべきなのです。
市村 会長は税制について、どうお考えでしょうか。
元谷 まず事業家としては、道路など社会のインフラを使って商売をやっているのですから、きちんと納税の義務を果たすべきです。時折、税金を払っていないことを自慢する事業家がいるのですが、そのスタンスは間違っています。そして一部に富が集中することなく、集めた税金をきちんと分配して、全体として伸びていく社会を形成していくべきなのです。全体が伸びていけば、当然企業にも大きなメリットがあります。だから政治の目標は、あくまでも税の分配の公平さにあると考えています。
市村 全く同感です。また私が提唱する「民の公」セクターは利益を目的としませんので、ここで発生した利益は社会貢献のために、「民の公」の資金として再利用していくことになります。税に頼らない資金の循環で、公的なサービスを提供することが可能になるのです。また先程会長が仰った「成功者の称賛」の件ですが、アメリカの「民の公」=NPOには社会の成功者を称賛する役割があるのです。そもそもそのようなNPOの主宰者が成功者であり、自ら組織を作り、自分のお金を出しながら寄付を募り、財やサービスの提供を行っているのです。私達は頑張って日本にも取り敢えずNPO関連の法制度を作ったのですが、日本でもアメリカのように成功者が社会貢献活動に乗り出し、彼らによる「民の公」セクターが、社会的な貢献をしている成功者を称える役割を果たすような仕組みを作る必要があると考えています。
元谷 事業で成功した人は、始める時にリスクを取っているのですから、その分を称賛や恩恵などで還元されるべきです。その賞賛や恩恵が、後に続くアントレプレナーを増やす原動力となるでしょう。そういう社会にならないと。また資本主義市場経済社会は弱肉強食ですが、その弱者も救済しなければなりません。先程市村さんが提言したセーフティーネットが重要ですね。全員が成功することはあり得ないのですが、失敗してもまたやろうという人が出てくるべき。そういう再起する心を奪わないような制度を作っていかなければならないでしょう。
市村 その通りです。なんとなく元気のなかった日本ですが、私はこれから十分に再興できると考えています。しかしそのためには、一刻も早く道筋を作らなければなりません。民間の努力を無にせず、社会を盛り上げていくのは政治の役割だと思います。
学びを断念する人をなくす
元谷 日本維新の会では、所属議員の考え方が右左様々ということはあるのでしょうか。
市村 比較的、考えがまとまっている党だと思います。政権を狙うためには、これからある程度の幅を作っていく必要があるかもしれません。
元谷 党内で様々な意見を交わして議論をしていくことで、より優れた政策が生み出されると思います。
市村 同感です。党内に派閥はありませんが、主張の強い個人は多いので、いつも喧々諤々の議論を行っています。多くの分野の識者の方々をお招きした勉強会も行い、それもあって防衛政策を与党に先駆けて提案しています。日本維新の会の提案によって、これまで憚って発言できなかったことを、与党が言えるようになってきているのです。
元谷 防衛政策についてであれば、日米安保が必要かどうかでも意見の対立があるでしょう。日米安保は必要ですが、まずは自分の国は自分で守るのが基本というのが私の考えです。自分の力だけでは及ばない時に初めて同盟関係に頼る。特に今日本の近隣には、急伸する経済力を軍事力に変え、周囲に圧力を掛ける中国という覇権国家が大きな脅威となっています。日本の十倍という人口の数の力もある中国に、日本はどう対抗していくのか。
市村 日本は自主独立の国になるべきですし、通常戦以外にも外交戦、金融戦、ネットワーク戦、メディア戦等様々な戦いが展開される「超限戦」に備える必要があります。
元谷 その通りです。また日本としての結束力、団結力を絶えず養っていく必要もあります。海外の勢力は、必ず最初に日本の分断を画策するはずですから。
市村 仰る通りです。
元谷 江戸時代から教育制度が整っていた日本は、アジアの他の国よりいち早く経済成長を遂げることができました。先行した日本ですが、今や他の国に追いつかれ追い越されようとしています。再び教育の重要性に目を向けるタイミングだと思うのですが。
市村 日本維新の会は教育に力を入れることを提言しています。なんの努力もしない人にも恩恵があるのではなく、頑張って学んでいる人が、教育費が調達できないために、高校や大学をドロップアウトすることがないような施策を実行すべきなのです。
元谷 奨学金制度の拡充は非常に重要ですね。私も奨学金をもらって、高校に通いました。卒業後は信用金庫に就職したのですが、同時に慶應義塾大学経済学部の通信教育課程で学んだのです。毎月送られてくる教材を読み、課題を提出し続けたことが、今も何らかのプラスになっています。経済的な問題のある若者には、このような働きながら学ぶことができる制度の拡充も必要なのではないでしょうか。
市村 本当にそうですね。
元谷 私自身、最も勉強になったのは、小学校五年生から愛読していた新聞でした。父は中央紙、地方紙、経済紙の三紙を購読していて、私にも「新聞は行間を読むのだ」と読み方を教えてくれました。毎日新聞を読んで、その中でわからない単語があれば、「現代用語の基礎知識」で調べたのです。知識欲がどんどん増していって、最後には「現代用語の基礎知識」を最初から最後まで読破していました。新聞の良いところは、家に宅配してくれるということと政治・経済から文化まで、世の中の全てのことを網羅して伝えてくれることです。新聞で学んだことが、私の事業家としての基礎になっていますね。
市村 義務教育での学びは、カリキュラムもしっかり決まっていますし先生方も忙しくて、余裕がありません。知識欲が旺盛な児童や生徒には、さらに学べる場が必要になります。その点新聞を毎日読むことは、手軽ですが奥が深いということですね。そこで培われた知識をベースとした哲学が、会長のこれまでの生涯を貫く背骨のような存在になっているように感じました。
元谷 この哲学があったから、事業も成功することができたのかもしれません。人が「豊かな暮らし」を掴むお手伝いをしようと、最初はお金がなかったので注文住宅から始めた事業ですが、最後は人が豊かな暮らしの証として行う「旅」に関わるホテルという事業に行き着きました。
市村 今年は十干・十二支でいうと癸卯(みずのとう)です。この年は積み重ねてきたものが花開く年だと言われています。きっと会長にとって、素晴らしい年になるのではないでしょうか。
元谷 ありがとうございます。いつも最後に「若い人に一言」を聞いています。
市村 失敗を恐れず、チャレンジ精神を持って欲しいですね。ただちゃんとした考えに基づいて。会長のように哲学を持って、しっかり自分の考えを体系づけた上で、どんどん行動していって欲しいと思います。政治はそのための環境整備を頑張ります。
元谷 そして勝てる武器を得た上で、勝負をしないと。今日はありがとうございました。
市村 ありがとうございました。