Essay

毛沢東に倣う習近平は混乱と停滞を招くVol.365[2023年2月号]

藤 誠志

政治的エネルギーの全てを
階級闘争に注いだ毛沢東

 十二月五日付の産経新聞七面の正論欄に、拓殖大学顧問の渡辺利夫氏の「毛沢東時代に回帰する習近平」という一文が掲載されている。
「ポストモダンといわれて久しい現代にあって、中世末期の絶対王政のごとき強権政治があの巨大な中国を舞台に展開されようとしている。第二〇回中国共産党大会後の重要会議において習近平は二期一〇年という慣例を破り、三期目の党総書記となった。のみならず、最高指導部の政治局常務委員会七人、中央政治局二四人のほとんどを側近で固めた。集団指導体制は崩され、習一極体制となった」「実際、習の思想と行動には、かの絶対的権力者・毛沢東の影響がきわめて強い。習にとっては毛がすべてなのであろう。毛時代の再現か。ならば振り返っておくべきは毛時代の転変である」「毛の思想の淵源は、解放区コミューンの時代に形成されたユートピア社会主義にある。空想的であり観念的であり、そして純粋であり極左的な思想であった。解放区コミューンで統御可能な小地域においてはともかく、建国後すでに五億を超える民を擁した大国の建設に、ユートピア社会主義をもって臨んだのであれば、その結果は惨たるものならざるを得なかった。しかし、毛は社会主義の解釈権を独占し、その左傾を制止しようとする勢力のすべてを『右翼日和見主義者』『修正主義者』として葬り去った。毛のユートピア社会主義は、他面では苛烈な暴力となって社会を壟断した」「社会主義像がユートピア的であればあるほど、現実との乖離幅が大きくなり、それゆえ毛思想の現実化は社会の苦窮を激しいものとした。毛の『冒進』を諭す『実権派』との軋轢は不可避であった」「現実的基盤を欠いたユートピア思想は見果てぬ夢であり、これを現実に引きもどそうとするもう一つの政治勢力を生みつづけた。しかし、毛にはこの実権派はみずからに歯向かう『階級敵』としか映らなかった。それゆえ毛にとって階級闘争は恒常的であった。階級敵との闘いが、整風運動であり反右派闘争であり廬山会議であり、何よりも文化大革命(文革)であった。毛の政治的エネルギーのすべてが毛流の階級闘争(『継続革命』)に費やされた」「文革の惨たる帰結、毛の死去を経て、中国の体制立て直しを図るべく新たに登場したのが鄧小平である。鄧は毛へのアンチテーゼとして生産力主義を掲げた。鄧にとっての共産党とは中国『現代化』のための前衛党であり、階級闘争のための前衛党ではない。この党こそが権力の中枢に据えられるべきであり、大衆運動に依拠した革命運動は絶対にこれを封じ込めねばならない。文革という狂気によって共産党の権威は深く傷つき、みずからも追放の辛酸を嘗め尽くした鄧にとってみれば、これはゆるぎのない信念であったにちがいない。鄧のこの信念の上に『改革・開放』が展開され、その後の中国の高度成長につながった」。

習政権は国内の不満を
台湾有事で抑え込む

 「習近平とは何ものか。毛沢東の思想と行動への回帰である。習にあっては鄧の生産力主義は拠るべきものではない。権力を手にして実現しようという習の社会像は不鮮明である一方、権力それ自体は剥き出しである。権力の強化そのものが自己目的化しているのであろう」「このところ習近平が頻繁に用いる用語が『共同富裕』である。かつて毛沢東が打ち出した概念の再利用だが、成長よりも分配に力点をおいた社会主義的政策によって党内の支持を得ようという目論見であろう。少子高齢化に伴う社会的活力衰退のこの時代の中国を『共同富裕』によって運営できようとは思えないが、習はこれに突き進もうとしている。大手IT企業などに象徴される富裕層の富を『調整』し、それを低所得者層に向けて再配分するということであろう。企業内の共産党組織を一段と強固なものにすることによりこれが可能となると習はみている。反腐敗のスローガンにより政敵のほとんどを葬った。習の方針に抗う指導者はいない。毛の『冒進』を押しとどめた実権派は現代の中国においては鳴りを潜めている」「武漢に発した新型コロナウイルスを習は二カ月半の都市封鎖(『封城』)によって乗り切った。二年を経て今度は上海という最大都市で感染が急拡大したものの、これにも封城をもって対処している。封城を指揮した当時の上海市党委書記が李強であり、今回の人事において李は習に次ぐポストを手にした。このかつてない強力な住民統制が市民に与えた不満、恐怖、絶望には計り知れないものがあるが、習や李にとっては何ごとも力で抑え込むことができると思わせた成功体験だったのであろう」「習政権は国内的不満を強権で抑え込み、それがもはや限界と認識される場合には対外的危機を演出するのであろう。独裁国家の常套手段である。『戦狼外交』と言われるがごとくである。台湾は中国の核心的利益の中の核心だと習は繰り返している。国内統治での失政は台湾統一という歴史的偉業を成し遂げることによって挽回できる、という論法なのであろう」。ここで渡辺氏が問題にしているのは、毛沢東のユートピア社会主義というよりは、ライバルを蹴落とす「毛流の階級闘争(『継続革命』)」という権力への飽くなき欲望だ。それが中国の混乱と停滞を招いたことは、歴史が十分に証明している。毛沢東の思想に回帰するかに見える習近平も、同様の混乱と停滞を中国に呼び寄せてしまうのではないか。この後数年の中国の動向を注視する必要がある。

農村を搾取する体制は
戸籍制度によって確立した

 中国は格差問題を抱えた国だ。少し前の二〇一五年五月二十六日に東洋経済ONLINEで配信された記事、「中国人が逃げられない、『戸籍格差』の現実」「これが『努力しても報われない』の実態だ」を見てみよう。「すべての中国人の戸籍は、農村戸籍(農業戸籍)と都市戸籍(非農業戸籍)に分けられている。農村戸籍が約六割、都市戸籍が約四割で、一九五〇年代後半に、都市住民の食糧供給を安定させ、社会保障を充実させるために導入された」「以来、中国では農村から都市への移動は厳しく制限されていて、日本人のように自分の意思で勝手に引っ越ししたりはできない(ちなみに都市で働く農民工、いわゆる出稼ぎ労働者がいるではないか、と思われるだろうが、彼らは農村戸籍のまま都市で働くので、都市では都市住民と同じ社会保障は受けられない)」。さらに記事では、具体的に徐さんという農村出身の三十五歳の女性を取り上げている。「徐さんは上海の大学に進学する際、上海の都市戸籍のひとつである団体戸籍に入った。農村から都市の大学に進学する際に一時的に与えられる戸籍だ」「在学中は医療や福祉などの社会保障サービスが受けられるので、一見すると都市戸籍保有者と待遇は変わらないのだが、卒業したら、基本的に戸籍は原籍に戻されてしまうという“条件付き”。徐さんの場合、日本留学を経て、上海で就職したので、現在は上海の勤務先団体戸籍というものに所属している。こちらも、仕事の都合上与えられるもので、現在は社会保障などを受けられるものの不安定だ」「都市戸籍はもともと都市に住む限られた人たちのものであり、農村戸籍保有者に比べて、圧倒的に有利な内容になっている。都市戸籍と農村戸籍の違いや差別は、結婚やマンション購入などあらゆるところに存在するが、最もわかりやすい差別は大学入学時の扱いだ」「中国では大都市に戸籍を持つ学生が優遇され、経済水準の低い農村戸籍の学生は不利な立場に置かれている。これは、各省の大学合格者の割り当て人数が異なっているためだ。北京市出身者と、四川省出身者では、同じ北京大学を希望していても合格ラインは異なる」「つまり、北京大学に入るには、同じ成績でも北京出身者より地方出身者のほうが圧倒的に不利ということだ」「その差はどんどん広がっている。かつては優秀でさえあれば、勉学の成績だけで都市の大学に入学できたが、今では北京大学や復旦大学などの都市の名門大学に農村出身者が入学できる割合は『全体の二割程度しかない』、と言われている」「たまたま農村に生まれた、というだけの理由で、同じ成績でも北京大学に入学するのは都市の人より何倍も努力しなければならない。これは生まれながらにしての差別、といわざるを得ない。日本で『出身県』によって東京大学に入学できる合格点が異なり、しかも引っ越しも自由にできないなど、想像もできないことだろう」。大学入学だけではなく、卒業後も格差は続く。この記事では四十五歳の謝さんという女性も登場、徐さんと同様の学歴なのに上海生まれであるために、農村出身の徐さんに比べて格段に多い報酬を得ている実情を伝えている。
 NHKが二〇二一年十二月十一日に放送したNHKスペシャル「農民工 故郷に帰る~埋まらぬ都市と農村の格差~」でもこの問題が扱われていた。この番組に登場する中国の農村を研究する同志社大学の厳善平教授によると、そもそも農村と都市の格差が生まれたのは一九五〇年代、朝鮮戦争で工業の重要性を痛感した毛沢東が農業から工業への転換を目指し、農村から資本を吸い上げ、工業を担う大都市に投入したことに始まる。都市戸籍、農村戸籍は、こんな「搾取体制」を確立するために作られた制度だった。さらに一九七〇年代には「改革開放」で急速に発展した沿海部の都市で、出稼ぎの「農民工」が使われるようになる。農村は資本だけではなく、労働力も搾取される羽目になったのだ。

「共同富裕」の失敗により
中国に不安定化の可能性が

 こんなことを国民に強制することが可能だったのは、中国が共産党一党独裁国家だったからだろう。自由民主主義の国家では、こういった差別的な戸籍制度の導入は不可能だ。多くの日本人は日本の十倍の人口を持つ中国を工場として、さらに市場として経済的に重視したために、こんな中国政府の差別的な政策を批判せず、他人事として無視してきたように思える。しかし、膨れ上がった経済力で巨大な軍事大国となった隣国・中国の動向は、日本の将来に大きな影響を与える。中国の根幹を揺るがす事態にならない様にするためにも、日本にとって中国国内のこの格差問題は、解決を期待すべきものなのだ。
 産経新聞の正論で渡辺氏が挙げた「共同富裕」政策に基づき、中国共産党は農村復興の施策も実行している。先に挙げたNHKスペシャルでは、中国では毎月の収入が一万八千円を下回る人がまだ六億人おり、その大半が農村の人々だと指摘。中国共産党がこの状況を転換するために、「郷村振興」というスローガンを導入したという。これは農村で農業や商売を始める人に補助金を出したり、無利子の融資を行ったりするものだ。目的は都市に出た農民工を農村に戻すこと。経済の悪化に伴い、都市の農民工がデモを起こす等、社会の不安定要因になっているからだ。しかしこの番組に登場する内モンゴル自治区の畜産農家は、借金が増える一方で経営は一向に安定しない。多くの人々が農民工として農村を離れたために、農業や酪農業のノウハウの継承が途絶えてしまっていて、いざ再開となっても上手くいかないのだ。
 習近平が掲げる「共同富裕」や「郷村振興」のスローガンが失敗に終わり、農村や農民工に不満が蓄積、さらに国全体の経済が悪化すれば、民衆の怒りが一気に爆発することもあるかもしれない。毛沢東時代の混乱と停滞が、そんな形で再来するかもしれないのだ。軍事力と帝国主義思想が強まった中国が日本を属国化することも脅威だが、巨大な人口と経済を抱える中国が急速に崩壊することも、日本や世界にとっての脅威だ。日本はあらゆる場合を想定して、それに備えていく必要がある。

2022年12月19日(月) 17時00分校了