変化を求めない日本人
十月四日付の産経新聞朝刊の「正論」欄に、龍谷大学教授の李相哲氏が「現実を直視しない日本が心配だ」という一文を寄せている。「日本経済研究センターの予測では、後四年ほどで韓国の一人当たりの名目国内総生産(GDP)は日本を追い越す。世界知的所有権機関(WIPO)によれば二〇二二年の『世界イノベーション指数』で韓国は世界六位とアジアではトップ、情報通信技術インフラや保有する知的財産権の数などで世界首位の評価を得た」「韓国は外見上危なっかしい政治状況に加え、国民は理念や党派で四分五裂し、日々デモに明け暮れる不安定な国に見えるが、勢いがある。韓国ドラマ、映画、音楽はアジアだけでなく世界を席巻している」「私は、学生に対し『一年だけ死ぬほど頑張って、外国語一つでもマスターすれば人生が変わるよ』ということもあるが、『なぜ変えるんですか』と反問される。おそらく多くの日本人は人生を変える必要性を感じないはずだ。その潜在的意識には、日本は永遠に今のように平和で安全、少々努力すれば食うに困ることはない、病気で治療を受けられない心配もない国であり続けるという前提がある」「しかし、ロシアのウクライナ侵略が物語るのは、国際社会はいまなお弱肉強食のジャングルのような世界だということではないか。日本だけが危険にさらされることもなく、いつまでも今のような平和で安全な環境が保障されているとは到底いえない」「日本はさまざまな意味で歴史の分岐点に立っている。住み心地さえよければよいか、国際的地位を維持すべきか。韓国に負けても中国に少々横暴な扱いをされても戦争さえ回避できれば良しとするのか。国家の安全保障、安危を大国に委ねるべきか、自分の国は自分で守り抜く実力を備えるべきかの分岐点に差しかかっている」という。
李教授が訴える通り、平和で安全な環境はいつまでもただ続いていくものではない。ロシアがウクライナに侵攻したように、世界の情勢は刻々と変わっている。しかし多くの日本人は、例えばウクライナで現実に起こっていることに対しても「よその国のこと」として、危機感を感じていない。こんなことで、実際に大きな危機に見舞われた時に対応できるのだろうか。
私は、世の中はサイクルでできていると思う。良いことであれ悪いことであれ長くは続かず、時間の流れに沿って入れ替わっていくのだ。本来であれば、絶えずそのサイクルに備えておく気構えが必要なのだが、戦後あまりにも長く続いた平和によって、日本人は念じていれば平和は続くと思い込んでしまっている。しかしそれは大いなる勘違いだ。
日本のシステムはおかしい
自然災害も忘れた頃にやってくる。一九二三(大正十二)年に発生した関東大震災から来年で百年になる。この地震は、陸のプレートと海のプレートが衝突、沈み込む海のプレートに引きずり込まれた陸のプレートに歪みが生じ、その歪みを元に戻そうとして陸のプレートが大きく跳ね上がることによって発生する「プレート間地震」だった。具体的には北アメリカプレート(陸)とフィリピン海プレート(海)の相模トラフでの衝突が原因であり、同じ場所が原因となった地震は関東大震災以前にも、一七〇三年の元禄地震や一二九三年の永仁地震といったマグニチュード八クラスのものが記録されている。研究では二百~四百年間隔で巨大地震が発生するのではとされているが、マグニチュード七程度の地震であれば、三十年以内に七〇%の確率で発生すると政府の地震調査研究推進本部は結論付けている。この百年、関東では大きな地震は発生していないが、この周期や可能性を考えれば安穏としてはいられないのではないか。
また、大震災における犠牲者の死因は、時代や地域、発生時間によって全く異なる。昼食直前の十一時五十八分に発生した関東大震災では、調理用に火を使っていた家庭が多く、また木造家屋が多い時代だったので大規模な火災が発生、犠牲者の八七・一%が火災によって亡くなっており、住居が潰れたことによる犠牲者は一〇%程度だった。しかし一九九五年の阪神淡路大震災では、八三・三%の犠牲者が建物倒壊によって亡くなっており、焼死は一二・八%だった。そして二〇一一年の東日本大震災では、九二・四%の犠牲者が津波によって溺死している。未来の大震災に対しては、火災、倒壊、津波の全てに対する対策が必要となるだろう。とにかく間隔が空いたからもう来ないのではなく、特に関東では地震がない時間が長くなればなるほど、次の大きな地震発生の確率が高まっていることを知り、対策を考えておくべきだ。
冒頭に引用した産経新聞の李教授の「正論」では、国家改革の教えを乞うた李氏朝鮮末期の啓蒙思想家に対して、福沢諭吉が「教育、新聞、軍事」という国家の三つの基本を語ったというエピソードを紹介し、日本の教育について以下のように述べている。「大学教育の最大の問題は、日本の学生たちは成績をあまり気にしないことだ。いや学生を採用する企業が大学の成績を気にしないことだ。大学教育に期待していないということだろう。ならば大学教育の存在意義をそろそろ考えるべきではないか」。採用する企業の側から言えば、今の大学生は勉強していない。だから企業は大学の成績を採用時点では考慮していない。むしろ出身高校がどこかで評価を行っている。入学試験のためには一生懸命勉強するかもしれないが、入れば自動的に進級、卒業出来るために、在学中は勉強しないからだ。欧米などの大学は、入学は簡単だが卒業が難しい。本来大学教育はこのような形であるべきだろう。しかしこれまでの日本社会は、十八歳の時の実力が一生を左右するように作られているのだ。大学での教育を含め、今の日本のシステムを大きく改革する必要があるだろう。
リスクを呼ぶという謎理論
国家の三つの基本の「軍事」については、李教授は「正論」にこう書いている。「軍事、すなわち安保分野はより深刻だ。まずいまの若者は、国防や国家の安危に責任を感じ、義務を負わなければならないという意識がないようだ。少なくとも自由を謳歌するには義務が伴うということを知る必要がある。そのための教育なり制度設計が必要だ。若者が一定期間、国家のために無条件奉仕する制度はどうだろうか」「日本の防衛予算は規模の上で、すでに韓国に追い越されてしまったが、ハード面でも決して優位とは言えない。昨今の日本では研究者が武器の研究を忌避することを良しとする風潮があるからだ」。李教授が指摘する、この若者の意識の低さ、防衛予算の少なさ、軍事研究の忌避は、戦後日本に植え付けられてしまった「軍事力を持つこと、戦争の準備をすることが国を戦争に招き入れる」という誤った思想から生まれてきたものだ。
沖縄の避難シェルター反対運動も、この誤った思想の典型例だ。沖縄タイムスは九月二十二日に、「『避難シェルターいらない』台湾有事を想定した国の方針 沖縄の市民が抗議する理由は?」という記事を配信している。「政府が先島諸島などで住民用避難シェルターの整備を検討していることを巡り、沖縄戦研究者や市民運動家らでつくる『ノーモア沖縄戦 命どぅ宝(命こそ宝)の会』は二一日、那覇市の沖縄県庁前で抗議集会を開いた。昼と夕方の二回の集会で計一〇〇人以上が集結。『シェルター設置=戦争準備だ』『避難シェルターいらない』などと書かれた横断幕を掲げ、『沖縄を再び戦場にすることを許さない』と声を上げた」「昼の集会には市民約五〇人が参加した。同会共同代表の山城博治さんは内閣官房が二〇二三年度予算概算要求で、シェルターに関する調査費を計上したことなどを説明。『避難シェルターの計画は戦争が始まることを前提にしたものだ。ここで戦争をさせることは絶対に許さない、その決意を伝えよう』と訴えた」という。しかし世界を見れば、シェルターの普及率はスイスの一〇〇%を筆頭に欧米でも七〇~九〇%超の国が多く、アジアでは台湾が一〇〇%だ。これらの国全てが、戦争を始めるためにシェルターを準備していることなどあり得ない。今年のロシア・ウクライナ戦争が示しているように、どれだけ外交努力で戦争を回避しようとしても、戦端は開いてしまうことがある。どの国も、予期せぬ有事のダメージを最低限に抑えるための準備として、シェルターを整備している。これを理解できない人が、日本にはまだ多い。
不思議なJアラート不要論
李教授の「正論」は、「衰退を食い止め、未来においても住み心地のよい平和で安全な国であり続けるためには三つの分野だけ立て直せばよいというものではない。必要なのは現実を直視し、危機感をもって現状を変えるため果敢に挑戦することだろう」と結ばれている。私はこの「現実を直視」ということが最も重要だと考える。
十月四日朝、北朝鮮は中距離弾道ミサイルを発射し、日本では五年ぶりにJアラートの警報が発せられた。産経新聞の四日昼の配信記事「北ミサイル日本上空超え 過去最長四六〇〇km」では次のように伝えている。「北朝鮮は四日午前七時二二分ごろ(日本時間同)、弾道ミサイル一発を東向きに発射した。日本政府によると、ミサイルは青森県付近の上空を通過し、同七時四四分ごろ、岩手県釜石市から東へ約三二〇〇キロの日本の排他的経済水域(EEZ)外の太平洋上に落下したと推定される。推定飛行距離は過去最長の約四六〇〇キロ、最高高度は約一千キロに達した。浜田靖一防衛相は中距離弾道ミサイル(IRBM)以上の射程を有し、『火星一二』と呼ばれるミサイルと同型の可能性があるとの分析を示した」「政府は全国瞬時警報システム(Jアラート)で北海道と青森県を対象地域に指定、避難を呼びかけた。当初は東京都の島嶼部も指定した。航空機や船舶などの被害は確認されていない」「北朝鮮が日本上空を越える形でミサイルを発射したのは七回目で、二〇一七(平成二九)年九月の『火星一二』発射以来となる。二一年一月にバイデン米政権が発足してからは初めて。韓国軍合同参謀本部によると、北朝鮮内陸部の
慈江道舞坪里付近から発射されたとみられる」「発射を受けて岸田文雄首相は四日午前、官邸で国家安全保障会議(NSC)を開催し、関係閣僚を集めて対応を協議。これに先立ち記者団の取材に応じ、『暴挙だ。わが国上空を通過させる形での弾道ミサイル発射は生命、財産に重大な影響を及ぼし得る行為』と強く非難した」。
これに関して映画監督の森達也氏は四日夜に、「日本上空といっても高度は八〇〇~一〇〇〇㎞。ちなみに国際宇宙ステーションの高度は四〇〇㎞。弾頭も搭載していないはず。確かに万が一落ちてきたらそれなりの被害は出るけれど、それならば飛行機が日本上空を飛ぶたびにJアラートを鳴らさなくてはならない」というツイートをし、一万五千人以上がこれに「いいね」をしている。森氏は今回のミサイル発射でJアラートを出すのはやり過ぎだと言いたいのだろうが、地球周回軌道を回る国際宇宙ステーションや一般の航空機を引き合いに出す段階で、まず弾道を描いて落下してくる弾道ミサイルとは何かを理解していないし、またミサイルを全く危険のないものだと思い込んでいるようだ。これに「いいね」をしている人も同様だろう。日本を飛び越える弾道ミサイルの発射は北朝鮮による危険な挑発行為であり、実際に核弾頭を積み日本を狙っていてそれが着弾すれば、多くの犠牲者を出す。そんな弾頭を積んでいるかもしれないミサイルが日本に着弾する可能性があれば、Jアラートを出すのは国として当然の行為だろう。しかし平和に慣れきった人々は、ウクライナが他人事なのと同様、日本へのミサイル発射の脅威という「現実」すら直視できていない。こんな空気を生み出してきた戦後のメディアと教育の罪は、非常に大きいと言わざるを得ないだろう。
2022年10月11日(火) 18時00分校了