小森 卓郎氏
1970年千葉県生まれ。東京大学法学部を卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。1997年プリンストン大学大学院修了。財務省総合政策課企画室長や金融庁総合政策課長等を歴任。2011年から3年間石川県に出向し、企画振興部長と総務部長として北陸新幹線金沢駅開業の準備やIRいしかわ鉄道の設立に携わった。2021年9月に自民党石川県連の公募に応じて石川一区の候補者になり、10月の衆議院議員選挙で初当選。
幅広く働ける国会議員に
元谷 本日はビッグトークへのご登場、ありがとうございます。小森さんは私の故郷である石川県の選挙区で、昨年初当選された衆議院議員ということでお招きしました。私は小森さんのことは当選前から知っていましたし、またホテル社長が奥様のお母様と親しくさせていただいています。
小森 かねてからお世話になっております。今日はよろしくお願いします。
元谷 元々のご出身は神奈川県だと聞いています。
小森 はい、父は岐阜県の生まれだったのですが転勤族で、私も小さい頃には福岡や大阪で暮らしたことがあります。父が横浜に家を買い、私も幼い頃や小学校四年生以降はそこに。両親は今でも横浜に住んでいます。
元谷 大学は東京大学で、それから官僚になったのですね。
小森 はい。当時はまだ大蔵省と呼ばれていた今の財務省に入省しました。様々な仕事をしたのですが、二〇一一年から三年間石川県庁に出向して、北陸新幹線開業準備等の仕事に従事しました。
元谷 その異動は本人の希望だったのでしょうか。
小森 地方自治体に行きたいという希望を出していました。
元谷 石川県にはそれまで何か縁があったのでしょうか。
小森 義兄が石川県の山中出身というぐらいでした。ただ、石川県庁への出向終了直後の二〇一四年に、石川三区が選挙区だった衆議院議員の北村茂男の長女と結婚しました。これで石川県と繋がりができ、年末年始などに石川に戻るようになりました。
元谷 しかし小森さんは石川三区からではなく、自民党の公募に応募して選ばれて、石川一区から出馬して当選しています。なにか強いこだわりを感じるのですが。
小森 義父の北村が国会議員からの引退を表明した選挙は、二〇一七年でした。お声を掛けていただいたのですが、その時は急な話で出馬には至りませんでした。その後、今の変化の早い時代の中、大きな仕事をしてみたいという思いが強くなり、石川一区の公募に応募しました。政策形成において政治家の力が年々大きくなっていく中で、行政の現場が分かる政治家の役割が今後更に重要になっていくと考えて、政治の世界に入ることを決意しました。昨年十月の選挙では多くの方々にご支援をいただき、無事に議席を獲得することができました。
元谷 公務員としての仕事に限界を感じたということでしょうか。
小森 金融庁の中枢の管理職をしていたのでやりがいは十分ありましたし、退官する際には職場に迷惑をかけることになったのですが、最終的には役所からも快く送り出してもらえました。官僚としてできる仕事もたくさんありますが、どうしても縦割りの中で仕事をすることになります。
元谷 そうですね。しかし国会議員であれば、やろうと思えば様々な分野に関与することができます。例えば安全保障問題です。経済的にも軍事的にも肥大し、アメリカと敵対関係を強めている中国と今後どのように付き合っていくのか、それを考えるのが国会議員の、また特に衆議院議員の重要な仕事だと私は考えています。
小森 私も、真っ当な安全保障政策実現に力を注ぎたいと考えています。中国はこの三十年で国防費が四十二倍となり、今や日本の四倍の予算規模です。かつては日本がODAで援助をした中国は、日本を超えてさらに経済を成長させ、二〇三〇年代にはGDPでアメリカを上回るとも言われています。こんな状況の下、これまで通りの発想では、日本の平和と安全を守っていくことが難しくなります。
元谷 私も同感です。中国は昔から大国で、人口が多い国です。それ故に内部に分裂が生じて、国家運営に失敗することもあったのですが、今の共産党政権は非常に上手く立ち回り、様々な地域を統合して力を増強してきています。そんな国が隣にあるということは、それに対抗する力が日本に求められるということです。特に経済力で言えば、中国のGDPは日本の三倍に達しています。そんな国が核兵器を保有していて、それを大陸間弾道ミサイルで他国に使用することができる。この核を背景に、今後中国が日本になんらかの「要求」をしてくることも、十分にあり得るのです。日本は、このことを意識した政策をとることが求められています。
小森 これからますます難しい環境に置かれることになりますので、そうした現実を見据えた対応が必要になります。
国益を重視した国防戦略を
元谷 外交が重要であって、とにかく仲良くしてればいいんだという人もいますが、それではいつか、日本は中国に「喰われて」しまいます。先の大戦時には日本が東南アジアの支配を試みましたが、今や中国が同様のことを画策しているのです。アジア諸国の中で中国にとって一番美味しいのは、やはり勤勉な国民と高度な技術力を持つ日本ではないでしょうか。とにかくアジア諸国の様々な資産を配下に収めるべく、中国はチャンスを虎視眈々と狙っていると思います。また中国は核保有国です。日本は核兵器についても考えを改めるべきです。非核三原則の形で核を持たないことを強く主張するのではなく、曖昧戦略で「持っているか持っていないかわからない」態度をとって、抑止力を高めるのです。日本の経済力が圧倒的に強かった時代にはこんな必要はありませんでしたが、今は違います。このようなことも、国会議員には議論をして欲しいと思っています。
小森 確かに日本の防衛費は、この三十年間ほとんど変わっておらず、また安全保障の発想も変化していません。しかし東アジアの安全保障環境はこの間に大きく変化しているのです。もはや日本がアジアで圧倒的な経済力を誇っていた時代ではなく、日本の安全を守るためにはこうした状況に応じた安全保障政策を確立する必要があるのです。自由民主党の安全保障調査会を中心に今後の安全保障政策について19回にわたって議論を重ね、今年の4月に政府への提言をとりまとめましたが、これを受けて、今年の年末までには「国防三文書」、すなわち「国家安全保障戦略」「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」が改定されます。防衛力の抜本的な強化が、これらによって具体的に進められていくことになります。
元谷 「国防三文書」は、どれくらいの間隔で改定されるのでしょうか。
小森 今回の改訂は、およそ10年先を見据えたものになるだろうと思います。今年は、戦後の日本の安全保障政策の最大のターニングポイントになります。
元谷 核兵器も含め、きちんとした軍事力を保有していることは抑止力になるのはもちろん、交渉力のバックグラウンドにもなります。日本の政府はいろいろな配慮も必要だと思いますが、まずは日本の国益を第一に考えた安全保障政策を実行して欲しい。この点について、例えば防衛予算と教育予算を比較して、防衛費に使うぐらいなら教育に回せと主張する等、メディアや野党の論調には不安があります。これを正すのが、自民党の国会議員の仕事ではないでしょうか。
小森 日本の平和と安全を守っていくことは全ての前提になりますので、国民からの付託を踏まえて、ムードに流されず、本当にやらなければならないことをやっていきたいと考えています。今回のロシアによるウクライナ侵略のように、有事は突然やってきます。その時になって臍を噛まないように準備を怠らないことが大切ではないでしょうか。
元谷 その通りです。憲法にもある通り、「国会は国権の最高機関」なのですから、国会が日本の安全保障に関して最悪を想定した決断をしていかないと。安心は油断になります。国会にも様々な考え方の人がいると思いますが、異論を制して、是非国益に沿った施策を実行して欲しいですね。
小森 油断せず、国益を守るためにやるべきことを粛々とやっていきたいと思います。
次の反転攻勢に繋がる
元谷 石川県は人口も面積もほぼ日本の百分の一となっていて、「百分の一県」とも呼ばれています。しかし経済のウエイトでは、石川県のシェアは百分の一もないでしょう。私は二〇〇二年に金沢から東京の赤坂に本社を移したのですが、良いタイミングで進出を果たせて、ここからアパグループは一気に成長を加速させることができたと考えています。本社が金沢でも北陸では知られていたのですが、全国的には全く無名でした。それが東京本社になれば、また状況が異なってきます。そして日本の中心は東京ですが、そのまた中心は国会議事堂や最高裁判所、首相官邸の三権が集まる場所ということで、赤坂にビルを購入して本社を移転したのです。ここからアパグループの知名度もブランド力も高まり、事業も上手く回ってきたと考えています。購入した赤坂のビルにはテナントがぎっちり入っており、最初は五階ワンフロアしか本社として使用できなかったのですが、契約満了によってどんどん他のフロアもアパグループで使用できるようになりました。それでもスペースが足りなくなって、最初のビルと同じ通り沿いにあと二棟のビルを買って、一部をオフィスとして使用、残りにテナントを入れて運用しています。企業の場合は、やはり地方本社と東京本社では違います。政治の世界でも同じかもしれませんが、とにかく日本の中心の場所に本拠を構え、その業界でのトップに入ることが大事なのです。
小森 なるほど。
元谷 実は、アパグループは一九八五年に新宿三丁目に東京支店を開設、東京進出を行っていて、その後、一九九〇年にアーク森ビルの八階を借りて本社としたのです。しかし一九八七年十月に起こった「ブラックマンデー」と呼ばれた世界的な株価暴落を見て、日本の地価はアメリカでは一般的な不動産評価としての収益還元法と比べて高くなり過ぎていると判断、いち早く手持ちの資産を売却して、東京からも撤退したのです。事業はいい時も悪い時もありますが、再起できないまでのダメージを受けてはいけない。時には撤退する勇気を持つことが、最終的な勝利への第一歩だと考えています。もちろん撤退となれば社員の意気は上がりませんし、アパグループの場合はバブル崩壊以前の撤退ですので、反対する者も非常に多かった。それでも経営判断として戦略的撤退を行ったことで、バブル崩壊の影響をストレートに受けることはなく、逆に資産の売却益を航空機のリース事業に投入することで利益を先送りし、今の成功の地盤を作ることができたのです。
小森 バブル崩壊の時には引き際を誤って傷を深めてしまった人が多かったのに、大変な慧眼でしたね。
元谷 力のあるうちに撤退するというのが、良かったと思います。また「I shall return」と、フィリピンから撤退したマッカーサーのように「再び東京へ」という意志を持ち続けることも大切です。二〇〇二年に再度東京進出する時の本社は、賃貸ではなく所有にこだわりました。アパグループのビジネススタイルは土地を売ったり買ったりすることではなく、その土地に賃貸ビルを建てることで付加価値をつけ、利益を上げることです。ビル等建物に関しても、貸して家賃をもらう方が安定した収益を得ることができます。今は赤坂の三つのビルがあるわけですが、これを貸すことはあっても、他のビルをオフィスとして借りることはありません。
小森 やはり意志が大事なのですね。
元谷 また敵を作ることなく、地域地域で良好な関係を築き上げて、その連帯感で事業を推進することを重視しています。どの地域にも「どこそこのドン」と呼ばれる、商売をやる人間が誰もが挨拶をする経済界の実力者がいるものですが、アパホテルが進出する時には、そういった人々にも仁義を切っています。このような様々なポリシーを基盤に経営を行ってきて、これまで五十一年間黒字を続け、数千億円に及ぶ税金を払うことで、社会に貢献をしてきたのです。
小森 納税は企業にとっての最大の社会貢献の一つですし、素晴らしいことをしていただいていますね。
前向きなチャレンジを
元谷 この対談ではいつも「若い人に一言」をお聞きしています。今の日本の若い人に伝えたいことを話してもらえますでしょうか。
小森 若い人は無限の可能性を持っていると思います。それを自ら閉ざしてしまうことなく、あらゆることに前向きにチャレンジして欲しいと思います。過去は変えることはできませんが、未来は自分の行い次第でどんどん変わっていきます。人生の先輩達に学びながら、自分の頭でしっかり考えて、道を切り拓いていって欲しいですね。元谷会長は「本当のことを知れば、皆保守になる」と仰っていますが、若い人には本当のこととはいったい何なのか、自ら考えていってもらいたいですね。
元谷 「自分の頭で考えて」というのは、その通りですね。教えられたことを丸暗記していては駄目なのです。今の日本の教育は記憶力を重視していて、記憶力勝者を作り出すものになっています。想像力や構想力は無視されているのです。ペーパーテストを勝ち抜くだけでは、想像力や構想力は身に付きません。歴史の勉強は、年表を丸暗記することではないのです。歴史上の事件の背景が何で、どうしてそのことが起こって、その結果がどうなったかということを、しっかりと理解してこその歴史教育です。記憶力勝者を作る教育から、想像力・構想力を磨く教育にチェンジしていく必要があると思います。
小森 その通りですね。教育や経済も含め、今の日本社会は様々な問題を抱えていると思うのですが、これらは決して解決できないものではありません。振り返ってみれば、第二次世界大戦後の日本において、先人達はもっと厳しい状況に遭遇し、これに立ち向かい克服していったのです。私は今の日本に足りないのは危機感だと感じています。危機感を持って国民も政治家も問題の解決に当たれば、きっと道は拓けるはずです。特に若い人には、この危機感を持っていて欲しいですね。
元谷 危機に関して、これから確実に起こるのは関東大震災です。地震がある周期ごとに発生するとするならば、今はもう危険な時期に差し掛かっていると思うのです。もし東京に直下型の地震が発生したらどうなるのかを、しっかりとシミュレーションをして対策を講じる必要があります。備えあれば憂いなしという言葉がある通り、まだ起きてない時に起こったらどうするかの危機管理を万全にするべきなのです。特に日本人は結束すればその強みを発揮するのですが、ばらばらに行動する個々は非常に弱い。人々が狼狽えて騒動が起これば、人災に発展してしまいます。非常事態でも如何に結束を保つかが問われるのだと思います。
小森 非常事態においてこそ、日頃の準備とそして正しい決断ができるのかどうかが問われますね。
元谷 東京直下型の地震は必ず起こるという前提で、地下鉄の設備を上手く利用した避難計画を立てるべきではないでしょうか。地下鉄施設に備蓄を行い、一時避難所として利用できるようにしておくのです。東京は地下鉄網が充実していますから実効性が高いですし、ゼロから避難設備を作るよりも、遥かに安く整備をすることができます。かつては首都直下型地震がメディアでも大きく取り上げられていましたが、最近あまり言われなくなりました。国も非常事態省を作る等、こういった災害に備えていくべきかもしれません。世界ではいろいろと紛争や災害が起こっていますが、今の日本は平和が当たり前でそういうことがないのが前提になっています。しかし地震はいつか必ず起こるのです。
小森 世の中、自分達に都合のいいことが、都合のいいタイミングで起こることはありません。それはホテルの経営でも同じことなのだろうと思います。前もって危機に備えておくことで、被害を最小限に抑えることができる。これを徹底していくしかないですね。
元谷 その通り。その備えをこれまできちんと行ってきたからこそ、今のアパグループがあるのです。その結果、多くの社員を雇用することができ、多額の税金も支払ってきました。たまに税金を払っていないことを自慢げに語る経営者に会うのですが、道路等社会的なインフラを使って商売している以上、儲けているのにいかに税金を払わずに済ましているかを自慢するのはおかしいと、私は考えているのです。
小森 社会に感謝しながら事業を行ってきたことも、アパグループの成長に繋がってきたのですね。政治家も企業も自分達だけで存在しているわけではありません。社会に支えられながら前に進んでいるのです。私もそういう気持ちを常に忘れないよう心掛けて、国会議員としての仕事に邁進していきます。
元谷 期待しています。今日はありがとうございました。
小森 ありがとうございました。