Essay

現実を直視して、改憲の議論を急げVol.359[2022年8月号]

藤 誠志

「どっちもどっち」論は
現実逃避の主張だ

 六月三日付の産経新聞の「正論」は、東京外国語大学教授の篠田英朗氏による「日本の『絶対平和主義』の劣化」というタイトルの一文だった。「ロシア・ウクライナ戦争は、日本の安全保障政策をめぐる議論にも影響を与えた。印象深いのは、左派系の方々の絶対平和主義の劣化である」「伝統的な日本の平和主義は、日本が犯した蛮行を繰り返さない、という信念によって成立していた。他国を侵略するくらいであれば、どんなにつらくても非暴力主義を貫きたい、という心情によって成り立っていた」「非暴力主義を掲げる平和主義は、人類の歴史においても長い歴史があり、ガンジーの例をとるまでもなく、信念を貫いてきた偉人もいる。それは困難であるがゆえに価値がある、とみなされてきた。国家の安全保障政策として妥当であるかという次元とはまた別に、敬意をもって処遇されるべき価値を持っていた」「しかしこの絶対平和主義は、形骸化してくると、安易な現実逃避に陥る。困難な現実に挑戦して厳しい道を進もうという気概がないにもかかわらず、自己正当化だけを図ろうとするようになる。積年のイデオロギー対立上の敵に負けたくない、という気持ちだけで、言論活動を行うようになる。結果として、自己の覚悟を固めるよりも、他人に都合のよい要求を出すだけになる」「ロシアによるウクライナへの明白な侵略を見てもなお、『ウクライナにも非があるはずだ』と言おうとする。また、『ロシアにも正義があるはずだ』とつぶやいてみせる。もちろんウクライナにどんな非があるのか、ロシアにどんな正義があるのかについて、真面目に説明することはない。ただ、なんとかして『どっちもどっち』に持ち込んで、紛争当事者の双方を否定しようとするだけである」「これは、『いじめられる方にも非がある』『被害者にもすきがあった』『長い物には巻かれろ』と言っているのと同じである。なんとか十把一絡の喧嘩両成敗に持ち込もうとする姿勢は、要するに複雑で厳しい現実から目を背けたいという願望の表れでしかない」「戦争に加担しているのであれば等しく悪い、という審判を行うことで、とにかく『日本は非武装中立の平和主義を追求するべきだ』というイデオロギー的な立場を守りたいだけに見えてしまう」「『ウクライナにおける戦争は、アメリカの代理戦争だ』と主張してみせるのも、同じような動機からだろう。アメリカの帝国主義が戦争の原因だ、というスローガンを振り回して、『どっちもどっち』論に持ち込もうとする」「さらに残念なのは、東欧の歴史などにも全く関心を示さないことだ。代わりに『一九四五年の日本も早く降伏するべきだった』『四五年の日本では軍人は市民を守らなかった』とひたすら終戦の日本史だけを語り続ける。つまり自分が知っている知識を振り回すだけで、あとは世界がその知識を中心に回っていくことを願うだけなのである。結局、守ろうとしているのは四五年の日本から特定の解釈を引き出し、それが普遍的な価値を持っている、というイデオロギー的な歴史観だけである」という。

日本の欧米との戦いで
多くの国が独立した

 篠田氏が指摘するように、ロシア・ウクライナ戦争について評価する際に左派が「どっちもどっち」論に持ち込もうとするのは、そうしなければ彼らが従来から主張していた「憲法九条によって日本が武力を制限すれば、他国との戦争は起きない」という「理論」が崩壊するからだ。つまりは日本が何もしなければ戦争は起きないはずという説であり、これに従えばウクライナが何もしていなければ戦争は起きなかったはずだ。だから実際戦争が勃発した今、「ウクライナが何かをしたから戦いになった」という結論に達せざるを得ない。これは正しく篠田氏が指摘する「四五年の日本から特定の解釈を引き出し、それが普遍的な価値を持っている、というイデオロギー的な歴史観」の産物と言えるだろう。
 歴史は多角的に検証するべきであって、「日本は世界を侵略した悪い国だ」という評価のみに拘泥してはいけない。例えば、かつての世界は白人キリスト教徒の国家である、西洋列強に支配されていたが、日本は日露戦争に勝利してその牙城の一角を崩した。第一次世界大戦後のパリ講和会議では、国際連盟の規約の中に人種差別撤廃を盛り込むことを日本は提案、多数の同意を得たが、議長を務めていたアメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンがこのような重要な問題は全会一致が必要だとして、日本の提案を否決した。先の大戦時には日本は大東亜共栄圏構想に基づき、欧米諸国の植民地支配からアジア諸国の独立を手助けした。
 そのことをきっかけに、被植民地国家の独立の機運が芽生えた。この戦争に日本は負けたが、アジア諸国では次々に独立戦争が起こり、今やすべての国が独立国家となった。もしも日本が西洋列強と戦っていなかったならば、今もまだアジア、アフリカ、南米、中南米、中近東の国家は白人キリスト教国の植民地支配が続いていた可能性が高いのではないだろうか。先の大戦に関しても、こういった側面を含めて評価する必要がある。

大東亜戦争を批判しながら
ロシアを擁護する左派

 結果的に今、左派の主張は、先の大戦への評価とロシア・ウクライナ戦争への評価が矛盾することになっている。朝日新聞デジタル版で、「侵攻――普遍主義を問い直そう 西谷修・東京外国語大学名誉教授に聞く」という記事が六月五日に配信されている。「我々の生きる世界を初めて一元化させた先の二つの大戦で重要なのは、科学が進歩した時代の、分別ある合理的世界の果てに起きたカタストロフィーだった点だろう。人類の
叡知である文明の先に、野蛮が待ち受ける。理性の無力さが立ちはだかる。その冷酷な事実が突きつけられたのだ」「だから戦争について真摯に考えるならば、近代社会を支えてきた自由や主体の概念まで、とらえ直さざるをえない。合理的な世界『にもかかわらず』、なぜ戦争は起こるのか。陰惨な行為に手を染めるのか。全体性を根源から直視しなければならないと思う」「その意味で、いまウクライナで起きている現実も、表面だけ見ていては理解に至らない。もちろん発端はロシアの国際法違反だ。でもなぜ、こうした行為に走ったか。冷戦後の国際秩序再編の中で排除され、歴史的にも西欧世界の辺境に置かれた事情などを一考する余地はあるはずだ」「親ロシアではない。世界の言論空間があまりにも『反ロシア』一色の現状に疑問を抱くだけだ。哲学的にいえば、普遍主義への懐疑ということになる」という。しかしこの主張に対して東京大学の池内恵教授は、国際法違反を犯しても「事情を一考する余地」があるのなら、西谷氏は大東亜戦争も全面的に擁護しなければならないはず、しかし西谷氏をはじめとする左派は、大東亜戦争の意義を認めることは決してしないとツイッターで指摘した。明らかなダブルスタンダードである。このような反米イデオロギーに固執する左派の論理矛盾が、今回の戦争で次第に明らかになっている。戦争は一刻も早く止めるべきだが、この機会に日本人の歴史や安全保障に対する考え方については、大きな転換を図るべきではないだろうか。

「空間識失調」による事故は
どんなベテランにも起こる

 北国新聞デジタル版で、「【F15墜落】空間識失調が原因か 空自調査結果、機体に異常なし 二日にも地元説明」という記事が六月二日に配信されている。「一月に航空自衛隊小松基地のF15戦闘機が墜落した事故で、空自は操縦士が機体の高度や姿勢を把握できなくなる『空間識失調』に陥り、墜落した可能性が大きいとする調査結果をまとめたことが一日、関係者への取材で分かった。操縦士二人が死亡した事故から四カ月、機体の異常ではないとの見方を強めた。操縦士に対する空間識失調に関する教育を徹底するなどして再発防止につなげる方針で、二日にも地元に説明する」「事故を起こしたF15は一月三一日午後五時半ごろ、小松基地を離陸し、右方向に旋回して基地から約五キロの洋上でレーダーから消失。この海域で垂直尾翼など機体の主要部分が見つかり、空自は墜落したと判断した」「関係者によると、空自はF15の操縦士がレーダーの操作に集中し、バランス感覚を失った可能性が大きいとみている。F15の離陸直後、基地の管制官はオレンジ色の発光を確認し、無線で呼び掛けたが応答はなく、脱出時に発信する救難信号も受信されなかった」「事故では、搭乗していた飛行教導群司令の田中公司空将補=当時(五二)=と同群の植田竜生三等空佐=同(三三)=が亡くなった」「空自はフライトレコーダー(飛行記録装置)などの部品を回収し、航空幕僚監部の事故調査委員会が原因究明を進めていた。基地は事故後に中止していた同型機の飛行訓練を三月一一日に再開している」という。英語でvertigo(バーティゴ)と呼ばれる「空間識失調」とは、「航空機の操縦士が飛行中、一時的に機体の高度や姿勢を正確に把握できなくなる状態。機動性の高い戦闘機やヘリコプターで、霧の中や夜間など視界が悪い時に起こりやすい。操縦士であれば誰でも経験がある症状といい、まずは自覚し、航空機の計器類に基づいた操縦をして感覚を正常に戻す必要がある。二〇一九年四月に航空自衛隊三沢基地(青森県三沢市)の最新鋭ステルス戦闘機F35Aが同県沖の太平洋に墜落した事故でも原因とされた」ものだ。大変痛ましい事故であり、原因は機体の異常ではなく操縦士の問題とされているが、「空間識失調」は経験や技量とは関係なく起こるものであり、同じ操縦士や軍事を知る人ほど、これが原因の事故は防ぐことが非常に難しく、操縦士は決して責められるべきではないと言う。事実亡くなった田中空将補は、エリート中のエリート操縦士だ。防ぐのが難しいのであれば、そんな危険なものを飛ばすのは止めろという声もあるだろうが、それでは日本の安全は誰が守るのというのだろうか。今年四月に防衛省・統合幕僚監部が発表した二〇二一年度の航空自衛隊の緊急発進(スクランブル)は一〇〇四回となり、二〇一六年度の一一六八回に次いで、過去二番目に多かった。内七二%が中国機で、二六%がロシア機になる。こんな状況の中で、日本が空の守りを緩めるわけにはいかない。

ロシア・ウクライナ戦争は
世界を変えつつある

 ヨーロッパで勃発したロシア・ウクライナ戦争は世界中の政治、経済等に大きな影響を与えている。特に十九世紀か二十世紀初頭に戻ったような、通常兵力による本格的な戦闘が再び行われるとは、誰もが予想をしていなかったはずだ。日本もロシアの東側と国境を接している国であり、さらに台湾や尖閣諸島を巡って中国とも緊張関係にある。国民の平和のためには、否が応でも防衛費を増強して、軍事力の強化による抑止力で安全を図るしかない。またその軍事力の行使の円滑化のためにも、一日も早く憲法を改正して、日米安全保障条約を独立自衛のできる国家として相互扶助的なものに改正しなければならない。今こそ改憲に向けて、本格的な議論を行わなければならない時だろう。

2022年6月14日(火) 18時00分校了