Big Talk

憲法改正はまず第九条から行うべきだVol.369[2022年4月号]

参議院議員 青山繁晴
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アパグループ代表 元谷外志雄

共同通信の記者からシンクタンクの研究員や経営者に。作家やメディアでのコメンテーターとしても活躍する中、選挙出馬を要請されても断り続けていたが二〇一六年参議院選挙に「人生を壊す覚悟で」出馬、大量得票で見事に初当選した青山繁晴氏。様々な現場経験に裏打ちされた外交、安全保障、危機管理、資源エネルギーのスペシャリストである青山氏に、議員になるまでのキャリアや今の日本がまずやるべきこと等をお聞きしました。

青山 繁晴氏
1952年神戸市生まれ。1974年慶應義塾大学文学部を中退、1979年早稲田大学政治経済学部を卒業、共同通信社に入社。事件記者から始まり、経済部、政治部で活躍。1997年ペルー特派員を最後に、共同通信を依願退社、翌年三菱総合研究所に入社。2002年に独立総合研究所を設立、代表取締役社長兼首席研究員に就任。公職を無償で務め、東大非常勤講師と近畿大客員教授も務めた。2016年参院選で初当選。著書は『わたしは灰猫』(扶桑社)、『ぼくらの祖国』(扶桑社)他多数。

通信社の記者から
シンクタンクの経営者へ

元谷 本日はビッグトークへのご登場、ありがとうございます。青山さんには、この月刊Apple Townの二〇一八年五月号のワインの会にも登場してもらっています。もっとしっかりとお話をお聞きしたいということで、今日はお招きしました。

青山 ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

元谷 今は参議院議員の青山さんですが、元々は何をやっていた人なのでしょうか。

青山 二十六歳で大学を卒業して共同通信の記者になり、四十五歳まで十八年九カ月勤めました。最初は十年で辞めるつもりだったのですが、非常に楽しくて。記者という仕事が大好きだったのです。辞めるきっかけとなったのは、一九九六年の在ペルー日本大使公邸人質事件です。特殊部隊が突入した時の真実を報道できませんでした。私の父親は繊維会社の社長だったのですが、もともと「お前は人を批判するのではなく、自分が実行するタイプだ。記者は本来お前がする仕事じゃない」と言っていました。その言葉も思い出したりしました。最後にはテロリストが全員殺されたペルーの事件の一部始終を目撃して、政府や政治家を批判して終わるのではなく、テロを防ぐ実務を遂行する側に変わろうと決意したのです。

元谷 それぐらい、強烈な体験だったのですね。

青山 はい。共同通信を依願退社、大学の先生とかいろいろとお話はあったのですが、それなら記者と変わりません。記者時代に外交や安全保障の専門分野に踏み込んでいましたから、政府側ではなく民間から政策を提言する立場になろうと考え、三菱総合研究所の研究員になりました。三菱総研はシンクタンクです。しばらくいますと、アメリカと日本でシンクタンクの立ち位置が異なることがわかってきました。アメリカのシンクタンクも既得権益と癒着しているケースはありますが、基本、民間から政府に提言を行っています。しかし日本のシンクタンクは、三菱総研がそうだというのではなく全般に政府の方針の裏付けを行う機関になっているのです。例えば東京湾を埋め立てたいと国土交通省が考えた場合、シンクタンクにその検証を依頼します。媒介変数を工夫することで、政府の望む結果が得られることが多い。そうやって、お上が民間に意見を聞いているように見せかけるのです。

元谷 シンクタンクが政府の御用機関となっているのですね。

青山 仰る通りです。そして主権者である国民の税金は、知らずにそんなところに使われているのです。三菱総研には四年半ほど在籍したのですが、最後には「政府から仕事をもらってくるのではなく、民間から政府に外交や安全保障、危機管理、資源エネルギーの分野で提言を行うシンクタンクを作るために独立します」と、社長に宣言しました。当時の三菱総研の社長は三菱銀行から来ていた立派な方でしたが、「すぐに潰しますよ」と言われました。私は、これは親心、励ましだと思いましたね。そこで二〇〇二年、代表取締役社長兼首席研究員として独立総合研究所を設立したのです。様々な提案を考え、記者時代の人脈を使って官僚に持っていくのですが、ほとんど拒絶されました。しかし数は少ないですが取り上げてくれる官僚もいて、いくつかの研究計画が進むようになり、次第に会社も軌道に乗っていきました。

自民党を中から
変えることを目指す

元谷 そういった政策提言の仕事をしていたのですね。どのような経緯で参議院議員になったのでしょうか。

青山 私は記者時代から選挙に出ませんかと誘われることが多く、それらを全部断ってきました。参議院選挙が行われた二〇一六年の一月四日、当時の首相の安倍さんの使者として官房副長官の世耕弘成さんから、憲法改正のために参院選に自由民主党から出馬してくださいと要請されたのです。しかしそれもお断りしました。国会議員がきらいだということではありません。私は学校教育よりも家庭教育で育ったのですが、武家の娘の母がいつも言っていたのは、「人のためにはいつでも刀を抜け。自分のためには決して抜くな」という言葉でした。選挙に出ると、襷をかけて自分を売り込まなければなりません。だから選挙への出馬を全部断っていたのです。それから六月まで毎月世耕さんから電話があり、その度にお断りをしていました。そして六月のもう公示日の数日前になって安倍さんから直接、お電話があったのです。

元谷 私は第一次安倍政権の前に、「安倍晋三を首相にする会」の副会長を務めていました。青山さんも安倍さんと繋がりがあったのですね。

青山 記者時代からご縁があって、利害関係は一切ありませんが、よく電話をしていました。基本的には私から電話をして総理の方針に反対したり提案をしたりするので、逆に掛かってくるのは珍しかった。私の専門の一つはテロ対策なので、テロでも発生したかと思ったのですが。するといつもののんきな口調で「青山さん、やっぱり選挙に出てよ」と言うのです。安倍さんは「人たらし」として有名ですが、この時も「青山さんが国会に来れば、外務省と経産省と自民党の議員が変わる」と言われたのです。外務省が変わるとは、北朝鮮の拉致問題のことです。私は外務省が交渉しているから、拉致被害者が帰って来ないと主張していました。外務省が悪いのではなく、カウンターパートである北朝鮮の外務省が何も知らないからです。経産省は、メタンハイドレートのことです。私の妻であり水産学博士である青山千春は、新潟港のすぐ先の海の底で凍っている天然ガスのメタンハイドレートをはじめ、日本の自前資源の研究をしています。これを採取して活用する技術を開発すれば、中東のカタールから高い金を払って天然ガスを輸入する必要は小さくなります。ではなぜ、日本の海洋資源であるメタンハイドレートを開発してこなかったのか。それは高い価格で海外から輸入をして、高額のマージンを得ている業界があり、その業界が経済産業省と結託しているからです。私も三菱総研時代から、この件では徹底的に圧力を受けています。だから経産省を変えなければならない。そして私が自由民主党の朝の部会に参加すれば、議員が変わるというのです。これだけのことを並べられて、私は生まれて初めて真面目に出馬について考えました。それでも結局、断る決心をして、晴海埠頭から出港する海底広域研究船「かいめい」に乗ろうとしていた青山千春博士に携帯電話で伝えたところ、「後悔しますよ」と言われたのです。それを契機に腹を決めて、公示のわずか数日前に出馬を表明しました。

元谷 英断ですね。抵抗感のあった選挙運動はどうしたのですか。

青山 偉い人がいっぱい来て、支持団体を二つ、他の議員から引き剥がして私につけるとか、選挙プランナーも連れてきたので、この人の言う通りにして欲しいとか、いろいろ言うのです。しかし、どちらもお断りしました。支持団体に後々まで言うことを聞かされては国民のための議員ではありませんね。選挙プランナーの言う通りに、イメージで有権者を誘導するのは間違いだと思います。ただ人様の仕事は尊重するので、言うことは聞かないがギャラはお支払いしました。選挙運動でやったのは遊説の長話だけです。それでも全国比例区で多くの票をいただき、当選することができました。

元谷 テレビやラジオ等のメディアのコメンテーターとして、正論を主張し続けてきた青山さんのスタンスが、選挙でしっかりと評価された結果でしょう。

青山 私は、国会議員は一期六年で辞めるつもりで、そう公言していました。選挙中に自ら決断して独立総合研究所の社長を退いたのですが、ようやく世の中に定着させた提案型シンクタンクをより伸ばすべく、六年後に社長に復帰するつもりだったのです。しかし議員になって二年後に会社の様子を聞いたところ、後任の社長もちゃんと立てているのに、私が帰ってくるからと社長室が使わないままになっているというのです。これは会社のガバナンスとしては良くないと思い、独立総合研究所には戻らないと宣言しました。また自由民主党を内部から変えるべく、二〇一九年に「日本の尊厳と国益を護る会」、略称「護る会」という新しい議員集団を結成して代表となりました。今では七十二人の国会議員が所属しています。一期目が終わるところでこれはという人に代表を譲ろうと考えていたら、青山さんがいなくなったら会は解散すると所属議員たちに言われたのです。そこでやむを得ず、今年の参院選に再び立候補します。

元谷 再選されて、引き続き自民党改革に邁進するということですね。

青山 再選されれば…です。支持団体も一切ないですから、私には基礎票がありません。政治献金も受け取らず、パーティも開かず、資金もありません。後援会も作っていないのです。

戦争に負けたからといって
新憲法制定はおかしい

元谷 今日一番お聞きしたかったのは、今後の日本がどうあるべきかについての青山さんの提言です。

青山 この月刊Apple Townや著書で代表の主張を拝見していると、その根幹にあるのは日本の真の独立だと感じました。それは私の基本と同じです。多くの人が先の戦争に負けたという事実を「誤解」しているのです。戦争に負けたからといって、自分の国の在り方を曲げる必要はありません。これは代表や私が勝手に主張していることではなく、国際法に書いてあることです。一八九九年に万国平和会議で採択されたハーグ陸戦条約には、「占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重」と明記してあります。この条約を第二次世界大戦の時には、日本もアメリカもとっくに批准していたのです。

元谷 そうです。つまり、日本が憲法を変更させられる「根拠」などなかったのです。

青山 その通りです。これを受け入れてしまったのは、日本が二千年を超えて一度も戦争に負けたことがなかったからでしょう。だから負けた時にどうするかを知らなかったのです。ドイツは戦争に負け続け、負けないためにナチスを作ったらさらに負けて、敗戦時には政府すら存在しませんでした。しかし負けた後の所作は知っているので、ドイツは今、連邦軍を保有しているし、憲法にあたるボン基本法には日本の憲法第九条のようなおかしな条文はありません。日本はハーグ陸戦条約の使い方がわからず、そこにアメリカがつけ込んだのです。

元谷 まさにそうだと思います。

青山 占領は日本が受け入れましたが、一番の問題は占領下で国家主権を喪っている時に憲法を根こそぎ変えられたことです。この憲法のおかしなところは百三条に及ぶ長さの中で、自国民を守ることを述べているのが第九条しかないことです。しかもこの九条のある第二章のタイトルは「国民の防衛」ではなく、「戦争の放棄」です。戦争を放棄するのであれば、どうやって国民を守るのかを書くべきですが、それはありません。九条には「武力による威嚇又は武力の行使は」「永久にこれを放棄する」とか、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書かれています。東京大学等の学生にこの条文の講義をする時に、私は次のような実際に遭遇した出来事を引き合いに出します。私は妻の千春と学生時代に知り合ったのですが、彼女はたまたま胸が大きいのです。二人共酒が好きでしたので、金曜日の夜に飲んで、私が彼女を山の手線の最終で送っていくことがよくありました。その時に酔っ払ったスーツ姿のサラリーマンの集団が、彼女に胸を触らせろと迫ってきたのです。体を多少は鍛えていた私が肩の筋肉を見せて、「やれるものならやってみろ」と凄むと、サラリーマン達は塩をかけられたナメクジみたいに逃げていきました。これが安全保障です。

元谷 なるほど。

青山 あの時、私はまだ学生ですから喧嘩になって警察に捕まっても、まだやり直しがきいた。しかしおそらく会社では部長や課長の肩書を持つサラリーマン達は、痴漢行為をはたらこうとして喧嘩になったら、一生を棒に振るかもしれません。そうならないために、私は「威嚇」をしたのです。すなわち戦争と被害を抑止した。しかし憲法第九条は「威嚇」を「放棄」していますから、この状況なら、私は「一一〇番してきます」と言うことになる。その間に妻が性的被害を受けたら、彼女は研究船に乗れなかったでしょう。船には女性用トイレも風呂もなかったのです。九条の最後には「国の交戦権は、これを認めない」とあります。相手が国だったら何をされても戦うな、威嚇もするなという規定ですね。だから、横田めぐみさんをはじめ自国民を北朝鮮に拉致されても何もするな、北方領土や竹島を取られても、尖閣諸島を奪われかけても何もするなとなる。憲法は第九条から変えなければと大学で講義すると、学生達もよく理解します。

元谷 全く同感です。平和を維持するためには、相手を威嚇して戦争を抑止するための軍事力が必要で、これを絶えず磨いていく必要があるのです。このことを日本では学校でも教えないし、メディアも伝えない。漠然と戦争は悪いことだ、起こしてはならないと言うだけではなく、戦争を起こさないためには何をしなければならないのかを考えるべきなのです。世界にはいろいろな国があり、それらが全て「いい国」ではありません。

青山 その通りです。日本の周りにはロシア、北朝鮮、中国と独裁国家が三つもあるのです。

人のために生きれば
死を迎えて虚しくならない

元谷 特に脅威なのは中国です。これまでもそうでしたが、今後も拡大した経済力に合わせて軍事力を増強してきています。この軍事力で威嚇して、戦争をすることなく自国の要求を勝ち取ろうとしているのです。二〇二一年十月に中国とロシアの海軍が合同軍事演習を行い、津軽海峡を通過したのは、明らかに威嚇でしょう。これを許していれば徐々にヒートアップして、中国とロシアは日本を二分割して統治することを目指すかもしれません。そんな気を起こさないように、日本はしっかりと軍備を増強する必要があるのです。

青山 そもそも中国軍は弱いのです。海軍と空軍には実戦経験がありませんから。しかしその代わりに中国軍は世論戦、心理戦、法律戦という三戦を重視しています。インターネットや国会議員を使って、無人島である尖閣諸島ぐらい、中国に渡してもいいか…という日本の世論を作り上げようとしているのです。

元谷 昔も今も、最上の勝ち方は「戦わずして勝つ」ということです。威嚇だったり、世論工作だったり、相手を屈服させることは第一に考えるべき戦い方でしょう。

青山 特に今の時代においてはそうですね。

元谷 世論操作にも対抗しなければなりませんが、まず威嚇に対して戦争抑止力を十分に得るために、日本は軍事力の強化を図るべきです。

青山 この抑止力の考えこそ、人類が第二次世界大戦で多数の犠牲を出して学んだことなのです。しかし再び強国として目覚めないよう、アメリカによって憲法第九条を筆頭に数々の仕掛けを施され、日本は軍事力を単に悪と見做すようになってしまいました。

元谷 日本はベトナムを参考にすべきです。フランスの植民地から脱して、次にやってきたアメリカも排除し、侵攻してきた中国軍も結果的には押し返しました。国を守るという国民の強い意志と結束力の賜物でしょう。

青山 同感です。日本はベトナムとの連携を強化すべきです。日越が組めば、中国を挟み撃ちできるのです。地政学は要は挟み撃ちの理論で、トルコが親日的なのはロシアを挟み撃ちにできるからなのです。

元谷 今でもアパホテルは日本一ですが、これを圧倒的日本一にしてから世界戦略をスタートしようと考えています。また今利益率が三〇%以上なのですが、正直儲けすぎです。少し利益率を落として、多くの人がアパホテルを利用することで、売上が拡大するという方向に持っていこうとしています。

青山 代表は石川県小松市のご出身ですよね。

元谷 はい。アパグループも小松市で創業しました。小松基地友の会の会長も務めています。

青山 一月三十一日に小松基地を飛び立ったF15戦闘機が、行方不明になりました。無念です。

元谷 今の自衛隊もそうだと思いますが、伝統的にアメリカ軍は必ず救助に向かいますし、遺体も必ず故郷に持ち帰ります。これが彼らの士気の源泉になっているのでしょう。

青山 その通りなのですが、今は戦争そのものが変わってしまったのです。私は戦地に丸腰で三度赴いているのですが、バラバラになって死んだ海兵隊員の遺体を、丁寧に修復して制服を着せて、士官を付けて故郷に送る姿を実際に見ました。しかしイラク戦争以降、自爆テロやIED(手製爆弾)で木っ端微塵になるケースが増え、遺体を修復できなくなりました。そんな死者は戦死ではなく行方不明とされ、密かに棺桶に隠されていたのです。これを報じた番組によってアメリカ人はショックを受け、厭戦機運が広がり、オバマ政権は「戦わざる政権」になったのです。バイデン大統領のスタンスも同様で、今のアメリカは戦争が出来ない国になっている。そこを中国とロシアはよく見抜いていて、台湾やウクライナで挑発を繰り返しています。

元谷 そういった背景があったのですね。青山さんには今年の七月の参院選挙の全国比例でも当選してもらって、さらに自民党を、日本を、良い方向に変える活躍に期待しています。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしているのですが。

青山 「人のために生きよ」です。江戸時代の武士の心得「葉隠」の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」は、「主君のために」という言葉をあえて省いていると考えています。主君とは限らず「人のために」、いざとなれば死ねるという考え方を示唆するためではないでしょうか。死ねと言うのではなく、人生を虚しくしないために、人のために生きよと言っているのです。自分だけのために生きていると、どんなに上手くやっても最後は死ぬだけという虚しさを克服できません。人のために生きてこそ自らの命はいずれ誰しも終わっても人の命は繋がっていって、虚しさを超えられるのです。

元谷 今日はいろいろと勉強になりました。ありがとうございました。

青山 こちらこそ、心からありがとうございました。