Big Talk

国を護る気概のある国民を増やす必要があるVol.366[2022年1月号]

株式会社潮流社 代表取締役社長 室舘勲
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アパグループ代表 元谷外志雄

五十七年の歴史を持つ月刊誌「カレント」を発行する潮流社の社長に加え、自ら立ち上げた会社の教育事業として多くの若者に国を護る価値を教える室舘勲氏をお迎えし、「カレント」の内容や八百人の靖国神社参拝や演説大会等行っている活動、若い人に伝えようとしている思い等について、お聞きしました。

室舘 勲氏
1971年青森県むつ市生まれ。1989年高校卒業後上京、スーパーマーケットに就職。1990年転職して20代向け教育関連事業でトップ営業マン、トップマネージャーに。2003年独立して株式会社キャリアコンサルティングを設立。リーダーシップの基礎教育プログラムや新卒紹介・就職支援事業を展開。2020年株式会社潮流社代表取締役社長に就任。

靖国参拝や演説大会等で
国を護る心を育てる

元谷 本日のビッグトークへの登場、ありがとうございます。室舘さんは、「真の近現代史観」懸賞論文とアパ日本再興大賞の審査委員長を務めていただいている加瀬英明さんからのご紹介でお招きしました。室舘さんは、加瀬さんとは長いお付き合いなのでしょうか。

室舘 十年前にお知り合いになりました。潮流社が出版しております月刊誌「カレント」にも執筆していただいています。「カレント」は先の大戦中に大蔵大臣を務めた賀屋興宣先生が一九六四(昭和三九)年、左右に偏することなく、自由民主主義社会の我が国に正しい世論を喚起するために創刊した雑誌です。政治、経済、防衛、外交、教育等多岐にわたる分野について、多彩な執筆陣の寄稿を読むことができます。矢野経済研究所の副社長も務めた矢野彈から私は「カレント」の版元である潮流社の社長を引き継ぎ、矢野は会長となって二人三脚で出版事業を続けています。「カレント」は衆参両院の議員の皆さんにも、ずっとお送りしている雑誌です。

元谷 この月刊Apple Townも国会議員に送っています。創刊から三十一年、毎月一度も休んだことがありません。このビッグトークも三十年やってきていて、今回が三六六回目です。Apple Townはアパホテルの各部屋に置いていますから、ホテルが増えると発行部数も増え、今は毎月十万部発行しています。

室舘 凄い発行部数ですね。私も潮流社の社長になってまだ一年です。代表にはいろいろと教えていただければと考えております。

元谷 それまではどのようなビジネスをしていたのですか。

室舘 今も継続しているのですが、二〇〇三年にキャリアコンサルティングという会社を立ち上げ、社会人や大学生を対象としたリーダーシップの基礎教育や大学生の就活の支援事業を行っています。弊社のプログラムで年間約三千人の人々が学んでいます。

元谷 沢山の人が御社で学んでいるのですね。

室舘 はい。弊社での学びの特徴のひとつが「くにまもり」という考えを教えていることです。先の大戦後の公職追放令では二十万人以上の人々が要職から追いやられたのですが、これの逆をやっていこうと。政財界に優秀な人を送り込む、これのサポートを行っています。また一九九九年から一月三日に靖国神社の参拝を行っています。七十名で始めた参拝でしたが、昨年は弊社の社員が百五十名、社会人や学生の生徒も合わせると八百名での参拝となりました。

元谷 写真で見ると壮観ですね。

室舘 日本最大の参拝でしょう。高さ五mの櫓の上から撮影しています。最初の参拝は全員スーツで靖国神社に向かったのですが、途中警察に職務質問をされまして(笑)。私や社員が着物を着るようになったら、若い人もカッコいいと思ったのか、真似をして和装がどんどん増えていったのです。加瀬英明先生にも、非常に良い活動なので頑張りなさいと激励されています。

元谷 室舘さんは、どうして靖国神社の参拝を始めたのでしょうか。

室舘 元々右でも左でもなかったのですが、二十五年ほど前に先輩から靖国神社のことを知っているかと聞かれ、知らないと答えたところ、大変なお叱りを受けたのです。そこで早速訪ねてみて、遊就館に展示されていた特攻隊員として散った英霊の手紙を読み、こういう人達が日本を守ってくれたおかげで今があるのだと思い、涙が溢れました。そこで弊社の生徒達にリーダーシップやビジネスを教えるだけではなく、誰のおかげで今の日本があるのかを教えていく必要がある。自分のことだけではなく、公のこと、日本のことを考えるようにしなければならないと、考え方を新たにしたのです。今では靖国神社だけではなく、伊勢神宮の参拝や皇居の勤労奉仕も行っています。

元谷 これだけの若者を集めるだけでも、大したものです。

室舘 また毎年「くにまもり演説大会」を開催、千五百人のエントリーの中から選び抜いた八名が演説を行います。二十代の学生・社会人が熱を込めて語る政治、経済、安全保障、伝統文化の保護等の七分間の演説は、いつも物凄い迫力です。この大会の参加者が産経新聞の土光杯弁論大会に参加することも多いのですが、いつも入賞しています。そのような活動で自衛隊だけではなく、我々一般人一人ひとりの心掛け次第で国が護れることを、多くの人々の意識に植え付けているのです。小学校、中学校の先生も五十人以上参加、子供の時から国を護っていく人を育てる展開も進んでいます。

元谷 素晴らしい活動だと思います。

独立して成功するためには勝てる
武器を持つべき

元谷 もう新型コロナの感染も末期です。来春には完全に終息するでしょう。歴史的にみても感染症の流行は大体二年で終わるのです。こういった厳しい状況の中でもアパホテルは営業を続け、今季も黒字で利益を計上する予定です。

室舘 アパホテルは、真っ先に軽症感染者の療養施設として、自治体へのホテルの一棟貸しを始められました。素晴らしい判断だったと思います。

元谷 政権中枢から直接携帯電話に要請があり、私は即断即決で提供を決めました。翌日にはすぐ当時の安倍首相が記者会見で発表していて、少し驚きましたが。私が創業オーナーで、家族で全株保有していますから、人に相談する必要がないのです。

室舘 先の大戦前夜、当時の東証理事長が、大蔵大臣の賀屋興宣先生に「株価暴落を防ぐ準備資金として一億円用意して欲しい」と詰め寄ったところ、賀屋先生は「十億出しましょう」と応じたという逸話があります。決断というのは、いつの時代も胆力のある人物だけができることです。私は代表の事業の黎明期に興味があります。最初は住宅事業から始められたと聞いているのですが。

元谷 最初に行ったのは注文住宅の請負です。この事業は前金をもらって着工し、途中中間金ももらい、納品したらまたお金がもらえる。つまり資金がなくてもできる事業なのです。しかし案件によって土地の形や施主の希望が異なりますから、設計等全てを変えていかなければならず、効率が悪い。資金力がついたところで次に行ったのが、宅地造成、そして建売住宅の企画・販売です。ただ良くある同じ形の家を並べるのではなく、町並みを考えて一軒ずつ設計が異なる建売住宅を企画したのです。これはヒットしましたね。

室舘 アイデアマンなのですね。代表は何年のお生まれですか。

元谷 一九四三(昭和一八)年です。

室舘 私の母と同い年です。私は人の発想は両親のどちらかから受け継がれることが多いと思っています。代表の場合はお父様、お母様、どちらからの影響が大きかったのでしょうか。

元谷 強いて言えば父なのでしょうが…。ただ父は私が中学二年生の時に、結核で亡くなっているのです。私は石川県小松市の生まれで、父は戦前から、元谷木工製作所という会社を経営していました。戦争中は軍需で、船の舵輪を製造していました。結核の長患いで戦後は工場をたたみ、そこに間仕切りをして貸間としたり、中庭に家を増築して貸家にしたりして生計を立てていました。

室舘 それでは、発想力はお母様の影響でしょうか。

元谷 それもないでしょう。私は六人兄弟の長男でしたから、父が亡くなった後は私が家長として家の家計を握るようになり、母の面倒も私が見ていたのです。父から受けた影響と言えば、新聞を読むことがあります。私は子供の頃から新聞が趣味で、読んでいてわからない単語があると、「現代用語の基礎知識」で片っ端から調べていたのです。こうやって私は早い段階で、自分の世界観を築いていったのだと思います。

室舘 自分で自分を磨いたということですね。

元谷 はい。今の事業もゼロから始めて大きくしてきたのですが、二十代で独立する時、勝てる武器がないと独立しても失敗すると考えていました。そこで武器にしたのが長期住宅ローン制度です。当時は四十歳までに家を建てて、貸家から卒業してようやく一人前という風潮がありました。しかし今のような住宅ローンはありませんから、お金がない人は欲しくても自分の家を建てることができなかったのです。この制度があれば、多くの人が注文住宅を発注すると考えました。

室舘 それも的確な発想です。

元谷 私は信用金庫に勤めていて、労働組合の地区委員長をやっていました。その当時、大蔵省主導で、地方の信用金庫の合併が進められていたのですが、組合の幹部として私が合併のキャスティング・ボートを握っていたのです。そこで地方の中小金融機関は都市銀行や地方銀行と対等の競争をしていては駄目で個性を出さないとと、長期住宅ローン制度の設立を提案したのです。この制度を設立してもらった上で私は独立して、ローンとセットで注文住宅の営業を行いました。長期といっても当時は十五年ローンだったのですが、事業用の資金の返済方法である元金均等返済ではなく、月々の返済金がずっと変わらない元利均等返済というのもお客様を惹きつけました。それもあって、弊社は創業以来一度の赤字もなく事業を続けています。まあ、私は運も強いですから(笑)。

最先端の一秒チェックイン
アパホテルは進化を続ける

室舘 本当に凄いことです。お話を聞いていて思うのは、代表の頭の中には近江商人の「三方良し」の考えがあって、自分の儲けはもちろんですが、お客様のメリットを常に念頭に置いてらっしゃるのではないでしょうか。

元谷 そうかもしれません。

室舘 今はホテル事業がメインだと思いますが、どういうきっかけで始められたのでしょうか。

元谷 そもそもは節税のためです。マンション事業で出た利益を、ホテル建設の減価償却と損益通算すれば税金が安く済むのです。最初は賃貸マンションを考えたのですが、利益率が悪い。しかしホテルであれば、オペレーションの工夫次第で大きな利益が確保できると考えたのです。また利益率を上げるためには一つでは駄目だと、事業参入当初からホテルチェーンを志向していました。

室舘 どこかお手本にしたホテルチェーンはあったのでしょうか。

元谷 ありません。ホテル業界では、ブランドと運営、所有が別会社であることが珍しくないのですが、そもそも減価償却が目的ですから、私は所有にこだわってきました。まずそれだけでも、従来のホテル事業とは異なるのです。そして第一号ホテルから会員システムを導入しました。会員になれば、五万円分宿泊すれば五千円が現金で戻ってくるのです。出張の場合、宿泊費用は会社負担ですが、キャッシュバックは個人に戻ってきます。そして基本、どの会社でも宿泊先を決めるのは、出張する会社員自身です。アパホテルに泊まれば会社にも配偶者にも内緒のお小遣いが手に入ると、人気を集めるようになったのです。現在累積会員数は二千万人を突破しています。

室舘 凄い数です。

元谷 また調べると、日本での人の移動の大半は、地方と東京の往復なのです。ですから東京には巨大なホテルニーズがある。だからまず、東京の都心五区に集中的にホテル建設を行ってきたのです。逆に需要の少ない地方に進出すると、少ない客の取り合いとなって既存の他のホテルもアパホテルにも得になりません。東京以外は需要の大きさから考えて、福岡や大阪に多くホテルを建設してきました。その結果、今では日本最大のホテルチェーンになったのです。

室舘 十万室を突破されたのですね。

元谷 パートナーホテルを含めば、十万室を突破しました。またアパホテルはコーストホテルチェーンを買収して、カナダとアメリカにもホテルを展開しています。多くのホテル等の日本企業は、韓国、台湾、東南アジアとアジアから海外進出を開始しますが、アパホテルは北米から進出しているのです。しかし利益率は国内の方が圧倒的に高いですね。

室舘 ホテル業界の中でも、アパホテルは非常に高い利益率を誇っているそうですね。

元谷 新型コロナ前の利益率は三〇%を超えていました。その理由であり、アパホテル一番の特徴となるのは、機械化が進んでいることです。会員となりホテルを予約し、スマホのアプリで事前にチェックインしていれば、ホテルのフロントにある専用機にスマホのQRコードをかざすだけで、瞬時にカードキーが出てきます。アパホテル自慢の一秒チェックインです。こんなシステムを導入しているホテルは、世界広しといえどもアパホテルだけです。またチェックアウト時も、エクスプレスチェックアウトポストにカードキーを投函するだけです。瞬時にスタッフのスマホに部屋が空いたという連絡が行き、素早く清掃を行うことで、部屋を日帰りプランに回して販売することができます。こういった工夫で、稼働率が一〇〇%を超えるホテルも出てきています。最新のアパホテルには、それまでになかった機能が加えられていることが多いです。アパホテルは進化するホテルなのです。

日本を護っていく気持ちを
持つ人を増やしていく

室舘 そのようなホテルの工夫のアイデアは、どこから生まれてくるのでしょうか。

元谷 世界中いろいろな国を回って、いろいろと見てきたことが参考になっているのでしょう。ただ世界で自動チェックイン機があるのは、日本だけです。人が対応する伝統的なサービスを維持するのが、格式あるホテルの在り方のような考えが欧米のホテルでは主流です。しかし私は、ホテルはお客様に選んでもらえるよう、常に進化する方がいいと考えています。

室舘 私もアパホテルの大ファンなのです。ベッドは広くて寝心地が良いし、枕もいいものが置いてあります。テレビも大きいし、アメニティも充実しています。細かいところまで、手を抜いていない感じがありますね。

元谷 部屋をコンパクトにしているのは、そもそもホテルの部屋で歩き回る必要がないからです。ベッドに寝転んで、テレビを見ていればいい。そんな発想のホテルなのです。

室舘 アパとはそもそもどんな意味なのでしょうか。

元谷 Always Pleasant Amenity(いつも気持ちのよい環境を)の略です。またJAPANの真ん中にあり続けたいという意味もあります。

室舘 また代表は日本のことを深く思い、言論活動も盛んに行われています。

元谷 私は先程お話したようにサラリーマン時代は労働組合の幹部でしたから、左だったのです。経営陣と対等に渡り合って、しっかり権利を勝ち取らなければならなかったですから。しかし独立して自身が経営者となり、また海外の国々を巡って要人の方々と話すことによって考えが変わりました。この月刊Apple Townを三十年以上に亘って発行し、二〇〇八年から「真の近現代史観」懸賞論文制度を、二〇一一年から勝兵塾を、そして二〇一八年からはアパ日本再興大賞を開始、日本再興のための活動を続けています。

室舘 月に一回いろいろな先生をお招きして、若者達に向けて生き様を語っていただく活動も行っているのですが、これまで第一回の「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀藤誠志賞を受賞した田母神俊雄先生や、第十三回の同賞を獲得した河添恵子先生、第一回のアパ日本再興大賞を受賞した江崎道朗先生らに来ていただいています。

元谷 見せていただいた「カレント」の八月号に、安倍元首相のインタビューが掲載されていますね。私は彼の業績を非常に高く評価しています。

室舘 日米豪印の「クアッド(QUAD)」の枠組も、安倍さんが提言したことです。こんな例は過去なかったですね。

元谷 中国包囲網の重要性が高まっている中、クアッドの創設は非常に大きな業績だと思います。

室舘 中国は二十年前と今では全く異なります。急速に発展した経済力を背景に、軍事力が飛躍的に強化されています。

元谷 やはり十四億人の国民の力は凄まじく、大多数の農民戸籍の人々を搾取して都市戸籍の一部の人々が潤い、さらにその経済力が軍事力になっているのです。かつては陸軍国だった中国ですが、今は海上覇権を目指して、南シナ海、東シナ海に進出しています。これに対抗できるのは、世界一の性能を誇る深深度航行が可能な海上自衛隊の潜水艦でしょう。これがある限り、中国も勝手な侵攻はできないはずです。

室舘 その通りだと思います。またそうやって日本を護っていくのだという気持ちを持つ人を増やしていく必要もあります。

元谷 全く同感です。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。

室舘 実力がある人が要職について誠実に働けば、必ず日本は良くなります。若い人は自分には実力がないという自覚を持ち、二十代は修行と割り切って仕事や勉強に邁進して欲しいのです。いろいろな人にも会って、まずは実力をつけるのです。お金を儲けることは、三十代、四十代でいいでしょう。そして要職とは何か、そこに就くための日本の仕組みやルールもしっかり学ぶのです。いつも私は「才能を私物化するな」と言っています。できる人間は政財官の世界に入ってとにかく要職に就いて、そして誠実に働いて欲しいですね。

元谷 私も世界八十カ国以上を巡って多くの人々と会って話をしたことが、事業において大きくプラスになってきました。今日は非常に素晴らしい活動のお話をありがとうございました。

室舘 ありがとうございました。