日本を語るワインの会220

ワイン220恒例「日本を語るワインの会」が代表邸で行われました。1920年から25年間、日本の委任統治領だったパラオ共和国大使館の特命全権大使、フランシス・マリウル・マツタロウ氏、太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河を擁するパナマ共和国大使館の特命全権大使、カルロス・ペレ氏、六月二日に開催されたアパグループ創業五十周年記念パーティーにて日本語と英語で司会を務めた歌手のグレッグ・アーウィン氏をお招きし、それぞれの母国のこと等、国際色豊かな話題に花が咲きました。
来年には需要が爆発して
大観光ブームが起こる
 東京オリンピックはこのコロナ禍の下、大成功の大会だった。感染拡大を防止しながらも大会を遂行した日本の成果は、この冬の北京オリンピックにも引き継がれていくはずだ。代表がよく言うことだが、決めたことはやらなければならない。一つを変更すれば、次々と他のことを変更しなければならなくなる。決めたことを実行するのが、一番被害が少ないのだ。このオリンピックの成功裏での実施や新型コロナウイルスに対するワクチンの確保と驚異的なスピードでの接種の実行、デジタル庁の創設等を一年で成し遂げた菅首相は、なかなかの仕事人だった。
 新型コロナ対応では、日本は世界的に見て頑張っている。死者数は約一万七千人で、約六十万人のアメリカや約九万三千人のドイツよりもかなり少ない。百万人当たりの死者数も日本の約百三十人に対して、アメリカは約二千人、ドイツは約千百人となっている。遅いと言われた日本のワクチン接種は急ピッチで進み、九月中旬には二回接種が人口の五〇%を超えた。これは先行したアメリカと今や同レベルであり、この後アメリカを抜いてヨーロッパ諸国に肉薄していくのは確実だ。パナマもワクチン接種が進んでいて、九月中旬で国民の約七〇%が一回接種を、約五〇%が二回接種を終えている。パラオは国民に感染者がまだ出ていない。海外から入国した人のうち四人に感染が見つかっているが、全員完治している。このペースでワクチン接種が進み、各国の新型コロナ対策が整っていけば、来年には海外旅行が可能になる程度に行動制限が緩和されるだろう。世界中の人々が旅行したくてしょうがないはずだから一気に消費意欲が爆発して、観光業界が潤うのは間違いない。代表とホテル社長も毎年五~六回は海外に出向いていたが、この一年半、全く行くことができずにいる。最後に行ったのは二〇一九年末のラスベガスだ。代表の友人である世界的なギャンブラーの招待で毎年、年越しをラスベガスで過ごしている。年間三十億円をギャンブルに費やすこともある友人によって、ベラージオやウィン等のラスベガスの一流ホテルのスイートルームに代表も招待され宿泊している。例えばワクチン接種済みであれば隔離措置等が緩和される等、年内にも海外旅行に行けるようになることを期待している。
今もペリリュー島に残る
先の大戦の戦争遺跡
 旅行先としてベトナムは最高だ。ビーチリゾートもあれば、自然が豊かなエリアもあり、飲食店の多いハノイも楽しく、いいレストランが沢山ある。こんな美しい国でもかつては戦争に巻き込まれ、多くの人が亡くなった。また韓国軍が行ったようなベトナム人の大虐殺もあり、暴行によって生まれてきたライダイハンは、数万人いるとも言われている。戦争があれば産軍複合体は潤うことはできるが、彼らは戦争には行かない。戦地に赴いて犠牲になるのは、若い兵士ばかりだ。アフガニスタンでの戦争でも同様で、八十万人ものアメリカ兵が送られたが、戦地から戻った後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩む元兵士も多い。イラク戦争を含む二〇〇一年の九・一一テロの後に始まったアメリカの戦争による中東での戦死者は約七千人だが、自殺者はその四倍以上の三万人に達しているという研究も発表されている。
 マツタロウ氏はパラオのペリリュー島の出身だ。この島では一九四四年九月に、日本軍守備隊とアメリカ軍の激しい戦闘が行われた。守備隊の指揮を執った中川州男大佐は、まず島にいた民間人を事前に全員、他の島に移していた。そして全島を徹底的に要塞化して、アメリカ軍の上陸前の艦砲射撃にも耐えられるようにした。ほとんど被害を出さずに艦砲射撃を耐えた日本軍守備隊はアメリカ軍上陸部隊と戦い、多大な損害を与えた。アメリカ軍は事前にペリリュー島攻略を三日間と見積もっていたのだが、中川大佐は島を七十一日間に亘って守りきったのだ。しかし結局約一万人の守備隊は玉砕。中川大佐は自決したが、民間人には一人の犠牲者も出なかった。ペリリュー島には今でも多くの戦争遺跡が残っている。司令部跡には建物もあり、爆弾や銃痕が残る。日米両軍の戦車や大砲もそのままだ。日本兵慰霊のために一九八二年に再建されたペリリュー神社には、アメリカ太平洋艦隊司令長官・ニミッツ提督の言葉「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ」を刻んだ碑が置かれている。またペリリュー島の住民と彼らが移った先の島の住民は今でも密接な繋がりがあり、共催でのセレモニーも行われている。
運河や免税地域等
第三次産業で稼ぐパナマ
 パナマ運河の拡幅工事は二〇一六年に終了、運河の幅が大幅に拡大され、より大型の船がパナマ運河を航行することができるようになった。この運河は閘門と呼ばれる開閉式の門に仕切られたいくつもの閘室から成り立っていて、閉じた閘室に水を入れることによって、船をどんどん高い地点にまで上げていくことができる。一番標高が高い地点はガトゥン湖という湖だ。夜運河を見ると、運河を登る船や順番を待つ船の明かりが煌々と輝いていて、とても美しい。この運河を最も良く使っているのはアメリカだ。東海岸と西海岸の流通においても、大量の荷物を船舶によって運河経由で輸送した方が、陸路よりもコストが安くなるからだ。日本は二番目にこの運河を利用している。運河の通行料金は船一隻で四万ドル。年間の売上は五千億ドル、利益は三千億ドルに達し、安定した収入源としてパナマの産業を支えている。また、中南米諸国と世界を結ぶ中継貿易の一大拠点で広大な免税地帯であるコロン・フリーゾーンだったり、多くの国の船が船籍をパナマに置く理由となっている便宜置籍船制度だったり、さらに充実した国際金融センターの存在だったりで、運河関連を含むパナマの第三次産業での収益は、GDPの七割を占める。その結果、パナマの一人当たりGDPは約一万六千ドルで、中米七カ国で最も高い。アメリカ人だとお金持ちは非常に気取っている人が多いが、パナマではそんなことはなく、一番の大金持ちでも自分で車を運転している。
 パラオはシーフードで知られていて、タコもロブスターも美味しい。マグロの漁獲高も多く、主要な輸出品として日本にも輸出されている。種類はメバチマグロとキハダマグロだ。パナマは太平洋と大西洋の両方に面していて、どちらもシーフードが豊富だ。大西洋側ではロブスターが穫れるが、質のいい魚は太平洋側にいる。リゾートとしてのビーチや海の美しさは、大西洋・カリブ海側が圧倒的に素晴らしい。
 マツタロウ氏もアーウィン氏もハワイ大学の出身だ。この大学は、日本人では櫻井よしこ氏が卒業したことで知られる。パラオでは高校で日本語教育が行われているところもあったり、十六ある州の一つが公用語を日本語にしていたりする。パラオの人口は二万人ぐらいだが、約一万五千人が海外に住んでいて、マツタロウ氏の娘もアメリカのサクラメントに住んでいる。
五輪で世界に認められた
コンビニのレベルの高さ
 次期首相を決める自民党総裁選だが、河野太郎氏、岸田文雄氏、高市早苗氏の争いとなった。安倍前首相の後継を自認する高市氏だが、普通に考えれば勝利は難しい。どう終盤に向けて追い上げていくかだろう。河野氏、岸田氏はそもそも安倍氏とは考えが異なる。修正するような発言をしているが、それが党員や議員にどう響くかだろう。選挙はやってみないとわからない。ある意味、今は非常に面白い時代だとも言える。
 東京は世界有数のエキサイティングな街で、ここで暮らしていると歳をとらない。また日本は食事が何でも美味しい。特にラーメンの美味しさは格別で、高カロリーだけが問題だが、スープを飲まなければカロリーも塩分もかなり抑えることができる。東京オリンピックでは海外からの選手や報道陣等関係者は、一回十五分しか外出できなかったが、そのためもあってコンビニの食事が大人気に。「チョコモナカジャンボ」や「たけのこの里」のようなアイスや菓子も評判になった。
 アーウィン氏が司会を務めた六月二日のアパグループ創業五十周年記念パーティーには、会場であるアパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉の幕張ホールの最大収容人数が二千名であることから、千名という参加者の上限が定められた。希望者が全て参加していれば、軽く二千名は超えるパーティーになったはずだ。
 ホテルをPCR陽性者の療養施設として使用したいという話は、当時の政権トップが直接代表の携帯に電話を掛けてきたことから始まった。オーナー経営のアパホテルであれば、即答が得られると思ったのだろう。その目論み通り代表は快諾したのだが、翌朝にはメディアに宿泊療養施設を確保したとの発表をしていた。これくらいのスピード感がないと、政権を長年に亘って維持していくことは難しいのだろう。昨年持病が悪化して首相を辞任した安倍氏だが、今もうすっかり体調も回復し、総裁選にも活発に関与しているようだ。
 鑑定評価会社によれば、アパグループの総資産は一兆三千億円とのこと。ここから借入金の三千億円を除いた一兆円が、純粋な資産としてこれまで築き上げてきたものになる。しかし数字上では一兆円とわかっていても、一生で使い切れるものではないので、感覚的には持っている意識がない。代表はかつて、「もう一回人生をやり直すとしたら、どんな人生を歩みますか」とアメリカの弁護士である友人に質問されて、「今と同じ人生を歩む」と答えた。それぐらい、今の人生を思いっきり生きているのだ…と、言える。