Essay

アメリカにとって、中国は「望ましい敵」だVol.348[2021年9月号]

藤 誠志

アメリカの歴史は
戦争の歴史

 アメリカの歴史は、戦争の歴史と言ってもよい。イギリスと戦って独立を勝ち取ったアメリカ独立戦争(一七七五年四月一九日~一七八三年九月三日)の後、北部のアメリカ合衆国と、そこから分離した南部のアメリカ連合国が奴隷制存続等を巡って戦い、現在に至るまでの史上最悪となる五十万人もの戦死者数を出した南北戦争(一八六一年~一八六五年)、その後スペインと戦ってカリブ海と太平洋の旧スペイン植民地に対する管理権を獲得した米西戦争(一八九八年四月二五日~八月一二日)、連合軍としてドイツと戦った第一次世界大戦(一九一四年七月二十八日~一九一八年十一月十一日)、再び連合軍の一員として日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と戦った第二次世界大戦(一九三九年九月一日~一九四五年九月二日(※米国の参戦は、一九四一年十二月七日~))、朝鮮半島の主権を巡り、社会主義陣営諸国の支援を受ける中国人民志願軍と戦った朝鮮戦争(一九五〇年六月二十五日~一九五三年七月二十七日)、共産主義イデオロギーを背景とするホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)と戦ったベトナム戦争(一九六五年十一月~一九七五年四月三十日)、ペルシア湾岸での石油資源を巡る対立に対し、イラクを支援し参戦したイラン・イラク戦争(一九八〇年九月二十二日~一九八八年八月二十日)、イラクのクウェート侵攻に対し、多国籍軍を編成し戦った湾岸戦争(一九九一年一月十七日~二月二十八日)、国際テロ組織アルカイダの排除を目指し、アフガニスタンに軍事介入したアフガニスタン戦争(二〇〇一年十月七日~現在)等、常に戦争をしてきた。

米軍の机上演習での大敗北の
公表は軍事予算の増額のためだ

 二〇二一年七月七日付日本経済新聞七面にある、英フィナンシャルタイムズから転載されたチーフ・USポリティカル・コメンテーターであるジャナン・ガネシュ氏による「米、中国は『望ましい敵』」という記事によると、「米ワシントンで最も抜け目なくロビー活動を展開しているのはペンタゴン(国防総省)だろう。なので、米軍が机上演習で中国に何度も大敗したとする報道は、話を少しどころか大いに盛っているとみるべきだ。戦争での赤裸々な敗北を示す数々のシミュレーションは、いずれも予算の増額が必要だと訴えているのだ」「ただ、こうした補足説明を念頭に置いたとしても、懸念すべき点は少なくない。太平洋を舞台に戦争が勃発した場合、米軍が勝利を収めても、米軍人の犠牲者は過去二〇年にアフガニスタンで失われた二三五二人より多くなる恐れがある」「中国と戦うことになれば、予想される被害の規模だけでも、アフガン戦争より大きな試練になるが、違いはそれだけではない」「国際テロ組織アルカイダも反政府武装勢力タリバンも、米国に挑む世界の大国ではなかった。それぞれの組織の統治の手法が、成長と秩序につながるモデルとして第三国を魅了することは一切なかった」。

アメリカは世界戦略の焦点を
「大中東」地域から中国へ

 「米国は、世界戦略の焦点を『大中東』地域から中国へとシフトすることで、卑怯だが封じ込めが可能な敵から、歴史的に壮大な敵に向かうことになる」。
 「それでもやはり、この変化を喜ぶことは間違っていない。アフガンからの米軍撤退をめぐり共和党がバイデン米大統領に浴びせる批判には、どこか形式的なところがある」「米国は現在、実り少なくすごすごと幕をひこうとしているテロとの戦いの時代から、自らの強大な軍事力と精神的なよりどころをこれまで以上に必要とする敵と対決する時代に入っている」「米国は大国が絡む武力外交ではこの上なく強いが、局所で起きる反乱や内乱への対応は拙く、しくじりが多い」「共和国として誕生まもないころに大英帝国の脅威をかわし、南北戦争から欧州を遠ざけた。その後、帝国主義の日本とナチスドイツを倒して両国を平和主義の民主主義国家へと導き、緻密かつ膨大な計画と辛抱強さをもってソ連に冷戦を仕掛けた」。

主権国家以外との戦いでは
失敗を続けてきたアメリカ

 「一方、東南アジアであれ、中東、あるいは『アフリカの角』と呼ばれる地域であれ、米国は主に主権国以外の敵との非正規戦では失敗を続けてきた」「その理由の一端は、本質的に反乱・内乱への対応は難しいことにある。また、超大国としての米国の特異な歴史ももう一つの要因だ」「キューバやフィリピンなどを例外として、米国は正式に植民地を持ったことがない。そのため、米国の政界と軍部のエリート、さらにはジャーナリズムのエリートさえもが紛争を、国家間で起きるものだとみる傾向がある(イラク占領の大失態をイランによる干渉のせいにする声は、ここから生じている)」「このため、敵が国家ではないテロとの戦いの時代が米国にとって厄介になるのは必然だった。中国という超大国と争うことは、慣れ親しんだ世界への魅惑的な回帰になるかもしれない」。

米国にとって中国との対決が
テロとの戦いより望ましい

 「中国との対決について米政府がやる気まんまんなのは、強力な競争相手であると冷静に認識したから、というだけではない。支配階級が自らの本分を再発見した安堵の表れでもある」「対テロから対中国への傾倒は構想にとどまらず、軍事力そのものにも及ぶ。ペンタゴンは丸一世代にわたり、アフガン規模の二つの地域紛争を同時に戦うための計画を立ててきた。しかし、この計画は二〇一八年に変更され、自国の存在意義をかけた一つの戦争を戦えるようにする方針を掲げるようになった」「新たな軍事態勢は、テロとの戦いのころよりうまくいくはずだ。テロとの戦いで歴史上最も強大な軍隊を、対テロ戦に向けてより細かく対応できるように強引に変革し、そのために莫大な予算と人材をつぎ込んできた」「テロとの戦いでの米軍の一連の対応策が誤っていたと一笑に付すのは適切ではない。このときの改革がなければ、アフガン戦争の結果はよりひどいものになっていたかもしれないからだ」「それでも、米軍が二十年間近くにわたりアフガンにとどまった末の現実が、勢力を増しているタリバンだ。バイデン氏自身が古くは〇九年にアフガン戦争に絶望し、オバマ大統領(当時)の米軍増派に反対していた」「米軍はアフガン占領で、目標があいまいで敵がころころ変わる闇世界で統治することを余儀なくされた。実際、敵の一部は明確に倒すより自陣に取り込む方が容易だった。そう考えると、大国との対峙は米国に一種の解放感をもたらすだろう」「米国が中国と軍事力で対決するだけなのであれば、それは米軍上層部への朗報にしかならない。米国にとって、中国との対決がテロとの戦いより望ましいのは、結束を欠いた国がまとまる可能性があるからだ」「過去を振り返ると、米国は他国との対決が国家として結束するきっかけとなってきた。第二次世界大戦に参戦したことで、党派対立が絶えなかった戦間期から一転、国として団結した。粛清が続いていた旧ソ連も第二次世界大戦が国としてまとまる契機となった」「そして、ソ連が崩壊すると、ワシントンにわずかばかり残っていた超党派精神も崩壊した(米最高裁判事に指名された候補者を上院が全会一致で承認したのは、冷戦終結直後の一九八八年が最後だ)。テロとの戦いは、冷戦のように国をまとめることはできなかったのだ」。

アメリカは「他者」を通じ
自分を見つけてきた

 「米国のアフガン戦争を振り返って際立つのは、真珠湾攻撃と並ぶ死者数ではない。米国史上最長となった戦争期間でもない。朝鮮戦争は法的には終結しておらず休戦中で、米国はまだ数万人の駐留部隊を置いて朝鮮半島を守っている」「二〇年間続いたアフガン戦争の最大の特徴は、米同時多発テロ後に米国の結束が崩壊したことだ。テロによる凶暴な暴力がたびたび起きているにもかかわらず、過去の時代にあったような一体感をもたらすことはできなかった」「自国の四倍の人口を抱える従来型の超大国ならば、ひょっとしたら、それを実現できるかもしれない。米国はしばしば、『他者』を通じ自国のアイデンティティーをみつけてきた。そのような国がアフガンでそれを見つけられるはずはなかったのだ」とある。この記事の分析については、かなりの部分に同意できる。
 アフガニスタン戦争の前に、アメリカが小国と戦って、成果を上げることができなかったのは、ベトナム戦争だろう。そしてこの時も、アメリカ国内では反戦運動が巻き起こり、人々は二分されたのだ。今は明確に大国となった中国が相手であり、この国はアンフェアな経済活動のみならず、新疆ウイグル自治区や香港での露骨な人権弾圧を厭わない。公平と人権を重んじるアメリカとしては、批判する理由が数多くある国を相手に戦うことは、確実に国家的な一体感構築に貢献する。そうなったアメリカがどれほどの強さを見せるのか、日本にとっては全く他人事ではない。

戦前の日本には
軍事・経済を結合した
国家戦略が存在しなかった

 一般社団法人日本戦略研究フォーラム季報第八十九号(二〇二一年七月一日夏号)に、公益財団法人アパ日本再興財団主催第一回アパ日本再興大賞を受賞した評論家の江崎道朗氏による講演録が掲載されている。以下に、その一部を抜粋する。

(以下引用)
インテリジェンスとは
 インテリジェンスとは何なのか。英オックスフォード大学のマイケル・ハーマン教授の定義によりますと、「国策、政策に役立てるために国家ないしは国家機関に準ずる組織が集めた情報の内容、またその活動、もしくはその情報機関」をインテリジェンスと呼びます。
 ここでのポイントは「国策、政策に役立てるために」という点です。
 インテリジェンス活動は主に、所謂スパイ工作、サボタージュ(破壊工作)、影響力工作(国策を優位に進めるためのメディアや政治家に対する様々な工作)があります。外国から仕掛けられている、この三つに対抗して我が国のインテリジェンス機関をいかに充実させるのかが喫緊の課題となっているわけですが、その前提として私は次の二点について論じておく必要があると思います。
 第一に、国策、具体的には国家安全保障戦略とインテリジェンス活動を拡充しようが、それを国策に活かす仕組みがなければ役に立ちません。
 第二に、孤立外交という視点でインテリジェンスを考えることは間違いだ、ということです。優れたインテリジェンス活動は同盟国・友好国との連携が何よりも重要なのです。

昭和期の日本のインテリジェンス
 第一の論点から説明したいと思います。大正から昭和にかけての戦前期における我が国のインテリジェンスを見ると、外務省、陸・海軍、内務省、そして民間がそれぞれ活発にインテリジェンス活動を実施しており、中にはインテリジェンス・オフィサーとして有能な人々もいました。それにも拘わらず、各省庁や民間のインテリジェンスを集約・分析し、それを国策に反映させる仕組みも、情報機関を民主的にコントロールする仕組みも当時の日本にはありませんでした。
 しかも、各省庁の情報機関が相互にその情報をチェックする仕組みも、情報機関の動向を国会がチェックする仕組みもありませんでした。ダブル・チェック、トリプル・チェックがなかったこともあって、昭和期に入ると、陸・海軍のインテリジェンス活動は独善的な傾向を強め、劣化していきます。縦割りの弊害も強くなっていきました。
 例えば先の大戦において、陸・海軍は米軍に対して圧倒的に情報不足でありました。また、終戦仲介工作をソ連に依頼するという戦略上大きなミスを犯しただけでなく、ソ連自体がどのような権力構造で意思決定を行うかについての情報分析も圧倒的に不足していました。ソ連の意図を正確に見抜いた外交官もいましたが、そうした外交官の知見は、政府と軍部によって無視されました。
 そもそも戦前の日本には「帝国国防方針」という「軍事」戦略しかありませんでした。外交(Diplomacy)、インテリジェンス(Intelligence)、軍事(Military)、経済(Economy)のDIMEを結合した「国家戦略」は存在しなかったのです。
 よって軍事だけで安全保障を考えるという視野狭窄に陥り、軍事作戦にとって不利な情報は無視され、軍事を支える兵站、具体的には国民経済の実態も軽視され、インテリジェンスが国策に反映されることもあまりありませんでした。
 こうした過去の失敗を踏まえますと、日本にとって重要なことは、国家戦略とインテリジェンスとの連携をどうするのかということなのです。
 本シンポジウムのテーマにも「国防・政治・外交・経済・学術」とありますが、まさにその通りであります。これらを別個に考えるだけでは不十分であり、総合的な国家戦略というものがあってこそインテリジェンス活動が生きてくるのです。
 よって軍事だけでなく、外交、インテリジェンス、そして経済を踏まえて国家安全保障戦略を策定・推進するという国家の機軸をしっかりと維持・発展させていくことが、インテリジェンス活動の拡充の前提条件であるべきなのです。(引用終了)

 日露戦争では明石元二郎のインテリジェンス活動が、日本勝利に大いに貢献した。にも拘らず、先の大戦では外交暗号や海軍の暗号がアメリカに解読されていることに気付かないぐらい、日本のインテリジェンスのレベルは地に落ちた。中国が軍事的に膨張する今、バランス・オブ・パワーを維持するための軍事力強化も急務だが、さらにインテリジェンス活動や他の要素の充実を踏まえた、日本としての国家戦略を一日も早く策定すべきである。

2021年7月14日(水) 11時00分校了