恒例「日本を語るワインの会」が代表邸で行われました。この三月に長年の分裂を解消する統一政権が発足したリビア大使館の臨時代理大使であるアメッド・M・R・ナイリ氏、著書が百九十冊に及ぶ同時通訳の第一人者・国際ディベート学会会長の松本道弘氏、映画「宣戦布告」(二〇〇二)で知られる映画監督の石侍露堂氏、二年前に陸上自衛隊を二等陸佐で退職してビジネスの世界に入った株式会社澤繁実代表取締役の澤繁実氏をお迎えし、日本とリビアの関係、これからの日本が目指す技術開発について等、熱い議論を交わしました。
政権崩壊・内戦分裂を経て
リビアは再び一つの国に
リビアは再び一つの国に
二〇一〇年、代表とホテル社長は、チュニジアとまだカダフィ政権下だったリビアを訪問した。その直後、チュニジアで路上販売の青年が当局の取り締まりに抗議して焼身自殺し、これをきっかけに始まったデモによって、一カ月後の二〇一一年一月には、ベン・アリ大統領が国外逃亡を余儀なくされ、政権が崩壊する事態となった。これが「アラブの春」の始まりだ。その後、この民主化デモの波はアラブ諸国に波及、リビア国内では反体制派とカダフィ政権が激しい内戦を行い、二〇一一年八月には反体制派が首都・トリポリを制圧して、四十二年続いたカダフィ政権は崩壊、十月にはカダフィが殺された。この年からリビアは新しい時代になった。
二〇一二年にリビアでは国民全体会議選挙が行われ、駐日大使のアメッド・M・R・ナイリ氏も議員の候補者の一人だったが、選挙で地元の町の十三人の候補者のうち三番目となり落選した。二〇一四年にはリビア国民議会選挙が行われたが、これに圧勝した世俗派とイスラム勢力とが戦闘状態となり、世俗派政府・議会は東部の港湾都市・トブルクに退去、トリポリを掌握したイスラム勢力は独自の政府・議会を作った。その後、統一政権樹立の試みは何度も行われたが果たせず、二〇二一年三月にようやく新しい統一政府が誕生し、国家機関の八〇%が統一された。しかしまだ中央銀行や軍隊は二つある状態だ。
日本とリビアは一九五七年に外交関係を樹立、一九七一年に駐日リビア大使館が、一九七三年に駐リビア日本大使館ができた。両国の要人が互いの国を訪問しているが、日本の大臣でリビアを訪れたのは、小泉政権時の松田岩夫内閣府科学技術政策・IT担当大臣だけだ(二〇〇六年)。ナイリ大使は二〇一七年からこの職に就いていて、両国の将来の架け橋となるべく、リビアの若者が日本に来ていろいろな研修を受ける事業を推進してきた。しかし二〇一二年三月以降、日本の政治家は誰もリビアを訪問していない。ナイリ大使が金沢大学で修士号を取得している関係もあり、石川県選出の国会議員・佐々木紀氏にも働きかけ、政治家のリビア訪問に結びつけようとしている。この四月に、二〇一四年以降初めて日本からの外交団がリビアを訪問した。今駐リビア日本大使館は閉じていて、チュニジアの日本大使館がその機能を果たしている。ナイリ大使のアテンドで、外交団とリビアの新しい外務大臣が会談を行った。新しい政府には五人の女性閣僚がいて、その一人が四十二歳の外務大臣だ。法務大臣も女性で、これだけの数の女性が閣僚になるのは、リビア史上初めてのことだ。
今のリビアが民主的かどうかというと、少し民主化が進み過ぎた状態だ。だから一旦守旧的な思想の人々と先進的な人々が対立して、二つに分かれてしまったのだ。約六百七十万人の人口なのに、国会議員が四百人もいて、大臣も三十五人、次官は百二十人もいる。石油産業がありそれなりに裕福なため、これらの人員を抱えることができている。
二〇一二年にリビアでは国民全体会議選挙が行われ、駐日大使のアメッド・M・R・ナイリ氏も議員の候補者の一人だったが、選挙で地元の町の十三人の候補者のうち三番目となり落選した。二〇一四年にはリビア国民議会選挙が行われたが、これに圧勝した世俗派とイスラム勢力とが戦闘状態となり、世俗派政府・議会は東部の港湾都市・トブルクに退去、トリポリを掌握したイスラム勢力は独自の政府・議会を作った。その後、統一政権樹立の試みは何度も行われたが果たせず、二〇二一年三月にようやく新しい統一政府が誕生し、国家機関の八〇%が統一された。しかしまだ中央銀行や軍隊は二つある状態だ。
日本とリビアは一九五七年に外交関係を樹立、一九七一年に駐日リビア大使館が、一九七三年に駐リビア日本大使館ができた。両国の要人が互いの国を訪問しているが、日本の大臣でリビアを訪れたのは、小泉政権時の松田岩夫内閣府科学技術政策・IT担当大臣だけだ(二〇〇六年)。ナイリ大使は二〇一七年からこの職に就いていて、両国の将来の架け橋となるべく、リビアの若者が日本に来ていろいろな研修を受ける事業を推進してきた。しかし二〇一二年三月以降、日本の政治家は誰もリビアを訪問していない。ナイリ大使が金沢大学で修士号を取得している関係もあり、石川県選出の国会議員・佐々木紀氏にも働きかけ、政治家のリビア訪問に結びつけようとしている。この四月に、二〇一四年以降初めて日本からの外交団がリビアを訪問した。今駐リビア日本大使館は閉じていて、チュニジアの日本大使館がその機能を果たしている。ナイリ大使のアテンドで、外交団とリビアの新しい外務大臣が会談を行った。新しい政府には五人の女性閣僚がいて、その一人が四十二歳の外務大臣だ。法務大臣も女性で、これだけの数の女性が閣僚になるのは、リビア史上初めてのことだ。
今のリビアが民主的かどうかというと、少し民主化が進み過ぎた状態だ。だから一旦守旧的な思想の人々と先進的な人々が対立して、二つに分かれてしまったのだ。約六百七十万人の人口なのに、国会議員が四百人もいて、大臣も三十五人、次官は百二十人もいる。石油産業がありそれなりに裕福なため、これらの人員を抱えることができている。
統合幕僚長には
国際感覚が求められる
国際感覚が求められる
代表の座右の銘の一つが「発想は移動距離に比例する」。別の言い方をすれば、好奇心が大事ということだ。出かけることは何らかのリスクを伴うが、それを上回るメリットを得る可能性もある。特にある国の文化を知りたいのであれば、訪問するのが一番良い。代表は世界八十二カ国を訪問したが、ナイリ大使は八十五カ国を訪問している。その理由は五年前までの二年半、リビアの外務大臣のアドバイザーを務めていて、彼の海外訪問に常に同行していたからだ。事前に訪問することは知らされておらず、出発の二、三時間前に連絡が来る。行き先もそれまでわからない。なので、ナイリ大使は、常に夏用の服の入った鞄と冬用の服の入った鞄の二つを準備していた。しかし一度などは、マイナス四〇℃のニューヨークを立った翌日に、プラス四〇℃のアフリカに行くこともあった。最も寒かったのは、カムチャッカ半島のマイナス五〇℃だという。
石侍露堂氏の叔父は、海軍兵学校を出た飛行機乗りで、一九四二年の珊瑚海海戦で乗船していた空母祥鳳が沈没するも、九死に一生を得た。その後、特攻兵器・桜花の乗員となって訓練をしている最中に戦争は終わった。終戦後は中国で馬賊と共に八路軍を戦ったりしていたが、最後は自衛隊に入り、空将になったという。陸将の人数は多いが、空将は少ない。そのため、自衛隊の制服組トップの統合幕僚長は陸将が就くことが多いように思われがちだが、実際には空将や海将が就くことが多い。その理由は統合幕僚長には他国の軍人とのやり取りをする能力が必要なのだが、陸将は国際感覚が薄いとされているから。また特に、英語等語学力が必要となるわけではない。例え英語ができても、公式の場では通訳が入り、日本語で話すことになるからだ。
石侍露堂氏の叔父は、海軍兵学校を出た飛行機乗りで、一九四二年の珊瑚海海戦で乗船していた空母祥鳳が沈没するも、九死に一生を得た。その後、特攻兵器・桜花の乗員となって訓練をしている最中に戦争は終わった。終戦後は中国で馬賊と共に八路軍を戦ったりしていたが、最後は自衛隊に入り、空将になったという。陸将の人数は多いが、空将は少ない。そのため、自衛隊の制服組トップの統合幕僚長は陸将が就くことが多いように思われがちだが、実際には空将や海将が就くことが多い。その理由は統合幕僚長には他国の軍人とのやり取りをする能力が必要なのだが、陸将は国際感覚が薄いとされているから。また特に、英語等語学力が必要となるわけではない。例え英語ができても、公式の場では通訳が入り、日本語で話すことになるからだ。
英語を第二公用語にして
日本文化を世界に発信する
日本文化を世界に発信する
石侍露堂氏は監督として、年に何作も短編映画を制作している。今年は、俳優の別所哲也氏が始めたショートショートフィルムフェスティバル&アジア二〇二一に、スマホで制作した映画「絵はがき」が選出された。また一般財団法人映像と芸術の振興財団の運営にも参画、この財団ではスマホで撮影された映画を集めた「てのひら映画祭」を開催している。
日本と日本文化を守るためには、英語を第二公用語として、英語で積極的な発信をするべきだ。松本道弘氏はこの信念に基づき、「君が代」の英語バーションの作成を行っている。次は「海行かば」の英語バージョンの作成を行う予定だ。日本語は表意文字と表音文字の両方を使うが、英語は表音文字だけだ。表現力で言えば日本語は世界一の言語なのだが、これを上手く英語で伝えなければならない。今松本氏が考えているのは、日露戦争時にヨーロッパで諜報・工作活動を行い、日本勝利に裏から貢献した明石元二郎の映画だ。中国は巧みな反日映画を作ってプロパガンダを行っている。日本もそれを出し抜くようなものを作らなければならない。千葉真一も「戦国自衛隊」の三本目の映画を作ると言っている。
澤繁実氏が関わっている映画「義足のボクサー」は、日本とフィリピンの合作映画だ。日本では義足ではプロボクサーにはなれないが、フィリピンではなれる。プロボクサーになるためにフィリピンに渡った義足の日本人を描いた、実話に基づく作品だ。パラリンピックが東京で行われる今年に公開しようと撮影を進めてきたが、コロナの影響で最後のシーンの撮影ができないまま止まっている。この作品は、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した経験のあるフィリピン人監督ブリランテ・メンドーサ氏が手掛けている。完成すれば、日本とフィリピンの文化を強く世界に打ち出すものになるはずだ。
日本と日本文化を守るためには、英語を第二公用語として、英語で積極的な発信をするべきだ。松本道弘氏はこの信念に基づき、「君が代」の英語バーションの作成を行っている。次は「海行かば」の英語バージョンの作成を行う予定だ。日本語は表意文字と表音文字の両方を使うが、英語は表音文字だけだ。表現力で言えば日本語は世界一の言語なのだが、これを上手く英語で伝えなければならない。今松本氏が考えているのは、日露戦争時にヨーロッパで諜報・工作活動を行い、日本勝利に裏から貢献した明石元二郎の映画だ。中国は巧みな反日映画を作ってプロパガンダを行っている。日本もそれを出し抜くようなものを作らなければならない。千葉真一も「戦国自衛隊」の三本目の映画を作ると言っている。
澤繁実氏が関わっている映画「義足のボクサー」は、日本とフィリピンの合作映画だ。日本では義足ではプロボクサーにはなれないが、フィリピンではなれる。プロボクサーになるためにフィリピンに渡った義足の日本人を描いた、実話に基づく作品だ。パラリンピックが東京で行われる今年に公開しようと撮影を進めてきたが、コロナの影響で最後のシーンの撮影ができないまま止まっている。この作品は、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した経験のあるフィリピン人監督ブリランテ・メンドーサ氏が手掛けている。完成すれば、日本とフィリピンの文化を強く世界に打ち出すものになるはずだ。
デジタル分野での
日本の逆転の鍵はBMIだ
日本の逆転の鍵はBMIだ
今後、スマートホンのように誰もが持つデジタルデバイスとして期待されているのが、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)だ。これは脳の中にチップを埋め込み、これと外部との通信を可能にするもの。瞬時に膨大な知識を脳に送り込むことができるし、逆に考えるだけで文字入力を行うこともできるようになる。これが完成すれば、AppleがMacを、マイクロソフトがwindowsを、アメリカ軍がインターネットを発明したと同様のインパクトを持つ技術的転換点になる。この十年以内に誰かが必ず実用化させるはず。これは日本が逆転するチャンスだ。
グーグルやフェイスブック、ツイッターは、広告の表示順を上手く利用して多額の富を生み出している。これらの企業が扱う情報はパソコンやスマホの画面を通して脳に伝えられている。しかし順番が関係なく一気に情報を直接脳に届けるようになると、これらの企業の存在意義は下請けになる。これはこれまではエンジンを作っていた会社が自動車メーカーだったが、これからは自動運転のシステムを作るのが自動車メーカーで、旧来のメーカーは単にエンジンを供給する下請けに成り下がることに似ている。
今、フェイスブックもこのBMIの研究を行っているが、トヨタを時価総額で抜く電気自動車メーカー・テスラやロケット事業・スペースXを展開しているイーロン・マスク氏もNeuralinkという会社を立ち上げ、BMIに参入しようとしている。
今、戦争によらずに世界を支配しようとする動きが進んでいる。地球温暖化に関わる温室効果ガスの排出制限は、正にそれだ。ヨーロッパ主導のルールに従うことで、何の価値もなかったことが、カーボンニュートラルというラベルを貼るだけで、何千兆円もの価値を生み出すようになっている。かつては恐怖で人々を支配していたが、今は温暖化が人々を動かすことに変わってきている。日本も二〇三〇年までに温室効果ガス排出を四六%カット、二〇五〇年までにカーボンニュートラルの達成を目標として打ち出しているが、どこかの段階で一度見直しをかけるべきだ。
「運」という漢字は「軍」を進めると書く。戦を進めて勝ち取らないと、運を掴むことはできない。人間には大きな「運」命があり、これに抗することはできない。しかし努力によって運を掴むことは可能であり、それが最後には大運を呼び込むことに繋がる。
グーグルやフェイスブック、ツイッターは、広告の表示順を上手く利用して多額の富を生み出している。これらの企業が扱う情報はパソコンやスマホの画面を通して脳に伝えられている。しかし順番が関係なく一気に情報を直接脳に届けるようになると、これらの企業の存在意義は下請けになる。これはこれまではエンジンを作っていた会社が自動車メーカーだったが、これからは自動運転のシステムを作るのが自動車メーカーで、旧来のメーカーは単にエンジンを供給する下請けに成り下がることに似ている。
今、フェイスブックもこのBMIの研究を行っているが、トヨタを時価総額で抜く電気自動車メーカー・テスラやロケット事業・スペースXを展開しているイーロン・マスク氏もNeuralinkという会社を立ち上げ、BMIに参入しようとしている。
今、戦争によらずに世界を支配しようとする動きが進んでいる。地球温暖化に関わる温室効果ガスの排出制限は、正にそれだ。ヨーロッパ主導のルールに従うことで、何の価値もなかったことが、カーボンニュートラルというラベルを貼るだけで、何千兆円もの価値を生み出すようになっている。かつては恐怖で人々を支配していたが、今は温暖化が人々を動かすことに変わってきている。日本も二〇三〇年までに温室効果ガス排出を四六%カット、二〇五〇年までにカーボンニュートラルの達成を目標として打ち出しているが、どこかの段階で一度見直しをかけるべきだ。
「運」という漢字は「軍」を進めると書く。戦を進めて勝ち取らないと、運を掴むことはできない。人間には大きな「運」命があり、これに抗することはできない。しかし努力によって運を掴むことは可能であり、それが最後には大運を呼び込むことに繋がる。