恒例「日本を語るワインの会」が代表邸で行われました。現役の記者時代から歴史問題を追いかけていた一般社団法人新しい歴史教科書をつくる会副会長の皿木喜久氏、長年建設会社で地震と津波の研究を続けてきたNPO法人環境防災コンシェルジェ理事長の高梨和光氏、浄土真宗の僧侶でもある在日本ルーマニア商工会議所会頭の酒生文弥氏、日本舞踊に義太夫三味線、長唄などの芸を磨いてきた株式会社宇宙代表取締役の長谷川浩子氏、将来は政治家を目指している夢中人ファクトリー代表の星陽介氏をお迎えし、日本の「今」を語り合いました。
三島由紀夫の『春の雪』は
皇太后がモデルだ
皇太后がモデルだ
作家の三島由紀夫は、結婚前の美智子皇太后とお見合いをした。銀座の路地裏の小料理屋という場所まで明らかになっている。しかしこの恋は成就せず、この実体験を元に三島は『豊饒の海』の第一巻、『春の雪』を書いたという説がある。確かに『春の雪』は、華族の美しい娘が幼馴染に恋慕するが結局皇族と婚約、しかしあきらめきれず幼馴染と逢瀬を続けるうちに妊娠、堕胎させられ寺で出家をするという話だ。男の方は娘に会うために、雪の中寺の前で待ち続け、肺炎をこじらせて死ぬ。実際、三島も『豊穣の海』四部作を完結させた直後の一九七〇年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込み、割腹自殺を遂げる。この作品を執筆している時から、三島は死を予感していたのだろう。ノーベル文学賞を先輩として尊敬する川端康成と争い、結局川端が受賞したことも、三島にとってはショックだったのだろう。
肉体改造に熱心だったことからも、三島はかなりのナルシストだったと思われる。その鍛えた肉体が衰えるのを恐れて、若い内に死んだほうがいいと思ったのかもしれない。腹を切った三島の介錯をした森田必勝は、三島の後を追って切腹をした。自分の腹を切るなど怖気づいて普通できないが、二人とも立派な最期だったという。
肉体改造に熱心だったことからも、三島はかなりのナルシストだったと思われる。その鍛えた肉体が衰えるのを恐れて、若い内に死んだほうがいいと思ったのかもしれない。腹を切った三島の介錯をした森田必勝は、三島の後を追って切腹をした。自分の腹を切るなど怖気づいて普通できないが、二人とも立派な最期だったという。
文科省は予断を持って
教科書検定を行っている
教科書検定を行っている
新しい歴史教科書をつくる会の自由社の中学校の歴史教科書は、二〇二〇年三月に不合格となったが、令和四年度からの使用を目指して再申請を行い、合格の内示を得ている。教科書検定は四年に一度行われるが、今回一年遅れの合格なので、多くの学校では既に教科書は採択されて使用されている。それでもこれから採択してもらえるよう、つくる会では活動を展開していく予定だ。教科書の採択を行うのは各自治体の教育委員会だが、この教育委員会も日教組出身者がいたり、単なるお飾りで教員のいいなりだったりで、自由社の教科書を採択することがない。つくる会から分かれた育鵬社の教科書も令和三年度の採択で、それまで使っていた全国二十三市町村のうち、十四の市町村が他社版に変更した。代表もよく知っている宮元陸市長の石川県加賀市は、育鵬社の教科書の採択を継続したが、市内で反対運動も行われた。二〇〇二〜二〇〇九年、中田宏氏が市長を務めた横浜市では、自由社や育鵬社の教科書を採択していた。この時は中田市長が率先して熱意のある人を教育委員に選んだことで、他とは異なる教科書の採択が可能だったという。
文部科学省は、森喜朗首相の頃は新しい歴史教科書を応援していた。外務省が、中国や韓国等近隣諸国に慮って横槍を入れてきていたのを、文科省が跳ね返していたのだ。ところが最近の文科省は左傾化していて、それが昨年の自由社の不合格に表れている。これをなんとか突き崩さなければならない。世界中のどんな国でも、自国の悪口を教科書に載せる国はない。しかし自由社や育鵬社以外の歴史教科書は、日露戦争に日本は勝ったが国民を大いに苦しめた等、日本の悪い面ばかりが強調されて記述されている。「真の近代史観」懸賞論文の第一回で最優秀藤誠志賞を獲得した田母神俊雄氏をメディアが袋叩きにしたのも、教科書が自虐的になっていることが一因だ。しかし当時産経新聞の論説委員だった皿木氏は、世の流れに逆らって田母神擁護の社説を書いたという。
文部科学省は、森喜朗首相の頃は新しい歴史教科書を応援していた。外務省が、中国や韓国等近隣諸国に慮って横槍を入れてきていたのを、文科省が跳ね返していたのだ。ところが最近の文科省は左傾化していて、それが昨年の自由社の不合格に表れている。これをなんとか突き崩さなければならない。世界中のどんな国でも、自国の悪口を教科書に載せる国はない。しかし自由社や育鵬社以外の歴史教科書は、日露戦争に日本は勝ったが国民を大いに苦しめた等、日本の悪い面ばかりが強調されて記述されている。「真の近代史観」懸賞論文の第一回で最優秀藤誠志賞を獲得した田母神俊雄氏をメディアが袋叩きにしたのも、教科書が自虐的になっていることが一因だ。しかし当時産経新聞の論説委員だった皿木氏は、世の流れに逆らって田母神擁護の社説を書いたという。
日本のスポーツ界のために
ボール遊び禁止に反対せよ
ボール遊び禁止に反対せよ
東日本大震災から十年経った。再来年の二〇二三年で関東大震災から百年だ。この二つクラスの地震や津波は、周期的に起こるのではなく確率的に起こるので、十年前にあったからしばらく来ないということはなく、今日明日起こっても全く不思議ではない。油断せずに、常に準備しておくことが求められる。プレートテクトニクスという理論を伝えることで、日本人に地震に対する準備をさせようとしたのが、地球物理学者の竹内均だ。小松左京の小説『日本沈没』のブレーンとなり、映画化された際には特別スタッフとして参加、出演もしている。この竹内と東京帝国大学で同期だったのが耐震工学者の大崎順彦で、大崎も『日本沈没』の特別スタッフを務めている。大崎は東大教授を退官後、清水建設の副社長となり大崎総合研究所を設立、その第一期生が高梨氏だ。「日本人の心を持って、やりたいことをやれ」が研究所の方針だったという。
日本舞踊はその動きに足腰をかなり駆使するので、並のストレッチや筋トレよりもきつい。学ぶと体の芯が揺らがず、長生きをする。昭和を代表する舞の舞踏家といえば、九十五歳で没した武原はんだが、六本木にあった自宅は、床がヒノキで天井から壁が鏡になっているところがあった。常に体の線の動きを注視しながら、暮らしていたという。統計モデルから考えると、世界最高齢の人が百二十五歳以上生きる確率は一万分の一であり、このことから百二十五歳が人間の寿命の限界だと考えられる。しかし、あるアメリカのIT業界の経営者は、あと三十年すれば人間が六百歳まで生きることができる可能性が開けるという。
どの地域でも憩いの場として公園が整備されているが、どの公園もボール遊びが禁止となっており、子供が遊べなくなっている。そのために野球やサッカー等の球技は、少年野球や少年団で本気でやるか、全くやらないかになってしまっている。昔は空き地があれば、軟式テニスのボールのようなソフトボールで、三角ベースの手打ち野球をやっている少年達がいたのものだ。禁止の理由は「危険だから」というものだが、ふにゃふにゃのボールで野球をしても、怪我などするわけがない。このために家に籠もってゲームばかりに興じる子供が増えている。国会議員に公園でのボール遊び禁止を止めさせることはできないかと尋ねると、票にならないからやらないという。スポーツのトップクラスが強くなるためには、競技人口を増やしてピラミッドの裾野を広げることが大切だ。そのためには「本気」ではなく、「遊び」でその競技に親しむ子供を増やすべきだろう。大人は金にならないとか票にならないではなく、日本のスポーツを盛り上げるために、公園でのボール遊び禁止に反対するべきだ。
日本舞踊はその動きに足腰をかなり駆使するので、並のストレッチや筋トレよりもきつい。学ぶと体の芯が揺らがず、長生きをする。昭和を代表する舞の舞踏家といえば、九十五歳で没した武原はんだが、六本木にあった自宅は、床がヒノキで天井から壁が鏡になっているところがあった。常に体の線の動きを注視しながら、暮らしていたという。統計モデルから考えると、世界最高齢の人が百二十五歳以上生きる確率は一万分の一であり、このことから百二十五歳が人間の寿命の限界だと考えられる。しかし、あるアメリカのIT業界の経営者は、あと三十年すれば人間が六百歳まで生きることができる可能性が開けるという。
どの地域でも憩いの場として公園が整備されているが、どの公園もボール遊びが禁止となっており、子供が遊べなくなっている。そのために野球やサッカー等の球技は、少年野球や少年団で本気でやるか、全くやらないかになってしまっている。昔は空き地があれば、軟式テニスのボールのようなソフトボールで、三角ベースの手打ち野球をやっている少年達がいたのものだ。禁止の理由は「危険だから」というものだが、ふにゃふにゃのボールで野球をしても、怪我などするわけがない。このために家に籠もってゲームばかりに興じる子供が増えている。国会議員に公園でのボール遊び禁止を止めさせることはできないかと尋ねると、票にならないからやらないという。スポーツのトップクラスが強くなるためには、競技人口を増やしてピラミッドの裾野を広げることが大切だ。そのためには「本気」ではなく、「遊び」でその競技に親しむ子供を増やすべきだろう。大人は金にならないとか票にならないではなく、日本のスポーツを盛り上げるために、公園でのボール遊び禁止に反対するべきだ。
運が悪いと思っている人に
運は巡っては来ない
運は巡っては来ない
今年の四月二十七日は松下幸之助の三十三回忌になる。一九七九年、晩年の幸之助が私費を投じて開いたのが、松下政経塾だ。代表が始めた勝兵塾も、現在の形から発展させて、優秀な人財を育てる組織に変わっていくことも必要ではないだろうか。アパグループは社員の教育に熱心な企業であり、接客スーパーバイザー等社内資格も多い。かつてアパホテルの料飲部門のスタッフに、合格したら半分の費用を会社が負担するとしたら、四人がソムリエ試験に合格したことがある。日本の大学は収入の一割を国や地方自治体からの補助金で賄っており、これが無くなればほとんどの大学が赤字になる。留学生獲得に熱心なのも、受け入れが多ければ特別補助金が交付されるからだ。しかし留学生の中には極端に学力が低い学生も多く、そんな学生でも日本政府が奨学金を支払っていたりする。もっとレベルの高い留学生に絞るべきだ。
松下幸之助は「運」を大事にする人だった。彼の言う「運」は考え方であって、同じ人生でも「自分は運がいい」と思える人は、良い人生を歩めるというものだ。
事業を始めるのであれば、最低限の金融に関する知識は持っているべきで、お金のことがわからないなら、事業など興さない方が良い。企業の七割が赤字で、税金は三割の企業しか支払っていない。起業するのであれば、石にかじりついてでも黒字の経営を行い、税金を支払って国や自治体に貢献すべきだ。では黒字にするコツは何か。代表曰く、赤字にしないことだ。
松下幸之助は「運」を大事にする人だった。彼の言う「運」は考え方であって、同じ人生でも「自分は運がいい」と思える人は、良い人生を歩めるというものだ。
事業を始めるのであれば、最低限の金融に関する知識は持っているべきで、お金のことがわからないなら、事業など興さない方が良い。企業の七割が赤字で、税金は三割の企業しか支払っていない。起業するのであれば、石にかじりついてでも黒字の経営を行い、税金を支払って国や自治体に貢献すべきだ。では黒字にするコツは何か。代表曰く、赤字にしないことだ。