飯塚 浩彦氏
1957年兵庫県生まれ。1981年滋賀大学経済学部を卒業、産経新聞社に入社。社会部、経済部を経て、大阪本社編集局社会部長、同局長、取締役東京本社編集局長、専務取締役などを歴任、2017年より現職。
戦後一般紙として発展
元谷 本日はビッグトークへの登場、ありがとうございます。私は自分の思想は右左で言えば「真ん中」であって、決して右寄りではないと考えています。そして同じく産経新聞も、右ではなく真ん中だと思っています。
飯塚 お招きいただき、ありがとうございます。仰る通りで、私達も真ん中だと思っています。せっかくの機会ですので、少し産経新聞の生い立ちの話をさせてください。南大阪新聞が創刊された産経新聞社の創業から、来年で丁度百年になります。創業者の前田久吉は、大阪の西成で新聞販売店を営んでいて成功していたのですが、自ら新聞を発行することを思い立ち、一九二二年に南大阪新聞を創刊したのです。さらに、これからは産業の時代だと考えた久吉は、一九三三年工業専門の経済紙として日本工業新聞を創刊します。私達はこの年を、産経新聞の創刊としています。
元谷 当時は新聞の数も多かったと思うのですが、その中でも成功したのですね。
飯塚 はい。やがて戦時体制が進み、一九四二年には、新聞統制令で経済紙は東西で一つずつにしろということになり、名古屋から西の経済紙として日本工業新聞を中心とした産業経済新聞が誕生します。一方、名古屋から東では、中外商業新報をベースに日本産業経済が創刊しますが、これが後に日本経済新聞になるのです。
元谷 この時に多くの新聞社が統合され、経済紙は東西二紙、そして一都道府県に一紙という体制が生まれたのですね。
飯塚 その通りです。戦中まで大阪が本拠地だったのですが、前田久吉は戦後、東京に進出して、ここでも産業経済新聞の発行を開始、一九五八年には東西とも紙名を産経新聞として、今に至ります。
元谷 それだけの歴史を持つ新聞なのですね。しかし近年、新聞の読者数がかなり減少しているように思います。アパグループの新卒採用で大学生にも頻繁に会うのですが、新聞を購読している学生がどんどん減少しています。
飯塚 はい。ピーク時は、日刊紙全体で発行部数が五千三百万部を超えていたのですが、今は約三千五百万部にまで減少しています。また昔は就職先として新聞社を目指す学生が非常に多かったのですが、今はかなり減ってきています。
元谷 飯塚さん自身は新卒で入社して‥。
飯塚 一九八一年入社ですから、もうほぼ四十年、新聞一筋です。入社した頃は新聞がこんなに苦しい状況になるとは、夢にも思っていませんでした。私は和歌山支局が記者人生の振り出しで、その後は社会部畑の人間です。事件や事故の取材が性に合っていたのでしょう。当時は、そんな事件や事故があったことを知らない読者に、新聞が「教えてあげる」というスタンスだったのです。ところが今は、例えば火事があったとすると、新聞よりもテレビよりも先に、近所の人がSNSでインターネットに写真や動画をアップするのです。人々が皆、自由に情報を発信できるようになって、また人々がその情報を無料で得ることができるようになった。こんな時代に第一線の記者が、そして新聞社が何をすればいいのか、大きな迷いが生まれてきています。
元谷 かつての新聞のライバルは、テレビやラジオだったと思うのですが、今一番のライバルはインターネットということですね。テレビの情報は一度放送すればそれっきりですが、新聞は一度読んだ後に、もう一度取り出して再度読むことができます。メディアとしての特性が、かなり異なります。
飯塚 テレビが登場した時、新聞は廃れると言われたのです。しかし当時、テレビは持って歩けない一方、新聞は持ち運びができて、電車の中で読めるという特徴があったのです。しかし今は、スマートフォンでテレビも動画も活字も、持ち運びできるようになってしまいました。
元谷 私は新聞というメディアは、今でも非常に便利だと思っています。私の父親も経営者だったのですが新聞が好きで、中央紙のみならず、地方紙と経済紙の三紙をとっていました。そして食事の時にいつもそれらを読んでいたのです。父は私にも新聞を読むことを勧めると同時に、記事の行間を読み取れと良く言っていました。そのおかげで、私も新聞を読むのが好きになり、小学生の時から熟読していました。やがて、わからない単語をそのままにするのが悔しかったので、「現代用語の基礎知識」を買ってきて、調べるようになりました。様々な分野の知識が身に付いたのは、新聞を読んでいたおかげだと思っています。その知識を知恵に変えたことが、事業の成功に繋がっています。
飯塚 それは素晴らしいですね。
多くの人の本音を書く新聞
元谷 今でも新聞は大好きで、いつも読む時は行間を読み取って、真実は何かを考えるようにしています。私は単なる丸暗記の受験教育には反対で、様々な知識を得た上で、何が正しいかを考えていく教育を進めるべきだと考えています。その知識を得るには新聞が最適なのです。
飯塚 代表のような方が数多くいれば、もっと多くの人に新聞を読んでもらえるのですが。情報はインターネットから無料で手に入れるもので、お金を出してまで新聞を買う必要はないという風潮が広まっています。これは良くない。「新聞を購読する」ということは、意識的に知識や教養を求めていくことです。しかしネットからの情報は基本、勝手に入ってくるものです。しかも自分が見たいものだけを見る性質があるので、知識やモノの見方が偏っていく可能性が高いのです。
元谷 日本の新聞のように、世の中のことを万遍なく伝えるメディアは、世界でも珍しいのではないでしょうか。
飯塚 そうかも知れません。新聞であれば、自分の知りたい情報以外のことも掲載されていて、ついついそちらも読んでしまう。そこで思いがけない新しい情報を発見して、知識として身に付けることができるのです。ネットは自分が関心のある情報だけを見る。食事に例えれば「偏食」です。一方、新聞は自然にさまざまな情報や知識を得ることができる「バランス栄養食品」だと思います。
元谷 またネットは、必要な情報を探し出すのが、意外に大変です。長年読んでいれば、いつの新聞のどこに必要な情報があるのかは、簡単に見つけることができます。ネットが発達しても、新聞は残るべきメディアだと思いますね。
飯塚 残さなければならないメディアだと考えています。
元谷 そんな状況の中、飯塚さんが社長になって、何年経ちましたか。
飯塚 あっという間の三年半でした。非常に厳しい状況の下、バトンを受けたのですが、今様々な改革を推し進めています。
元谷 新聞やテレビ等、マスメディア各社は、近年不動産や貸しビル事業にシフトしている印象があります。どの会社も全国のいいロケーションの土地を払い下げてもらっています。
飯塚 その通りです。
元谷 田中角栄の時代は、健全なメディアがあるからこそ、国の体制が良くなるという思いだったのでしょう。
飯塚 産経新聞社も健全なメディアでありたいと思っています。私達の活動の根幹として、「産経信条」というものがあります。ここには保守の考えを守るなどとは一切書いていません。真っ先に掲げられているのは、「産経は民主主義と自由のためにたたかう」という言葉です。なぜこれが最初に来るかというと、事実に基づいた自由な報道ができないと、民主主義は守れないと考えているからです。
元谷 素晴らしい信条です。ただ、私はマスメディアも様々な意見を持つべきだと思うのですが、産経新聞以外は全て左寄りの新聞です。産経新聞が真ん中であるのなら、さらに右寄りの新聞もあっていいとも思っています。
飯塚 長年、朝日新聞を購読している友人がいました。ある時話していると、自分の考えと社説の論調が違うのだが、新聞はこういう理想論を主張するものだろうと言うのです。そこで、一度産経新聞を読んでみることを勧めたのです。産経を読んだ感想を聞くと、「俺の考えと同じだ。しかし新聞がこんなことを書いていいのか」と言うのです。新聞には理想論ばかりが書かれているという人は多いのですが、産経は現実主義で多くの人が感じている本音を書いている新聞です。このことをもっと多くの人に知って欲しいと思っています。
元谷 なるほど、その通りですね。比較的産経新聞に近いスタンスの読売新聞が、もっとリアルな、理想論から離れた論調になればいいのですが。
飯塚 読売新聞は産経新聞より遥かに発行部数が多いですから、読者の考え方も幅広いのでしょう。逆に産経新聞は部数は少ないですが、論調を支持して購読していただいている読者が多いですね。
元谷 全国紙は全体での発行部数は多いですが、特定のエリアで飛び抜けたシェアを確保している地方紙もありますね。
飯塚 はい。例えば、四国には県域で八割のシェアを持つ地方紙があります。
元谷 国会議員や知事等も、その地方紙の論調に合わせないと当選できない。非常に大きな権力を地方紙が握っていて、弊害も出ていると聞きます。産経新聞は全国紙ですから、そのようなことはありません。国という広い視点からの情報提供が持ち味だと思います。
飯塚 はい、国益を考えた紙面づくりに気を配っています。産経新聞の論調が保守的になっているのは、戦後東京進出を果たした後、一九五〇年代の経営が、後発だった故に厳しかったからです。この時、国策パルプ工業(現・日本製紙)社長の水野成夫氏や日清紡績社長の櫻田武氏ら、財界四天王と呼ばれた人々等、財界が産経新聞を支援してくれたのです。当時は労働運動が華やかで、それをリベラルな新聞がサポートしていました。財界の支援を受けた産経新聞は、こうした経緯もあって、保守的な色合いを強めていったのです。また産経新聞は、福沢諭吉が一八八二年に創刊した新聞・時事新報と戦後一緒になっています。福沢諭吉の考え方も、今の産経新聞の中に受け継がれているのです。
元谷 それは知りませんでした。
新聞配達システムが危機に
元谷 もう一つ、日本の新聞の優れているところに、配達システムの充実があります。これが理由で日本の総新聞発行部数は、世界でもトップクラスなのだとも言われています。宅配は本当にありがたい。海外では新聞をニューススタンドのような売店で購入しなければならない国が多いのですが、それだと価値が半減します。
飯塚 各新聞社が、系列の新聞販売店ネットワークを持っています。
元谷 それが事業として成り立っているのが立派です。
飯塚 いや、やはり非常に厳しいです。特に新型コロナの影響が凄まじい。新聞販売店の収入としては、折込チラシによるものが大きいのですが、昨年四〜五月の緊急事態宣言の時には前年の二〜三割に減少しました。イベントが全部中止になりましたし、四月はスポーツジムや文化教室の新年度の募集チラシのタイミングなのですが、これもなし。スーパーの特売チラシも「密」になるからと見送り。ドラッグストアはチラシなしでも客が来るという状況でした。経営が苦しくなった販売店を、新聞社が支援しなければならないので、大変厳しい状況です。
元谷 最近は、数社の新聞をまとめて配達する販売店も登場していると聞いています。
飯塚 人手が足りないのです。朝刊で言えば、朝四時から配り始めて、六時には配り終えなければならないという厳しい仕事です。従事してくれる人が、年々減少しています。だから一緒に配りましょう‥という流れになっているのです。
元谷 学生が配っていることも多かったです。
飯塚 新聞奨学生という制度は今でもあります。漫談の綾小路きみまろ氏は鹿児島から東京に出て、新聞奨学生として産経新聞の配達をしながら大学に通っていました。そういう人達に新聞は支えられてきたのですが、最近学生が集まりません。
元谷 返済不要の奨学金が増えていますし。
飯塚 新聞の奨学金も卒業まで行えば返済不要なのですが、わざわざ働かなくても良いのであれば、そちらの奨学金を選ぶわけで‥。
元谷 しかし休まずに配達してもらって、非常に感謝しています。私は休刊日だと寂しいのです。
飯塚 今は月に一回の休刊日ですが、せめて一日でも配達員に休みをと、創設したものなのです。もちろん休刊日でも、記者は働いています。
元谷 家に配達してもらう場合は、配達料をとればいいのにとも思っています。
飯塚 代表のように思う方は、あまり多くありません。ただ確かに、新聞を作るのには、それなりの費用が掛かっています。紙代に印刷代、記者等の人件費に、配達代。そしてあれだけの情報が入って、百二十円や百五十円で販売しているのは、私達作り手からすれば安いと思うのですが‥。それでも読まないというのが、今の風潮なのです。
真ん中に戻す必要がある
元谷 私も新聞好きですから、部数低下に対して何かできればと思っているのですが。イベント的な施策として、アパでは「真の近現代史観」懸賞論文とアパ日本再興大賞という二つの賞を設け、日本の歴史を深く知ることに人々の関心を向けようとしています。
飯塚 うちも雑誌「正論」では、一九八五年から正論大賞を設け、学者、文化人を表彰しています。
元谷 さらに産経新聞として、読者を表彰するなんらかの賞を設けることも考えられると思います。私はこの月刊誌Apple Townを三十年間続けて発行し、発行部数は今や月十万部になっています。私の場合は事業活動と言論活動は両輪であって、お互いがお互いに好影響を与えています。いろいろな読者の反響もあり、嬉しいのですが、やはり右寄りだと言われるのです。
飯塚 雑誌はそれでいいと思います。雑誌「正論」と産経新聞が全く同じではありません。雑誌の方が、よりエッジの立った論が展開できます。
元谷 そうですね。Apple Townの編集は、私が全部やっています。手間暇が掛かりますが、日本を良い国にしたいという思いが、原動力になっています。
飯塚 よくわかります。新聞や出版はそんなに儲かる事業ではありません。私達も日本を良くしたいという思いから、日々業務に邁進しています。
元谷 世界の人は日本を高く評価していますが、日本国内ではそうではありません。海外に行けばわかりますが、日本ほどまとまりが良く、平穏な素晴らしい国はないでしょう。それがわからず、日本が悪い、問題のある国だと思っている人が多いのです。
飯塚 産経新聞の「正論」路線は、日本を愛し、歴史に誇りを持とうという考えで、代表の思いと同じです。明治からの歴史を考えた場合、戦前が全て悪かったかというとそうではなく、その時代にも良いことが沢山あったのです。
元谷 明治維新からあれだけの短期間で西欧列強に追いつき、植民地にはならない確固たる体制を築き上げたことは、世界にも類をみません。このことをまず、多くの人がしっかり認識するべきです。しかし、日本の多くのマスメディアによって左向きに誘導されて、日本の素晴らしさを理解していない人が多いのです。これを真ん中に引き戻さなければならない。だから、産経新聞よりももっと右寄りのメディアが必要なのです。
飯塚 いろいろな意見を自由に表明できるのが民主主義の根幹です。世の中の全てがうちの「正論」路線の考え方というのもおかしいですし、全てが朝日新聞の論調というのもおかしい。いろいろな主張ができる環境が大事です。産経新聞よりも右寄りの論調のメディアが登場することも大歓迎です。様々な議論を戦わせたいですね。
元谷 今、新聞業界では部数低下に対して、どのような取り組みを行っているのでしょうか。
飯塚 子供の時から新聞を読む習慣が重要ということで、新聞業界全体の取り組みとして、NIE(Newspaper in Education)という学校で新聞を教材として活用してもらう活動を行っています。読み方がわからないと一面から読まなければ‥と思ってしまう人がいるかも知れませんが、そんな難しいところからではなく、例えば野球が好きならスポーツ面から読めばいいのです。まず、そういうことを伝えたい。インターネットやテレビのニュースは「見る」と言いますが、新聞は「読む」ニュースです。「見る」と「読む」は異なり、「読む」は主体的で能動的な行動です。漫然と「見る」とは全く違う。子供達には、このことを理解して欲しいと思っています。また学校の成績と新聞購読の関係を調べた結果、新聞を購読している家庭の方が、成績が良いという報告もあります。
元谷 新聞を購読している家庭の方が、裕福ということもあるのかもしれませんが‥。
飯塚 そうかもしれませんが、相関関係があるのは確かです。文部科学省の「学習指導要領」でも、新聞をカリキュラムに盛り込むことが明示されています。
元谷 確かに知識の蓄積があれば、新聞を読むことがどんどん楽しくなっていき、さらに知識が増えていきますからね。そのことを子供達には体感して欲しい。好きなところから‥と言いましたが、私が子供の時代には、新聞の四コママンガが楽しみという子も沢山いました。小学生や中学生が興味を持てるようなページが、毎日の新聞に少しでもあれば、もっと若年層が新聞に親しんでいくのではないでしょうか。
飯塚 はい、私達のより一層の工夫も必要です。一度購読した人がそれを止めるのは、その新聞が面白くない、読む価値がないと判断されたからです。購読者を引き止めるのは、景品のサービスではありません。編集と論説の仕事であって、そこで読者をつなぎ止める知恵を絞らなければならないと、私は社内で常に檄を飛ばしています。
元谷 日本の新聞は素晴らしいメディアですので、私も啓蒙に一役買っていきたいと思っています。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。
飯塚 これはもうバランスの取れた知識を高めるためには「新聞を読め」に尽きますね。
元谷 そうですね。今日はありがとうございました。
飯塚 ありがとうございました。