ニダル・ヤヒヤー氏
フィリピン共和国における非常駐レバノン大使も兼任するニダル・ヤヒヤー駐日レバノン共和国大使は2018年前半に来日し、着任した。過去に外交官としてレバノン外務省文化部部長、駐シエラレオネ大使、駐セネガル・オーストラリア・イラン各国領事、駐ユーゴスラビア(旧)代理公使、駐ベネズエラ臨時代理大使、駐エジプト総領事および同国アレクサンドリア領事団長を歴任。レバノン大学で法学の学位を取得し、アラビア語、フランス語、英語およびペルシア語を話す。
急速に復興するレバノン
元谷 本日はビッグトークにご登場いただき、ありがとうございます。
ヤヒヤー こちらこそ、多くのホテルの開業にお招きいただいた上、今日はこのような機会をいただき、大変感謝しております。
元谷 私は一九七四年二月にレバノンを訪れたことがあります。首都・ベイルートは当時「中東のパリ」と呼ばれており、とても美しい街だったという記憶があります。その後内戦がありましたが、一九九〇年に終結。今は新たな国造りが活発に行われていると聞いています。この月刊Apple Townの読者の中心である日本人は、レバノンのことを知らない人が多いので、今日はいろいろと教えていただければと考えております。
ヤヒヤー わかりました。レバノンは西を地中海に面し、南をイスラエル、東から北にかけてはシリアと接している国です。国土の大きさは日本の岐阜県程度で、人口は約六百万人、首都はベイルートになります。アラブ人が九五%を占め、公用語もアラビア語なのですが、フランス語や英語も通じます。歴史的経緯から、シーア派やスンニ派のイスラム教だけではなく、マロン派やギリシャ正教などキリスト教を含む十八の宗派が存在するのも、レバノンの大きな特徴です。
元谷 キリスト教徒も多いのですね。
ヤヒヤー はい。そのため、議会の議席をキリスト教徒とイスラム教徒を同数にする等、極力宗派間のバランスを重視した政治体制になっています。
元谷 内戦はいつ起こったのでしょうか。
ヤヒヤー 一九七五年に始まり、一九九〇年に終わりました。
元谷 私が訪れた直後に始まったのですね。
ヤヒヤー はい、そうです。まず中東戦争等が原因で、十万人ものパレスチナ難民がレバノンに流入してきました。このイスラム教徒である難民を受け入れた結果、レバノン国内のキリスト教徒、イスラム教徒比率が変わり、そのことがイスラエルとの戦闘を招くことになりました。このイスラエルとの戦いが、その後の長きに亘る内戦に繋がっていきます。一九七八年にイスラエルはレバノン南部に侵攻してここを占領、これは二〇〇〇年まで続きます。この間様々なことが起こりますが、イスラエルに対するレジスタンス活動もあって、なんとか撤退に追い込むことができました。しかし二〇〇六年、イスラエルは名誉回復のため再度レバノン侵攻を行いました。この時は国連をはじめとする様々な国の支援によって、短期間で撤退に追い込むことができました。
元谷 私達は、レバノン内戦は単純にキリスト教徒とイスラム教徒の戦いと考えていましたが、イスラエルとの戦いという側面も大きかったのですね。
ヤヒヤー 二〇〇六年、イスラエルとの戦争が終わった後、日本の援助が活発になり、建物等が復興されていきました。しかし次に起こったのが隣国シリアでの、二〇一一年のアラブの春をきっかけにした内戦の勃発です。レバノンにシリアからの難民がどんどん流入し、その数は約百五十万人にも上っています。人口の四分の一以上の難民が国内に存在する国など他にはないでしょう。それでも私達は世界中からの協力を得て、あらゆる組織を作り直して、復興を目指しています。
元谷 レバノン人は聡明で世界各地で活躍しています。私も一度、アメリカ在住のレバノン人に、ドバイを案内してもらったことがあります。彼は私を案内するためにラスべガスから自家用ジェット機でやって来て、世界一の超高層ビルであるブルジュ・ハリファにある世界で最も上層階にあるレストランで、食事をご馳走してくれました。レバノンは国外に多くの成功した実業家がおり、アクセスしやすい交通の要衝ということもあって、今後の産業の発展が見込める国です。地中海沿いということから、リゾート等観光産業も期待できます。ただ日本人に関して言えば、まだレバノンには内戦のイメージが強く残っています。改めてレバノンの魅力を上手くピーアールする必要があるのではないでしょうか。
ヤヒヤー 昨日、私は皇居を訪れる機会があり、天皇陛下の即位の礼でも使われた高御座を見学することができました。高御座の一番上には鳳凰が飾られているのを見た時、私は日本とレバノンには共通の文化があることを理解しました。鳳凰は東洋のフェニックスであり、フェニックスはフェニキアと語源が同じです。そのフェニキアという国があったのが、今のレバノンの場所なのです。私は鳳凰で結びつけられた日本とレバノンの関係と、レバノンがフェニキアであったということを日本でのレバノンプロモーションの軸にしたいと考えています。ご存知の通り、フェニキアはアルファベット発祥の地でもあります。
影響を与えた
フェニキア人の文明
元谷 そのフェニキアという国はいつ頃栄えたのでしょうか。
ヤヒヤー 紀元前二千五百年頃からと考えられています。今のレバノン周辺で暮らしていたフェニキア人は北極星を目印にして地中海中を動き回る、航海に長けた海洋民族でした。北アフリカのチュニジアからフランス、イタリアのサルディニア島やシチリア島等、地中海沿岸の至る所に植民都市を建設したのです。最も有名なのは、現在のチュニジアを拠点に紀元前九世紀にフェニキア人が建国したカルタゴでしょう。モロッコからエジプトまでの北アフリカ沿岸やイベリア半島の一部までを勢力下に置くなど栄華を誇りましたが、ハンニバル将軍の奮戦虚しく、三度のポエニ戦争によってローマ帝国に敗北し、紀元前二世紀に滅びます。先程お話したように、フェニキア人が使っていたフェニキア文字は後にアルファベットになりました。またヨーロッパという名前は、フェニキア人の都市国家・ティルスの王女だったエウロペに由来するとも言われています。
元谷 フェニキア人は、後のヨーロッパに対して大きな影響を与えたのですね。
ヤヒヤー はい、そうです。またフェニキア人による地中海交易で様々なものがヨーロッパに伝えられました。例えばワインも、フェニキア人によってギリシャへ、そしてヨーロッパに伝わったと言われています。また代表的な特産品はレバノン杉と呼ばれる杉材です。世界で一番強固だと言われたこの杉材は輸出され、各国で軍艦や商船の材料として使われました。エジプトのクフ王のピラミッドの横にある博物館に展示されている全長四十二メートルの「太陽の船」は、このレバノン杉を材料に、釘を一本も使わずに建造されたものです。
元谷 「太陽の船」は、エジプトに行った時に見ました。それだけの木材を輸出していたということは、相当面積の森林があったということですね。
ヤヒヤー はい、そうです。今では森林は国土の一八%ぐらいですが。ただ杉はレバノンの象徴で、国旗の真ん中にも杉の木があしらわれています。
元谷 そのように自分の国の誇れる歴史を語ることができるのは、素晴らしいことです。今の日本人には、この自分の国を誇りに思うという当たり前のことが欠けているのです。
ヤヒヤー 日本のように長い歴史がある国が、どうしてそのようになっているのでしょうか。
元谷 先の大戦でのたった一回の敗戦によって、日本人は誇りを失ってしまったのです。ヨーロッパの国々が歴史の中で勝ったり負けたりしても決して誇りを失わないのに、情けないことに日本人はインタビューをされても、自分の国を誇ることができません。そんな国民性にされてしまったのです。私はこの状況に甘んじず、誇れる祖国日本を復興する運動を行っているのです。
ヤヒヤー 日本にとって大切な運動だと思います。
元谷 観光で訪れるとすると、レバノンのどこに行けばいいでしょうか。
ヤヒヤー まずはフェニキア人の歴史が感じられるビブロスという町がおすすめです。首都・ベイルートの約四十キロメートル北にあります。ここでは紀元前の住居跡やフェニキアの神殿、十字軍の城等、時代の異なる様々な歴史的遺構を見ることができます。世界遺産となっているカディーシャ渓谷も必見の場所です。ここではレバノン杉の群生地を見ることができます。そして今ではすっかり「中東のパリ」の雰囲気を取り戻しているベイルートも必ず訪れて欲しい場所です。そのヨーロッパを思わせる街並に驚く人が多いと思います。内戦の前にはベイルートにはアメリカの大学が進出してきていて、何百人もの日本人がそこで学んでいました。また六十年前にはジェトロ(日本貿易振興機構)のオフィスも作られ、日本からの中東ビジネスの中心地として、ベイルートに多くの日本人ビジネスマンが訪れていたのです。一九七〇年代初頭には、日本人永住者の数が三千人を越えていました。平和になった今、ジェトロが再びオフィスをベイルートに開設してくれることを、私達は望んでいます。
元谷 いろいろな意味でレバノンにはもう一度行ってみたいですね。
観光が盛んになる
ヤヒヤー 日本とレバノンは遠く離れていますが、似ていることも多いのです。例えばかつての移民政策です。日本人も戦前はアメリカから南米にかけて移民を行い、今では日系ブラジル人は二百万人を数えます。一方レバノンも移民を行い、レバノン系ブラジル人は五百万人になります。ラテンアメリカだけではなく、アフリカ等全世界に一千万人以上のレバノン人がいて、皆レバノンにルーツを持つことを誇りに思っています。
元谷 戦争等様々な理由で、故郷であるレバノンを離れた人々がいるということですね。それは周りが陸続きの国であるが故の悲劇だと思います。キリスト教とイスラム教とのバランスをとった共存を続ける等、様々な厳しい環境の中でも誇りを失わないのが立派です。さらに苦難を乗り越え、世界中、様々な分野でレバノン人が活躍しています。
ヤヒヤー それぞれの人がそれぞれの分野で戦い続けてきたからでしょう。
元谷 レバノンに比べて周囲を海で囲まれ、八百万の神ということで宗教対立もない日本は幸せな環境下にいます。しかし恵まれていることを忘れて、日本人は極楽とんぼ状態になっているのです。もっと世界の中で目覚めないと。技術の進歩によって、海はかつてほどの防波堤にはなり得ません。これに気付かないと。レバノンの日本へのアピールですが、ヤヒヤーさんの仰る通り、歴史を前面に出せば日本からの観光客が訪れることが多くなると思います。国が豊かになれば海外旅行客は増え、最初は近くの国ですが、次第により遠くの行ったことのない国へと向かうようになりますから。日本も海外からの多くの旅行者を迎えて、観光大国化を目指しています。ほんの十年前には八百万人ほどだった訪日外国人旅行者が、二〇一八年は三千万人を突破しました。二〇二〇年は中国武漢から広まった新型コロナウイルスの世界的な蔓延により、旅行者が激減してしまいましたが、ワクチンと治療薬が開発され、パンデミックが終息した際には、やはり観光業が成長産業であると言えるでしょう。国の経済が上向きになれば観光客が増える。観光が大きな産業になっているのは世界的なことですが、特に日本の近くには幸運なことに人口が大きく、成長が著しい国が多いのです。
ヤヒヤー その急増する訪日外国人旅行者数に合わせるようにアパホテルの数も急激に増えてきましたね。素晴らしいことです。
元谷 二〇一〇年の四月には六棟しかなかった東京のアパホテルが、今は設計建築中を入れると八十四棟になっています。確かに急増です(笑)。この背景には、今の低金利という要因が大きいです。
ヤヒヤー フランス語ではそういう時には’Je touché du bois’と言います。木に触れるという意味なのですが、実際に木でできた物に触れながら、この幸せがずっと続きますようにと唱える「おまじない」です。代表は私がお会いした中で、最も成功した実業家です。なによりも代表が進めている事業のおかげで、私達は一泊八千〜九千円で快適なホテルに宿泊することができるのです。海外からの旅行者は皆喜んでいます。
元谷 約一千九百万人に上るアパホテル会員が、この事業の大きな基盤になっています。
ヤヒヤー そうですね。アパホテルは環境にも非常に配慮していると聞いています。
元谷 ホテルビジネスはスペースではなく満足を売ることがアパのポリシーです。全てのスイッチが枕元にある等機能的でコンパクト、それでいて大きなテレビが備わった部屋にしてお客様の満足度を上げる一方、炭酸ガスの排出量を一般的なシティホテルの三分の一に抑えました。
メディアを使った対策を
ヤヒヤー 一家族が全株オーナーで経営するホテルとしては、部屋数が世界最大ではないでしょうか。
元谷 そうかもしれません。世界的なホテルブランドのホテルの場合、ほとんどが所有と運営とブランドがそれぞれ別の会社になっています。しかしアパホテルは逆にほとんどのホテルを自社保有、所有・運営・ブランドの全てをアパで賄っています。所有・運営・ブランドそれぞれで一〇%の利益を得ていますから、合わせて三〇%の高利益率となっているのです。また日本の多くのホテルはアジアからのお客様が多いようですが、アパホテルでは欧米からのお客様の比率が他より高いようです。概して、欧米からのお客様の方がアジアのお客様より滞在日数が長いことが多く、これもアパホテルの高収益の理由の一つになっています。環境への配慮も、欧米のお客様の方が敏感に反応しますね。また最新の大型アパホテルは、プールやフィットネスジムを完備しています。例えば全二三一一室のアパホテル&リゾート〈横浜ベイタワー〉には、プールやジムの他に、露天風呂もある大きな大浴場や宴会場も完備、これまでのアパホテルのイメージを一新するようなホテルです。ヤヒヤーさんにも是非一度、宿泊していただければと考えています。
ヤヒヤー 是非お願いします。
元谷 ヤヒヤーさんが日本に赴任されて、どれくらい経ちますか。
ヤヒヤー 三年になります。
元谷 その間、日本をいろいろと巡られたと思うのですが、印象や感想はどうでしょうか。
ヤヒヤー 毎日新しい発見があり、大きな学校にいるみたいです(笑)。形のありなしに関わらず、日本にしかないものが本当にいろいろとあります。歴史のある国ですから、その伝統や文化には非常に奥深いものがあると感じています。
元谷 短期間でしっかりと日本の本質を掴まれていると思います。最後にいつも「若い人に一言」をお聞きしています。
ヤヒヤー 妻といつも話をしているのは、日本では自殺をする人が多いことです。若い人の自殺率も高いですね。これがとても気になっています。また若い「ひきこもり」の人が、五十万人以上いると言われています。メディアを活用して、若い人の心に届く活動を行うべきではないでしょうか。例えば精神科医やカウンセラーが出演するテレビやラジオの番組を制作することが考えられると思います。また日本の正しい歴史について語り合える番組も必要ではないでしょうか。国際的に知名度のある学者や実業家等が出演して、若い日本人の自信を取り戻す番組を作るのです。そういう番組のニーズはどんどん高まっていると思います。スポンサーも集まるでしょうし、ビジネスとしても成立すると思うのですが。
元谷 素晴らしいアイディアだと思います。
ヤヒヤー 「ジョーカー」というアメリカ映画が公開され、日本でも大ヒットしました。この作品では、社会からいじめられ、存在価値を否定された男が本人の意志とは関係なく凶悪になる姿が描かれています。社会から手を差し伸べられない人が、攻撃心を掻き立てられて、人間そのものを見下すような行動に出てしまうのです。日本でも実際にこのような形で犯罪を犯してしまう人がいるのではないでしょうか。
元谷 そういう人々をどう救済していくか。日本でも真剣に考えていかなければならない問題です。今日はいろいろといい話をお聞きすることができました。日本人の多くは中東は怖いという考えですが、今のレバノンは平和で訪れる価値があるということがわかりました。ありがとうございました。
ヤヒヤー ありがとうございました。