二〇二○年九月十一日、代表邸で恒例「日本を語るワインの会」が行われました。企業の大規模ソフトウェアのテスト事業という五兆円マーケットに参入、そのシェアを急拡大している株式会社SHIFT代表取締役社長の丹下大氏、アスクルやZOZOを傘下に収めるZホールディングスの社長でもあるヤフー株式会社代表取締役社長の川邊健太郎氏、クラウド上で動く企業向け経理サービスで急成長を遂げた株式会社マネーフォワード代表取締役社長の辻庸介氏をお迎えし、起業家同士、ビジネスに対する哲学など様々な話で盛り上がりました。
事業で最も大切なことは
とにかく一番になること
とにかく一番になること
事業で大切なのは「性格」だ。事業が大変な危機に陥っても、笑い飛ばすぐらいの明るさが必要。性格が悪くてもある程度は成長するが、そこから駄目になるケースが多い。また事業は、一生懸命とか努力などが功を奏するとは限らない。大事なことは、よく考えて勝利の方程式を掴んで、それに基づいて行動をすることだ。またライバルが事業の真似をしてきても、そんな小さなことは気にしないこと。そのさらに先を行くからいいよ、どんどん真似して! ぐらいの鷹揚な経営が大事だ。訴訟等も金が掛かり疲れるだけのことが多い。とにかく早く業界で一番になることが大切。そうなれば人もモノも情報も金も集まってくる。一番と二番の差は、二番と最下位の差よりも広い。とにかく一番を取ることだ。営業活動も一生懸命になり過ぎると駄目だ。余裕を持って相手に接し、良かったら人生に関わらせて欲しいというスタンスが重要。無理強いはいけない。経営者の夫婦が円満でいるコツは、家に沢山お金を入れることだ。悪妻は経営者である夫を鍛える。女性はメンテナンスしないと美しさを保てない。お金が掛かるのだ。
ホテル社長と丹下氏の出会いは、若手経営者が集まるホテル社長の講演会であった。講演後、丹下氏が真っ先に名刺交換に現れ、今でも交友関係が続いている。ホテル社長も丹下氏は一番輝いて反応が良く、性格が良いと太鼓判を押す。
コロナ禍におけるネット産業の状況は、“巣ごもり消費”と言われるぐらいなので、どのサービスも利用は増えている。ただし広告をビジネスモデルにしている企業は、コロナ禍での世界的な広告費の削減により業績は一進一退、物販を行うeコマース企業はどこも好調という状態である。ヤフーは広告とeコマースの二本立てで収益構造を作っているが、創業二十五年目にして初めてeコマースでの利益が広告での利益を上回った。また、斜陽となっていたPCからのアクセスが巣ごもり消費の中で再び伸びてきている。
ホテル社長と丹下氏の出会いは、若手経営者が集まるホテル社長の講演会であった。講演後、丹下氏が真っ先に名刺交換に現れ、今でも交友関係が続いている。ホテル社長も丹下氏は一番輝いて反応が良く、性格が良いと太鼓判を押す。
コロナ禍におけるネット産業の状況は、“巣ごもり消費”と言われるぐらいなので、どのサービスも利用は増えている。ただし広告をビジネスモデルにしている企業は、コロナ禍での世界的な広告費の削減により業績は一進一退、物販を行うeコマース企業はどこも好調という状態である。ヤフーは広告とeコマースの二本立てで収益構造を作っているが、創業二十五年目にして初めてeコマースでの利益が広告での利益を上回った。また、斜陽となっていたPCからのアクセスが巣ごもり消費の中で再び伸びてきている。
若い優秀な起業家が沢山
日本の将来が楽しみ
日本の将来が楽しみ
テクノロジーで世の中を便利にしたいと考えた辻庸介氏は、ソニーの社内公募に応じてマネックス証券に出向。さらに退職して二〇一二年にマネーフォーワードを創業した。起業して六年目で上場、飛ぶ鳥を落とす勢いで事業を拡大している。クラウド会計サービスを法人や個人事業主に提供、個人向けの家計簿アプリ・マネーフォワード MEの利用者は一千万人に到達。それぞれから利用料金を取るビジネスなので、非常に安定した形で成長を続けている。川邊健太郎氏は自動車のパーツ製造から中古車販売、自動車学校等の事業を展開する祖父の薫陶を受けて育った。川邊氏が小学四年生の時に祖父は亡くなったのだが、その死の直前に当時最新のNECのパソコン・PC八〇〇一を突然購入し、川邊氏に与えた。「オレは自動車が世に広がる時に商売を拡大できた。お前の時代はパソコンだ。勉強しなくていいから、これをやっておけ」と祖父は言い残したという。その言葉を受けてパソコンに没頭、一九九五年、大学三年生の時にWEBに出会って夢中になり、インターネットのソフトウェア開発で起業した。ネット業界では今、二十代や三十代など若ければ若いほど、世界での戦い方を知っている優秀な経営者がたくさんいる。日本の将来はこれだけでも楽しみだ。
金利の安い今は「持つ経営」
収益を生む資産を保有する
収益を生む資産を保有する
アパグループでは土地を購入する場合、必ず代表が現地を視察する。土地の容積率や形状、駅から距離はデータでわかっても、その場所の匂いや風景は行かなければわからないからだ。そして現地で用途が明確に浮かばないと購入しない。こればかりはマニュアル化することはできない。東京都心のアパホテルは十年前には六棟しかなかったのに、設計・建設中を含めると現在は七十七棟になった。株式会社ティーケーピーはアパホテルのフランチャイジーとして、十棟のホテルを保有している。社長の河野貴輝氏は、かつては持たざる経営を目指していたが、代表からの今の時代は資産を持つ経営を行うべきだという助言を受け入れ、方向転換を図った。低金利の今、資産は持つべきなのだ。ただ大事なのは収益を生む資産を持つこと。よく土地持ち貧乏等と言われるが、保有しているだけでは固定資産税や管理費が掛かるだけだ。持つ資産でどれだけ収益を得られるのかを考えなければならない。日本では土地の値段は取引事例比較法で決められる場合が多いが、アメリカではどれだけ収益を生むか、収益還元法によって決められる。さらに換金性の高さも重要な条件だ。要するに皆が欲しいと思う土地を買うこと。駅から近く高収益の土地を金利が安い時に借金をして購入し、その上に収入が上がる建物をのせれば、下手な物件でも年間三〜四%の利回りがあるはずだ。一方借金の金利は一%台から、上手くいけば〇・五%以下で調達できる。また資産は時間が経過すれば価値が上がって含み資産の価値は増えてくる。しかし売却するまで、含み資産には税金は掛からない。
あと重要なのは損益通算の考え方だ。事業で出た利益を資産の減価償却とで損益通算することで、節税を行うことができる。もちろん償却できるのは建物であり、土地はできない。建物の資産を保有していると、簿価はどんどん下がっていくから簿価利回りは上昇する。しかし含みの価値は高まっていく。このメカニズムを理解すれば、大きな財産を築くことができる。アパグループも初期は建売住宅の建築・販売を行っていたが、そこで出た利益を賃貸マンションという資産の減価償却と損益通算した。その後分譲マンション事業に進出した時には、ホテルの減価償却と損益通算に。そもそもアパホテルは節税のために始めた事業だった。
アパグループがホテル事業を始めると発表した時、メインバンクは大反対をした。なぜならホテル事業は不良債権の代名詞だったからだ。そこで代表はメインバンクを切り、別の銀行から資金を調達した。失敗するホテルには街一番の宴会場があり、和洋中のレストランが揃っている。そういうホテルを作るから赤字になる。ホテルで一番儲かるのは宿泊だ。宿泊に特化したホテルなら儲かるという確信が当初から代表にはあった。ビジネス客が多くなる宿泊主体型のホテルの場合、大事なのは短時間でホテルに到着できることだ。そこでアパホテルは全て駅から三分以内の立地に。また最初からポイントによるキャッシュバック付きの会員制度を導入、現在の累積会員数は千八百万人超えになっている。
あと重要なのは損益通算の考え方だ。事業で出た利益を資産の減価償却とで損益通算することで、節税を行うことができる。もちろん償却できるのは建物であり、土地はできない。建物の資産を保有していると、簿価はどんどん下がっていくから簿価利回りは上昇する。しかし含みの価値は高まっていく。このメカニズムを理解すれば、大きな財産を築くことができる。アパグループも初期は建売住宅の建築・販売を行っていたが、そこで出た利益を賃貸マンションという資産の減価償却と損益通算した。その後分譲マンション事業に進出した時には、ホテルの減価償却と損益通算に。そもそもアパホテルは節税のために始めた事業だった。
アパグループがホテル事業を始めると発表した時、メインバンクは大反対をした。なぜならホテル事業は不良債権の代名詞だったからだ。そこで代表はメインバンクを切り、別の銀行から資金を調達した。失敗するホテルには街一番の宴会場があり、和洋中のレストランが揃っている。そういうホテルを作るから赤字になる。ホテルで一番儲かるのは宿泊だ。宿泊に特化したホテルなら儲かるという確信が当初から代表にはあった。ビジネス客が多くなる宿泊主体型のホテルの場合、大事なのは短時間でホテルに到着できることだ。そこでアパホテルは全て駅から三分以内の立地に。また最初からポイントによるキャッシュバック付きの会員制度を導入、現在の累積会員数は千八百万人超えになっている。
増築の収益も考えて
未来に価格をつける
未来に価格をつける
ホテル事業を始める前の一九八〇年に代表が金沢で行ったのが、「若いママの街 片町No1ビル」で、一棟のビルに三十近いリース店舗による飲食店が入る日本で最初のオールリース店舗ビル事業だ。各クラブでナンバーワンの女性に「資金がなくても店が出せる」と声を掛け、その全員のパトロンとして、その人の一カ月分程度の給料を敷金に、日給の一日分を毎日のリース料として自分の店が持てるという全館リース料飲店舗ビルを造り、、多くのママが誕生。メディアの報道もあって、オープンの日には行列ができ、各店大繁盛、アパグループも儲かったという。事業にはアイデアが大切だ。一九八四年にアパホテル第一号、アパホテル〈金沢片町〉がオープンしているが、合理的に小さな部屋にしたこともあり、最初から儲かった。部屋が狭すぎるという批判もあったが、それに流されずに合理性を貫いたことが、今のアパホテルの成功に繋がっている。
アパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉は、二〇〇五年に「幕張プリンスホテル」を購入してリブランドしたものだ。購入当初は一〇〇一室だったものを、その後の二回の増築で今は二〇〇七室になっている。この購入は入札で行われ、アパホテルは外資系企業二社と争った。三社に絞る入札では八十億円台の金額を提示したために、担当社員も含め百億円以上の入札があるとは思っていなかった。最終の入札直前に代表の判断で五十億円をプラス、土地と建物で百三十二億円と他よりも遥かに高い金額を提示して落札した。この最後の五十億円には理由がある。当時の幕張プリンスホテルは許容された容積の四〇%しか使っていなかった。残りの六〇%分の容積を考慮し、収益還元法による試算に余剰の容積の土地の工事価格をプラスして、百三十二億円としたのだ。外資系企業の場合、収支を改善しても決して容積あまりの土地費を考えず、そのまま他に転売して利ざやを稼ごうとしただろう。ディベロッパーであるアパホテルだからこそ、未来に価格をつけることができたのだ。
購入前の業績は不明だが、全面改装してホテル&リゾートになってからはすっかり黒字だ。その理由の一つはシングルルームに同サイズのベッドをもう一つ入れて、ツインルームにしたことだ。従来は仕事で二名で宿泊する場合はシングルルームの二名利用という形で、一人はベッドで寝るが、もう一人はソファーベッドを利用していた。しかし上司と部下が宿泊する場合、宿を決めるのは部下で、自分がソファーベッドになる部屋を選んだりはしない。その部屋をツインルームとしたことで一部屋当たりの単価を上げながらも、一人当たりの室料を下げ、ビジネスマンが選びやすい形に変えたのだ。
アパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉は、二〇〇五年に「幕張プリンスホテル」を購入してリブランドしたものだ。購入当初は一〇〇一室だったものを、その後の二回の増築で今は二〇〇七室になっている。この購入は入札で行われ、アパホテルは外資系企業二社と争った。三社に絞る入札では八十億円台の金額を提示したために、担当社員も含め百億円以上の入札があるとは思っていなかった。最終の入札直前に代表の判断で五十億円をプラス、土地と建物で百三十二億円と他よりも遥かに高い金額を提示して落札した。この最後の五十億円には理由がある。当時の幕張プリンスホテルは許容された容積の四〇%しか使っていなかった。残りの六〇%分の容積を考慮し、収益還元法による試算に余剰の容積の土地の工事価格をプラスして、百三十二億円としたのだ。外資系企業の場合、収支を改善しても決して容積あまりの土地費を考えず、そのまま他に転売して利ざやを稼ごうとしただろう。ディベロッパーであるアパホテルだからこそ、未来に価格をつけることができたのだ。
購入前の業績は不明だが、全面改装してホテル&リゾートになってからはすっかり黒字だ。その理由の一つはシングルルームに同サイズのベッドをもう一つ入れて、ツインルームにしたことだ。従来は仕事で二名で宿泊する場合はシングルルームの二名利用という形で、一人はベッドで寝るが、もう一人はソファーベッドを利用していた。しかし上司と部下が宿泊する場合、宿を決めるのは部下で、自分がソファーベッドになる部屋を選んだりはしない。その部屋をツインルームとしたことで一部屋当たりの単価を上げながらも、一人当たりの室料を下げ、ビジネスマンが選びやすい形に変えたのだ。