日本を語るワインの会196

ワイン196二〇一九年九月四日、代表邸で恒例「日本を語るワインの会」が行われました。九月に国土交通大臣政務官、内閣府政務官に就任した参議院議員の和田政宗氏、民間のプライベートバンク職員から現職に起用、着任から二カ月のレバノン共和国大使館経済アタシェのバシール・ブラーシド氏、メルシャン株式会社でワイン事業部長も務めた酒ビジネスのスペシャリスト、ファイン・アライアンス株式会社代表取締役の大谷文孝氏、ハンガリー系ルーマニア人の奥様と七カ月の赤ちゃんを育てる在日ルーマニア商工会議所会頭の酒生文弥氏をお招きし、少子化対策やワインの話で盛り上がりました。
日本は強かったから
鎖国を行うことができた
 仙台藩主伊達政宗は今から四百年前、スペイン等の指導を受けて洋船であるサン・フアン・バウティスタ号を建造、支倉常長ら百五十人を慶長遣欧使節として、スペインとローマに派遣した。このおかげで、メキシコ、キューバ、スペイン、オランダ、フランス、イタリアは全て日本との交流が四百年を超えている。この歴史的な縁から、東京オリンピックのキューバの野球とバレーボールの代表チームは、仙台市と多賀城市で事前合宿を行うことが決まっている。サン・フアン・バウティスタ号は支倉常長らをメキシコに送り届けた後、一旦帰国。その後再度メキシコへ使節一行を迎えに行き、フィリピンのマニラで売却されている。日本は凄い造船技術と操船技術を持っていて、異国に渡る勇気のある人もいた。そういう日本人がいたから日本は欧米諸国の植民地にならずに済んだのだ。
 かつて日本史の授業では日本が鎖国をしたのは国力が弱かったからと教えていたが、それは間違いだ。キリスト教宣教師も交易も不要ですと言った東南アジア諸国は、スペイン・ポルトガルに武力で征服された。ではなぜ日本は征服されなかったのか。世界最多の鉄砲を保有する日本の武力を恐れたからだ。例えば朝鮮出兵の際、豊臣秀吉から二度に亘って降伏を勧告する書簡を送りつけられたスペインのマニラ総督は、切迫した危機を感じて本国に援軍を依頼する書簡を送っている。さらに決定的だったのは、慶長遣欧使節によって、伊達政宗が奥州王としてスペイン皇帝やローマ教皇に送った手紙だ。地方の一領主が立派な外交使節団を派遣できる日本という国、ではその上の将軍や帝の力はどこまで…。これによって、強大な連合国家である日本は攻めても無駄だとスペイン等は判断したのだ。一六三三年の鎖国令の七年後、通商再開を要請するために長崎にやってきたポルトガルの使節団六十一人全員を、江戸幕府は処刑している。本来であればポルトガルが開戦の絶好の口実にするはずだが泣き寝入り。やはり日本を恐れていたからだろう。つまり圧倒的に日本が強かったからこそ、鎖国は成立したのだ。中世のヨーロッパの書物には、日本を世界の五大国の一つに挙げているものもあるという。江戸時代初期に行われた軍備の増強も、平和が続く中次第に更新されないようになり、幕末の黒船を迎え慌てることになる。まるで今の日本を見ているようだ。
長子相続で家を守ることが
セーフティーネットに
 
多くの外国人が不思議に思うのが、あそこまで徹底的に国土が荒廃した日本が、どうやってここまで復興することができたのかということだ。まず基本にあるのは日本の教育水準の高さだろう。人に対する尊敬の念も強いという。これは武士道精神が今も日本人のどこかに残っているからだろう。小学校に入ってすぐに道徳教育を行うのも、他の国には見られないことだ。
 今毎年四十万人、日本の人口が減少している。戦争で毎年四十万人死ねば大事であり、これはそれと同様のインパクトがある。少子化によって経済力が低下、世界の中の日本の地位が低下している。これをどう打開すべきか。最も効果的なのは大家族制度の復活だろう。大家族制度が崩壊したのは、長子相続の家父長制を破壊した戦後のGHQの政策が原因だ。これによって核家族化、個家族化が進み、地域のコミュニティも崩れた。また偏差値教育が進んだために、より偏差値の高い大学へと多くの地方の優秀な学生が東京・京都・大阪の大学に進学。単身赴任もあって、四人家族が四人ともバラバラに暮らすケースもあり、いくら収入があってもこれでは豊かな暮らしは送れない。今でも三世帯同居家庭のリフォームには補助制度があるが、さらにそのような家の固定資産税を減税するといった税制や補助金によって、大家族制度の復活を促すべきだ。大家族であれば一人当たりの生活コストが下がり豊かな暮らしを送ることができ、また家庭内の相互扶助によって介護施設や保育所の負担が軽減され、社会的コストの抑制にも繋がるし、出産や育児も容易になる。政府は七〇年ぶりの大改革で幼稚園、保育園の無償化を推進しているが、さらに出産に対して補助金を支払う等の制度を構築し、出生率を上げるべきだ。
 もう一つ復活させるべきは長子相続制度だ。現行民法では親の財産は兄弟が平等に分けることになっているが、長子が実家の管理を行う風習も残っていて、他と同じでは長子が家を維持できない。地方に実家があることは、第二子以下が都会等で様々な事に挑戦するも挫折した場合のセーフティーネットとしての役割も果たしてきた。長子相続制度を復活させ、家の維持が可能になるようにするべきだ。
人口が半分になっても
英仏と同じになるだけ
 今、移民によってヨーロッパがヨーロッパでなくなってきている。日本のような人口減少はヨーロッパでも見られたことだが、それの解決には出生率の上昇か移民を受け入れるしかない。しかし移民の受け入れを選択した国は、今非常に苦しんでいる。まずは出生率上昇のためにあらゆる手段を尽くすことであって、移民の受け入れは最後の手段だ。万が一移民に頼らざるを得ない場合があったとしても、それは計画的に必要最小限で、なおかつ日本社会によって有益な優秀な人々に限定するべきだ。日本の人口は世界で十番目だ。これは半分になったとしても、イギリスやフランスと同じレベルになるだけだと考えることもできる。政府は一億人で減少をストップするとしているが、実際には八千万人台までは落ち込んでしまうだろう。しかしここから反転攻勢で増やしていけばいい。そのためには今のように対処療法で人口対策を行うのではなく、もっと根本的な変革が必要だ。
 東京への一極集中も地方の荒廃の原因となっている。確かに東京には仕事が多く、娯楽も豊富で美味しいレストランも多い。そのため一極集中対策としては、大胆な施策が必要だ。税金を、都市は高く地方は安くすることをはじめ、医療・教育の優遇、高速リニア網の整備など。地方の国立大学の無償化も検討に値するだろう。日本の多くの県庁所在地には空港と港があるが、さらなる具体的な利活用策がない。これを考えることもあり得るだろう。
増え続ける
日本人のワイン消費量
 レバノンは一九七五〜一九九〇年の内戦前は首都ベイルートが「中東のパリ」と呼ばれたほど金融センターとしてビジネスも盛ん、地中海沿いの地域はリゾート地として栄え、日本人も多く住んでいた。森喜朗元首相は、かつての駐日レバノン大使と親交を深め、何度もレバノンを訪れて、日本・レバノン友好議員連盟会長も務めた。レバノンでは、今から四千年前からワインを作っていて、今もワインが特産品だ。日本のワインの年間一人当たり消費量は一九七一年には百五十ミリリットルだったが、一九九八年に三リットル越えと二〇倍になった。一九七一年当時はフランスやイタリアのワインの年間一人当たり消費量は百三十五リットルだったのが、一九九七年には六十五リットル、去年は五十リットルを切った。フランスやイタリアの消費は激減しているが、日本もあまり増えていない。かつては日本の消費量をアメリカ並の五リットルにしたかったのだが、それは達成できなかった。日本のワイン業界でエポックメイキングだったのは、赤ワインブームだろう。一九九二年に乳脂肪消費量が多いフランス人に、相対的に心臓病死亡率が低いのは赤ワインを飲んでいるからという「フレンチパラドックス」(フランス人の逆説)を主張する論文が発表され、一九九七年日本ではみのもんたが番組で「赤ワインのポリフェノールは体にいい」と言ったことから赤ワインが爆発的に売れるようになった。メルシャンでは一九九六年から「ボン・ルージュ」というポリフェノールを強化したワインを発売していたが、一九九七年には前年の十倍売れたという。一九九八年にはチリワインブームが起こり、黄色いエチケットが目印のチリのワイン「サンライズ」はこの年だけで百万ケース売れた。世界的な赤ワインブームで一九九八年には、それまで白ワインが主流だった南アフリカやニュージーランドで赤ワイン用にブドウの植え替えが行われ、中国でも山東省煙台等でヨーロッパ品種のブドウの栽培が始まった。近年は日本のワインの品質も上がっていて、日本でのワインの消費はまだまだ増える余力がある。
 時間に几帳面かどうかは、沖縄時間という言葉があるように、お国柄によっても変わる。アラブ社会でIBMと言えば、「イン・シャー・アッラー」(神の思し召しがあれば)、「ブクラ」(明日)、「マレーシュ」(ごめんなさい、気にしなくていいですよ)の三つの言葉。時間を守らない等、アラブ人のルーズさを表すとされている。逆に決められた時刻より早いのが、相撲の「親方時間」。新弟子検査も担当の親方が集まれば時間前でも始まるので、その慣習を知らない新人記者が取材を逃したことがあるという。
 一八九〇年に行われた日本最初の普通選挙では、選挙権があるのは高額納税者だけだった。その時代、選挙権保有者は投票所に行くのに正装をしたという。今は誰にも選挙権が与えられ、Tシャツにサンダル履きで投票に行く人も多い。しかし誰もが選挙に行ける制度は世界の多くの人が汗や血を流して手に入れたものだ。日本は天皇がいて、為政者が国を良くすることを考えて、穏やかに民主主義を導入してきた。その分、国民が国政の一部を担っているという意識が欠落し、無責任になっているのではないか。