日本を語るワインの会195

ワイン195二〇一九年八月九日、代表邸で恒例「日本を語るワインの会」が行われました。七月の参議院選挙で見事五回目の当選を果たした参議院議員の橋本聖子氏、父の死後その偉業を調べて本にしたことで大きく人生が変わった空の神兵慰霊顕彰碑護持会会長の奥本康大氏、英語力を生かして沖縄や東京でビジネスを展開する在日米国商工会議所の与那嶺美子・リガユー氏、七月に竹田恒泰氏と共著で「決定版日本書紀入門」を上梓した大阪観光大学講師の久野潤氏をお迎えし、スポーツから歴史まで幅広い話題を語り合いました。
薬漬けの対処療法ではなく
予防医療に力を入れるべき
 オリンピックに七回出場、それは健康体だからだと思われている橋本聖子氏だが、実は小学三年生から腎臓の持病を持っていた。小学校卒業までになんとか治し、中学から専念したスピードスケートで記録を出して、十九歳の時に開催されるサラエボ・オリンピックには出場確実と思われていた矢先に腎臓病が再発、同時にPTSDにもなり、ストレスで呼吸器不全症も発症、転院した札幌の病院ではB型肝炎に感染するという続けざまの不幸に遭ったが、耐え抜き、無事サラエボ・オリンピックに出場した。その後は食と体質改善によって体と病気をコントロールする技を編みだし、七回のオリンピック出場を果たすことができた。今も橋本氏は腎臓のケアが必要で、自分に合う方法を探した結果、ドイツで盛んに行われている血液クレンジングを導入している。血液を一五〇〜二〇〇㏄抜いてタンクに、そこにオゾンを入れる。すると毒素が排出されて血液が活性化、鮮やかな色に変わる。それを体に戻すという処置だ。月に一回、これを行っている。
 一病息災という言葉があるが、病気もいい経験。恵まれた身体能力を持つ健康体の選手が、それ故に努力を惜しんで能力を伸ばせないことがある。橋本氏は病気の経験から、コーチとして五体満足で健康な選手に、もっと能力を発揮する方法を教えることができるという。
 二〇〇八年に供用を開始した味の素ナショナルトレーニングセンターは、医学や科学の見地から選手をトレーニングするスポーツ関係者悲願の施設だ。これができたことによって、ジュニア選手やコーチ、監督などスタッフのレベルが大きくアップした。選手の食事の研究や疲労のメカニズムの研究など、様々な研究も行われている。新しいトレーニングとしては、例えばジュニア選手に行われるインタビュートレーニングがある。「金メダル、おめでとうございます!」などから始まる架空のインタビューに答えるのだが、その時口にした自分の言葉に責任を持つために、質の高いトレーニングを行わざるを得なくなる。体と精神、両方を鍛えることに効果がある。
 ヨーロッパでは食と健康、医療、福祉、観光などが結びついた一つの産業が形成されている。また日本の医療は発症してからの対処療法だが、スポーツ文化やスポーツドクターが進歩した欧米では、予防医療が進んでいる。日本も医療制度を変えて、未病対策を充実させた予防医療をもっと重視すべき。そのためには診療報酬制度を変え、現在の薬を出すという対処療法で報酬点数を稼ぐようなことはさせず、免疫力を向上させて病を跳ね除ける方向に転換する必要がある。ヨーロッパでは、食の改善方法とスポーツコーディネーターの紹介が処方箋として出されることがある。筋肉が無くなると痛みが出てくるため、運動は常に奨励されるべき。一に運動、二に食事、三番目にやっと薬が来るようにするべきた。
超大国の首脳が敬う
世界最長の王室・皇室
 
大学の授業で教員が留学生を含む学生と共に神社を訪れることについて、大学内でも政教分離を心配する人がいる。しかし神社は日本の伝統的な存在であり、日本を知るためにはどうしても避けては通れないものだ。例えば、関西国際空港の守り神は、この空港建設を契機に一九八三年に設立された泉州磐船神社。天の磐船に乗って天から降りてきた饒速日命(にぎはやひのみこと)を祭神とした、空の交通の安全を願う神社だ。今も昔も軍艦には必ず艦内神社がある。以前は違ったそうだが、最近の海上自衛隊の護衛艦は旧帝国海軍の同名の艦と同じ神社の分霊を受けているという。例えば護衛艦「かが」は、旧帝国海軍の空母「加賀」と同じく石川県白山市の白山比咩(ひめ)神社から分霊を受けた。日本が先の大戦を戦っていなければ、世界はまだ白人のもので、植民地が残っていただろう。全ての国が独立を達成し人種差別が無くなったのは、日本が立ち上がったからだ。日本がいなければ、オバマ大統領も誕生しなかっただろう。
 皇室は二千六百七十九年続く世界最長の王室であり、世界中の要人が天皇に会うことを熱望している。この長さは二番目に長いデンマーク王室の倍以上だ。オバマ大統領も天皇には九〇度の最敬礼を行った。習近平も国家主席になる前に、小沢一郎を通してルール破りの天皇会見を敢行した。歴史に立脚した天皇の権威は大きく、先の大戦をあれだけ混乱なく終戦に導くことができたのも、天皇あってこそだ。実際日本には戦力が残っていたのだから、本土決戦としてゲリラ戦に持ち込んでも良かった。ベトナムのように最後まで戦えば、日本に勝ち目があっただろう。ベトナムはその手法で、フランスにもアメリカにも中国にも戦争で勝った。昨年十月にベトナム海軍のフリゲート艦が大阪府堺市の港に親善のため寄港した。日本とベトナムはがっちりと手を組んで、アジアの安定に貢献すべきだ。
五人で百五十人に向かう
空の神兵の勇猛果敢な戦い
 一九四二年二月、スマトラ島のパレンバン油田の確保のため、旧帝国陸軍の空挺部隊約三百五十人が落下傘降下による奇襲を行った。千人のオランダ軍守備隊を相手に、同時に投下した武器が入手できず拳銃と手榴弾しか持たない日本軍は、敵の武器を鹵獲しながら神憑り的な奮戦をし、見事ほとんど無傷で油田を確保することに成功。日本が必要とする一年分の石油を確保することができた。陸軍中尉だった奥本康大氏の父親は、小隊長としてこの作戦に参加、五人でオランダ兵百五十人からなる車列を撃破するという武勲を立て、天皇拝謁の栄誉を賜ったという。凄い勇気だ。
 百田尚樹の小説『海賊とよばれた男』のモデルとなった出光興産の創業者・出光佐三も勇気ある人物だ。連合軍の占領下にあった日本はセブンシスターズと呼ばれる石油メジャーに石油輸入を握られ、それが経済復興の足かせになっていた。一九五三年、出光佐三はイランから直接石油を買い付ける算段を行い、タンカー・日章丸を派遣した。イランの石油を牛耳っていたイギリスは、石油を買い付けにイランに来るタンカーは「撃沈も辞さない」と表明していたが、日章丸はイギリス海軍の海上封鎖を突破して無事日本に帰国。出光はその後の裁判にも勝利して、日本が直接産油国から石油を購入する道筋を作った。とにかく出光佐三は国のために仕事をする人で、一九八一年に九五歳で亡くなった時には、昭和天皇が〈国のためひとよつらぬき尽くしたるきみまた去りぬさびしと思ふ〉という歌を詠んだ。こんな人物はもう出てくることはないだろう。
文化レベルの高さを示す
『日本書紀』のグローバルさ
 日本以外の国の伝承も盛り込み、漢文で書くことによって中国でも朝鮮半島でも読むことができるようにした正史『日本書紀』は正にグローバル歴史書であり、編纂当時の日本の文化レベルの高さを示すもの。先人達に改めて感謝すべきだ。来年はいよいよ東京オリンピックが開催されるが、開会式などで『日本書紀』にまつわる演出を入れることが望まれる。前回の東京オリンピックは一九六四年に開催されたが、その前の一九四〇年に幻の東京オリンピックがあった。昭和恐慌を乗り切った日本は、様々な手を講じて誘致に成功したのだ。一九三七年に勃発した支那事変などを理由に日本はオリンピック開催を返上したが、もしこの「平和の祭典」である東京オリンピックを成功させることができていれば、日米は戦端を開かなかったかもしれない。日米を戦わせたい勢力が、東京オリンピックを阻止したという見方もある。
 先の大戦はルーズベルト大統領の再選戦略の一端だったことは明らかだ。大恐慌から脱する壮大な需要を生み出すために、ルーズベルトはヨーロッパ参戦を行いたかったが、選挙公約では戦争に介入しないと明言していた。そこで日独伊三国同盟を利用、日本を焚き付けて暴発させて日米開戦に持っていくことで、ヨーロッパへの参戦に踏み切ることを可能にしたのだ。
 日本は台湾や朝鮮を優遇、多大なインフラ投資を行い、学校を作るなど教育の充実を図った。さらに日本本土では一八八九年から国民皆兵を基本とする徴兵制が行われていたが、朝鮮での徴兵制は一九四四年から、台湾での徴兵制は一九四五年初頭からで、戦死者は圧倒的に日本本土からの人間の方が多い。徴兵により日本本土の労働力が少なくなったために、朝鮮で労働者を募集したことが、今の徴用工問題に繋がっている。もし日本がヨーロッパ流の植民地経営を行っていたのであれば、真っ先に朝鮮や台湾の人々を前線に送ったはずだ。
 神風特別攻撃隊が最初に出撃したのは、一九四四年十月のレイテ沖海戦の捷号作戦だった。この戦いはフィリピンを守り、大東亜共栄圏を守るものだったが、旧帝国海軍は惨敗した。今もフィリピンは日本の重要なパートナーで、大切にするべきだ。これまでフィリピンでは何度も従軍慰安婦の像の設置と撤去が繰り返されている。日本の立場を明確に伝えるべきであり、やはり人員三千人、予算三千億円の情報省の設立が望まれる。
 働き方改革は日本を弱体化させる。セクハラやパワハラ禁止など、権利だけを主張するのではなく、もっと情熱を持って働きたいという人を優遇するような政策を行うべき。残業は駄目だが、副業は認めるべきというトレンドもおかしい。