Essay

日本を取り巻く脅威は十一年前と同じだVol.324[2019年9月号]

藤 誠志

改めてその価値を感じた
十一年前の自著

 今から十一年前の二〇〇八年四月、私はそれまでに知り得た膨大な量の情報を解析して導き出した、様々な大胆な予測をふんだんに盛り込んだ著書『報道されない近現代史‐戦後歴史は核を廻る鬩ぎ合い‐』を上梓した。私としては、世間でかなり話題になると思っていたのだが、どのマスメディアも一切取り上げなかった。そこで「真の近現代史観」を世に問いたいという思いから、「真の近現代史観」懸賞論文制度を創設した。その第一回目の最優秀藤誠志賞に、当時現役の航空幕僚長だった田母神俊雄氏の論文が選ばれたことで、政界やメディアを巻き込んだ大騒動となったのを記憶している人も多いだろう。これが国民の保守への目覚めを促し、その後の第二次安倍政権の誕生に繋がったと私は自負している。この動きの発端となった自著『報道されない近現代史』を改めて読み直してみたが、我ながら歴史を非常に良く分析しており、今の情勢にも当てはまり十分に価値のあるものだと感じた。その一部を本稿に再掲載してみたいと思う。

著書引用
『報道されない近現代史
‐戦後歴史は核を廻る鬩ぎ合い‐』

●まえがき
 北朝鮮が核実験を強行した二○○六年十月を境に、アメリカの極東政策が一変、日本、中国、韓国を揺さぶっている。その背景は、核施設凍結に同意する父金日成を強制排除してまで核開発を続ける金正日と、中国の軍事委主席江沢民が北朝鮮の軍部の一部を唆して起したという、北朝鮮龍川駅での列車爆発にあり、その爆殺未遂テロに怯えた金正日の最後の賭けが北の核実験である。
 またジャーナリストや政敵を強硬手段で退け続け、大統領就任後もなお完成を急ぐプーチン帝国など、近現代だけでもこれだけ報道されない血生臭い陰の歴史がある。
 遡って、日本が好まない対米戦争へと引きずり込んだのは、スティネットの著書「真珠湾の真実‐ルーズベルト欺瞞の日々」で明らかになったように、ハリー・デクスター・ホワイトなど、ソ連のスパイによる数々の謀略である。広島・長崎への原爆投下の真の理由は、戦後の冷戦に備えてのソ連への威嚇と、機密費で核開発したことの米議会対策。ソ連が核開発できたのは「核を使われない兵器とする為」の米核開発専門家による技術情報リーク。現憲法は米国の永遠の日本統治のために改憲不能条項を盛り込んで作られた。
 本書は、誰も報じなかった近現代史の闇の部分を、ソ連の崩壊により公表された資料と一九九○年後半になってアメリカが公開した、当時のソ連の暗号を解読した情報「ベノナファイル」と、筆者が独自のアンテナ(海外友人情報ネットワーク)で知り得た情報をもとに、冷静かつ大胆に解析して白日のもとにさらしたもので、北朝鮮、中国、ロシア、アメリカと、核保有国に包囲された今日の日本の国家的危機に際し、自ら守る力がなくては真の独立国とはいえないと、「憂国」の想いを込め執筆したものである。

●第一章 北朝鮮危機に備えよ
 二◯◯六年十月九日、かねてからの予告声明通り北朝鮮は核実験を強行した。場所は北東部の咸鏡北道吉州郡豊渓里で、タイプはプルトニウム型の地下核実験。北朝鮮当局は実験が成功したというだけでデータや映像は一切公開しなかった。地震波などを観測した各国機関の推定では、爆発規模では広島・長崎型原爆の威力にも達していない極めて小さいものとされ、朝鮮中央テレビは同日夜のニュースで、トップではなく二番手の扱いだった。本来なら金正日総書記の指導力の偉大なる成果だと大々的に報じてもおかしくないのにこの扱いでは、実験が失敗したのではないかという見方もあったが、この一発の核実験を境に、アメリカが対北朝鮮、東アジア政策を一変させた政治的軍事的威力を考えると、北朝鮮は間違いなく核爆弾開発に成功したのである。

太陽政策と暗殺未遂が
はずみをつけた北の核開発

 中国では二〇〇三年に江沢民が胡錦濤に国家主席の座を譲ったが、中央軍事委員会主席の座は維持したまま院政を敷こうとしていた。江沢民にとっても、核開発を断念せず、中国から距離を置こうとする金正日の存在は好ましくない。そんな江沢民の意を受けた中国人民解放軍の唆しで二〇〇四年四月、北朝鮮軍の一部が北朝鮮北西部の龍川駅で、訪中帰りの金正日爆殺を試みたとの観測がある。八百トンもの高性能爆薬を列車の長さに合わせて、本線に沿った支線の用水路の地下に仕掛けて万全の体制で臨んだはずの爆殺計画だったが、親中傀儡政権の誕生を嫌うロシア、あるいはアメリカの情報機関がこの情報をキャッチしてリークしたことで、金正日は九死に一生を得たという。表向きは事故とされているが、これが私の推論である。

●第二章 中国は日本を狙う
 …二〇〇六年十月、北朝鮮が核実験を行ったことによってアメリカの北朝鮮政策は大きく変わった。それは「北朝鮮がこれ以上の核開発と中東反米国やテロリストなどへの核技術の拡散を行わなければ、すでに造ってしまった核兵器の保有は容認するが、核の高性能化と小型化は行わないこと」を条件として六か国協議をまとめようとしたことだ。歴史上、そして現代も、常に中国、ロシア、日本、そしてアメリカの力の鬩ぎ合いとなる地政学的に重要な位置にある北朝鮮に、金正日政権に代わる親中国、親ロシアの政権が誕生することをブッシュ大統領は望んでいない。結論を先に言えば、日本から戦前戦後の賠償金を獲得させ、アメリカの影響力のもとでの親米政権を誕生させることがブッシュの最終目標であると私は考えていたが、ブッシュにとっては時間が足りなかった。
 このシナリオに沿って、本来、北朝鮮のすべての核計画の申告とすべての核兵器の放棄、ならびに核開発を停止させる「朝鮮半島の非核化」が目的だった六か国協議の実態は激変し、今では金正日の北朝鮮を親米政権へと導くための会議になってしまった。それまで頑なに拒んでいた米朝二国間協議にも唯々と応じ、もともと北への宥和姿勢が目立っていたライス国務長官、六か国協議代表のヒル国務次官補のさらなる北への傾斜がみられる。このアメリカの狙いに気がついた中国は猛反発し、拉致問題で日本と連携する発言を繰り返して揺さぶりをかけている。そうでなくても北朝鮮の中国からの離反はここ数年、あからさまなものがあった。
 このままでいくと日本は近い将来、アメリカ、ロシア、中国、そして南北朝鮮が北の核を持ったまま併合すれば、周囲すべてを核保有国に取り囲まれることになる。これは決して杞憂ではない。今のうちに日本は、これに備えた明確な国家戦略を策定しておかなければならないのだが、今の指導者たちにその現状認識と覚悟はあるのだろうか。

●第三章 「核」を論ぜずして真の安全保障なし
 …ドイツとの戦いが終結に近づいた第二次世界大戦末期から始まった冷戦によって、アメリカは核兵器の完成を急いだ。戦後体制をにらんでソ連への威嚇を込めて、ドイツとの戦争は終ったが、機密費で造った原爆を議会で承認を得るためにも、対日戦で使用すべく、講和の条件で天皇制の存続の諾否を曖昧にして終戦を引き伸ばしておいて完成させ、日本に実験的に二種類(ウラン型、プルトニウム型)の原爆を投下してその威力を示した。
 一方、ソ連も、「アメリカが核を独占すれば今後の戦争でも使用するのでは」と恐れたアメリカの核技術者によって、この壊滅的な破壊兵器を「使われない兵器」とするために、リークされた技術をもとに、一九四九年八月に核実験に成功、核保有国となった。両国が核を保有したことによって、核は「使われない兵器」となり、米ソが直接戦う第三次世界大戦とはならなかったが、核の保有で自国への核攻撃の恐れがなくなったソ連は、代理戦争として、傀儡政権である北朝鮮の金日成に強要して、一九五〇年にアメリカの傀儡政権である李承晩政権の韓国へと侵攻させて朝鮮戦争が勃発した。その朝鮮戦争が一進一退の後、北が劣勢になって中朝国境にまで追い込まれたところで、建国間もない中国が参戦して押し返し、三八度線あたりで膠着状態となって一九五三年に休戦協定を結んだ。

ニュークリア・シェアリング
(核分担)私論

 「北朝鮮が日本を核で攻撃してきたら、米国が核で報復するから北朝鮮は数分で壊滅する。金正日はそれを知っているから核を使わない」と政治家は断言するが、日米安保条約にはそのような克明な規定はない。米国はなによりも自国の国益を基準に行動する選択肢がある。自国民の意向を排してまで、日本だけのために核による報復を行うことは不可能だ》(注 アジア経済評論家足立誠之氏「北朝鮮をアメリカにまかせる危うさ」より)
 それを知り尽くしているから、第二次世界大戦後、ド・ゴール大統領のフランスは独自の核開発に踏み切った。また核開発を断念したNATO加盟の西欧諸国は冷戦時代、ソ連が西欧全域を射程におさめるSS20を配備したとき、いざとなれば米国が核弾頭つきのICBM、IRBM巡航ミサイルで報復してくれるから、ソ連が使用することはない、という甘いシナリオは描かず、米国に自分たちの国へ米軍と核弾頭を装填したパーシングⅡミサイルを持ち込むよう要求、それを実現させた。つまり核を持ち込ませることで、いったん事あらば運命共同体だという状態にして抑止力としたのだ。「持ち込ませず」というばかりか、議論さえ封じ込んでしまった日本とはまったく好対照である。
 しかし、アメリカにとってもこの日本の姿勢は実は好ましいものなのだ。別項でも私の考えを述べているが、ここで繰り返すと、アメリカにとって潜在的な脅威は、北朝鮮の核ではなく、これによって誘発される日本の核兵器開発である。日本にはそれに必要なプルトニウムも技術力もある。軍事通で私の外国の友人は「日本が本気になれば一か月で核兵器を開発できるだろう」と真顔で言うくらいだ。しかし今回も日本での核論議は抑えられた。そのためアメリカは北朝鮮の核保有阻止に真剣になる理由がなくなったのである。
 北朝鮮が核を保有した今、東アジアの安全のためにも、本来、日本が独自に核開発する必要があるが、日本は核拡散防止条約(NPT)に加盟している以上、非核三原則のうち「作らず」「持たず」をすぐに変更することはなかなか難しい。しかし、「持ち込ませず」を変更することは政治家の判断と決断によってできるのではないだろうか。日本はアメリカの原子力空母の基地がある。原子力潜水艦もしばしば寄港する。それらが、日本に寄港するたびに核兵器を外して「持ち込んでいない」と言っても、だれがそれを信じているであろうか。実際には「持ち込んでいる」のは間違いない。それをいつまでもごまかさず、曖昧にせず、はっきりと認めて在日米軍基地に核の配備を認めるべきである。
 「持ち込ませず」を外して次に検討に値する考え方、それがこの項のテーマでもある「ニュークリア・シェアリング(核分担)」である。これはアメリカが、NATO加盟国で核非保有国のドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコの五か国に提供している核抑止のオプションである。平時はアメリカ軍が核兵器を保持・管理しているのだが、戦時にはその核兵器をこれらの同盟国に提供し、それらの国が事実上核武装をする。このために平時から提供を受ける国の兵員が米軍と共同で核兵器使用の訓練を行う。原子力潜水艦の場合は、同盟国の兵員が原潜に乗り込んで米兵同様の訓練を行う。戦時にはその原潜ごと、同盟国の指揮下に入るという取り決めだ。これであれば、核開発、保有を行うことなく核抑止力を持つことができ、アメリカも今以上の核拡散を防ぎながらヨーロッパのバランス・オブ・パワーを維持することができる。

現行憲法は米国の永遠の
占領統治のために作られた

 …そもそも、現行憲法は連合国軍総司令部(GHQ)による、アメリカの意向に沿ったものだ。本来、占領国に恒久法を押し付けるのを禁じている国際法に照らしても認められない憲法である。サンフランシスコ講和条約によって日本が独立した際に破棄して、新しく独立憲法を制定すべきだった。しかし、敗戦後の多くの日本人は、戦争中の苦しくて悲惨な体験から解放されたという思いが強く、また他の民族に比べて従順で、忍耐力、善人性が強く、国家間の謀略、駆け引きに不慣れなこともあって、アメリカにマインドコントロールされてしまった。一言で言えば、現行憲法はアメリカの永遠の日本統治のために作られたのである。
 アメリカは将来、戦争末期の原爆投下や東京大空襲など、市民を対象にした十万人規模の大量無差別殺戮の真相が日本人に知られたとき、それを厳しく非難され、日本が再び強国となってアメリカに復讐することを恐れて、「戦争放棄」という、歴史上例のない憲法を日本に押し付けたのである。またそれを受け入れ、独立時にも破棄、改正の動きが政治の最重要課題にならずに封じ込められるような心理的な下地が日本側にもあった。

●第四章 正しい歴史認識を問う
 二十世紀は戦争の世紀といわれる。二次にわたる世界大戦、軍人と民間人を合わせて四百万人以上が犠牲となり半世紀余に亘って分断国家の悲哀を昧わっている朝鮮戦争。超大国アメリカ史上でただ一度敗戦の苦杯をなめたベトナム戦争。二十世紀最後の戦争となった湾岸戦争。二十一世紀に入っても、アフガニスタンやイラクで、テロ戦争という名の軍事行動は起きているが、これは「戦争とは他の手段をもってする政治の延長である」という、クラウゼヴイッツの「戦争論」が定義したような、二十世紀までの戦争とは性質を異にする、アメリカによる「非対称型」の一方的な懲罰的軍事行動といってもよい。
 わが国をみても、一九〇四年に勃発した日露戦争から、大東亜戦争で敗れた一九四五年までの二十世紀前半は、戦争に明け暮れた歳月であった。そして日本が全力を挙げて戦ったこの二つの戦争を振り返ってみると、戦いには「錦の御旗」すなわち大義名分と、周到な情報収集がないと勝利が得難いということを、今さらながら痛感させられる。
 世界最強といわれたロシア陸軍を相手に、圧倒的に不利とされた形勢の中で開戦した日露戦争では、日本は国の存亡を賭けて、総力で情報を収集・分析し勝利を目指した。日露戦争の勝利を決定付けた戦いといえば、ふつう日本人は日本海海戦や奉天大会戦を思い浮かべるが、それ以上に大きな働きをしたのは明石元二郎という、一人の陸軍大佐の諜報・謀略活動であった。陸軍参謀本部からの密命で、ロシア、北欧に潜入した明石は、当時、地下活動を行って帝政打倒を目指していたレーニンらの革命党と交わり、その懐深く入り込んで物心両面の支援をしてロシア国内を攬乱し、帝政を疲弊に追い込んだ。のちにドイツ皇帝のヴィルヘルム二世が「日本の明石元二郎はたった一人で日本の満州軍二十万人に匹敵する成果を上げた。実に恐ろしい男だ」と感嘆したという。

先の大戦を総括し、戦争の歴史を
再構築せよ

 …断片的に発掘される資料などから、日本軍に先制攻撃をさせるように仕組んだのはアメリカの方で、真珠湾攻撃もルーズベルト大統領以下の政府首脳は十分に知っていたという説は根強かった。私もさまざまな文献や資料、さらには長年に亘る活字を通しての知識や、世界各国を回り、その国の歴史や文化、人々の思考法など、実地に触れながら構築した歴史観、世界観、国家観などを通じて、日米戦争を仕組んだのはアメリカだという確信を持ってはいたが、それを物的証拠と証言によって裏付けてくれた、「真珠湾の真実‐ルーズベルト欺瞞の日々」(ロバート・B・スティネット著、二〇〇一年文藝春秋刊)には、我が意を得ると同時に、その綿密で周到な組み立てに圧倒された。著者は元米海軍軍人で、第二次世界大戦では、当時の海軍大尉だったジョージ・ブッシュ元大統領のもとで大西洋、太平洋の戦場に従軍、十度も戦闘功労賞を受け、大統領感謝状も贈られた英雄の一人。戦後は新聞社のカメラマン兼記者を勤めたあと、この本を執筆するために退社、十七年間に亘って、未発掘だった米政府の当時の秘密文書や、生存している当事者のインタビューを積み重ねて同著をまとめた。日米戦争についてテレビや新聞のアドバイザーも務めてきた大戦史の権威である。
 まえがきで著者はこう述べている。
《日本の真珠湾攻撃に至るまでの経緯と決定事項に関し、これまでさまざまに語られてきた多くの事項に対して本書は疑問を投げかけ、主張を異にするものである。私の唯一の目的は(真珠湾攻撃の)真相を明らかにし、それがフランクリン・ルーズベルト大統領と、その軍事・政治顧問である側近高官の多くの者にとって、決して「奇襲」ではなかった事実を伝えるものである。(中略)太平洋戦争を経験した退役軍人の一人として、五十年以上もの間、アメリカ国民に隠蔽され続けた秘密を発見するにつれて私は憤激を覚えるものである。しかし私はルーズベルト大統領が直面した苦悶のジレンマも理解した。自由を守る戦いに参加するため、孤立主義に陥っているアメリカを説得するために、彼は回りくどい手段を発見するほかはなかった。そのためには人命を犠牲にするだろうことを彼は承知していたが、それが何人になるかは知ることができなかった》
 日本を最終的に暴発させたのはハル・ノートだが、本書によると、その一年前の一九四〇年十月に、米海軍情報部極東課長のアーサー・マッカラム海軍少佐が、日本を挑発して戦争を起こさせる「戦争挑発行動八項目覚書」を提案していた。彼は宣教師の子として長崎で生まれ、少年時代を日本のいくつかの都市で過ごした。日本の文化をよく理解し、日本人の性質や行動原理にも精通していた、マッカラムが作成した五ページの覚書には、一年後にハル・ノートに取り入れられた、日本への石油提供の拒否、全面的な通商禁止や蒋介石政権への援助提供などのほか、直接的な挑発行動として、重巡洋艦戦隊や潜水艦隊の東洋派遣などが盛り込まれている。ただ、ハル・ノートで日本側を最も憤激させた、日本軍の中国からの撤退、蒋介石政府の承認などはこの段階ではまだ含まれておらず、日独伊三国同盟の解体にも触れていない。
 奇襲を米軍側が察知していたとなると、日本側に暗号解読やスパイ潜入の疑惑が生じて、せっかく解読できるようになった暗号を変更され、その後の戦争にマイナスになる。このような計算がルーズベルトにはあったのだ。実際、アメリカ側に暗号をすべて解読されていることに気づかなかった日本の大本営は、翌年のミッドウェー海戦からソロモン、マリアナ、レイテなど、戦局を左右する重大な戦闘で、ことごとく事前にアメリカに作戦をキャッチされ、致命的な敗北を重ねることになった。

著書引用終了

 この本を改めて読み直して感じたのは、ここにある分析・提言を十一年前に我が国政府が取り入れていれば、今よりももう少しましな政策を実施し、憲法改正も賛成議員が三分の二を占めたとたんに発議することができただろうということだ。過去を知り、現在を解析すれば未来が見えてくる。この『報道されない近現代史』は、新品の在庫はもうほとんどないが、Amazonで中古品を購入することができる。今だからこそ、多くの人に読んで欲しい自信の一冊だ。

2019年7月13日(土) 22時30分校了