「北は、核を手放す考えない」
三月七日付の朝刊各紙の一面トップは、全て日産元会長のカルロス・ゴーン被告の保釈の記事だった。しかしこの保釈にそれほどのニュースバリューはない。新聞でもテレビでも、帽子に作業着のゴーン被告の変装の件を取り上げているが、無罪を主張するなら堂々と出てくるべきで、完全な作戦ミスであり、わざわざメディアが報道するようなことでもない。こんなニュースを疑うことなく一斉に流しているマスメディアに、誰も異論を唱えない今の日本の状況がおかしい。
例えば産経新聞であれば、本来トップで取り上げるべきはゴーン保釈の記事の下にある「北ミサイル発射場再建」という見出しの記事だろう。金正恩が昨年に廃棄を約束した東倉里ミサイル発射場で、構造物の建て直しが行われているという。二月末の二回目の米朝首脳会談は決裂したが、この再建の動きはそれを踏まえた北朝鮮の脅しのようにも思える。
同じ三月七日付の読売新聞朝刊七面の「インタビュー米朝」というコラムには、前国連事務次長のジェフリー・フェルトマン氏の発言が掲載されている。見出しは「北、核手放す考えない」だ。「先の米朝首脳会談で進展を急がず、将来の交渉の余地を残し、席を立ったトランプ米大統領は正しい判断をしたと思う。北朝鮮は二〇一六~一七年の制裁の解除を求めた。ガソリンなどの石油精製品の輸入、石炭や海産物、繊維などの輸出を禁止・制限した制裁は、非常にこたえるのだろう」「いずれもトランプ政権下、国連安全保障理事会の場で米国のヘイリー前国連大使が中国やロシアを巻き込み、合意を取り付けて実現させた。北朝鮮に『経済封鎖』を強いるもので、トランプ氏にとって、これこそ対北朝鮮制裁の中核だという気持ちが強いのではないか」「私は国連事務次長(政治担当)として、一七年一二月に北朝鮮を訪問した。九月に六回目の核実験、一一月に大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験が続き、戦争のリスクが高まっていた時期だった」「訪朝時に伝えたメッセージは、いかに彼らの戦略のリスクが高いかというものだった。当時、北朝鮮は米国や韓国と対話が途切れ、ニューヨークの北朝鮮国連代表部を通じて連絡を取る『ニューヨーク・チャンネル』も止まっていた」「北朝鮮は無意識に米国の『レッドライン』(越えてはならない一線)を越える可能性があり、核不拡散は地球規模の問題だとも伝えたが、李容浩外相は『核計画は防衛のためだ』と断言した。私は『「防衛」という考え方が北朝鮮をリスクにさらしている』と訴えたが、彼らは受け付けなかった」「今回の米朝首脳会談の結果からも、一七年当時の『核兵器を手放さない』という北朝鮮の考え方に変化はないとみている」という。
世界情勢は「核」が左右
私もこのフェルトマン氏の見解と同意見だ。二〇〇八年四月に上梓した『報道されない近現代史‐戦後歴史は核を廻る鬩ぎ合い‐』において、私は既に北朝鮮が核兵器を手放さないことについて、詳しく述べている。この本の第一章「北朝鮮に備えよ」から少し引用してみよう。「二〇〇六年十月九日、かねてからの予告声明通り北朝鮮は核実験を強行した。場所は北東部の咸鏡北道吉州郡豊渓里でタイプはプルトニウム型の地下核実験。北朝鮮当局は実験が成功したというだけでデータや映像は一切公開しなかった。地震波などを観測した各国機関の推定では、爆発規模では広島・長崎型原爆の威力にも達していない極めて小さいものとされ、朝鮮中央テレビは同日夜のニュースで、トップではなく二番手の扱いだった。本来なら金正日総書記の指導力の偉大なる成果だと大々的に報じてもおかしくないのにこの扱いでは、実験が失敗したのではないかという見方もあったが、この一発の核実験を境に、アメリカが対北朝鮮、東アジア政策を一変させた政治的軍事的威力を考えると、北朝鮮は間違いなく核爆弾開発に成功したのである」「核実験を行ったということは、日本、韓国、アメリカはもとより、国連に加盟している世界中の国々へも北朝鮮がその存在を誇示し、メッセージを伝えることができる絶妙のタイミングだった。さらに前述したように、アメリカの対北朝鮮、東アジア政策を一変させ、従来の『北朝鮮一国は相手とせず』と米朝二国間協議には頑として応じなかったアメリカを変心させたことは最大の収穫だった。詳細については追い追い述べるが、日本にとっては、かつて一九七〇年代、米中接近が頭越しに行われたピンポン外交ショックを連想させる出来事でもあった」。
「第二次大戦後六十余年の世界情勢を支配したもの。それが『核』である。すべては一九四五年にアメリカが世界で最初に核兵器・原子爆弾を開発し、広島・長崎に投下したことから戦後史が始まった。その根拠、個々の実例などについてはここでは省くが、最初に概観すれば、アメリカの原爆が対抗するソ連の原爆を生み、英、仏も独自に開発、所有した。その核を持ったソ連のくびきからなにがなんでも脱したい中国が必死になって核を開発した。中国の核開発成功がもう一つの国境紛争の相手国だったインドの核開発を誘発し、インドの核開発が対立するパキスタンへと波及した。いわば『核のドミノ現象』である。もう一つの核保有国イスラエルは、公式には核保有を曖昧にしているが、世界の軍事専門家の間では保有が確実視され、その数も英国を上回る二百発と推定されている」「これらの核保有国に共通しているのは、「一度手にした核兵器は絶対に手放さない」ということである。いや、南アフリカは開発に成功しながら廃棄したではないかという反論があるだろう。しかしそれは、アパルトヘイト(人種隔離政策)を放棄して白人政権から黒人政権に移行する一九九四年を前にして、核が黒人政権の手に渡ることを嫌った白人政権が、自分たちの保身のために放棄したにすぎない」「そこで論を戻して、北朝鮮の核実験とそれがもたらした国際情勢、とりわけアメリカの変心ぶりを見てみよう。ブッシュ大統領のアメリカは、クリントン時代の一九九四年、北朝鮮が核開発放棄を約束し、その見返りにアメリカが北朝鮮に重油や軽水炉の提供をするという『ジュネーブ合意』が北朝鮮によって一方的に破棄された苦い経験から、北朝鮮との二国間協議は拒否し続けてきた。ところが北が核実験を強行したあと、驚くほどのスピードで北朝鮮への歩み寄りを始めた。それは拉致問題を抱える日本だけではなく、米朝以外の六か国協議参加国を戸惑わせるに十分であった。ここに『核』の持つ計り知れないほど強大な威力が示されている」。
中国への抑止力だ
「一九九四年六月、北朝鮮の核開発凍結と関係改善の道筋をつけるため、米クリントン大統領の特使としてカーター元大統領が訪朝、金日成主席と会談して道筋をつけ、十月にスイスのジュネーブで、北朝鮮が核施設を凍結、最終的には解体することとし、その見返りに米国は軽水炉による原子力発電施設を提供、それが完成するまでの代替エネルギーとして毎年重油五十万トンを提供するという『枠組み合意』が成立した。しかし、北朝鮮はその後も密かに核開発を続けたため、この合意もご破算になり、クリントン政権の失点となって残ったのだが、それは後年のこととして、カーター・金日成会談の直後に金日成が急死するという重大事が起きた。前章でも触れたが、私はその後に各方面から得た情報を組み立て、その後の金正日の政治、外交姿勢などから総合的に判断して、息子が父親を排除したのは間違いないと信じている」「金正日はこれまで、後継者に指名され表舞台に登場して八十三年の最初の訪中から計五回訪中している。毎回、特別列車を仕立てての旅だ。金正日がなぜ航空機ではなく列車で中国だけでなくロシアまでも行くのかというわけは、航空機はテロに遭う危険が高いという他に、訪問先では莫大な『おみやげ』をねだってせしめるので、その運搬用の車両を連結しているからという説もある。この人物は過去の恩義とか相手への配慮などということにはとらわれず、実利がすべてという姿勢を象徴しているようなエピソードだ」。
「訪中のたびに目ざましく変貌する中国の都市や産業地帯を見学して、金正日は決まって『中国は改革開放で大きな成果を収めた』『目覚しい変化だ、中国の改革開放を高く評価する』などと賛美する。しかし帰国するとがらりと一変し『アメがなくても生きられるが、銃弾がなければ生きられない』などと言い出し、経済改革より軍備増強に固執してきた。とりわけ核開発には執念といえるほど拘っていた。そして、中国を敵視するかのような北朝鮮の核開発の決定打となる事件が起きたのが、二〇〇四年四月、四回目の訪中からの帰国の旅である」「この訪中は三日間と短く、北京と上海を訪問、中国の国家主席に就いたばかりの胡錦濤と初の首脳会談を行った。江沢民はその座を胡錦濤に譲っていたが、なお中央軍事委員会主席の座は手放さず、隠然たる勢力を保持して院政、復権を狙っていた。その江沢民が目論んでいたのは北朝鮮に親中傀儡政権を樹立することである。これを成し遂げれば、毛沢東、鄧小平についで名を残せる。ただそれには、中国と距離を置こうとするだけでなく、独自に核を開発して中国に対抗しようとしている金正日の存在がなんとしても邪魔だ。そこで人民解放軍を通じて北朝鮮軍の反金正日グループを唆し暗殺を仕掛けさせたとの説がある。帰国途中の金正日の特別列車を強力な爆薬で爆破し、列車もろとも金正日を爆殺するという大掛かりな仕掛けであったという」「実際、北朝鮮国内の中朝国境に近い龍川駅で事件は起きた。表向きの発表では燃料タンク列車と肥料となる硝酸アンモニアを積んだ貨物列車が衝突、横倒しとなった電柱の電線がショートして火災が起き大爆発したとされたが、私がインターネットの映像を見た限り、爆発跡が鋭角であることから地下で起こったもので報道通りの地上での爆発事故のはずはない。地上での爆発であれば爆発跡はU字形に出来る。これは、あらかじめ本線に沿ってある支線沿いの用水路地下に仕掛けられた高性能軍事用爆薬(TNT)八百トンもの強力な爆発物を列車の通過に合わせて爆発させたもので、その証拠に犠牲者には歓迎のために動員された多くの小学生がいた。金正日を出迎えるため駅にいたからである。爆発は特別列車通過に合わせて起きたものだ。ただ、この列車は金正日の影武者が乗る『おとり列車』だった。爆殺計画を事前にキャッチしたアメリカかロシアの諜報機関が金正日陣営にリークし、金正日は間一髪で助かったというのが私の得た結論である」「この事件をきっかけに、もはや中国と対決できるのは核しかないと確信を深めた金正日は開発をさらに急がせ、ついに二〇〇六年十月の核実験にこぎつけたのだ。この核は対米、対日というより、対中用と見るべきだろう。一回の実験だけで、まだ小型化、高性能化は未完成の北朝鮮の核爆弾は、ミサイルに搭載して遠距離を攻撃することは不可能でも、巨大地雷として中朝国境に配備すれば、中国軍の進攻に対するこの上ない抑止力となる。さらに爆撃機に搭載できるくらいまで小型化すれば、北京など中国主要都市は攻撃圏内におさまる」「冒頭の北朝鮮有事には中国軍が北朝鮮国内に進攻すると中国軍事筋が語ったというのも、この事件と結びつけると納得がいく」と書いている。このように、そもそも北朝鮮の核は対中用の兵器であり、その地政学的な関係が変わらない限り、北朝鮮が核兵器を廃棄することはあり得ない。
安倍首相の四選も視野に
また金正恩はこれまで、北朝鮮の体制を維持するためであれば、いかなる手段をも厭わなかった。二〇一七年二月にはマレーシアのクアラルンプール空港で、二人の女性によって異母兄の金正男を襲わせ、顔に猛毒のVXを塗りたくるという手段で暗殺した。二〇一三年には叔父の張成沢を機銃掃射で処刑、その遺体を火炎放射器で焼いた。公表はされていないが直後からの大粛清で多くの高官が処刑されており、それは今でも続いているという。二月の二回目の米朝首脳会談で北朝鮮は経済制裁の緩和を引き出すことに失敗したが、体制維持が一番の目的である以上、このまま経済制裁が続けば金正恩の方から折れてくることは明らかだ。
この米朝会談の前のアメリカのトランプ大統領には、アメリカとしてはICBMが無くなり核実験が行われなければ良いと、北朝鮮が一部の核を隠し持つ潜在的核保有国になることを容認するような姿勢が伺えた。しかし対北朝鮮強硬派のジョン・ボルトン国家安全保障問題担当大統領補佐官はトランプ大統領の妥協を許さず、会談は合意には至らなかった。妥協が行われなかったこの結果は、日本にとっては朗報と言えるだろう。しかし北朝鮮の核の廃棄は、いよいよ現実味を失ってきた、残された策はこれまでシュミレーションをして訓練してきた斬首作戦の実行しかない。
私が十年前から指摘していたように、北朝鮮は核兵器を手放さない。膨張する中国とこの北朝鮮の存在により、今世界で一番戦争の危機が高まっているのは東アジアだ。広島・長崎に次いで三番目に核兵器が使用される場所が、やはり日本になる可能性が高い。これを防ぐには日本自らが動いて、核のバランス・オブ・パワーを維持しなければならない。日本独自の核開発をアメリカが許すはずもないが、非核三原則を撤廃して、NATO四カ国が導入しているニュークリア・シェアリング協定をアメリカと締結するのであれば可能性がある。特に選挙運動期間中に日本の核武装の可能性に言及していたトランプ大統領が交渉相手であれば、益々可能性は高まるだろう。二〇二〇年の大統領選挙で再選されれば、トランプ氏は二〇二四年まで大統領だ。そこまでが日本のタイムリミットではないだろうか。
一方日本には他にも憲法改正という課題がある。まともな憲法にするには、まず自衛隊を明記し、次に九条二項を削除して自衛隊を通常の軍隊と同じ扱いにするという、二回の改憲が必要だ。安倍首相の任期は、今二〇二一年までとなっているが、ニュークリア・シェアリング協定締結と二回の改憲を行うには時間が足りない。自民党は党則等を再度改正して総裁の四選を認め、安倍首相の任期を二〇二四年まで延長するべきではないか。
まず多くの日本人が今の東アジア情勢を理解して、危機感を持つことが重要だ。そして安倍首相とトランプ大統領の連携によって、改憲等を成し遂げ、独立した新しい日本に生まれ変わる。これが日本が存続する道であり、この方針は多くのアジア諸国の期待に答えることになるだろう。
2019年3月15日(金) 19時00分校了